『小春日』  |
| 平成13年11月28日 |
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小春日に 父母と並んで もみじ道 Kenta
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気持ちのいい秋の1日であった。快晴、空気は澄み、気温も暑い寒いを気にしない温度・・・このような日は年に幾度もあるものではない。あまりに天気がいいと家にいるのももったいないので、朝食後何処かへぶらぶらと出掛けたくなった。
両親に声を掛けると「行こう、行こう」ということになり、早速カメラを持って出発。
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紅葉を求め、近くの伽耶院へ。午前9:40分頃になるが、既に駐車場には3台の車が並んで止めてあった。
向こうの方からカメラと三脚を抱えた初老の男性が戻って来る。「いい写真を撮るにはああでなきゃだめなんだなぁ」と少々反省の念が・・・。
小生はと言えば、デジカメ1台に光学式カメラ1台・・・この光学式カメラは一眼レフではないが、スペック的にはそれと同等以上の優れモノ、自慢の1台なのである・・・をジャケットのポケットに入れ、いかにも写真撮影が目的ではない風体。しかしながら、「紅葉の写真を撮らにゃ・・・」と、ひとり意気込んでいるのである。
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もみじやいちょうは光を透すとその紅葉した葉が一層鮮やかさを増し、一段と美しい。人気のない境内は木々に覆われ、木漏れ日の光と影の調和がなんとも言えない静寂と落ち着きを演出していた。
この寺院には一度だけ、12年前の夏の終わりに甥を連れてとんぼ捕りに訪れたことがある。たしか、夏休みの終わりごろ、秋あかねが飛び交っていた。童心に返り、昔取った杵柄よろしく、しばしとんぼ捕りに興じたものであった。伽耶院は当時のままの姿を残していた。
小春日の 光を通す 赤や黄の
セロハンにも似た 紅葉なりけり
Kenta
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近年よくあるような、商売っ気を出し新しく御堂を建てたり客寄せの・・・などと興が冷めるようなことがこの寺院にはないのには、心底好感を持った。
本堂の前に置かれた小さなテーブルにお守りやお札が並べられ、「料金は本堂の賽銭箱に入れて下さい」と書かれた厚紙が、やはりこれも同じテーブルの上に置かれていた。無人というのは「あなたを信用していますよ〜!」という無言の言葉をささやかれているようで、これがことに寺院の中ともなると仏の声のように感じるのは、小生自身の心に多少やましい何かが動いた所為か? メジャーでもなく、街中でもない郊外の寺院ならではの光景である。
結局、木工細工のフクロウがついた「開運」のキーホルダーを貰って、金五百円也を賽銭箱に入れさせて頂いたたのである。
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家に帰るには惜しいようなもう少し何処かを散策していたくなる日和である。やはりこの近くにある「志染の石室」という史跡に立ち寄ることにした。
この史跡も昔訪れたことがある・・・当時は、右の写真の道標から農道(と言っても、田んぼの畦道と何らかわらない程の道)をトコトコと歩いた。やがて幹線がどちらとも区別のつかない二つの道に分かれていて、一方は何も無さそうな山側に向かっていたので、もう一方の人家が見える方の道を選んだのであるがそれが間違いだった。その道は農家の一軒屋に続く道であった・・・昔はこのようなことがあったものだから、今回も途中で車を置いて、用心しながら歩くことに。 |
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100mも歩くと先の方の道を車が次々と走っていく・・・何かおかしい・・・その辺りまで行くと立派な舗装路になっているではないか。両親の不平を聞きながら目的地の入り口まで辿り着くと、これまたきちんと舗装された駐車場まで設けられていた。たった900mほど歩かせただけで、さんざん両親の文句をきいた小生であるが、ここは「親孝行」とばかりにじっと我慢。そういえば、道標の数も増え、道も舗装・・・昔の話をしても信用されなかったのも無理はない。
どうやら普段は訪れる人はあまりいないらしく、今回も前回同様、ここで他の人に出会うことはなかった。
山中の木々に覆われ、薄暗く神秘的なのはいいが、少々薄気味わるい場所である。ただ、以前よりは心持ち明るく感じたのは、隣接する山が開かれた所為らしい。この神秘さをいつまで保てるかが問題のようだ。
というようなことをガヤガヤ話しながら「志染の石室」を後にした。 |
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綺麗な写真が撮れたようだし、久々に父母と共有できる時間を持てたようだし、こういうのを自己満足というのであろう。
それにもう一つ、自己満足が・・・
今回、然る御仁に刺激されお粗末な歌を詠んでみたが、如何なものかな? |
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