古代史関係の論考

NEW!2017年6月10日
2017.8.06更新

 2016年1月から「多元的『国分寺』研究サークル」に関わって多くの「国分寺」関係の論考を書いてきた。また、2017年3月からは、「古田史学の会」で古田武彦氏の歴史研究方法を否定して「実証より論証」などという論理で、今までの先行研究も古田さんの研究も無視して、九州王朝説を単なる妄想の域に貶めるような活動がなされている事実に気が付き、これを批判する人々とともに、「古田史学の継承のために」のサイトで、いろいろ議論をしている。この過程でまた、多くの古代史に関する論考を書かなければならなくなっている。
 どちらのサイトもブログであるため、論争が多岐にわたることと、コメント欄で論争が続いているために、これらのブログでどのような研究成果が出ているかを見つけづらい状況となっている。
 そこでこの二つのブログによる研究サークルの議論の中で、私が書いた論考を、ここに一括掲載し。誰にでも読めるようにした。ファイルはすべてpdfファイルである。

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●書紀天武紀・持統紀宮関係記事の精査

 書紀天武紀と持統紀の宮関係記事を精査してみた。天武紀でも持統紀でも、天皇の行動を示す場合は、主語省略と明示という二つの方法が併存し、前者は九州王朝天子、後者は近畿の王天武・持統の行動ということ。これを手がかりに精査してみると、驚くべきことがわかる。白村江の敗戦以後の九州王朝と近畿天皇家の関係について新たな事実が判明したことを報告する。2017年8月6日 ここ
19 ●古賀・大下論争を読み解く―「前期難波宮九州王朝副都説」について  「前期難波宮九州王朝副都説」を中心として、「古田史学の会」で2011年から2013年にかけて行われた論争を振り返り、論争で何が明らかになり何が明らかにならなかったのかを総括し、再び学問的論争のレベルに戻ることを祈念して、この成果を明らかにする。2017年7月30日 ここ
18 ●磐井の乱を考える  古田さんは当初「継体の乱」と考えたが後に否定し、書紀編者の造作と見解を変えた。古田史学の会の正木さんは、磐井の乱の元史料は九州王朝に対する近江毛野臣の乱の記事であり、これを盗用して時期も登場人物も入れ替えて、オオド王が筑紫の豪族の反乱を討滅した事件を造作したとした。この著名な事件を、筆者が新たに見出した『日本書紀』解読法を元に解析した。結論は、この事件は九州王朝内の天皇位を巡る騒乱であった。2017年7月11日 ここ
17 いかにして「前期難波宮九州王朝副都説」が虚妄であることに気が付いたのか―「自分史」的考察ー 「前期難波宮九州王朝副都説」が誤りであること気が付いたのは2017年4月初めのことであったが、そこに至るまでの二年半ほどの「古田史学」との関わりの中で、「古田史学の会」の現状への疑念が深まっていたことが背景にあったことを「自分史」的に考察した論考。2017年6月24日 ここ
16 ●孝徳の宮「難波長柄豊碕宮」はどこにあったか?(訂正版) 15の論考に単純なミスがいくつもあったので訂正した。孝徳の宮の字に間違いがあり、古賀さんや大下さんの説の理解に間違いがあった、さらに末尾の「崩」「薨」の理解に間違いがあったためである。2017年6月17日 ここ
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●孝徳の宮「難波長柄豊ア宮」はどこにあったか?

「古田史学の継承のために」で議論になっている「前期難波宮九州王朝副都説」批判の中で話題となった、近畿の王・孝徳の宮のありかを『日本書紀』分析によって探求した論考。2017年6月13日。 ここ
14 「武蔵国府寺」創建伽藍の復元(訂正版2−9B) 武蔵国分寺研究第十三弾。聖武天皇一周忌までに完成した「国分寺」26ケ寺伽藍の再検討第三回。南海道編。2017年1月22日。 ここ
13 「武蔵国府寺」創建伽藍の復元(訂正版2−9A) 武蔵国分寺研究第十二弾。聖武天皇一周忌までに完成した「国分寺」26ケ寺伽藍の再検討第二回。山陽道編。2016年12月11日。 ここ
12 「武蔵国府寺」創建伽藍の復元(訂正版2−9@) 武蔵国分寺研究第十一弾。聖武天皇一周忌までに完成した「国分寺」26ケ寺伽藍の再検討第一回。北陸道・山陰道編。2016年11月21日。 ここ
11 「武蔵国府寺」創建伽藍の復元(訂正版2−8) 武蔵国分寺研究第十弾。寺院伽藍配置の歴史的検討を踏まえ、伽藍改造例を考察する。2016年11月21日。 ここ
10 「武蔵国府寺」創建伽藍の復元(訂正版2−7) 武蔵国分寺研究第九弾。従来の研究の伽藍形式と国府との関係説を検証する。2016年11月16日。 ここ
「武蔵国府寺」創建伽藍の復元(訂正版2−6) 武蔵国分寺研究第八弾。「日本書紀」「続日本紀」の仏教関係記事精査により「国分寺」と呼ばれた理由を解明。2016年11月8日。 ここ
「武蔵国府寺」創建伽藍の復元(訂正版2−5) 武蔵国分寺研究第七弾。最新の発掘報告書に基づき、伽藍復元案を提示。法起寺式か観世音寺式かと。2016年10月20日。 ここ
「武蔵国府寺」創建伽藍の復元(訂正版2−4) 武蔵国分寺研究第六弾。新しい伽藍変遷仮説を提示。2016年10月20日。 ここ
「武蔵国府寺」創建伽藍の復元(訂正版2−3) 武蔵国分寺研究第五弾。従来説の伽藍変遷の矛盾を指摘。2016年10月14日。 ここ
「武蔵国府寺」創建伽藍の復元(訂正版2−2) 武蔵国分寺研究第四弾。伽藍南北軸の傾きの意味を論じる。2016年10月14日。 ここ
「武蔵国府寺」創建伽藍の復元(訂正版2−1) 武蔵国分寺研究第三弾。従来説の矛盾を指摘。2016年10月14日。 ここ
「武蔵国府寺」創建伽藍の復元(訂正版1) 武蔵国分寺研究第二弾。先の論考の根本的間違いを指摘。2016年9月20日。 ここ
「武蔵国府寺」創建伽藍の区画溝の発見と創建伽藍の復元 武蔵国分寺研究第一弾。 2016年8月29日。 ここ
今井久著「伊予国分寺と白鳳瓦―最初に国分寺制度を造った誰か」批判 「古田史学会報」132号掲載論文の批判。 2016年2月16日。 ここ