Round 1 FISCO 1コーナー

2001.03.04

 

1981年4月に19歳でおらは中型自動二輪免許(現在の普通自動二輪限定解除)を実家のある名古屋の教習所で取った。1年浪人して東京の大学に進学する直前だった。教習所の教官に「19歳で来るなんて遅いなー」と言われた。確かに周りはガキばかりだった。教習所の二輪はスズキGS400。その後、20歳になってから通学の足として2年間、中古のホンダHawk III CB400Nに乗った。2度ほどツーリングに連れていかれたが、ホンダの4ストローク250ccに乗る先輩に峠でぶっちぎられ、おらには二輪の素質はないと思った。自動二輪限定解除(現在の大型自動二輪)に挑もうとも思わなかった。そして、二輪から遠ざかったおらは、そのまま東京で月給取りになり、クルマを持つようになって、再び二輪に乗ることなどないはずだった。

 

1993年4月に31歳のおらはヤマハSRV250を購入した。SRV250はトラッド系の、4ストローク、Vツイン、スポーク・ホイールのデザインだけのバイク。おらがSRV250を買った理由は、それに乗る為ではなかった。デザインが気に入ってどうしても鑑賞用にほしくなったのだ。浜松に長期出張してたとき、浜松駅にSRV250が飾ってあり、おら毎日のようにそれに見入ってた。でも買っても乗らないことが分かってたから、買うのをためらってた。ところが米国に出張したときに、知り合いのアメリカ人の家に行ったら二輪やら三輪バギーやらが5〜6台置いてあるのを見て、おらも1台くらい持ってもバチはあたるまいと思い鑑賞用に買った。250ccなら車検もないから維持費がかからない。納品されてすぐ、部屋に飾る為にエレヴェーターに乗せようとしたけど、意外とバイクの全長は長く、エレヴェーターに入りきらなかったので、しぶしぶ諦めた。案の定ほとんど乗らないから、バッテリーやらキャブレターをよくダメにした。

 

1998年からヤマハSRX400、ヤマハXJR400に乗る友人二人と、年に1回、箱根へツーリングに行くようになり、峠で車体を寝かせることを堪能するようになる。たった27PSのSRV250に乗るおらが何故か峠では無敵だった。そして40歳になる直前の2001年早々、おらは転倒しても安全な場所で、思いっきり車体を寝かせてコーナリングを堪能したいと考え、サーキットで走ることを決意した!

 

2001年1月30日(火)、おらは教習所で大型自動二輪免許を取った。多くのバイク乗りの夢を阻んできた大型自動二輪免許が、外圧のおかげで数年前から教習所で取れるようになっていたし、サーキット走行するのに大型免許なしじゃカッコがつかんと思ったからだ。1981年に四輪の普通免許を取って以来20年ぶりの教習所だったが、今度は「39歳で来るなんて遅いなー」とは言われなかった。おらは二輪に乗るときは人差し指抜きの3本握りでブレーキングしていたが、指4本でのくそ握りを強要された。うっかり3本握りにしそうだから、おらはミトンの手袋で教習所のCB750を操った。一本橋には苦戦したが、公道で使うことのないこんな技がなぜ必要なのかしらん?またシフト・ダウンを使わない急制動試験の悪癖か、公道でフル・ブレーキングする際、シフト・ダウンを忘れることがここ最近たまにある。今は二輪のシミュレータ教習があり、それが結構リアルでおもしろかった。戦闘ヘリや、戦闘機のシミュレータは使ったことがあるし、ミサイル射撃のシミュレータはおらの得意とするところだが、二輪シミュレータの方が断然おもしろい。「普段の走り方をしていい」と言われたからそうしたら、教官から「いつもこんな走り方してるんですか!?」と問われ、「そうです」と答えたら、「あなたのような無茶な走りをする人は当校始まって以来。よく今まで生きてましたね。当校卒業者の死亡者リストに載ることは間違いないでしょう」って誉めてくれた。おら二輪にそんなに乗ってないから、まだ生きてるのか?シミュレータ教習を一緒に受けた帝京大の学生2人がそれ以来おらのことを「数千人に1人の逸材」と英雄視しだした。シミュレータでおもしろかったのは、赤いプレリュードに追い抜かれたときのことだ。さすがにホンダのシミュレータだけあって、ホンダ車が登場する。おらは、四輪で高速道路を走るとき、まず抜かれることはないが、4年程前、東名高速道路の高速コーナーで赤いプレリュードにぶっちぎられたことを鮮明に覚えてる。おらの四輪ビーマー(BMW318ti、1.8リッターAT)は140PSしかない、とろいクルマだから本気のVTECに勝てるわけはないのだが、きついカーブをかっ飛んでったプレリュードにはクルマの性能うんぬんでなく降参した。で、シミュレータに戻るが、今度は負けてたまるかとスロットル全開で追っかけ始めたら、ブラインド・コーナーの出口でプレリュードがブレーキ・ランプも点けずに急停車してた。ブレーキングでは間に合いそうもないから、右をすり抜けようとしたが、間に合わずもろにプレリュードにおかまをほっておらは即死した。

 

2001年2月24日(土)、富士スピードウェイ(FISCO)はホーム・ストレートが長すぎて、二輪の醍醐味であるコーナリングを楽しむサーキットではないと思ったが、筑波サーキットより八王子の自宅から近いことと、距離の長い本格的なサーキットだという理由から、サーキット・ライセンスを取得しにFISCOに行った。モーター・スポーツに興味のなかったおらには生まれて初めてのサーキットだ。富士山麓にあるFISCO。住所は静岡県駿東郡小山町大御神。そこは静岡、山梨、神奈川3県の県境に位置する秘境の地だ。周りにはゴルフ場と霊園しかない。おらの自宅からだと中央自動車道と東富士五湖道路を使って東京都、神奈川県、山梨県、静岡県の順に1都3県をまたいで行くことになる。FISCOの神秘的なたたずまいがおらは気に入った。そしてFISCOでおらの目は、霧に浮かぶ雄大なヘアピンの景観に釘付けになった。アイルトン・セナの死を思い出し、ここで死ねたらカッコいいなーと思った。ここは静岡の東尋坊か?サーキット・ライセンスは、講習を受けて自分のクルマでゆっくりサーキットを体験走行するだけで簡単に取れた。新たに覚えたのは、黄旗は危険信号で追い越し禁止。赤旗も危険信号で走行中止だということ。サーキット・ライセンス取得料金は\20,000で1年間有効。更新料金は\14,000。

 

午前中にサーキット・ライセンスを取得後、13:00-14:00に四輪ノーマル・フリー走行の時間があるとのこと。その日は雨だったこともあり、SRV250でなく四輪ビーマーでFISCOに行ったが、四輪でFISCOに来ることはもうないだろうと思い、雨と霧で最悪のコンディションだが、おらは走ってみることにした。幸いこんなこともあるかと思い、ジェット・ヘルは持ってきていたが、グローブは四輪用の革製でないとダメと言われ、現地調達。13:00の時点では深い霧の為、走行不可だったが、しばらくして走行可となりコース・イン。なんと悪コンディションの為か、おら一台の貸し切り状態。コースの説明は受けていたが、実際に走ってみると霧のせいか今どこを走っているのか皆目検討がつかない。下りの高速コーナーである300Rで2ラップ連続、雪上のごとくスピンした。スピンした場合、ステアリングだけで何とかしようとしてもどうにもならない。悔しいがフル・ブレーキングした方が、スピン状態を早く回避できる。二度ともクラッシュを覚悟したが、幸いそのコーナーのコース幅は広く、コース上で停止できたので、クルマへのダメージはなかった。二輪だったらもちろん転倒していたわけで、いっそ四輪に変えようか?と弱気になりつつ走り続けた。それにしても、おら、そんなに無理をしたつもりはなかったから、何故あそこで?と不思議に思ったが、帰路にようやく、「300Rは水はけが悪いので、今日走る人は十分注意するように」と、講習の際に言われたのを思い出した。そういやタイヤもかなり擦り減ってる。3ラップ目で少しコースが分かり始め、最終コーナーを結構スピードのっけて通過し、星野一義が「富士の1コーナーへのブレーキングでは、毎周心臓が飛び出しそうだ」と言った、1.5Kmのホーム・ストレートに進入。進入スピードが良かったため、あっという間に3速でオーバー・レブとなったが、なんとマニュアル・モードでは4速に上がらない!4速に上げるためエコノミー・モードに変えようとスイッチ操作するも、オーバー・レブになってる為かモードが変わらない!そんなこんなしてるうちに、霧で見えなかった1コーナーが迫っていた。それまでは1コーナー手前100mでフル・ブレーキングしてABSを効かせていたが、そのときはどこでブレーキングし始めたか分からない。相当遅れたことは確かだ。ABSフル作動でも回避しきれないオーバー・スピードで、1コーナーを右斜めに突きぬけグラヴェル(コース・アウトした際の安全の為の砂場)に突っ込んだ!ビーマーは深い砂利にはまって自走不能。しばらくするとオフィシャルがレッカー車で来てビーマーを自走可能域まで牽引してくれた。「まだ走っていいですか?」とオフィシャルに聞いたら、「砂利がクルマに入り込んでるから、ホイール外して砂利を取り除かないとだめ」だって。30分走行のはずが、記録はたったの18分。最低30分の走行料金\5,500と保険料\400が前払いだから随分損した。ちなみに二輪の走行料金は、これも最低30分の走行料金\4,600と保険料\400が前払いで、30分以上走ったときは、走行後に追加料金を支払う。後で知ったが、1コーナー手前は下り坂だそうな。ウェットではもう絶対走らないことにする。二輪ならなおさらだ。そういえば、講習の際に、「周回を重ねると、スピード感覚が麻痺し、例えば130Km/hが100Km/hにしか感じられなくなる」と言われたこともすっかり忘れてた。それにしても、あのグラヴェルは、砂は最初の部分だけで、途中から砂利になってたから、とても自力では脱出できない。

 

この日のサーキット走行で、二輪サーキット走行にすっかりビビってしまったおら。サーキットでは250cc以上には乗らないと誓う。あるいはサーキットはやめて空手でも習おうか。それとも今までどおり、テニスに専念しといた方がいいだろか?

 

サーキット・ライセンスを取る際の講習でも言われたが、一人でサーキット走行に来るのは危ないことを実感した。もともと二輪で走る際は、転倒により自走での帰宅ができなくなる可能性があるから、かみさんか誰かと必ず一緒に来るつもりだったけど。

 

それにしても二輪でABSが付いてるのはBMWだけだ。しかしBMWはサーキット向けの二輪は作ってない。1コーナー手前のいったいどこでブレーキングしたものか。

 


FISCO course.gif FISCOの各コーナーの名称

 

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