※読ませるつもりの文書は敬語で、独り言や記録などは常体で書かれています。
せっかく文章書きの話題になっていますし、ここいらで拙文のルーツなんぞを思い出してみましょう。
戦後日本の教育なんてのはおおよそ詰め込み式で、それは私の小学校でも変わらぬ様子でした。現在に比べればだいぶマシでしたが、少なくとも学科のカリキュラムにおいては知識の記憶が優先されていたことは否めません。
国語の授業では漢字の書き取りと教科書の朗読に時間の大半が費やされ、当時の私にしてみれば退屈以外の何者でもありませんでした。たまに理解度を示すペーパーテストが存在しましたが、紋切りの回答が喜ばれるため退屈度は似たり寄ったりです。
そんな国語の授業ですが、ときたま作文の課題が出たりすることもあります。こうなると児童一同大弱り。なにしろ普段はただ憶えることばかりをしていたのに、突如文章をひねり出そうとしてもスンナリ行きませんわな。
あるとき「いまの自分の気持ちを詩にしてみましょう」なんて言われたもんだからさあ大変。小学生が授業中に考えてることと言えば「早く休み時間になんねぇかな」とか「早く給食時間になんねぇかな」とか、そんなもんです。授業が終わればまた別のことも考えましょうが、とにかく授業中に授業のことを考えていたくもない。しかしながらそれを大きな声で言えば嫌われるという浅知恵も備えていました。
こうなっちまったら袋小路、おいそれと今の気持ちなんて表現できません。
そのとき私にはピーンときました。どうせだから、詩を書けないこと自体を詩にしちまえ。この瞬間、思ったことをストレートに文書化するという私のスタイルが誕生しました。
書けない
書けない
詩が書けない……
とまあ、こんな調子で鉛筆が進んでいきました。が、書いている途中で妙な雰囲気を感じました。調子良く筆の進んでいる私のワラ半紙に、周囲の視線が集中していたのです。
とたんに周囲の児童たちも鉛筆を走らせました。みるみる間に似たような文面の詩が、先生の元へ多数提出されました。最終的に、詩が書けないことをテーマにした詩はクラス内の約半数にのぼりました。
それを悟ったとき、私は憤慨しました。詩をパクッた周囲の児童に対してではありません。
このまま「書けない」詩を提出したら、俺はこの周りにいる有象無象のヤツラといっしょになってしまうではないか! この瞬間、妙に高いプライドと自己否定意識との飽くなき闘争――それこそ現在にまで至る――は幕を開けました。
結局私は、自分の気持ちとは無関係なつまらない詩をこじつけて提出しました。その内容を思い出すことはできません。
↓昨日の日記は書いている途中で送信してしまったので、きょう追記しておきましたヒァー。
ネット上で知り合った山崎太一郎さんが幕張メッセにいらっしゃるとのことで、行ってまいりました。
なんでも同人誌即売会『コミックシティ』に出展する奥様ご一行に同行されるという話なんですが……実際に行ってみたところ、会場内の女男率がとんでもないことになっておりました。男女率という言葉を使うのは間違いです。会場中まわってもオレの買いたそうな本がありませんどうすればいいですか買うなわかりました。
そのブースに行くと、太一郎さん(初見)がいらっしゃいました。BBSやチャットからは「目からビームを出すコワイ人」というイメージがありましたが(虚言)、実際に拝見すると気さくそうな方で安心しました。
しかし、なぜか隣には今ごろ某所に行かれているはずのふじしおさん(冬コミ以来)が。
ともあれせっかく直接お会いしたので、売り子をしつつ3人で会話。しかし……言いたくはありませんが下品です我々。直接会ってもこれですか。確かにチャット時と比べて新鮮味がありません。どんな話題がのぼったかは書きますまい。
しかし直接お会いしないとできないことも色々あり、楽しゅうございました。
お昼前には某誌でおなじみのMelodyさんもいらっしゃったので、4人でブースを出てベンチに移動。よーやく会話の下品度が低下し……ワタクシあまり会話に加わりませんでした。すんません。
奥様方が早めに撤収し、みんなで食事をという話になりました。……迷走(中略)残念ながらMelodyさんは新幹線の時間があるということで先にお帰りになりました。市川でサイベリアを発見し、突入。
こう書くと謝罪合戦になってしいますが……私とて千葉出身者のはしくれとして道案内のひとつもできればよかったんですが、お役に立てず申し訳ない。
最後に太一郎さんのページとリンクすることを約束し、お別れしました。
ふじしおさんの通り道ということで、お言葉に甘えて秋葉原まで便乗させていただきました。ありがとうございます。
その後フラフラとソフマップへ行き、ようやく『クレイジータクシー』購入。
このゲームを語るにあたっては、走りのクレイジーぶりや、逆に客を乗せ継ぐ戦術および戦略などが話題にのぼります。
それ自体は非常に正しい考え方ですが、私としてはそれ以上に、アーケードゲームとしては珍しく「面」に固執しないこと、そしてそれが創り手の自信に支えられて成り立っていることといった事象に惹かれます。
ビデオゲーム、特にアーケードゲームでは「面」という概念が重要視されます。これはゲーム上で描かれる「場」を区切ることでプレイヤーに限られた時間のうちにカタルシスを与え、同時にひとつのゲーム上で複数の「場面」を整理して見せる手法です。
『クレイジータクシー』には、こういったいわゆる「面」の概念はありません。強いて言えば客を探す→乗せる→降ろすというサイクルの繰り返しによってプレイヤーにカタルシスを与えています。が、それによって「場面」は変わりこそすれ、決して区切られてはいません。
これはひとつの街をまるごと、たったひとつの「場面」として表現できるという自信に他なりません。
実はこの街、よくよく観察すると巨大なサーキットとも解釈できる形をしています。もちろんこれは、ゲームという表現のためにとられたディフォルメーションです。が、なまじ「リアル」な街よりも街らしさを醸し出しているように見えるのは、私の気のせいでしょうか。
それにしても「よく半導体ROMではなく、ディスクでこの表現が出来るようになったな」と改めて感服せざるを得ません。
きょうのNHKスペシャル『世紀を超えて』はハッカー特集でした。
アメリカの軍や企業がいかにハッキングやクラッキングから身を守って(あるいは守ろうとして)いるか?
という番組の数日前より複数中央省庁のWebページがクラッキングされたわけですが、それらのHTTPサーバにはファイヤーウォールすら存在しなかったというんですからゲンナリです。5年前だったら理解可能な話題ですが、さすがにいまどきそりゃねえべ。
たとえるなら「泥棒がいないため家の玄関に鍵がついていない離島が、突如本州と地続きになってしまった」ような……突如じゃないぞ突如じゃ。たぶん担当者が予算申請していたけど、上が「見えないモンに金かけられるか」とか言ってハネたんだろうなぁ。
最近、この日記を成している文章に自己嫌悪を感じます。
素人の書いたものとはいえ、どうにも気遣いを感じられない文書だからです。個人の日記ゆえ題材の選択は仕方ないとしても、他人の目に触れる環境にあればもう少し言葉や文の運びかたに気をつかった方がよいのではないか? という疑問が頭の中を巡ります。
自己校閲の時間もあまりとっていないし(おかげで24日の日記では可動堰を河口堰と誤記した)、体調の回復が不完全ゆえノリが悪いということもあります。それにせよ多少は文章の運びをしっかりできないものかと自戒します。不完全な文書で読者の方に誤解を与えてよいということはありません。
そう考えると、文章書きを仕事になさっている方に対しては敬服せざるを得ません。体調が良かろうと悪かろうと、読者にとっては関係のないことですから。ただ逆に、文章を書き慣れすぎているがゆえ、文体が美しくても中身のない文章を露呈してしまう「プロ」が多いことも忘れてはならないのですが。
賃貸契約更新。それにともない家賃が上がるが、このアパートに入っている他の住人はすでに全員賃上げ済みとのこと。
よくワンルームにこの家賃を払えるなあと思ったが、それでも他のアパートに比べれば安い。東京都区内は高いのだ。
多少高くても、私には通勤時間が長くなる方が痛い。
日本テレビ『バーチャル・ガール』を観て「高嶋政伸が出てるな〜」と思った後、チャンネルをNHK総合に。
ああっ、また高嶋政伸が出てるよ! おまわりさん役だよ! しかも原作・脚本が川内康範だよ!
が、ほどなく放送時間終了。こっち観ておけばよかったザマス。(爆)
終業後勇んでヨドバシカメラに向かうも、『クレイジータクシー』売り切れ。あやうく俺自身が店頭でクレイジーになりかける。
仕方がないのでもう一本のお目当て『ルーマニア#203』を買って退散。
私はてっきり「一人暮らし生態観察シム」――要するに観察対象がプレイヤーを意識しない『シーマン』――かと思っていたのですが、ふたを開けてみれば「シナリオ消費型ゲーム」でした。
うーん。"AZEL"のときにもあった現象ですが、たまに見た目と実際のジャンルが違うゲームが飛び出してきますセガCS。
(本作プロデューサーの牧野氏は、"AZEL"のサウンドプロデューサーでもあった……と思います。違ってたらツッコミよろしく)
で、今はその消費されるシナリオに興味を持ちつつプレイしておりますので、まっとうな感想は後日。
他力本願はイカンようなので、やはり自分で考えます。
どうやら創り手は「大人の愛情を受けていない子供」を描きたいようです、『無限のリヴァイアス』では。
殺伐としたリヴァイアス艦内の情景は、どう見てもスラム街のメタファーです。オープニングのタイトル後初っ端からスラムまがいの艦内にたたずむ主人公が映し出されるので、視聴者にこれを見せたいんだと考えて差し支えないようです。ふつうはもっと見栄えのするものを持ってくるはずですから。
番組本編の大半はスラム的光景で占められますが、ときおり別のものも映されます。それはリヴァイアス(=子供たち)と戦い、殺そうとする大人たちです。旧来の少年少女フィクションと違い、大人が子供の憧れる対象として登場することは一切ありません。
もっともそれらの描写が、ただ単にいまどきの少年少女を引喩したものであり、そしてたまたまいまどきの少年少女が大人に愛されていないだけ、ということなのかも知れません。
では、そういった描写をする創り手は子供を愛しているのか、いないのか? それが私の鑑賞ポイントになりました。鑑賞を通して創り手の顔がにじみ出るフィクションは嫌いじゃないけど、創り手の顔色をうかがいながら鑑賞しなければならないフィクションには疑問が残ります。でも観ちまうんだろうなあ。
今週分の『無限のリヴァイアス』をご覧になっていない方へ:例のミシェルは、今週の放送で援助交際に走りました。
フジテレビのドラマ『二千年の恋』が、『シュリ』の製作元から版権を買ってつくられているものだと知り、力の限り脱力しました。(意味不明)
つーのもこのドラマ、登場人物の言動が常軌を逸した浮き加減なので私は5分と耐えられません。話し相手が上の空なら「ちゃんと聞いてる?」とは言っても「本気で聞いてる?」なんてセリフは言うまいに。それは相手にはぐらかされたときのセリフです。
なんでド素人がプロの仕事を添削してるんだよ。ますます腹立ってきた。『スーパーテレビ』のCM中にチャンネルを変えるたび、こんなコケたセリフを聞かされるんだからたまりません。←変えるなよ
ただ面白くないのなら無視すればいいだけの話しですが、『シュリ』の版権をわざわざ買ったと言うんで気になります。何かの間違いで、『シュリ』がこれと同じようなものだと誤解されたらどうしましょう。単にパクられるよりも、印税を受け取った方が不利益なのでは? とすら思えます。印税がいくらなのかは存じませんが。
どうせ足に地のついていないドラマをつくるなら『バーチャルガール』ぐらいケレンに満ちていた方が安心して観られます実際。陣内ラヴ。
吉野川第十堰可動化の賛否を問う住民投票結果が「否」と出た直後に「この結果を受けて建設を中止するものではない」と表明する建設大臣は、腹立たしいを通り越して情けない限りです。やることが小学生の口喧嘩レベルです。
そもそも議席数のために政策を曲げるような連立政権に祭り上げられた小淵内閣に期待できることなど何もないのですが、たとえ国民をかどわかすにしても他になにか言いようがあるでしょうに。
これに比べれば、ついつい口を滑らせて右曲がりの失言をして国民の怒りを買った中曽根政権の方がナンボかマシです。支持はしないけど。
腰とひざが痛むのですが、観たさの方が勝ったので『シュリ』を観に行きました。
2回観てしまいました。座っているとキリキリと痛むのに。
ストーリーは特に斬新なものではありませんでしたが、登場人物の心情が繊細かつていねいに描かれているため、筋が読めたとしても十分に惹き込まれます。
銃撃シーンは、撃つ方は地味ながら撃たれる方は血しぶきが飛び肉片が舞うという重いものですが、不思議なことにあまり殺伐とした印象を受けません。これは戦う者たちの弓引く理由がきっちりと描かれているためでしょうか。言い訳がましく悪者を設定したらバンバン撃ち殺すハリウッドアクションとは一線を画します。
その点からすると、冒頭のシーンは残虐さやショッキングさばかりが目立って残念だ……と思っていたところ、北朝鮮亡命者の証言などから再現したシーンとのこと。どの程度現実に近いのかは分かりませんが、気が重くなります。
とにかく泣きの入った銃撃アクション映画が嫌いな方でなければ、特におすすめしたい映画です。
余談。
銃器は欧米の映画で見慣れたものばかりで、韓国独自のものは見られませんでした。M92Fにグロック、G3システムやM16A2、そしてAUGなど、かなりベタです。
もっともこの映画は三星が製作したものなので、大宇製のハンドガンなどは出るはずもないのですが。劇中にLGのガソリンスタンドが出てきたのですが、LGって三星グループでしたっけ?
また、画面の随所にポカリスエットのロゴマークが登場します。大塚製薬がスポンサーなのでしょうか? それとも韓国では三星がポカリスエットを売っているのでしょうか。
SCEの新作である大列車強盗(違う!)の体験版がゲーム屋の試遊台にあったので、やってみました。
アクション映画を観ているような気分は上々ですが、いざゲームが始まると、おもむろに表示される操作案内やロックオンマーカーが受動的に感じられます。ああ、『サイフォン・フィルター』ほど遊ばせてはくれないだろうなあ、と思ったところで閉店となってしまいました。むうん。
なんと言いますか、体調はいまだにハッキリとしません。
喉がまだ少し痛いのですが、乾燥する時期はいつものことなので、まああきらめています。
しかし関節の痛みが続いています。特に腰がキリキリとし、普段から滑らかではない動きが余計にギクシャクしています。
あと、突然泥のように眠くなってしまうことがあります。むう。
『シュリ』を観に行くのは明日以降を考えています。
「不良社員ず・遅ればせながらのコミケ打ち上げ」という名目で、某バニーさんのお店へ連行されました。
が、アンミラに連行されたときも周囲の客ばかり見まわしていた私のこと、素直にバニーさんに注目するはずがありません。今回は今宵の歌姫が気になったのですが、視界の悪い店の隅に案内されたためまるで視界に入りません。
しかも金曜の夜とあって客が多く、バニーさん給仕率が非常に低かったとのこと。
仕方がないので職場の話(もちろんここでは匿します)や、次回不良社員ず配本をどうするかという話になりました。
話としては、出版社が目をつけない形でゲーム攻略同人誌を作るのは非常に難しくなってきた、ということが主でした。いつのまにか、私も本作りに組み込まれているような気が。
ある問答に対する個人的感想:モータースポーツを批判する行為自体は別にツマランことではないと思いますが、その上で「モータースポーツ愛好家は肩身の狭い思いをしてほしいですネ!」と付記することは絶望的にツマランと感じます。
DCソフト『エアロダンシング 轟隊長のひみつディスク』を近所のゲーム屋にて購入。
これは『エアロダンシング』本編のファンディスクにあたるものなんですが……なんとも己のヘタクソ加減を思い知らされます。「スカイミッションモード」を遊んでは地面に激突し、一般公募のリプレイ集を眺めては自分との技術差を見せつけられたり。本編をホウホウの体でクリアした私が楽しむには時間がかかりそう。
くやしいので、次回作『エアロダンシングF』の体験版で遊んでいます。
幕張メッセのとなりに着陸しようと思ったのですが、道が短いので断念。近くに着陸した後、タキシングでメッセの裏につけました。これだとあまりカッコよくないなあ。
テレビっ子日記:最近のヒットCMは『春日井の黒飴』。
しばらく前から『無限のリヴァイアス』を観てますが……途中から観ているのが悪いのか、イマイチ見どころがつかめません。
現在の正直な感想は『ファイナルカウントダウン』における「くちばしの黄色い高校生の討論会」を延々とやってるなー、といった感じです。
他力本願ですが、どなたか「こう観れば面白い」というのがありましたらお教え下さい。ただし「キャラ萌え」ってのはご勘弁。キャスティングにそういう意図を感じるので、「役者に頼るな、役者を活かせ!」と思ってしまいます。
『ビーストウォーズ メタルズ』、相変わらずトバしてます。檜山声で「わしらが言うても可愛くないわ!」とシャウトされると説得力満点でたまりません。
岩浪監督脚色作品ってことで、カメニンジャのアニメももう一度観たいなあ。
第1話を見逃しましたが、『貯まる女』は割とイケます。私は割とドラマを途中で見なくなってしまうタチなのですが、これは痛快庶民派なので最後まで楽しく観られそう。舞台が蒲田ってのも大きな理由です。
あれから5年が経ちました。
ある意味では幸いにして、また別の意味では不幸にして、それは当時も今も私にとってブラウン管の向こうで起こったできごとでしかありません。
NHKでは特番を組んで、神戸の当時から今までを追っています。ときおり私もそれを目にしますが、途中で辛くなって観るのをやめてしまうことがしばしばあります。これは、震災当時に瓦礫の山や焼け野原などを観ていたときにはなかったことです。
砕かれた街を見せられたときには、まず恐怖がたち、しかし状況がどうなっているかという知的好奇心が勝りました。
今現在見せられているのは、その中から傷痕――5年間を生きてきた人々が「失ったもの」――の証明がだんだんと風化していく光景であり、それはもしかすると失ったこと自体よりも辛いことなのではないかという想像をかきたてるのです。
* * *
人が辛い事態に直面した場合、困難に立ち向かって生きる場合と、そうではない場合があります。「そうではない場合」とはどんな場合か? それは辛い過去を忘れ、あたかもそれがなかったことのように振る舞う場合です。
たとえば太平洋戦争で日本が敗れたとき、その後の日本はあたかも大日本帝国がなかったかのように振る舞い、経済大国日本を築き上げました。多くの人が復興と称しますが、それは違います。その前後に隔てられた日本の姿はあまりにも変わり果てていたからです。
敗戦という事態が反芻されなかったため、自称「復興」とともに、それまで日本にあった多くのものが失われました。しかしほとんどの人々がほぼ同じ考え方をしていたため、これが問題視されるのはずっと後の世になってしまいます。つまり「戦前日本=悪い国」という刷り込みがあったため、かつてあった日本の姿を忘れてしまうことに対してほとんどの人々が疑問を抱かなかったのです。
地震の場合は戦争と勝手が異なります。戦争の場合は皆が国の問題として責任を転嫁してしまいましたが、震災にはそれがありません。震災前の町並みや生活の思い出を否定する理由はありません。
ところが実際には町並みは破壊され、多くの人々がかえらぬ人となり、今までと異なる生活を余儀されなくなりました。そのうえ新たな町並みが築かれれば、なおさらにかつての生活を過去のものとされてしまいます。そう言った状況では、生きて行こうという気持ちと、忘れてしまいたいという気持ちとがぶつかり合ってしまうのではないかと想像されるのです。
また震災は個人個人の問題であると同時に、社会の問題でもあります。考え方の異なる多くの人たちがせめぎ合う中では、そのギャップによる苦しみはさらに大きいのではないでしょうか。
体調も不完全なのに行ってきました、セガオンリー同人誌即売会『セガのゲームは世界いちぃぃぃ!
――脳天直撃16t――』。
まったく『16t』なんてゲームがあったことを何人のひとが憶えてるんでしょうね。アップルがいきち。
ま、いちおうネット配信ゲームのハシリなので、現在のセガを象徴するに相応しいタイトルですね。(虚言)
会場到着時に「うわ、行列ができてる!」と思ったら、別のフロアで行なわれるギャルゲ同人誌即売会のものでした。ちぇ。きみたちギャルゲとセガ、どっちが大切なんだ!?(答:ギャルゲ)
会場前で不良社員壱号氏と出会ったのでダベり。いっしょに入場後オ羽様にごあいさつ……するだけのはずが、いつの間にかオ羽様ほか3サークルの売り子をしていましたオヘー。しばらく後に現れた不良社員弐号氏を合わせ三人体制。
なにしろその辺は皆即売会主催者関係のサークルばかりで、サークルの方々は皆受付に詰めている始末。助太刀せずにはいられますめえ。
しかしこれほど笑えた売り子業もありませんでしたよ。なにしろ会場にかかるBGMを聴く度に爆笑の嵐!←個人的感想
途中『スパイダーマン』の主題歌(歌:ヒデ夕樹)がかかったので不審に思い、選曲者であるオ羽様に
「これ……みんな『ザ・スーパー忍』つながりだって言ってますけど、システム32つながりですよね?」
と質問したところ、
「『マーヴルVSカプコン』です。ていうか、みんな『スーパー忍事件』忘れてやれよ!」
とのこと。ここに来ている人間はみんな業が深いので、忘れるのは無理だと思います。
BGMに夢中だったおかげで、ほとんど本も買わずに過ごしてしまいました。←オイ
あ、でも銀河帝国書院の新刊は買いました。お向かいさんでしたので。←オイ
帰る途中でanan買いました。品川駅のキオスクで。ムサイ男が買うのは猛烈に恥ずかしいです。
買った理由は書きませんので、気になった方はご自分でお調べ下さい。←ひでえ
DCの『東京バス案内』、ようやく1周(1ヶ月日程)終わりました。
ひき始めてから2週間、ようやくまともな体調になりつつあります。
年末できなかった部屋のかたづけをようやく始めましたが、全然かたづきません。
魔窟度が尋常ではないのです。
インフルエンザ持ち・その後:
ことしの正月は喪中ということもあり、実家でひっそりと過ごすつもりでしたが、思っていた以上にひっそりと過ごすハメとなってしまいました。
以下、その経過。
ゲーセンで『ストライダー飛竜2』を見かけたのだが、予想以上の残念さ。
何が残念かと聞かれれば理由は複数あるような気がするが、時に気になったのは中ボスなどをはさむと場面がコマギレになってしまう点。
『ストライダー飛竜』というゲームの何が面白いか? おそらく「多彩なアクション」という表現をとる方も多いだろう。が、本当に重要なのはタイトルどおりの闊歩(=stride)感ではなかろうか。
たとえば障害物があるとする。それによって、ふつうのアクションゲームでは移動範囲が制限される。ところが『飛竜』の場合は行動の種類は制限されるものの、障害物によって移動範囲が制限されることはほとんどない。壁や天井につかまって、どこまでも進むことができる。移動範囲を制限するのは主に重力の役目だ。
敵キャラクターについても同様で、一部の面ボスを除いては戦いの決着が短時間でつくようになっており、倒された敵の向こうには新たなフィールドが広がっている、という具合だ。
しかし『ストライダー飛竜2』の中間ボスは、完全な場面切り替え式。このためゲームの進行テンポが途切れ、「多くの敵をものともせず闊歩する」という感覚が非常に薄くなってしまった。
他にも気になる点はあるけど、その辺はまたプレイしてから。
そうはいっても現在遊ぶ気のする数少ないアーケードゲームの中のひとつであることは確か。闊歩と行かずとも、チビチビと足を運んではプレイすることになりそう。
余談。海外メガドラ用に出ていた『ストライダー2』というゲームは、むこーのひとびとが勝手に作った無関係作。見かけても「面白いのだろうか」などと期待してはイケナイ。