9. 六月二十一日
六月二十一日土曜日
私は自分を偽っている。自分自身を殺して周りに合わせているうちに、私は自分自身がなんだったのかすら忘れている。今自分がやっていることが本当に自分が好きなのかどうかさえ分からなくなっているんだ。
本当に私が求めているものは何なのだろうか・・・?。
酒鬼薔薇聖斗はこう言っている。
「しかし今となっても何故ボクが殺しが好きなのかは分からない。持って生まれた自然の性(サガ)としか言いようがないのである。殺しをしている時だけは日頃の憎悪から解放され、安らぎを得ることができる。人の痛みのみが、ボクの痛みを和らげる事ができるのである。」と。
彼はなぜ人を殺すのだろう。殺しが好きだと彼はいう。でもその理由は分からないとも彼は言う。
ただ殺しをしている時だけが安らぎを得ることができると言う。
安らぎ?。安心感?。何の安心感なんだろうか。
そうか。日頃の憎悪から逃れた安心感なんだ。じゃぁ日頃の憎悪って何?。何に対する憎しみなんだろう。何かを憎む心。それ自身が彼の痛み・・・?。
そうか。彼も私と同じなんだ。周りの者への憎しみ。自分のしたいことをさせてくれない者への憎しみ。自分を自分として認めてくれない者への憎しみ。そしてそれは同時に、周りの者に合わせてしまい、自分自身を殺してしまう自分への憎しみでもある。
彼も私と同じように、もう今の自分ではいられなかったんだ。自分自身を偽ったままではいられなかったんだ。
私は親の期待にそって動く自分を拒否し、親の期待を粉々に打ち砕き、そんな私に驚きわめき、はては混乱して私に乱暴をはたらき、こんな私の仕打ちを理解できなくて、日々日々錯乱に陥っていく母を見て、楽しんでいたのかもしれない。母の心を傷つけて私の心の傷の痛みを和らげていたのかもしれない。ただ自分の心の安らぎを求めて、この一月近くの間、親の期待に逆らい、それを踏みにじっていただけなのかもしれない。
酒鬼薔薇聖斗。君もそうなのか?。そうやってそうやって何度も人を殺して、苦しむ人を見て、自分の心を安心させていたのか?。
えっ。彼はすでに何人もの人を殺したの?。まさか?・・・。
でも彼はこう書いている。
「殺しをしている時だけは、・・・安らぎを得る事ができる。」と。
それ程までに、彼の心は傷ついていたのだろうか。