“汚れた英雄”を読んで

2001.10.20


“汚れた英雄”全4巻

“汚れた英雄”を読んだ。本来のおらの趣味とはかけ離れた小説で、5点満点の2点。内容も随分古い1960年代のもの。しかし二輪サーキットをやりだしたおらにとっては必読の書だった。サーキット・ライダーだけでなく、メカニックも読むべき書だ。レーシング・ライダーとしての生き様だけでなく、マシンや二輪レースの歴史を知る上でも参考になる貴重な作品だ。“汚れた英雄”におらは完全に感化され、おらは自分が二輪サーキットをやるべき人間であったことを再認識できた。

話の概要はこうだ。レーシング・ライダーとしての稀有の才能を持つ主人公の北野晶夫が、走りの芸術を完成させる為、必死の努力で腕に磨きをかける。と同時に、北野は驚異的な色男ぶりを発揮し、世界中の金持ち女をたぶらかして数千億円の資産を得、オフ・シーズンには超豪華な生活を堪能する。しかし北野は金や女に溺れることなく、二輪レースに生き甲斐を求め続ける。年々性能を増すホンダ他の日本車勢に圧倒され始めるが、北野は日本車に乗ることを嫌い、不利な外車で如何に戦うかに情熱をそそぎ、MV AGUSTA始め様々なマシンを駆ってWGPチャンピオンの栄冠を何度となく勝ち取っていく。

おらが感銘した部分をご覧あれ。

・これがホントにできれば神業だ。「MVアグスタ350ccが横転し、北野がMVから吹っ飛ばされた瞬間、北野は無意識の内にエンジンを切ったため、MVは火を吹かなかった。」

・北野はこの世の全ての女を惚れさせることができる、まさにゴルゴのような男だ。北野の方が随分性格は悪いが…。

・北野が大転倒した後の走りにおける、恐怖との戦いの描写。

・北野は傘をさすのが嫌い。おらも傘をさすのが嫌いで、よほどの雨でなければ濡れる方を選ぶ。

・ウィリーのことを“竿立ち”と表現。

・おらがよく行く航空自衛隊浜松基地の滑走路で、二輪の第一回全日本ドラッグ・レースが開催されている。

・聖蹟桜ヶ丘やら調布やら、おらが生活してた場所が登場する。

・ロベルト・ヴィアンキが北野に、「君もいまに、自分を押さえて走る事を覚える。それまでに命が保つかどうかが勝負だ」と。おらもどうしても自分を押さえられず、FISCOで走るたびに転倒する。

・「全米を統括している二輪レース組織AMAはFIMと反目し合っている」とある。また「アメリカでは暴走族のせいもあって四輪に比べ、二輪の人気はない」と。どうりでWGPがアメリカで開催されないわけだ。

・北野の瞳はダーク・ブラウン。おらも一緒で、ストロボを焚いて写真を撮られると目が猫みたいに光っちゃう。

・北野はヨット・パーティーでEx-Duke(エックス・デューク:元公爵)の役を演じさせられる。おらのペンネームもデューク。

・さすがの北野も高速コーナー手前でマシン・トラブルによりギアが抜けずにシフト・ダウンできなかった際、コーナーで転倒した。このときヴィアンキ250は30m吹っ飛んで大破するが、北野は猫のように空中回転して着地し無傷。

・防音室の中でMGAの新車をジャッキ・アップし、エンジン、ミッション、デフ、リア・アクスルを回して慣らしを済ませる。こんな慣らしの仕方があったのね。

・女優のエヴァが北野に向かって言う言葉。「どうして、あなたに夢中になったか、わけが分かったわ。あなたがいつも死と背中あわせに生きているからね」

・「言語を絶する暗い美貌に、すっきりと着やせした体つきがマッチし、ロマンチックな雰囲気をかもしだしている」という北野の描写。

・「女と事が終わり、これからマシン・テストに向かう北野の心は虚しかった」とある。確かにつまらん女との情事の後は虚しいもの。それに比べて、サーキットを走った後の充実感といったらない。

・北野が開き直って女に言う言葉。「僕の心は、誰にも束縛されない。限りなく自由だ」

・この言葉は特に気にいった。おらの常用語にする。「僕たちは永遠の恋人だ。そして、おそらく、一生結ばれない」

・ヴィアンキが北野に、「たとえ、稀代の女たらし、汚れた英雄、と呼ばれるのが…」と。唯一“汚れた英雄”という言葉が登場する場面だ。ヴィアンキの言葉は続く。「脆くはかなく崩れる幸せとは知っていても、女は君のような男に愛されていると錯覚しているときが、ただ一つの現つだ。幸せな現実が永遠に続くものでないことを知っているから、悦びは何倍も深くなる」と。おら若い時にこの本読まなくてよかった。若いときからこんな言い訳を自分にしてたら、おらはホントの女たらしになってた。

・「触れなば落ちん」の表現には笑えた。でもしつこすぎる。

・北野は、「すでに数百回も目を通してあったコースの公図に、さらに目を通す」し、コースの下見は必ず徒歩で行う。

・北野の言葉、「確かにホンダには魅力がある。それに僕は日本人です。でも僕は贅沢で我がままで女性の美しさに弱くて、とてもじゃないが、軍隊式の日本チームじゃやっていけそうもないんでね」とホンダには興味を示めさない。

・北野のライバルであるマイク・ヘイルウッドがロー・ギアを壊し、「ロー・ギアを使うべきところをセカンドで廻ってるときには、(恐怖で)レースをやめたくなったよ」と。

・随分ホンダを悪く書いて、ヤマハには好意的とはいわないまでも、北野がアマチュア時代に使っていたマシンはヤマハ。大藪はヤマハ信者か?

・「1966年10月15日、.河崎裕之などが50cc、国内レースに出た」と、ヤマハの河崎監督が登場する。

・大藪のあとがきに、「北野晶夫にモデルはありませんが、レース記録や出てくるマシーンの性能は、ほぼ正確です」とある。メカに関してとても詳細に書かれている小説で、メカ好きには面白いんだろうが、おらにはちんぷんかんぷんだ。

・実名出しての歯に衣着せぬ書きっぷりには驚いた。大藪はこんなの書いて誰からも訴えられなかったんだろか?

・”現代の英雄として生きるためには、栄光と同時に常に悲劇を背負っていなければならない。挫折のない栄光など決してありえないし、最大の挫折が死ということになる。つまり、現代の英雄は窮極のところ悲劇的な死と裏表となっている。死によって英雄たり得る資格を持ちえるのだ。北野晶夫の死は美しい。なぜなら、彼の終局的な生き方は「レースに勝つ」ことだけに絞りこまれているからだ”と角川春樹の解説は、おらの思いを見事な文章にしている。でもおらは、“美しくあり続けるためには若くして死ななければならないところに、人生それ自身の本当の復讐があるのかもしれない”、なんて皮肉れたことは考えたこともない。

・これだけの長編を読ませておいてラストの数10ページはなんなんだ!ラストはえらく駆け足で執筆したようだが、最悪の終わり方で、全然言霊入ってない。北野にガキがいることが分かって、最後の最後に女に利用されて、二輪では転倒してロケットのように120mも吹っ飛ばされても左鎖骨骨折だけで済むような男が、こともあろうに四輪で死ぬなんて。

 

さて、おらは差し障りがない限り、普段の生活では源氏名を使うことが度々ある。例えばタクシーを呼ぶときだ。おらの実名の名字が難しくて、一度で正しく聞き取ってもらえることが万に一つもないし、漢字まで聞かれた日にゃ説明するのが大変だからそうしてる。源氏名は最初“今中”を使っていたが、一度どういう漢字か聞かれて以来もっと簡単な“山崎”に変えて4、5年経つが、これで漢字を聞かれたことはない。でも“北野”に変えたくなってきた。北野晶夫と共通点の多いおらにはその資格があろう。

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