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しおりんの厨房

〜 伝説の合宿所で 〜


あらすじ:
 詩織、お前は呪いの正体を見極めたいのか、それとも見たくないのか?
 少年の苦悩は続く。(うそ)


6:
『もしもし、藤崎です』
「あ、詩織!? 珍しいな、詩織から電話してくるなんて」
 よりによって、この話題に一番触れたくないであろう人物からである。

『ごめんね、見てたの』
 窓の外を仰ぎ見ると、お隣りの窓に詩織がいた。
『電話してたみたいだから、終わるまで待っていようと思って』
「覗きとは趣味が悪いな」
『人聞き悪いわね。あれだけ窓際であたふたしてたら、道路からだってバッチリ見えるよ』
「俺、そんなにあたふたしてました?」
『してました』
「とと、ところで何の用?」
『電話で話すのもなんだから、喫茶店でも行かない?』

「いやー喫茶店も久しぶりだなあ」
 この季節、さすがに南向きの窓を避けて座った俺たちはおしぼりを手にした。顔面の汗を拭きたいが、詩織の手前グッと我慢する。
 その詩織は浮かない顔で俺の様子をうかがっている。
「さて。電話では話せない用って、なに?」
 俺はトーンダウンすると身を乗り出した。詩織もそれに倣う。
「……メグから聞いたんだけど、やっぱり調べてるの?」
「ああ、どうしても気になってね。何かわかったら知らせるよ」
「待ってよ。ひとりで調べるつもり?」
「これ以上詩織を怖い目に遭わせるわけにはいかないだろ」
「もう遭ってるわよ」
「いや……だから」
「それにメグがしつこいの。何度も何度も『あれは呪いよ』って。そんな電話に付き合わされる身にもなってよ」
「わかったわかった。美樹原さんに反論できるよう、調べに行きたいんだろ」
「そう。そうと決まったら行きましょう」
「……と、その前に」
「あ」
 タイミングよく、アイスティーとアイスコーヒーが運ばれてきた。
「そういうことなら、俺の話もあるしね」
「話?」
 もどかしそうにミルクを注ぐ詩織。シロップは控えているらしい。
「そうさ。行くって、どこに何を調べに行くつもりだったのさ」
「それは……伊集院くんに訊けば、あの不自然な十年史のことが……」
「教えてくれると思う? あの伊集院家が隠したがっているのは明らかだ」
 背もたれに寄りかかる俺。
「でも、食中毒事件のことを話せば、伊集院くんだって」
「それだよ。合宿所の食中毒は、伊集院家にだって不名誉なことのはずだ。なのに十年史のことはひた隠す。
 十年史にもっと不名誉なことがあるのさ。女子に甘い伊集院だって、その一線を超えるとは思えない」
 詩織の顔を見た。伊集院レイはキザな男だが、女子にはとても優しい。その伊集院に対して、人望のある詩織がお願いをすれば、多少の無理は聞いてくれるだろう。
 しかし。今回の事件は多少程度のことではあるまい。
「そんなこと言って、本当は伊集院くんにお願いをするのが嫌なだけじゃないの?」
「んぎ!?」
 まったく、これだから女の勘というヤツはイヤなのだ。
 詩織の言うことは半分当たっている。俺たち男子にとって、伊集院レイはキザで嫌味な大金持ちの息子でしかない。
 それでも、他に手がなければ詩織の言う通り伊集院に頭を下げる他にないのかもしれない。
「まあ聞けよ。わざわざ喋りたくない人に訊くというのも、失礼な話だろう」
 そう言って俺はアイスコーヒーをあおった。
 その瞬間。

「やあ庶民の諸君!」
 俺はコーヒーを吹き出しそうになった……が、必至にそれをこらえた。
「ぶがっ! ぐほっ!」
 詩織の手前、飲んだものを吹くことなどできない。ええ、できませんよ。
 とっさにおしぼりを掴み、鼻から垂れるコーヒーの残滓をぬぐう。
「きったなぁい。あ、伊集院くん?」
 汚いモノを見る目で俺をたしなめた詩織は、入り口に屹立する男に声をかけた。
 伊集院レイ。噂をすれば影というが、金持ちの息子が喫茶店に何の用なのだ。
「これはこれは詩織君。実はそこにいる小汚い男が、僕のことを嗅ぎまわっているという情報があってね」
 違う違う、嗅ぎまわってるんじゃなくて避けてるんだ。
「小汚いは言い過ぎよ。たしかに汚いけど」
 ひどい。この女に思いやりはないのか? 顔を拭いた俺は、いちおう反論しておくことにした。
「嗅ぎまわっちゃいない。どうやら詩織の方は伊集院に用があるようだけどね」
 詩織に反論するのは後回しだ。その機会が与えられるかは不明だが。
「えっ……?」
「気になるんだろ? 直接訊いてみろよ」
「うん……」
 先ほどと態度を一変させた俺に、詩織はとまどった。が、そんなことを知らない伊集院は得意顔だ。
「小男はともかく、聡明な女性の質問に答えないわけにはいかないからね」
「実は『きらめき高校十年史』のことで……」
「十年史……? あ、いや実は急用を思い出してね、申し訳ナイ! 庶民と違ってボクはイソガシイノダ、それではシツレイ! 行クゾ外井!!」
 予想どおり、伊集院は引っ込んだ。

 しばしの沈黙。音もなくアイスティーを吸う詩織。
「……言ったとおりだろ」
「じゃあ他に手があるの?」
「ある。市立煌高校だ」
「い、いちりつきらめきこうこう?」
 意外な顔の詩織を尻目に、伝票をつかんで立ち上がる。
 とにかくばつが悪いのだ。

* * *

 人々を圧倒する日差しの中、そそくさと歩く俺を白い帽子の詩織が追う。
 こうも暑いと、ふたり仲良く手を繋ぎ……などという気分には到底なれない。それに、俺たちを待つもののことが気になった。
 市立煌高校。
「着いた」
「久しぶりに見るね」
 進路を決めるとき、ふたりともこの学校を訪れたことがある。もっともそのときは、ふたり別々だったが。
 県立の一流校には若干劣るものの、それでもかなりの進学校だ。
 白亜の校舎が整然と並ぶ様子は学校らしい厳格さと清潔感を感じさせたが、自由な校風のきらめき高校に比べると素っ気なくも見えた。
 それでも遠くの校庭からは、部活にいそしんでいるらしい生徒たちの声が聞こえてきた。暑いのにご苦労なこった。
「さて、と」
「本当にこの学校が、十年史と関係があるの?」
「昔のことを知っていそうな人は……ちょうどいい、あの人に聞いてみよう」
 校門の前で水撒きをする初老の男性を見つけ、駆け寄った。
「ごめんくださーい」
「何かご用かね? ここの生徒ではないようだけど……」
「実は私たち、私立きらめき高校の者ですが」
「わ、わたくしりつきらめきこうこう! ひぃっ!」
 叫び声をあげた男は、ひょこひょこと校舎の中へ逃げ込んでしまった。
「し、失礼な……」
「ねえ。これからどうしよう?」
「そうだな、とりあえずホースの水を止めるか」
 何の因果か俺たちは、見ず知らずの老人が出しっ放しにした水道の蛇口をしめていた。
 

つづく

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