2. 五月三十日


五月三十日金曜日

 今日はついに、私が学校を毎日サボッていたことがバレてしまった。四日も無断欠席が続けば、いくらのんきなうちの担任でも、家に電話をするのは当たり前である。
 朝の九時二十分。一時間目の体育の授業に私が出ていないことに気がついた担任は、休み時間になるとすぐに私の家に電話を入れた。そこで私がこの三日間学校に行ってなかったことがわかり、母はパニックになったらしい。雨の中をあちこち三時間も捜しまわったらしいが私を見つけられず、夕方になって雨がやみ、何事もなかったかのような顔をして帰ってきた私を見て、母はきれてしまった。
 いきなり頬にビンタをくらい、玄関の扉にたたきつけられて声もでない私の両肩をつかんで、母はかなきり声で叫んだ。

「志穂。あんた何を考えているのよ。四日も学校さぼって何してたのよ。親に隠れて何をしているの。不良!」

と。
 私は何も答えなかった。ひっぱたかれ、髪をつかまれても何も答えなかった。何も言わず、ただ母の目を見つめているだけの私に逆上した母は、しばらくの間は叫んだり、私を罵ったりひっぱたいたりしていたが、そのうちにあきらめて、私をキッチンへひきずりこみ、椅子に座らせて、今度はこんこんと説教を始めた。
 それから四時間以上も母の説教は続いた。何を話していたのかはもう良く覚えてはいない。ただしきりに私の成績のことと、高校進学のことだけを気にしていたことは覚えている。
 私はといえば、母に何を言われても返事もしなかった。ただ下を向いて黙って母の説教を聞いていただけ。
 堪忍袋の切れた母は、時々、下を向いてないで私の目を見なさい、話しをしている人の目を見て話しは聞くものよと叫ぶ。そう言われて顔をあげた私は、今度は母の顔を穴があくほどじっと見つめているだけ。この態度にいらついた母は、何を見ているの、私の顔はそんなにへん、とどなる。そうすると私はまた下を向いて何も答えないまま・・・。
 四時間以上この繰り返しだった。
 今やっと母のお説教から解放されたばかり。夜も八時をすぎて、ようやくお腹のすいた母は、お寿司屋さんに電話をして出前を頼もうと席を離れた。そのすきに私は二階の部屋に逃げ込んだというわけだ。
 少し前まで私の部屋のドアをたたき、叫んでいた母の声も、今はもう聞こえない。
 今日は一日雨の中を歩いていた。こんなに大降りになるとは思ってもいなかったから、小さな折り畳み傘しかもっていなかった。だからずぶぬれ。今やっと濡れた身体をふき、着替えたところ。身体の芯まで冷えてしまったようだ。
 朝の新聞に、あの少年の生首にくわえさせてあった紙片に書いてあった文章が公表されていた。

『さあゲームの始まりです。愚鈍な警察官諸君。私をとめてみたまえ。私は殺しが愉快でたまらない。人の死が見たくてしょうがない。汚い野菜どもに死の制裁を。積年の大怨に流血の裁きを。SHOOLL KILL学校殺死の酒鬼薔薇 』

 この人は(この文章を書き、この少年を殺した犯人のことだが)、心の底から学校を怨んでいるのだろうか。汚い野菜って、この小学生のことなのかな。でも「ども」って書いてある。これは複数型だよね。まだ何人もの小学生が殺されるのだろうか。でも、小学生がこの人に何をしたというの?。殺したいほど怨んでいるのは学校でしょ。あっ。学校という言葉には先生や生徒や、そこにいるみんなということが含まれているのかも。犯人は小学生?。まさか・・・。
 いつものように(といってもこの三日間のことだが)何くわぬ顔で朝の支度をして、食事をする前に新聞を読んでいたら、この紙片についての記事が目に入り、すっごく気になってしまった。食事をしてカバンを持って、学校に行くふりをして家を出たのだが、いつものように(この二日間のことだが)電車にのって美術館や博物館に行く気はしなかった。美術館や博物館という所は中学生が朝からカバンを持っていても、いちいち咎める人もいない。何しているのと聞いてくる人がいても、今日は先週の日曜の体育祭の代休でお休みなので、好きな絵を見に来ているんですとか言えば、褒められこそすれ、おこられることはない。しかも静かだし、ソファーもあったり、喫茶室もあるから、ゆっくり考え事をしたり、本を読んだりするにはもってこいの所だ。
 「積年の大怨」という所にひっかかって、すっかり気が重くなってしまった私は、また三日前と同じように、おばあちゃんのお墓に来ていた。
 三日前に私が供えた花が、霧のような雨にうたれ、ひっそりと咲いていた。はなびらにはいくつもの水滴がついており、顔を近づけてみると、水滴の中に、私がたくさんいた。とっても暗い顔をした私が・・・。
 この子は、ずっと何年も学校がいやだったんだ。この子と書いてしまったが、なんとなくそんな気がしたんだ。あの少年を殺して首を切り、中学校の正門の前に置いた犯人は、なんとなく自分と同じ年代の子供であるような気がした。
 だってやってることがすっごく子供じみているもの。大人だったらこんなことはしないとおもう。だってなんにもならないもの。
 前に定期テストがいやだからと言って、自分の学校に火をつけた中学生がいた。そりゃ火事になれば、定期テストの日はのびる。まして校舎が焼けたりすれば、かなりの期間は延期される。でも結局テストはいつかは行われる。学校があるかぎりテストは行われる。学校をなくそうったってそれは無理。だから火なんかつけたってテストはなくならない。ちょっと考えればすぐわかることだ。
 学校を怨んで小学生を殺し、その首を中学校の正門の前に置く。しかもその口に紙片をくわえさせ、そこに脅迫状めいた文章を書くなんて、ちょっとホラー映画や怪奇小説の見すぎなんじゃないの。そりゃー映画や小説にはこんな場面は一杯出てくる。でもねえ。そんなのは空想の産物。それをそのままやってしまうなんて。なんにも考えてないよ。この子は・・・。
 そう。きっと中学生なんだね。この子は。
 学校に行っていると楽しいこともある。でもね。いやなことはその何十倍もあるんだ。その中にいても感じない人はいやだと感じない。だから、友達といったって、みんながみんな同じじゃないから、いやだっていう気持ちが分かってもらえるわけじゃない。それに同じ気持ちをもっていても、みんなすぐ優等生になりたがるから、かならずしも同意してくれるわけではない。同意どころか、ばかにされることすらある。そんなこと言っていたら社会のおちこぼれになってしまうわよって言って。
 いつも先生や親に言われていることを、友達に言うんだ。
 だから先生や親じゃもっとだめ。学校がいやだっていう私の気持ちなんかまったく分かってくれない。学校には行くのがあたりまえ。つまらなくても行かなければならない。勉強なんか面白いわけがないじゃないかと、大人たちは言う。じゃぁ、何のために行くのって尋ねると、さも馬鹿なことを聞くなっていう顔をして、いい高校に入っていい大学に行って、いい会社に入るためでしょって・・。でも、わかってくれないだけならまだ良い方なのかもしれない。何も言わなければいいのだし、かかわりを持たなければいいのだから。
 友達も先生も親も、みんな敵に見えてくることがある。声も聞きたくないし顔も見たくなくなることすらある。もう、ほっといて。私を一人にしてって叫びたくなる。でもそんな時ほど、いやだって思っても、そのぶんだけ干渉してくるんだ。
 「あなたのためよ」って。いろんな忠告やらお説教やら。ああしろ。こうしろって。ああいうふうには考えるな。こう考えろって。細かいことまで指示するようになる。
 そのうちに私がそうしないと罵声がかえってくるんだ。「あんたってだめねえ」と。
 そんな言葉は聞きたくないから、友達や先生や親には明るい顔で接してほしいから、したくなくても、友達や先生や親のいうとおりにやっていく。そうすると褒めてくれるどころか、そうするのが当たり前だというような態度をとられる。私はよけいに疲れてしまうんだ。でも、「疲れた」なんて口に出しては言えない。言ったら最後、どんな忠告やお説教や、あげくのはてには罵声がかえってくるか。結果がわかっているから、私は言わない。
 私は学校がいやだとか疲れただとか言ったことはほとんどない。姉がまだ小学生だった時に学校がいやだといってぐずって、母に叱られ、夜家に遅くなって帰ってきた父にも叱られているのを見て、私は言わないことにした。
 友達にも言わない。前に親友の由美子が、学校が面白くないと、フッともらした時に、私たちの仲間グループのみんながどんな態度をとったか・・・。あれは、私が小学校三年生の時だった。みんな自分は違うとでもいうように、必死になって由美子を説得し、あげくのはてに投げ掛けられた言葉が、「おちこぼれになりたいの!」だった。
 私は親や先生や友達の期待していることを言われないうちから、その何倍にもして見せてきた。勉強だって人の何倍もした。毎日今日あった科目の復習を三時間もかけ、明日の科目の予習に二時間もかけてきた。塾にも行ってないのにほとんどの教科は5だ。すごーいとみんなは言う。でも私は嬉しくはない。楽しい時間は、夜遅くなって一日の復習と予習が終わったあと、寝る前の三十分。絵を書いたり本を読む時だけだ。自分だけの時間。だれに見せるのでもない。自分だけの絵。読書感想文を書くために読むのではない。自分が読みたいから読む本。
 私だって、学校が面白いわけではない。でも言ったって誰もわかってはくれない。たった一度だけ、小学校の二年生の時かな?。朝起きた時に頭が痛くて、なんとなく学校に行きたくなくって、母に学校を休みたいと言ったことがある。その時の母の反応は、いつも姉に対するものよりも、もっとすごいものだった。

 「あなたまでそんなことを言い出すの。志穂はおねえちゃっと違っていい子だから、絶対そんなことは言わないって信じていたのに。もう、お母さんどうしたらいいのかわからないわ。私の育てかたが間違っているの?。私のどこがいけないの?。」

って言って、姉の時にはガンガン怒っている母が、ワンワン泣いてしまったんだ。

 私はビックリして、

 「なんでもないよ。ただちょっと頭が痛かっただけ。べつに学校がいやだからいきたくないって言ったわけじゃないよ。」

っていいわけして、元気な顔して学校へ行ってしまった。母を悲しませるわけにはいかなかった。
 それ以後は、一度も不満すら言った事はない。でも、姉は今でも抵抗している。毎日のように母にお説教されている。全く母は分かっていない。だから、私は何もいわない。私のまわりには、私の気持ちを分かってくれる人は、誰もいないからだ。
 もっともおばあちゃんが生きていた時には違った。疲れるといつもおばあちゃんの部屋に行き、いろんな事をおしゃべりした。おばあちゃんはいつもにこにことして私の話しを聞いてくれるだけ。
 小学校四年の時におばあちゃんが亡くなってからは、もうだれにも話せない。だからこうして、お墓に話しているわけだ。
 今日初めて、姉の気持ちがよくわかったような気がする。自分のやりたいようにしていつも両親にしかられ、結局は自分のしたいこともできない姉の気持ちが。
 私は初めて母にぶたれ、そして延々と説教された。姉を見ていて、自分には降りかかってきてほしくないと思ったあの悪夢が、現実のものとなった。でも、怖くはなかった。だって自分の想像したとおりだったからだ。母のいう言葉も、その表情も・・・。
 おばあちゃんのお墓に向かって考えたことを一杯話した。それから霊園の休憩所でお弁当を食べ、足は自然と多摩川のほうに向かっていた。午後はずっと河原を歩いていた。
 父は、今日は帰ってこない。会社の仕事で二週間も神戸に出張だからだ。だから今日は父に説教されることはない。
 父は神戸。あの事件の起きた場所。父は何を考えただろうか。まさか自分の娘が、犯人の少年の気持ちがわかるだなんて、想像だにしていないことだろう。


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