アメリカの一国支配か、多国間協調か
−イラク戦争めぐる米英・仏独の対立−
国連安保理の形成逆転
国連監視検証査察委員会と国際原子力機関によるイラク査察追加報告を受けて、国連安全保障理事会は2月14日、15カ国の外相らが集まって意見交換を行った。
査察委員会のブリスク委員長と国際原子力委員会のエルバラダイ事務局長の報告は、イラクが大量破壊兵器を持っている証拠はまだなく、多くの化学兵器がいまだに廃棄されていない可能性を指摘しながらも、この間のイラクの反応が変化し、全ての抜き打ちの査察が妨害なく行われたこと、イラクの申告で50リットルのマスタードガスの廃棄作業に着手したこと、イラクが偵察機による空からの査察を受け入れたことなどをあげ、イラクのさらなる査察への協力を促すものとなった。
また報告の中でブリスク委員長は、先にパウエル米国務長官が示したイラクが大量破壊兵器を隠蔽した証拠として提出した衛星写真の信頼性にも疑問を呈し、隠蔽工作の証拠とも通常の物資移動とも、どちらとも取れるものだと批判するなど、査察の打ち切りと武力行使を求めるアメリカ・イギリスの対応を暗に批判するものであった。
この報告を受けた安保理での意見交換では、査察の打ち切りと武力行使を求めたアメリカの提案に賛意を示したのはイギリスとスペイン、ブルガリアのみで、フランスの査察強化と延長を求める提案にロシア、中国、ドイツ、シリアが賛成し、他の五カ国も平和的解決を望み、フランス案ともアメリカ案とも決められない状態に陥った。しかもブッシュ政権にとって衝撃的だったのは、当初アメリカ寄りの発言をするものと見られていたシリアがいきなり、「昨年11月の安保理決議に賛成したのは平和的解決のためであって、イラク攻撃の口実に使わせるためではない」と表明し、アラブ諸国を代表してイスラエルを強く非難しながらイラク攻撃に反対したことだ。そして同じくアメリカ寄りの発言をするものと見られたパキスタンも、「イスラム国にとって武力攻撃の決断はむずかしい」と発言し、イラク攻撃反対の流れを決定的にしてしまったことだ。
この事態にアメリカは、「新たな国連決議なしに単独でイラクを攻撃する」可能性もあると脅すとともに、当面は次の査察報告期限である3月1日を待ち、事実上当面の査察延長を認めるかっこうになった。
2月の末にはアメリカ軍の戦闘配備が完了し、3月初にはイラク攻撃が始まるものと見られていた情勢は流動化し、アメリカ、イギリスは新たな決議なしでの攻撃開始を示唆しつづけて開戦準備を進めながらも、イラクのフセイン大統領に対して亡命を勧め、安全を保障する提案をするなど和戦両用の対応をとり、今後の査察に対するイラクの対応とそれをどう評価するかが問題の焦点となり、極めた不透明な状況となった。
この小論が発表されるころには情勢がどう変化しているか予断はゆるされない状況となっているが、イラク攻撃をめぐっての情勢の環は、イラクの対応よりも、アメリカ・イギリスグループ対フランス・ドイツグループ(EUグループ)の対立へと移った感があり、改めてアメリカのイラク攻撃の意図と、それに対立するフランス・ドイツの対応の背景とが究明されなければならない事態となっている。
欧州連邦に踏み出したEU
この問題を考える時に忘れてはならない動きがある。それは年頭の1月14日に、EUの将来像についてしばらく対立してきたフランスとドイツとの間に妥協が成立し、拡大欧州が単一の政府と単一の議会、単一の国際通貨を持ち、人口でも5億人を数える25カ国の連邦としての欧州連邦へと、その第一歩を踏み出したことだ。
ドイツは、EU議会によって選出された大統領に行政権限を委譲し、EU加盟国の国家主権を制限することでEUを連邦へと進めようとし、これを嫌うフランスは、EU理事会である国家首脳サミットの代表者を大統領とし、国家連合としての性格を維持したいとして長らく両国は対立してきた。
しかし今年1月14日に、シラク大統領とシュレーダー首相はひざ詰談判をし、EU議会が選出した大統領を欧州委員会に置くとともにEU理事会が選出した大統領という二頭制をとることに合意し、欧州委員会にもEU理事会にも出席する常設の外相を設けてEUの安保・外交政策の責任者とし、EUの国家を越えた機能を強化することに合意した。そしてこの提案にはイギリスとスペインが賛成し、この提案が今後のEUの体制となることはほぼ確実である。
そして2001年1月から6週間ごとの首脳・閣僚定期協議を実施してきた両国は、1月22日の独仏友好エリゼ条約発効40周年祝賀行事をパリとベルリンとで共同で開催し、ドイツとフランスとが連合国家であるかのような印象を人々に与え、それ以後多くの問題で共同歩調をとってきたのである。
それはとりわけ、アメリカによるイラク攻撃準備に対抗し、イラクの攻撃からEU準加盟国であるトルコを防衛する処置をNATOがとるとのアメリカの提案をNATO理事会で拒否したことにあらわれている。
NATO理事会でアメリカの提案に賛成したのはスペインやバルト三国・東欧諸国という弱小な発展途上国ともいえる国々であり、アメリカのラムズフェルト国防長官による「独仏は古い欧州だ」との失言のきっかけともなった。だがこの経緯は、ラムズフェルト国防長官の言う「新しい欧州」とは、アメリカからの援助を見かえりとしてアメリカの意のままに動く紐付きのEUであり、「古い欧州」とはドイツ・フランスを中心としてアメリカからは自立した外交・安保・貿易政策を持つEUであることを浮き彫りにして、アメリカがNATO拡大をテコにして、EUにおける主導権をフランス・ドイツから奪い取ろうと動いていることをも白日のもとにさらしたのである。
安全保障理事会におけるフランスとドイツによるアメリカの提案への強硬な態度の裏には、以上のようなEU・NATOをめぐるアメリカとドイツ・フランスとの対立があるのである。
対立の淵源=ブッシュ・ドクトリン
アメリカは2001年9月のテロ以後、唯一の覇権国家として国際条約や国際組織のくびきを脱して、単独行動主義ともいえる動きを開始した。その極がテロ直後のブッシュ・ドクトリンの発表であり、それを国家安全保障政策として確定し、2002年9月20日に「アメリカの国家安全保障戦略」として発表した。
この戦略の特徴は、全体主義との戦いに勝利した唯一の覇権国家アメリカは、比類なき軍事力と強大な経済的政治的影響力をもち、自由と民主主義とを脅かす敵からそれを守る義務をもつとする。そしてその活動の骨子は、防衛と抑止を一体のものとしてとらえ、防衛の核としてミサイル防衛構想、抑止の核として自由権発動による単独先制攻撃をすえるというものである。そしてテロ組織とそれを支援する国家によって自由と民主主義が侵されようとしている今は、逆に自由とその恩恵を世界に広げるチャンスであるととらえ、アメリカは積極的に行動すると宣言している。
そして長い間同盟国であったヨーロッパや日本にだけではなく、かつての敵国であった中国やロシアなどに対しても、テロ組織とそれを支援する国(いわゆるならず者国家)との戦いに参加することを強要し、大事なのは同意ではなく共に行動することだと説き、世界には敵と味方しかないと宣言するしまつである。
このドクトリンが、アメリカとドイツ・フランスとの対立の背景にあることは間違いない。だがブッシュ・ドクトリンが一体何をねらい、なぜこれとドイツ・フランスとが対立するのかは、現在のブッシュ・ドクトリンを見ているだけでは良くわからない。
実はブッシュ・ドクトリンは、9・11のテロによってできたのではなく、10年前の湾岸戦争の直後、92年3月にその骨格が策定され、ブッシュ(シニア)が翌年93年の大統領選挙で再選されれば、「ブッシュ・ドクトリン」として発表される予定であったのだ。
案を作成したのは、当時の国防次官で現在のブッシュ(ジュニア)政権の国防副長官であるウルフォウイッツで、文書の名前は「国防計画指針草案」であり、ニューヨークタイムズがすっぱ抜いたものである。
この草案の方が、ブッシュ・ドクトリンのねらいを直截に語っているので、世界週報02年12月17日号掲載の西脇論文によって紹介しよう。
幻の「ブッシュ・ドクトリン」
草案は、冷戦によってソ連を崩壊へと追い込んだことを大勝利とするとともに、欧州ではNATO、アジアでは日米安保で「ドイツと日本を米国主導の多国間安保システムに組み込むことができたことは、目に見えないもう1つの勝利であった」とし、日独のような米国にとっての「潜在的な競争国家に、より大きな地域的あるいは世界的役割を果たしたいといった願望すら抱かせないためのメカニズムを維持すること」を、冷戦後の戦略の大きな目標として掲げた。
そしてまた草案は、核兵器などの大量破壊兵器が世界に拡散していくことは、「拡散に対処するために日独などが核武装へ進み、その結果、米国と地球規模で競争することになりかねないため、大量破壊兵器の世界的拡散は絶対に阻止しなければならない」として、「イラクや北朝鮮などへ大量破壊兵器が拡散するのを阻止するために、必要なら単独ででも米軍事力を行使する」としていた。
草案はさらに「大量破壊兵器の開発あるいは使用を目指す者に対する米国による核および通常戦力での先制単独攻撃」を検討すべきと主張し、「核による先制攻撃」とその対象としての相手からの大量破壊兵器による反撃から「アメリカ本土を守るためのミサイル防衛の早期導入」を強調した。
こうして草案は「先制攻撃」と「ミサイル防衛など本土防衛」を一体化した新戦略として、「戦略的な抑止と防衛」を提案したのである。まさに今回のブッシュ・ドクトリンそのものである。
しかしブッシュ・ドクトリンとして確定された国家安全保障戦略は、この幻の「ブッシュ(シニア)ドクトリン」と比べれば、その意図を不鮮明にし、オブラートに包んだ物になっている。
ブッシュ(ジュニア)は国家安全保障戦略の発表に際して、「我々は自らの力を一方的な優位性を追い求めるためには使用したりはしない」とした。しかし10年前の草案は「要するに最も重要なことは、世界秩序は究極的には米国によって維持されるということを世界に分からせること」であり、そのためには「米国が単独で行動する構えを取る」ことであると強調していた。
10年前の草案を読んでみれば、アメリカの単独行動主義とイラク、イラン、北朝鮮に対する敵視政策の目的と、アメリカとドイツ・フランスとが対立する理由は明確であろう。
なぜ単独支配を求めるのか
アメリカは、アメリカ単独での世界支配を求めているのであり、イラク、北朝鮮への核の拡散は、EU・日本というライバルの強化を生み出す危険性があるからである。だがイラクは、それ自身の存在もアメリカにとっては問題ではある。
世界第二の石油産出量と世界第一の石油埋蔵量とを持ち、しかもイランと並んで油田の国有化を達成したイラクは、原油価格の一元的支配をもくろむアメリカにとって邪魔な存在である以上に、民族主義を強めアメリカなど先進工業国の支配から脱し、経済的にも政治的にも自立を図ろうとする発展途上国に対して、1つの将来的な国家の未来像を提供する。
発展途上国と先進国との貧富の格差(いわゆる南北問題)を解決するためには、先進国による発展途上国の資源・農産物などの支配を打破しなければならないことは常識である。この流れに対して、欧米企業によって採掘されてきた油田のイラクやイランによる国有化は1つの示唆を与え、それは欧米とりわけアメリカ・イギリスによる資源・農産物支配の崩壊を意味する。
アメリカは核兵器を持ち石油を支配したイラクによるアラブ統一の脅威を叫ぶが、この裏にはこうした事情がある。しかしこれはまだ遠い未来の可能性の問題である。
そして重要なのは、EU諸国とりわけフランスはイラク原油にかなり依存しており、ロシアもイラク原油に熱い視線を注いでいる。
この両国はイラクが崩壊することで、自前の大油田を持ち、中東の油田の大部分を押さえるアメリカ・イギリスの石油における覇権ができあがることを恐れてもいる。フランスとロシアは、石油を通じたアメリカの世界支配が広がることを恐れているのである。
したがって今、アメリカがイラクを単独でも攻撃する姿勢を示す意味は、アメリカによる世界秩序からの自立を目指そうとするEUとその主導者としてのドイツ、そしてこれと協調するフランス・ロシアの動きを牽制し、EUの今後の戦略をアメリカからの自立・地域覇権国家への飛躍から、アメリカの戦略のくびきにつなぎとめようということなのであり、イラク原油をコントロールすることで主要国の動きをもコントロールし、自らの覇権を確立しようというものでもある。
根本的転換期の立ち会い人
この意味で2つの著作が示唆的である。
アメリカの政治学者であるダニエル・N・ネルソンは昨年、ワシントン・クオータリーに「米欧関係の変容」という論文を書いた。
彼は大西洋をはさんだアメリカと欧州との関係に溝が生じた背景には、「誰が主要な国際的アクター(役者)であるのか、主役はどのように行動すべきなのか、そしてそれはなぜなのか」という三つの基本的問題に関して、アメリカと欧州とが根本的に異なった理解をしているからだと述べる(ダニエルの論文の和訳は、世界週報03年1月28日号による)。
ダニエルによれば、冷戦の崩壊以後、「欠くべからざる大国」アメリカという言葉が多く使われるようになった。最初に使ったのは国連大使時代のマドレーヌ・オルブライトだが、彼女は「米国の干与なしに重要な世界の問題は解決されないし、米国にははるか未来を見通す力がある」と主張し、この見解はクリントン政権においても頻繁に使われるようになった。アメリカは唯一の覇権国家としての自覚を冷戦の崩壊によって強め、世界を単一の覇権国家アメリカが支配すると考えるようになったというのである。
しかしダニエルによれば、欧州の観点からみると事態は逆に見える。軍事力以外の分野においてアメリカの力が減退し、それが冷戦以後の世界の不安定さの一面であり、「米国がかって物事を指示できたころのような権限や能力を今は持っていない」という認識を90年代を通じて欧州は強めた。そして欧州はEUの通貨統合、共通の安全保障・国防政策の宣言などを通じて欧州に超大国出現との認識を持ち、独自の外交・安全保障政策を持ち動きはじめた。
だがアメリカにとってのEUの価値は、冷戦時代には大陸における対ソ連の最前線における同盟国であったが、冷戦の崩壊以後は、その価値はなくなり、「独自の意思をもつ欧州は必要ない」とまで認識するにいたっているというのである。
ダニエルの認識は、欧州統合の深化と冷戦の崩壊とが、アメリカと欧州の対立の原因を作った時代状況の変化だというものであり、この指摘は示唆に富むものである。
もう1つの著作は、「超帝国主義アメリカの内幕」というアメリカの経済学者マイケル・ハドソンのものである。
この本の初版は1972年にアメリカで「超帝国主義―アメリカの経済戦略」という題で出版されたもので、1971年に金とドルとの交換の停止をしたアメリカの経済政策を分析したものである。
1971年の金とドルとの兌換停止は、ドルの没落であり、アメリカ帝国主義の崩壊のはじまりと世界の人々、とりわけマルクス主義者はとらえ、時代は帝国主義の黄昏の時代に入ったと分析した。しかしその後のアメリカは多額の貿易赤字を抱えながらも、貿易黒字を抱えた諸外国の中央銀行がアメリカ財務省の証券や手形を購入することによって、これらの国々の余ったドル資金がアメリカに還流し、アメリカは空前の繁栄を謳歌するという結果に至ったのである。
ハドソンはこの事態を分析することを通じて、経済力の落ちたアメリカが、唯一の覇権国家であることを背景にしてドルを国際通貨としつづけることに成功したことを梃子として、ドル立ての援助や貿易黒字国のアメリカの債権の購入という動きを通じて、世界の富をアメリカに還流させ、このことを通じて世界を搾取しているという事態を明らかにしている。
ハドソンは言う。「アメリカの世界支配を、民間金融資本の活力を特徴とするヨーロッパ・モデルを引き継ぐものと考えるのは単純すぎるだろう。過去80年のアメリカ外交におけるダイナミクスを正しく捉えるには、ジョン・ホブソンやV・I・レーニンを読む以上のことが必要となる。アメリカが現在の全世界的な地位を築いたのは、第1次大戦以前、いや1970年以前に著作を発表したエコノミストには予想もつかなかった新奇な政策を通じてだった」(プロローグより)と。
このハドソンの分析を背景にしてEU統合の意味を考えてみると、欧州がEU統合を深化して、ユーロという国際通貨を持つにいたったわけは、この唯一の国際通貨としてのドルによる世界の富のアメリカへの還流という搾取の罠から離脱するためだったと考えられるのである。
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以上の2つの分析を統合して考えてみると、1971年および1991年以後の世界は、以前とはまったく違った世界になっていることが理解されよう。
アメリカ資本主義の過剰生産をきっかけとする長期の景気の後退を、唯一の国際通貨としてのドルを維持する政策によって、アメリカは世界を搾取し富を一身に引き受けるものになったのであり、このことを通じてアメリカは、自らの特権的地位を維持している軍事大国としての力を背景にして、世界秩序の再編にかかった。ソ連のアフガン侵攻とイランのイスラム革命の勃発以後のアメリカの動きはこのことを示している。
そしてこの動きに拍車をかけたのが1989年の東欧「労働者国家」群の崩壊と、1991年のソ連邦の崩壊だった。
アメリカは唯一の覇権国家としての自覚を強め、さらなる世界の富の一元的支配の確立にむけて世界秩序の再編へと動いた。この始まりがかの湾岸戦争であったのだが、その全面展開はブッシュ(シニア)の落選によって一時はアメリカ外交の前面からは撤退したものの、クリントン政権の時代を通じて徐々に展開され、ブッシュ(ジュニア)政権の成立と共に復活への足がかりをつかみ、2001年9月11日のテロをきっかけとして全面展開したのである。
この事態の罠に早くも気がついた欧州は、欧州の国家統合を深化することで、独自の国際通貨と巨大な単一の市場を形成し、単一の政府と単一の外交・安全保障政策をもった欧州連邦を志向することで、アメリカによる世界支配から逃れようとしてきたのだろう。
世界は第二次世界大戦後の約30年の資本主義の成長の時代から、再びその衰退の時代へと踏みこみ、21世紀へ入った今日においては、経済の世界的衰退が続く中で、複数の国家群による覇権争いの時代に入りつつあるのであろう。
イラクをめぐるアメリカ・イギリスとドイツ・フランス・中国・ロシアとの対立は、アメリカによる世界の一国支配か、複数の有力な国家群による協調支配かをめぐっての争いであり、これに旧植民地と発展途上国の自立の戦いや、アメリカの世界支配の拡大(経済のグローバル化)によってさらに問題が深刻化した富の格差への反発の問題がからんで、複雑な様相を見せているのである。
今われわれにとって必要なことは、イラク攻撃をめぐる事態の表面をなぞるのではなく、その背景にある世界情勢の根本的な変化の諸相を分析しその変化を的確にとらえ、その変化の行きつく先を予測して、覇権争いの中からそれを超えて世界を平和的に統合する方向に向けていかに行動するかを考えることであろう。
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