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しおりんの厨房

〜 伝説の合宿所で 〜


2:
「残念だけど、これは呪いよ」
 突然に背後から響いた声に、俺は狼狽した。詩織を見ると意外そうな顔こそすれ、落ち着きは保っていたようだ。
「メグ……どうしてここに?」
 詩織は縁起でもない言葉を発した彼女に向き直っていた。
 彼女の名は美樹原愛。詩織とは中学以来の友人だ……が、帰宅部員である彼女が、夏休み中の学校に用事があるとは思えない。
「学校に、呪いがあると聞いて、やってきたの」
「呪いなんて、一体誰がそんなことを……」
 詩織と俺は首をひねった。確かにこの状況はおかしいが、「呪い」とは高橋先生がにわかに冗談めかして言った言葉に過ぎず、その言葉につられて夏休み中の学校に野次馬のごとく現れるとは……?
「はぁい、優美が呼びましたぁ」
「え……?」
 元気よく名乗りを挙げたのは、同じ部で一年後輩の早乙女優美だった。蛇足だが、俺の悪友・早乙女好雄の妹でもある。
「呪いとかオバケとか、そういうことには美樹原先輩が詳しいって、お兄ちゃんから聞いていたんだ」
 自慢げに話す優美ちゃん。声には勢いがあるが、額には俺たち同様に脂汗がにじんでいる。
「そ、そう。ありがとう」
 詩織は、下級生の優美に対して丁寧に礼を言った。丁寧ではあったが、それは単純に丁寧なだけだった。
「えへへ、どういたしまして」
 幸か不幸か、優美ちゃんはそのことに気付かなかった。

「これは、呪いよ」
 舌足らずな美樹原さんの喋り方に、詩織はじゅうぶん慣れているはずだったが、今ばかりは少し勝手が違った。
「メ、メグ……単なる噂じゃないの? そういった話が好きな人は多いし」
「いいえ違うわ、詩織ちゃん。わたし、感じるから……」
「霊感なんてあるの? ないんでしょ?」
 詩織は話題を「霊」からそらすことに腐心していた。が、美樹原さんの眼は輝きを見せている。
 突如、美樹原さんは駆け出すと、校舎の影に隠れていった。
「え? メグどうしたの?」
 詩織は美樹原さんを追いかける。

「おーい、美樹原さんは来たか?」
 入れ替わって、合宿所前に現れた男がいた。早乙女好雄である。
「何しに来た、悪者」
「いきなりごあいさつだなぁ、悪友」
「まさかとは思うが、美樹原さんの話は優美ちゃんから聞いたのか?」
「おいおい、俺の情報網をみくびるなよ」
「それにしたって何しに来た」
 好雄は趣味がナンパという随分な男だが、夏休みの学校に現れた同学年の女の子をわざわざ追いかけるだろうか? 普段の好雄を考えれば、夏休みは行楽地で女の子を引っかけるのが日課だろう。成功したことはないが。
「ふふん。お前は知らないだろうが美樹原さんは神社で……」
 噂をすれば影。ふたたび姿を現わした美樹原さんに、俺は驚きを隠せなかった。内気な美樹原さんに、二度も連続で驚かされようとは。
 美樹原さんは巫女装束をまとっていたのだ。

 その後を追いかけてきた詩織は気分が思わしくないようだった。先ほどまで他人の前では体裁を整えていたのだが、うつむき加減で、顔色もよくなかった。
「もうダメ……」
 その原因が腹痛だけではないだろうことは、美樹原さんを見れば想像できた。
 威風堂々。美樹原愛はいつになく自信に満ちていた。何かの本で、外見は人間の精神に大きな影響を与えると読んだことがある。そのゆったりした服装は、彼女の心に大きな余裕を与える。
 好雄は両目を輝かせ、その姿を追った。
「な、いいだろいいだろ? 巫女さん姿っていいよな〜!」
「このマニアめ……」
 俺はため息をついたが、マニアは好雄だけではなかった。
「ミキハラって目立たないけど、こうして見るとさ、意外とカワイイよな」
「俺、ツバつけちゃおっかなー」
「萌え〜」
 いつの間にやら、合宿所の中で苦しんでいたはずの男子が集まってきた。風にあたろうとして、この騒ぎを嗅ぎ付けたのだろうか。
 そのようにつぶやく男どもの中には、自称「藤崎詩織非公認ファンクラブ」の面々も含まれていた。
「もうダメ……」
 俺は詩織にならって合宿所の壁に手を突き、うつむいた。

「祓い賜え清め賜え、キエーッ!」
 美樹原さんの金切り声が響く。まさかこんなものが聞けようとは。
 美樹原さんはドタドタとばかりに合宿所へ走り込む。猪突猛進。まさかこんなものが見られようとは。
 彼女を見守る男子の一群。
 そして、静寂。
「……メグ、大丈夫かしら……?」
 もはや追従不能のレベルに至った友人のことを、それでも詩織は心配していた。
 どれだけの時間が経ったのだろう、美樹原さんは合宿所の中から戻ってきた。入ったときの勢いは、もはやない。
 視線が定まらず、フラフラと歩く。ついには倒れそうになった美樹原さんを、詩織は慌てて抱きとめた。
「メグ、メグ!? しっかりして!」
「一週間以内に同じビデオをダビングして、他の人に送らないと……」
 そう言って、美樹原さんは意識を失った。
 高橋先生がやって来た。
「大丈夫、軽い脳震盪みたいね」
 俺たちは美樹原さんを保健室に連れて行くことにした。そこへ好雄が駈け寄る。運ぶのを手伝ってくれるかと思いきや、
「せ、せんせぇ。美樹原さんの代わりに、お祓いしませんか?」
 好雄はこの後一ヶ月間、高橋先生に口をきいてもらえなかった。

 意識の戻った美樹原さんは、好雄に責任を持って送らせることにした。
「メグ……」
「心配いらないよ。好雄がついてるさ」
 詩織の不安を取り除こうとした俺だったが、余計に不安を煽ってしまった気もする。
「それに、あの合宿所……気味が悪いわ」
 確かにそうだ。美樹原さんの言動はさっぱり理解不能だが、少なくとも合宿所に何らかの脅威があると考えた方がいいだろう。
 詩織の肩が震えていた。
「なんなら俺が添い寝してやろうか?」
 俺としては詩織を笑わせるつもりで言ったのだが、詩織は合宿所の壁に手をついた。
「ありがと」
 その言葉に丁寧さはなかった。
 

つづく

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