メッキ in 鹿嶋  2007/02/03




今年初めての本格的な釣りである。
いつも同行する息子は「食育」とかで、かみさんと料理教室に行ってしまった。
同僚との釣りである。
メッキを釣りたいというのでアンモニア岸壁で待ち合わせをする。
到着は10時過ぎ。
既に同僚は釣り始めていたが釣果には至っていない。
私も参戦し、すぐに1尾上げる。

同僚は小形のミノーをいろいろ試しているが、どうもメッキとは相性が悪いようだ。
自分が持ってきたルアーで釣った方が楽しいだろうが、釣れないのでは仕方ないので私のルアーを外して渡す。
ちなみに私のルアーは上州屋ブランドの安物だが、アイ調整とフック交換を施している。
念のために私の独りよがり雑学を申し上げておくと、
アイ調整はまっすぐ泳ぐかどうかに影響する。
基本的にまっすぐ泳ぐように調整をし、バランスは竿の動きで崩させる。
フック交換の必要性はフックそのものの良し悪しによる刺さり方はもちろんである。
フックの重さや大きさによる浮力調整の役目も大きい。
例えば、シンキングの沈降速度を変えたり、前後のフックサイズを変えて姿勢を変えたり、極端なことをいえば重いフックでフローティングをシンキングにしたりなどということも可能である。
さらにフックはルアーの動きも変えてしまう。
安物はまずこの辺の調整がされていないが、高価なものだからといって最適になっているとは限らない。
もっというと場所と魚によってそのルアーを調整すること自体を私は楽しむ。
阿弥陀くじに例えるとアイやフック、色、形、大きさなどを横棒にして如何に○=当たりに辿り着くかが面白味である。

・・・で・・も・・ね・・・・。

○になろうものなら得意・天狗・有頂天になり周囲に薀蓄ラッパを吹き鳴らす輩もいる。
実は阿弥陀くじの終点は、全部○だったり、半分は◎だったり、隣に☆があったりするんだけど・・・。
○がひとつで自分だけが辿り着いたと錯覚することが罪の無い幸福であり、常に◎や☆の存在を認識しているのを「知恵の哀しみ」というんだろうな。
謙虚と疑いを失えば進歩はなく、それらのみでは瞬間の幸福も得られない。
自慢話もほどほどに、な、我輩よ、m(__)m。

さて、本日はそんな懸念も必要ない激渋の日でありました(^◇^)。
しかもリールをシマノの2500番から1000番に落としたらライントラブル続出。
100mラインは最後は20mほどになってしもた。
別にラインは惜しくないが、戦線離脱の時間が惜しい。

北西の風が弱まり、投げやすくなった。
と、同僚のルアーを大物が追ってきた。
なんじゃ、あれは、変な形だ、イカ?、いいなっと思ったら、マンボ5(知ランダロウナ)、鵜ッ!
同僚はトチクルッタらしく、食わせたようだ(ーー;)
幸いすぐに外れたが、罪なことするぜ!

鵜は魚と釣師の天敵である。
今の一件で懲りたかと思ったが、まだ目の前をうろうろして魚を追っている。
この鵜、実は阿呆鳥!?
その後、他のアングラーも掛けたようだが、立ち去らない(・・;)

今度はタンカーが帰ってきた。
スクリューで水をかんましてくれる。
投げ釣りなどで通常ならばカンマシは歓迎だが、ここはご法度である。
せっかく温まっていた水域がきれいに飛ばされてしまう。

嗚呼!

そのうち風向きが変わり南西の風が強くなった。
正面からの風はライントラブルに拍車を掛ける。
魚は沈んでしまったようだ。
ジグヘッドにワームのアングラーはたまに釣っている。
でも、我輩はトップ近くをハードルアーで釣りたい。
趣味は意地であり、意地こそ趣味だ。

その甲斐あってメッキはツ抜けもできなかった。
でも、やたら釣れるより、今日くらい釣れないほうが面白かったな。