はじめに:

 この書物は、新しい歴史教科書をつくる会(以下「つくる会」と略称)」が2001年に扶桑社から発行した中学校用検定済教科書の「第3章:近世の日本」の第1節「戦国時代から天下統一へ」と第2節「江戸幕府の政治」の詳細な批判である(第3節「産業の発達と文化の成熟」第4節「幕府政治の動揺」についての批判は、第3巻下:近世編2でおこなう)。
 著者が「近世の日本」の批判に取りかかったのは、2006年の8月である。そして見通しとしては2007年の2月までには「近世の日本」の批判を終える予定であったが、予想を越えて問題を孕んだ記述であることがわかり、ようやく「近世の日本」の半分の批判を終えることしかできなかった。

新しい近世観を提起した「新しい歴史教科書」

 この教科書の近世についての記述は分量としては中世の2倍ある大部なものだが、当初著者が「近世の日本」批判が比較的速やかに終わると判断した理由は、この教科書は従来の教科書とは違って、近年の近世研究の深化を比較的良く反映する部分が多く、さらにそれ以外の部分でも間違いが少ないと判断したことである。
 この教科書が提起した新しい近世観とは、以下のようなものである。

 @近世の農民は秀吉の検地によって田畑の所有権を認められた自立した農民であった。
 A江戸幕府の年貢率は生産力が発展するに従って検地高の3割〜1.5割程度まで低下した。
 B近世の身分制度は諸身分間の移動可能なもので、諸身分はそれぞれ自治を行っていた。
 C武士は統治権を独占したが、社会の平和が守られたことで武士の統治は諸身分から支持された。
 D幕府が全国を統治するのではなく、大名は将軍と統治権を分有して、藩内の統治を任されていた。
 E鎖国は国を閉ざす政策ではなく、情報と貿易を管理しつつ海外との交流を維持する政策であった。
 F近世初頭の大開発による膨大な農産物需要が生まれ、これに伴い諸産業が発展して、江戸時代は高度に諸産業が発展した豊かな時代となった。
 Gこの中で当初は海外から輸入していた生糸や絹織物や木綿も日本は自給していった。
 H年貢率が下がる中で農民は多くの商品作物を栽培し、どんどん豊かになっていった。

不充分な新しい近世観の提起

 しかし念のためになるべく最新の研究に当たって確かめて見ると、「つくる会」教科書が提起している新しい近世観もまたかなり間違いや不充分な点を含んでいることが明らかとなった。
 「つくる会」教科書が充分には示せなかった新しい近世観は、

 @近世日本社会は、東・東南アジア規模での「世界・経済」の発展とそれへ大量の金銀を保有することを基盤とした倭寇・朱印船貿易に象徴される日本の介入と経済発展を基盤としていたこと。
 A幕藩体制は、幕府と諸大名が分立し連合した「連邦制」国家といっても過言ではないこと。
 B近世社会の身分は社会的分業の側面がかなり強く、封建的身分制がかなり解体・再編成される過程を示していること。
 Cこのような近世の社会・政治制度は解体されつつあった荘園制度=封建制度を、領主階級の統一と土地からの分離、そして武士・百姓・町人などによる棲分け・分権社会の建設によって出来たものであり、これは信長・秀吉・家康の天下人たちによる統一過程を通じて、封建制度の再編成として出来上がってきたこと。
 Dそしてこの背景には、近世の経済制度はすでに前期資本主義と言ってよい状態にあり、中世以来進展した商品経済が社会全体を包み込み、土地すらもすでに資本財として機能していたこと。
 Eこの経済社会の発展を背景に、資本主義的大土地経営者や企業経営者も生まれ、巨大な資本を動かす金融資本家も現われて、近世はますます高度な商品経済に基づく時代となったこと。
 F国際商品である絹・綿織物や砂糖・たばこなどを近世を通じて自給できる体制を築いたことは、西ヨーロッパが産業革命によって綿織物を自給・輸出できるようになったことに匹敵する出来事であり、これが基盤となって、幕末の開国・明治維新を通じて日本が資本主義国として発展し、西ヨーロッパに対抗して世界を分割する帝国にまで発展する基盤となったこと。

 などであった。

日本の近世は近代の入り口、市民革命・産業革命を準備した時代であった

 言いかえれば、近世・江戸時代は「暗黒の」封建社会などではなく、高度に発展した商品経済を基盤とした資本主義的経済関係を中心として成り立つ近代的な社会であり、それを統制かつそれを基盤としながら、封建的領主階級が領主的な租税徴収権を保持し近代的な社会の上に聳え立っていた時代、つまり西ヨーロッパであれば絶対王政と呼ばれた政治形態が取られた、国民国家形成の初期の時代に相当する。しかも近世日本社会でも、異なる種類の共同体による自治をその基礎に置いており、共同体の自治を背景にして諸個人が様々な権利を行使する時代でもあり、日本的な形態をとりながらも近代市民社会の形成が準備された時代であったということである。
 ということは、次ぎの第3巻下近世編2で検討する「幕府政治の動揺」とは、発展しつつある資本主義的経済制度と再編成された封建制度との矛盾の現われであり、社会・経済の変化に対応して、政治制度をどのように作り変えて行くかの試行錯誤の時代であったのだ。そして、第4巻近代編で検討する明治維新とは、政治的に統一された国民国家日本を建設し封建的諸関係を廃止して、日本における資本主義の発展に見合った政治制度をつくりあげる、日本における市民革命であったということを意味する。
 近年の近世研究の進展は、近世から近代の日本の歴史を、このように根本的に捉え返す作業であったのだ。
 しかし残念ながら「つくる会」教科書の記述は、このような近世認識の根本的な転換を充分には反映してはおらず、各所に従来の教科書と同様な古い認識を維持しており、かつ各所にさまざまな誤解すら持ち合わせていた。そして近世においてもまた、古代・中世と同様に、日本に対する中国・朝鮮の政治的文化的影響を極めて過少評価する傾向も維持されていた。
 こういうわけで「近世の日本」の批判は、「つくる会」教科書の先進的な部分を評価しつつも、それがまだ不充分にしか従来の近世観を訂正していないことを明らかにし、なおかつそれが持っている古い体質や間違いや誤解を解き明かし、そしてこの教科書の体質である排外主義的傾向を批判するという、きわめて手間の掛かる作業となり、予想外の時間がかかってしまったのだ。

 今回も本書を書くにあたってはたくさんの書物のお世話になった。一つ一つここでとりあげることはできないが、近年の近世史研究の深化は驚くべきものがある。参考にした書物については、本書の各節の終わりに「注」として出版年代順に載せてあるので、さらに深く学びたい方は、それらの本にもあたってみて欲しい。
 本書を出版するにあたり、いつも構想中のこむずかしい話しを忍耐強く聞いてくれて構想をまとめるのを手助けしてくれた、7月に82歳になる母に感謝したい。

2007年6月


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