バイクの本

このページではおらが読んだバイク関係の本を取り上げ、簡単に感想を紹介する。

 

つじつかさ    ベストライディングの探求

おらが初めてライディングの奥深さを知った本であり、今でも最良のライテク本と思われる一冊。

 

つじつかさ   ライディング事始め

グラヴェルで起こせなかったTT600を起こす際に、ここに書かれていたお越し方を最期に試してなんとかなった。ハンドルをタイヤが上向く方にきってから、両手でハンドル持って持ち上げるという方法だ。

 

つじつかさ   バイクのメカ入門

おらはメカにはからっきし弱くて、あまり勉強する気もないから・・・。

 

和歌山利宏   ライディングの科学

難しすぎる・・・。

 

根本健   バイク”乗れてる”大図解

図解多く分り易い。峠小僧向け。

 

根本健   バイク”お助け”大図解

ツーリング時には携帯してる。

 

福田照男   チャンピオンライダー考現学

WGPファンにはおもしろい。本間師匠も登場!

 

ケニー・ロバーツ   ケニー・ロバーツ ロードレーシングテクニック

テクニック一辺倒でない、他の二輪本とは一線を隔す秀作。また、峠攻めのライテク本ばかりで、レース本はおろか、サーキット本が皆無の中、ちょっと古いがWGPでのテクニックが書かれた貴重な一冊。

 

渡辺和博   エンスー病は治らない

エンスー渡辺は四輪専門かと思ってたら、二輪にはもっとエンスーであった。現在のおらの病状に輪を掛けた人々の生態を垣間見ることができる。

 

皆川博子   薔薇の血を流して

ニ輪サイドカー・レースに挑む日本人女性が主役の単なる小説。でも舞台がマン島TTレース。TT600のTTもここから来てるみたいだから、マン島には1度行ってみたい。

 

根元健   グランプリを走りたい

根元氏のライテク本は数多く読んできたが、この本は根本氏の波乱の二輪人生を綴ったもので、特に前半がものすごく面白い。根元氏はプライヴェーターでWGPにチャレンジした数少ない日本人ライダーの一人だった。この本に引き込まれたのは、根元氏のレース・デビューが60年代のMCFAJのFISCOでのレースだったり、根本氏がFISCOの30度バンクで瀕死の重症を負ったり、始終自分を”怖がりライダー”と称している等、スケールは違うが、おらの経験に酷似している点だ。その根元氏は1995年に平さんと最年長ペアを組んで鈴鹿8耐を走っている。

 

中島祥和   平忠彦 爆走に賭ける

絶版だがアマゾンで手に入れる事ができた。古本が一冊出回ったのだ。この本によると平さんは天才肌ではなく、努力と人間性で大成した、大器晩成型であった。平さんは、ヤマハ・ワークス入りするまで、かなり頻繁に転倒していたようだ。しかし”転びの名人”であったらしく大きなケガはしなかったようで、それが速くなっていった要因のひとつでもあるらしい。それにしても、平さんがレース活動をされていた頃には、多くのライダーが死んでいることがわかる。それが職業ならあきらめもつくかもしれないが、二輪サーキットは趣味でやるようなものではないのではないかと思えてきた。また現在の日本人WGPライダーの主流であるポケバイ出身者らと違い、平さんのワークス入りされるまでの苦労は並大抵ではなかったようだ。平さんはただの二枚目人気WGPライダーではなかった。平さんが茶の間でも有名になったのは、1985年に鈴鹿8耐でケニー・ロバーツと組んだ事と資生堂のコマーシャルに登場した事によるらしい。そう言われてみると、おらが二輪サーキットを始める前に名前を知っていたライダーは、平さんとケニー・ロバーツだけだった。その平さんは1985年の鈴鹿8耐と1986年の日本GPで、ワイン・ガードナーと熾烈なバトルを繰り広げている。

 

ワイン・ガードナー   最速のGPライディング

これもアマゾンで偶然見つけた古本。おらがWGPライダーの著作を見つけたのは、邦訳されたものとしては”ケニー・ロバーツ ロードレーシングテクニック”以来2冊目だ。

 

富樫ヨーコ   ポップ吉村の伝説

“エンジンの神様”と呼ばれたポップ吉村の創設したヨシムラは、最初からスズキの二輪専門チューナーかと思っていたが、元はホンダの二輪と四輪のチューナーだった。その吉村は生涯一度だけ二輪ロードレースに出場している。それは吉村がMCFAJに頼み込んで1962年に九州で開催された、第5回全日本クラブマンロードレースで、吉村は転倒して脳震盪を起こし、その後は自らのレース出場を断念している。なんとMCFAJの歴史はMFJより古く、1958年にMCFAJの主催によって、浅間で第1回クラブマンロードレースが開催されている。この本にはMCFAJのレースやFISCOが多く登場するのがいい。そして日本で初の本格的なバイクレースは1953年の名古屋TTレースとある。おらが生まれる8年前に、おらの生まれた名古屋で日本発のバイクレースが開催されていた。また1965年まで鈴鹿で開催されていた日本GPが1966年にFISCOで開催されることになるが、既に5クラスでメーカー・タイトルを決めていたホンダは、FISCOのコース・レイアウトが十分安全性を考慮したものではないという理由から、日本GPを欠場している。その本当の理由は鈴鹿サーキットがホンダに圧力をかけたからだと考える者もいた、とある。これがきっかけでホンダとヨシムラの関係が拗れ、袂を分かつている。モリワキの創設者、森脇護は吉村の娘婿で、初のレースでのFISCOで富士山が綺麗だと余裕を見せたらしい。それがレース走行中に観た富士山なら確かに偉いと思う。それにしても著者の富樫氏が女性でありながら二輪レース経験者である事は、前に読んだ富樫氏の“選ばれしGPライダー”にある著者紹介で知っていたが、“ポップ吉村の伝説”といい、これも前に読んだ”ホンダ二輪戦士たちの戦い”といい、随分メカにも詳しい。富樫氏は南米パタゴニア9,000Km走破の経験もあるようで、メカでもライディングでもおらは太刀打ちできない。また、翻訳家でもあるフリ・ライターの富樫氏は、ホンダ・レーシングのコーディネーターでもあるようで、羨ましい限りだ。おらも翻訳家でフリー・ライターでレーシング・チーム・ヤマハのコーディネーターってのを目指したいが、当面は月給取りで、フリー(稼げないと言う意味で)・ライターで、MCFAJオーバー40ライダーだ。

 

越智誠   頂へ 片山敬済の疾走

後に日本人初のWGPチャンピオンとなる前途有望な片山を、ヤマハはクビにしていたことがわかる。その片山はゴルゴな人間のようだ。そして片山は二輪引退後、四輪でパリダカを走破していた。

 

堀ひろ子   サハラとわたしとオートバイ

この世もあの世も含めて一番会いたいライダーは誰かと聞かれれば、おらはすぐに答えられる。それはウェイン・レイニーでも仮面ライダーアギトでもない。それは昔も今も堀ひろ子。故堀ひろ子の絶版である本書の古本をアマゾンでついに手に入れた。女性ライダーの草分け的存在で、80年代バイク小僧憧れの君であった堀ひろ子は、やはり10点満点の美しさだった。22年前に環八にあった彼女の店“ひろこの”に行った覚えはうっすらとあるものの、彼女に会えたのかどうか記憶が定かでない。早くあの世で一緒にサーキットを走りたい。独身のまま待ってておくれ。おらはポップスもジャズも美形のヴォーカルしか聴かないが、美人の文章もそれだけで心地よいのであった。

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