10. 君の素顔が見えた時
あの日から、この国の人々は、異常な興奮に包まれていた。
あの日・・・。一九九七年六月二十八日。午後七時五分。酒鬼薔薇聖斗は逮捕された。彼は、あの殺された少年の首が置かれていた中学校の三年生。十五歳の少年であった。
酒鬼薔薇聖斗の逮捕を告げるテレビ放送は異常な興奮状態の中で行われた。ニュースを告げるアナウンサーも、現地で報告しているレポーターも、この凄惨な事件の犯人が中学生であったという事実に衝撃を受け、いつもの感情を殺した、ゆっくりとした口調ではなく、少しトーンの高い、早口で、それぞれの報告をまくしたてていた。
翌朝から、テレビ各局は、この事件の特集を組み、児童心理学者やら犯罪心理学者などという堅苦しい肩書を持つ大人たちをスタジオに集め、しきりとこの事件の背景なるものを語り始めた。そして、多くの報道陣が、彼の中学校や彼の家の近所に集まり、教師や生徒や近所の人達を質問攻めにした。報道陣の関心は、彼はどんな生徒であり、学校で何をしており、学校はどんな対応を彼に対してとっていたのかに、集中していた。酒鬼薔薇聖斗の挑戦状の中の「透明な存在であるボクを造り出した義務教育」という文句が、人々の頭の中にこびりついていたからに違いない。
世の大人たちは、今日、今初めて気がついたかのようにして、学校教育がいかに子供たちの心を歪めむしばんできたかを口々に語りはじめ、学校を非難する声は日増しに高まっていった。そして事件の事実関係や真相もわかってはいないうちに、文部大臣という人までがこの興奮の輪に加わり、「心の教育が必要」などという、とってもピンボケの、しかも事件の原因と責任が学校にだけあるかのような発言まで飛び出した。
この騒々しい空騒ぎのおかげで、彼の中学校の教師たちは、まるで貝が殻をふさいだかのように押し黙ってしまい、彼と彼の起こした犯罪と彼のおくった学校生活との関係を具体的に検証することは、当分の間、お預けとなってしまった。
そして彼をこのような犯罪に追い込んだ犯人探しのような空騒ぎは、彼の家族をも襲い、長い間、家の中に閉じ込めてしまう結果となっていった。
この騒ぎの中で、ちょっと違った反応を見せたのは、中学生や高校生たちだった。
酒鬼薔薇聖斗の逮捕を、神戸の警察署の前で報じるレポーターの後ろで、テレビに映れるようにとはしゃいでいた若者たちの姿が、とても印象的だった。そしてその後の学校たたきの展開の中で、「酒鬼薔薇の行動は理解できる」とインタビューに答えていた中・高生たち。
彼らの反応は、大人たちの興奮状態とは違う、どこか冷めたものだった。
それば当然のことだと思う。私だってそうだ。挑戦状を見て「捜査の方向を見失わせるために学校に焦点をあて、犯人が学校の中にいるかのような工作だ」なんて言っていた大人たちが、犯人が中学生だとわかるやいなや、義務教育批判をはじめたのだもの。
こんなにたくさん学校に批判的な大人がいるのならば、どうして学校は、あんなに面白くない苦しい辛いものであるのだろう。もっと早くに変えることができたんじゃない?。というのが私の疑問の一つ。そしてもう一つの疑問は、「学校だけに原因があるんじゃないよね」というもの。
学校がつまらないだけじゃ、あれ程までひどい行動はとらないよね。学校でどんなに傷つき疲れはてていたって、家族がそのことに気付き、救いの手をさしのべてくれていたら、酒鬼薔薇聖斗だって、あれ程追い詰められはしなかったと思う。
大人たちは、彼の生の声に耳を傾け、彼の肉声の奥にあるものに、じっと耳を目をこらそうとするのではなく、彼の肉声である挑戦状の表面づらを自分勝手に解釈して、自分はまったく責任がないかのようにして犯人探しに興じているようにしか、私には見えない。
酒鬼薔薇聖斗が、あの神戸新聞社に送った「挑戦状」で、はっきりと述べているではないか。
「透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐」と。
社会。それはそこに住む全ての人間たちを含んでいる。大人たちの全てを。そして子供たち全員をも。
この事件にたいして、同じ社会に住む全ての人々には責任がある。関係のない傍観者はいない。
子供だってそうだ。そしてこの責任の輪の中には、犯罪を犯した当の酒鬼薔薇聖斗自身も入っている。彼は、彼自身にも怒りを感じている。彼はこうすることで、自分自身をも裁いているんだ。
この事件を語る時、人は全て当事者である。自分自身の問題として語らなければいけないと思う。
世の大人たちの発言には、自分自身の問題という意識がない。
酒鬼薔薇聖斗の「挑戦状」は、まるで私自身の心の中を見るかのようなものであった。彼の言葉の一つ一つは、もやもやとした私の心の中のありさまを、くっきりと照らすサーチライトのようなものであった。彼の言葉を読み返すたびに、彼の言葉の裏にある情景がはっきりと私の脳裏に浮かんできた。そしてそれは私自身の情景であった。
それは、私と私の家族との、父や母や姉との、そして死んでしまった祖母との生活そのものであった。さらに私と私の学校で出会った人たち、友達や教師たちとの生活そのものであったのだ。
彼の言葉によって、私の心の中にあったもやもやとしたものがはっきりとさせられたということは、彼が体験してきたものと、私が体験してきたものとが、同質のものであったという証拠だと思う。
酒鬼薔薇聖斗が、私より一歳上の中学三年生であったという事実は、これまでよりもくっきりと、彼の素顔を、私に見せてくれたような気がした。
私は榊原志穂。十四歳。私自身の素顔を探す旅は、彼の起こした事件以来、その終着点が見えぬままに続いていた。そして酒鬼薔薇聖斗自身の、自分自身の素顔を探す旅も、まだ始まったばかりだ。
二人の旅は同じ道をたどっている。
あの日。一九九七年六月二十八日以来、私は酒鬼薔薇聖斗への手紙として、私の日記を書くようになった。