【浮上する自民党総裁選の焦点】

制御不能の危機はらむ対アジア外交の決算書

―「男の美学」が「ネオ・ナショナリズム」の暴発を招く危険―


▼ジョセフ・ナイの警告

 4月3日の日経新聞は、論説主幹の岡部直明の筆になる「冷える日中 憂える米国」という論説を掲載した。この論説には、米クリントン政権の国防次官補を務めたハーバード大学のジョセフ・ナイの、現在の日中関係の分析と警告が引用されている。ナイの分析と警告は以下のようなものだ。
 「首相の靖国神社参拝は日本のソフトパワーを傷つける」「米国人の感情を深く害するわけではないが、中国人や韓国人には、1930年代の困難な時代を思い起こさせる。日本の大衆文化に引きつけられ日本に好意をもつ若者たちの心も30年代に戻ってしまう。首相が国内の政治事情から靖国参拝を決めること自体が自らのソフトパワーをそぐことになる」とナイは分析する。
 さらにナイは、日中関係の今後について以下のような警告を発している。すなわち「中国の首脳と日本の首脳は相手を批判することで、ある種のナショナリスティックな支持を得ようとしているのではないか。危険なのは首脳の想定の範囲を超えて制御不能になってしまうことだ。米国も日中が敵対的関係になるのは見たくない」と。
 このナイ教授の分析と警告は、極めて的を得たものであると思う。そしてこの分析と警告が日韓関係にもそのまま当てはまることは、最近の竹島(獨島)領有問題と周辺海域調査をめぐる両国政府の「激突」状況を見てみれば明かである。
 またさらに留意すべきは、危機的な日中・日韓関係を打開する上で、「小泉後」の外交政策の行方を占う9月自民党総裁選が、へたをするとネオ・ナショナリズムの噴出の場に転化しかねないことを、ナイの警告は含意していることである。
 以下の小論において、ナイの分析と警告を参考にしながら、今後の日韓・日中関係、とりわけその焦点となる9月自民党総裁選の行方について考察しておきたい。

▼ポピュリスト政権のぶつかり合い

 なぜ小泉は靖国参拝にこだわり、なにゆえ中国・胡錦涛政権や韓国・盧武鉉政権が強硬な対応に終始するのか。
 この問題を考える時に欠かせない視点は、この三国の政権それぞれが、ポピュリズムを政治手法とする政権としての性格を色濃く持っていることである。
 ポピュリズムとは何か。ポピュリズムについて政治学者の大嶽秀夫は、その著書『日本型ポピュリズムー政治への期待と幻滅』(2003年:中公新書)において、以下のように規定している。
『ポピュリズムとは、「普通の人々」と「エリート」、「善玉」と「悪玉」、「味方」と「敵」の二元論を前提にして、リーダーが、「普通の人々」の一員であることを強調すると同時に、「普通の人々」の側に立って彼らをリードし「敵」に向かって戦いを挑む「ヒーロー」の役割を演じてみせる「劇場型」政治スタイルである。それは社会運動を組織するのでなく、マスメディアを通じて、上から、政治的支持を調達する政治手法の一つである』(同書:118〜119頁)と。
 小泉も胡錦涛も盧武鉉も、きれいにこの類型に当てはまる。小泉は自民党橋本派と国家官僚を「敵」として、彼らが進めてきた政治に対する不満を抱える「普通の人々」を代表する形で登場し、政治を進めてきた。
 対する胡錦涛は、中国共産党と国家に巣食って自己の利益しかはからない官僚を「敵」として、そのような政治を桎梏と見なす資本家層と、その政治によって抑圧される庶民層という「普通の人々」を代表する形で権力を維持してきた。
 盧武鉉もまた、この間の韓国の経済発展によって登場した新中間層を基盤とし、腐敗した政官財の官僚、それも対日協力者であり独裁政権の協力者であった人々を「敵」とし、彼らの打倒を願う「普通の人々」を代表する形で登場し政権を維持してきた。
 彼らは共通して、従来の政権にくらべればその支持基盤は脆弱であるし、自らが「普通の人々」の代表として「敵」にあたってきていることを、メディアを通じたパフォーマンスで示し続けている。焦点となっている日・中・韓の三国の政権が、みなそろってポピュリスト政権なのだ。
 そしてこれは、時代の性格のなせるわざでもある。
 現代は、冷戦という戦後を規定してきた政治構造が崩壊し、あらたな構造が模索されてはいるが、確固とした未来像がまだ構築されていない過渡期、混沌とした時代である。その未来へ向けたグランドデザインが存在しない中で、グローバル資本主義が各国民経済を破壊していく。このことを背景にして、それぞれの国の国民には根強い不安が存在する。それゆえ多くの国の政権は、ポピュリスト政権とならざるを得ない。こういう時代背景を考慮しておく必要があるだろう。

▼小泉が靖国参拝にこだわる訳

 では小泉は、なぜ靖国参拝にこだわるのであろうか。
 小泉は初当選以来、毎年靖国神社に参拝し続けてきた。しかし小泉はナショナリストではない。なぜなら彼は、日本の植民地支配を合理化したり、侵略戦争はなかったなどの右翼的言辞を弄したことがないからであり、彼の政治活動における安全保障などについての発言を見る限り、彼は「ハト」であり日中・日韓友好派である。
 ではなぜこれまでの首相と違って、在任中の靖国参拝にこだわるのであろうか。ちょうど手元に、手ごろな本がある。
 今年1月に発刊された『外交を喧嘩にした男―小泉外交2000日の真実』(読売新聞政治部編:新潮社刊)だ。この分析と、先に示した「日本型ポピュリズム」とを参考にして考察してみよう。

 小泉が靖国参拝にこだわる理由は、2つある。1つは、彼の人間観に根ざす個人的心情であり、もう1つは、彼の政権基盤の問題である。
 小泉は靖国参拝についてこう語っている。「靖国神社で特攻隊の若者の遺書を見ると、誰だって涙する。知覧特攻平和館に行くと、誰だってその御霊に頭を垂れたいと思う。A級戦犯の問題はあるかもしれないが、死ねば、みな仏様じゃないか」「国のために命をささげた御霊に頭を垂れるのは当然のことじゃないか」と。
 小泉の愛読書は歴史小説。それも司馬遼太郎の、明治維新期の英傑たちについての小説である。彼が尊敬すべき人間類型としているものは、維新の志士たちのように、身を捨てて大義に殉じるという人間像である。この人間観を背景として見ていくと、小泉が靖国神社に参拝する心情がよく理解できる。
 彼は日本が行った対外戦争を聖戦などと合理化はしないが、それぞれの〃戦争の大義〃のために己を犠牲としていった人々への深い共感を抱いており、それが靖国参拝の動機であろう。
 では小泉が、首相として靖国に参拝することにこだわるもう1つの理由は何か。それは彼が首相になることになった、2001年の自民党総裁選における彼の立場であり、彼の政治的基盤の問題である。
 小泉にとって3度目の挑戦となった2001年の自民党総裁選での最有力候補は、自民党橋本派の領袖・橋本龍太郎元首相であった。党内最大派閥を基盤にして立候補し、森内閣においても行政改革担当相として手腕を振るっていた橋本は、国民的人気も高かった。自民党の退潮に危機感を抱いていた、都市部を基盤とする若手議員たちに担がれた小泉の基盤は、弱小派閥である森派しかない。自民党改革への期待を抱いた若手議員たちが、地方票を増やして地方での予備選の実施を推進していたとはいえ、小泉が勝つためには、地方における予備選を勝ちぬく事と共に、党内右派の支持を得る必要があった。そして総裁選立候補の時点では、地方における予備選で小泉が圧勝するとは、まだ誰も予想していなかったのである。
 この状況の中で小泉は、総裁選ではじめて8月15日の靖国参拝を公約に掲げた。この意図は、最有力候補である橋本が、日本遺族会の元会長として毎年終戦記念日と秋の例大祭には参拝していたにもかかわらず、首相在任中はひっそりと私的参拝を一度しただけでアジア諸国に配慮をしていたことを念頭に置いて、これとの差別化を図ったものであった。そして日本遺族会は、終戦記念日の首相参拝を強く望んでいた。
 小泉が総裁選において8月15日の靖国参拝を公約したのは、10万とも言われる日本遺族会の自民党員票を狙ってのことであった。
 しかし小泉や彼を支える人々の予想に反して、小泉は地方で圧勝し、国会議員票の多数も獲得して自民党総裁に当選し、総理大臣に就任した。こうして彼は首相として、8月15日に靖国神社に参拝しなければならなくなったのである。
 彼の理想とする人間像は、維新の志士である。ということは大義のために身を捨ててまい進することが必須条件であり、清廉潔白で、言ったことは必ず実行する誠実さも身上である。小泉はナショナリストではないにも関わらず、党内右派の票を頼んで立候補したがゆえに、そして彼の人間観=男の美学を大事にするがゆえに、一度公約として掲げた「首相としての8月15日の靖国参拝」を実行し続けるしかないのである。

▼小泉の誤解と無理解

 しかし小泉が、中国と韓国に一定の配慮をして8月15日を避けて参拝したにもかかわらず、靖国参拝を強行することに対する中国・韓国の批判はやまなかった。
 やまないばかりか、民衆レベルの反日暴動までおこり、両国との経済関係にも支障をきたし始め、これに加えて尖閣諸島や東シナ海海底ガス田開発問題、竹島と周辺の漁業水域確定の問題など〃領土問題〃まで抱えてしまい、日中・日韓関係はにっちもさっちもいかない手詰まり状態になってしまった。
 だがそれでも小泉は、靖国参拝をやめようとはしない。「なぜ外国が国内政治に介入するのか。アメリカやロシアはやめろとは言わないのに、なぜ中国や韓国はやめろというのか」「私は戦争を賛美するために行くのではない。二度と再び戦争をしないということを、戦争に命を捧げた人達の御霊の前で誓うために行くのだ」「これは心の問題である」などと言い続けている。
 ここには小泉の、靖国問題に対する誤解が根本的問題として存在している。
 小泉の誤解は、2つのレベルで存在する。
 1つは、A級戦犯が靖国神社に神として祭られることの意味についての誤解である。
 靖国神社は、国家の戦いに殉じて戦死した人の栄誉を称えるためのものである。従って戦争責任者として処罰された人々を神として祭るという事は、彼らが遂行した戦争(日中戦争や太平洋戦争)が正しい戦争であり、彼らに栄誉を与えるということを意味する。しかし小泉は「死んだらみんな仏様」という一般論で靖国を捉えている。小泉は靖国神社の政治的性格を完全に誤解しているのだ。
 2つ目の誤解、いや誤解というよりは無理解は、A級戦犯をめぐるアジアと日本との歴史的関係についてである。
 日本は戦後、アジア諸国への戦時賠償をすべて経済援助に置き換え、個々の戦争被害者への賠償も、それぞれの国家がするものとしてきた。しかしアジア各国の独裁政権は、戦争被害者への補償をほとんど行わなかった。そして中国との国交回復においても、中国の戦時賠償権を放棄させ、経済援助をそれにあてる事を認めさせている。
 このような戦後処理を可能にした論理は、2つある。
 1つは冷戦の進行である。冷戦の中でアジア諸国は、反共包囲網の最前線と位置付けられ、日本はそれに経済的援助を与え反共の砦として、各国の軍事独裁政権を支える役割を負っていた。したがって巨額の戦時賠償は、日本の経済復興を阻害し、それはひいてはアジアの反共の砦を崩壊させてしまう危険があった。それゆえ日本の戦時賠償は、経済援助に置きかえられたのである。
 そしてもう1つの論理は、アジアへの侵略戦争の責任をA級戦犯に押し付け、天皇も日本国民も、A級戦犯=軍国主義者にだまされた被害者であるという仮構を作り上げ、補償を回避した事だ。
 従って日本の総理大臣が、A級戦犯の行為を称えている靖国に参拝するということは、戦後処理の枠組みを日本が自ら放棄することを意味する。
 そして小泉が靖国参拝を強行し続けることが大きな問題となる背景の一つに、先に述べた日本の戦後処理を可能にした国際関係が崩壊している事があげられよう。
 A級戦犯に全ての戦争責任を押し付け、日本の個々の被害者に対する戦時賠償を軽減させた構造は、冷戦の存在と反共の砦としての軍事独裁政権の存在であった。しかし戦後、アメリカ・日本などの経済援助によって、これらアジア諸国において資本主義の急速な発展と国民生活の改善があり、冷戦の終結ともあいまって軍事独裁政権は全て崩壊し、アジア諸国政府は、今や民主的手続きによって生まれた、民意を代表する政府である。
 同時に、日本の戦後処理を支えたアメリカの路線も変化した。アメリカは今や、かつては敵とした中国との協調も含めて、アジアの政治的安定状況を、アメリカ系多国籍資本の展開にとって不可欠の要素としているのだ。したがって、日本とアジア諸国との戦後の国際関係を支えた戦後処理の枠組みは、その基盤を失っているのだ。これはすなわち、自らの政治的な意思を表明できるようになったアジア民衆が、戦争責任をとらずに来た日本の行動を、公然と批判できる状態になっている事を意味する。
 このような時に、日本国政府の総理大臣がA級戦犯の行為に栄誉を与え、客観的には侵略戦争と植民地支配の容認と見なされる靖国参拝を強行することは、せき止められてきたアジア民衆の憤激を溢れ出させ、アジア諸国の政府がそれに同調しない時には、その政府自身をも崩壊させる危険を考慮さえしない行為なのである。

▼矛盾をかかえる中国・韓国

 そしてこの点で特に留意しなければならないことは、日本によって継続的に侵略・占領の被害にあってきた中国と韓国の政府の民衆的支持基盤が、脆弱なことである。
 中でも、現在の中華人民共和国政府とその実権を握る中国共産党は、国内に深刻な矛盾を抱え、民衆と政府との関係は一触即発の危険な状況にある。
 3月に行われた全人代において、温家宝首相は「中国は長期間にわたって蓄積した深い矛盾がいまだ基本的に解決されず、無視できない新たな問題も出現した」と断じた。それは、90年代以来続いた市場経済化への改革によって中国社会が大きくゆがみ、社会主義の大義が掲げてきた社会的公平と市場の対立が深まっているということである。
 特に深刻なのは、都市と農村の経済格差である。その収入格差は3・22対1に広がり、格差を埋めようと都市に出稼ぎに出た農民たちは、都市住民としての権利もなく、低賃金で最低限の社会保障も受けられないまま都市の片隅で貧困にあえいでいる。しかも拡大する都市と工業地帯が、周辺の農村地帯に対しては急激な、しかも官僚的強制による土地開発として進行し、農民の生活基盤である農地を奪い、水資源を汚染するなど深刻な状況にまで追いこんでいる。
 胡政権は中央直轄で巨額の農村投資を行い、農村の生活向上に努めようとしているが、これとていまだインフラ整備の段階に留まっており、個々の農民の生活改善には遠く及ばない。その上、農業税の軽減によって収入を減らされた地方政府官僚たちによる汚職によって、これらのインフラ整備の資金すらネコババされ、進行する農村の貧困を解決する目処はまったく立っていないのである。
 この状態は、政府当局の対応に対する民衆の不満を鬱積させている。それゆえこの民衆の不満が、しばしば中央政府への直訴となって暴動に至る。胡錦涛政権が、はじめて策定した5ヵ年計画における目標を「一人あたりのGDP倍増」とし、民生重視の姿勢を強調したり、記者会見などで指導者自身が人民の子であることを何度もアピールするのは、このような国内矛盾の故なのである(以上『世界週報』06年4月11日号:特集「中国社会の改革と矛盾」による)。
 このような中国国内の矛盾が背景にあるが故に、小泉の靖国参拝に抗議をするだけで断固たる処置をとれない中国政府に対して、暴動という形で、民衆の怒りが噴出するのである。それは中国共産党が、市場経済化の中で党と国家の統合を強化しようと取ってきた愛国教育という反日教育を逆手に取った、社会的矛盾の告発でもある。
 したがって小泉が靖国参拝強行を続け、例えば今年8月15日に参拝などすれば、中国政府はさらに頑なになる以外にはないし、それを突き上げる反日暴動が激発する危険性を抱えているのである。

 韓国政府も事情こそ異なれ、深刻な矛盾を抱えている。
 改革を掲げて登場した盧武鉉政権ではあるが、その基盤であるウリ党は、04年4月の選挙で議会の過半数を握ったとはいえ、その政権基盤は脆弱なままである。
 独裁政権時代に温存された地域主義は健在であり、ウリ党はいまだに韓国西部地方の利害を代表するに過ぎず、韓国東部は最大野党ハンナラ党の基盤である。さらに改革を掲げながらも何も進まない政府に対する民衆の不満は募り、05年4月の補欠選挙での全敗でウリ党は過半数を割り、05年10月の補欠選挙でも完敗、議席は過半数150に遠く及ばない144まで後退している。
 その上ウリ党は、民主化運動のリーダーたちからなる改革派と盧武鉉側近グループ、そして中道派からなる異なる政治傾向の寄せ集めだから、与党としての求心力が弱まれば弱まるほど党内主導権争いが激化し、その求心力を高めるために、盧武鉉はしばしば過激な行動をとる。盧武鉉政権がその成立以来、日帝協力者と独裁協力者の摘発と排除の運動を繰り広げた背景には、与党と大統領自身の支持基盤の弱さがあるのだ。
 こうして小泉の靖国参拝強行は、韓国国民の中に広く存在する、戦争責任をとらない日本への反感に火をつけ、盧武鉉政権に対する不満を形を変えて噴出させる格好の発火点となるのである。

▼予断許さぬ9月総裁選の行方

 日中・日韓関係は戦後最大の危機にある。その危機の根本的原因は、戦後の日本とアジアとの関係を規定してきた国際関係が崩壊し、それに変わる新たな枠組みの構築が求められているのに、日本政府がそれに対して及び腰であることにある。
 その新たな枠組みとして、アジア(東アジア)共同体が提唱されているのである。
 経済のグローバル化が進展し、国境を超えた資本の自由な移動が促進される事で、アジア諸国の国民経済は、アメリカ発の多国籍企業に支配され、アメリカの投機的金融資本の跋扈によって、その経済が不断に揺さぶられ続けている。このような外的要因による国民経済の危機を回避し、持続的発展を維持していくための枠組みとしてアジア共同体が期待されているのだ。しかし日本政府はこの動きに及び腰であり、これに加えて小泉が靖国参拝を強行することで日韓・日中関係が不安定化して、アジア共同体への動きはさらに遅れている。
 この状況全体を改善することが今求められているのだ。
 ところで4月25日の講演で、前官房長官・福田康夫は、アジア共同体を新たな枠組みとして構築する政策を掲げる事を表明し、小泉の靖国参拝を明確に批判した。ここに来てようやく、小泉後を担う自民党総裁を選ぶ選挙の主要な争点の一つに靖国問題とアジア外交が浮上してきたようである。
 そしてこの動きは、財界の支持と自民党内の保守本流派のベテラン議員などから強い支持を受けてもいる。さらに4月23日に行われた千葉の衆院補選での自民党の敗北は、改革による格差拡大に無頓着であったことのつけとも言える。そしてこれは、格差を拡大したと批判されている小泉改革を継承することを表明し、靖国参拝をも公言している安倍晋三を首相候補とすることに対して、「国民的人気だけではだめだ。改革の調整を図れるベテランが必要」との論理で批判する傾向を勢いづけてもいる。改革の行き過ぎの調整と、悪化したアジア諸国との関係改善が急務であるとの流れが、ここにきて一気に強まってきた感がある。
 しかしこの流れを一挙にひっくり返し兼ねない問題が、1つ存在している。それは小泉の行動である。
 小泉は、アジア諸国との新たな関係の枠組み構想を立ち上げようとはしないばかりか、それを阻害する最大の要因である靖国参拝をやめようとはしていない。しかも彼が掲げてきた改革の旗は今や一敗地にまみれている。小泉改革に対する幻想も、昨年来の耐震偽装疑惑やライブドア事件などを通じて色あせ、小泉の「青い鳥」の羽の色は、真っ黒に汚れてしまった。有言実行の美学を身上とする小泉にとって、このまま5年に渉る政権の座を降りることは彼の美学が許さない。総裁の任期が切れる9月までに、彼は起死回生の一発をなんらかの方法で図るに違いない。
 彼の公約の中で残るのは、8月15日に靖国を参拝することだけだ。だが小泉がこれを実行してしまったときは、一体何が起こるであろうか。
 はっきりしていることは、韓国・中国の民衆の怒りは爆発することである。そしてこれを背景にして、その怒りが政府批判に転化しないことを優先するしかない韓国・中国両国政府は、今までにない強硬な姿勢を打ち出してくるに違いない。しかも8月15日は、自民党総裁選まで、二週間余りという日程である。中国と韓国の騒乱の中で、自民党総裁選の候補者たちには、小泉の靖国参拝に賛成するか反対するかを鋭く問われる。
 この条件下で靖国参拝をやめるということは、中国や韓国の批判に屈したと受け取られる側面を持っており、両国の批判に「内政干渉」との反発を強める小泉側近や若手議員たちは、はたしてこの時、日本とアジアの国々との新たな関係の枠組みを作るための、冷静な政治判断ができるだろうか。焦点は、この時の日本民衆の動向である。

 4月4日に毎日新聞が実施した世論調査では、次期首相候補として自民党の6人を挙げて聞いたところ、安倍晋三官房長官が36%でトップ、次いで福田康夫元官房長官が18%であった。1月に行われた同じ調査では、両者の差は28ポイントあったが、それが18ポイントに縮まったのである。進行しすぎた格差と、アジア諸国との関係改善を願う世論が広がったことを示している。
 しかしこの調査では、小泉内閣支持層に限って集計すると、安倍と福田との差はまだかなり大きい。小泉内閣支持層の53%が安倍支持なのに対して福田支持は14%、自民党支持層でも安倍は53%の支持を得ており、彼の優位は揺らいではいない。
 しかも千葉の補選の朝日新聞による出口調査によると、女性と若者の多数はいまだ小泉自民党を支持しており、同じ時期に行われた朝日新聞の世論調査でも、女性と若者の多数は小泉内閣を支持している。この層こそ、昨年の総選挙において自民党へのなだれ現象を担った層なのである。
 この間日本でも侵略戦争や植民地支配を正当化し、愛国心で国家的求心力を高めようとする動きが進行している。こうした動きは、経済のグローバル化の中で進路を見失いつつある不安と拡大する格差を基盤に、社会の液状化、個人個人がばらばらにされて治安すら悪化していくことへの不安・不満を背景にしている。そしてこの不安と不満を代表するのが、若者層なのである。つまりこうした不安と不満がどのような衝動を生むかが、鍵になっている。
 小泉改革への幻想が色あせつつあるとはいえ、これに代る新たな道が示されていない状況の下で、中国と韓国の激しい反日の嵐が吹荒れる最中に自民党総裁選挙が行われることは、不安と不満を抱える若者層を中心としたネオ・ナショナリズムの嵐が吹荒れる危険性を抱えているのである。
 しかも旧来的支持基盤が解体され、ポピュリズムへの誘惑にかられる自民党の中には、ネオ・ナショナリズムに傾斜しつつある安倍晋三を支える「靖国参拝を支持する若手国会議員の会」が120人規模で再結成されており、これが若い層を中心とした社会的な不満と不安を自民党の中に引き入れる水路の役割を果たす可能性は大きい。事態は予断を許さない危険な水路に入りつつある。

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