Round 7 始めての走行会は筑波ウェット

2001.06.03

 

とうとうおらは40になっても生き残ってしまった。

 

恐らく最初で最後の筑波サーキット。また、今回は初めての走行会だ。当日MCFAJ 2001 CLUBMAN ロードレース2というアマ・レースが開催され、プロダクション600(P600: 公道用市販600ccの改造規制の厳しいクラス)のレースもあるので、それを観るためにもおあつらえの走行会だと思い申し込んだ。おら走行会ってのは草レースだと思ってたが、そうではなくて、サーキット・ライセンスいらなくて、つなぎもいらないといったお手軽フリー走行のことだった。以下の誓約書にサインさせられた。

 

「私は平成13年5月27日開催の炎の走行会参加に当たっては、MCFAJ 並びに、筑波サーキット規則、主催者役員の指示に従って走行し、かつ、自己のテクニック範囲を越えたレーシング走行等をしないことを誓います。また、万一事故により死亡、負傷及び車輌等の損害については、本人が一切の責任を負い、主催者、役員、競技関係者に対し責任を追及したり、損害の賠償を要求しないことを誓約致します。平成13年5月27日全日本モーターサイクルクラブ連盟様」

 

「自己のテクニック範囲を越えたレーシング走行等をしないことを誓います」ってのはおらにはつらいねー。でも「11:13〜11:26 GP250」なんて分刻みで、一日のレース・スケジュールが決まってるから、転倒すると大ひんしゅく買いそう。超安全に走るよ。走行会はレースの合間の昼に行われる。でも、おらが無事に完走できたのは、四輪合わせて過去3回のサーキット走行中、一回だけという事実を読者もご存知だろう。無事完走できた一回は、その前の失敗の経験から、転倒しないことに相当重きを置いていた、パワーのないSRV250での走行時だ。ただ順番から行くと次は転倒しないはずだ。

 

ところで、この走行会の主催団体である炎のRR会のおかげで初めて知ったが、市販最速と思っていたヤマハYZF-R1に匹敵するホンダの二輪があったのね。CBR900RR。600ccスーパースポーツと同じ170Kgの重量に、152PSだと!おらの周りはヤマハ党ばかりだからおら知らんかったが市販最速はいったいどっち?

 

TT600の修理は走行会前日ぎりぎりに間に合ったが、右ステップは部品供給が間に合わず、折れたものを溶接してもらった。筑波の2週間程前、伊藤さんに「今頃パーツはまだ喜望峰のあたりだよ」と冗談言われたが、冗談でなくなった。ほんとにオーシャン輸送って感じ。でも、これはトラ・ジャパンのパーツ発注担当者が英国に行ってることによる一時的な混乱のせいで、しばらくするとショップから直接トラ本社に注文できるようになるから大丈夫だって。芸者を選んだ以上、こういった問題はある程度覚悟してた。でも未だにロード・アシスタンス・サービスの案内がこないってのはひどい。一番肝心な、購入直後の慣らしの間に、ロード・アシスタンス・サービス使えないってのはユーザーには不親切極まりない。同日SRV250も退院してきた。国産のヤマハとはいえ、片や製造中止して随分経ってるSRV250のリア・サスはたったの4日で入庫だ。国内にパーツのストック持たない芸者1台でサーキットやるのは、ちときつい。

 

ブレーキ・レバー、クラッチ・レバー、サイド・ミラーの取り外し等に最低限必要なSnap-onの工具を、店長に選んでもらって買った。あとは必要に応じて買い足してく。Snap-onは工具としてはベラボーに高くて、店長は「高価なSnap-onでなくても」、と言ってくれたが、おらはパトリオット・ミサイルのコントローラの中に置いてあった、Snap-onのドライバーを初めて見たときから、そのデザインの良さに惚れてた。Snap-onのウェブ・サイト見たら、防衛庁始め、航空機メーカー各社御用達になってた。

 

いよいよ筑波サーキット体験記だ。

06:00に家を出ようとしたらどしゃ降りの雨になった。ウェットのサーキットだけは走りたくなかったし、キズまるけとはいえ、新車のTT600で筑波までの雨中走行もしたくない。でも、ここが走行会とFISCOフリー走行の大きな違いで、走行会は事前申し込みの前金だから行かないわけにはいかないのだ。家を出る前に、フロント・ブレーキ使ってもストップ・ランプが点灯しないことが判明。今度はフロントか!リア・ブレーキ併用するしかなかろう。今までブレーキ・ランプの点検なんかしたことなかったが、TT600に乗る際は点検するようになった。おらの二輪人生で一度もなかった故障がこうも続くとは。

 

筑波まで雨中走行しながら、今日はまず間違いなく転倒するだろうからやめた方がいいかなー、と不安でしょうがなかったが、一昨日江場氏から聞いた話を思い出した。

「私はご存知のとおりレースが好きでメカニックをやっていたこともあり富士にも何度か足を運びました。富士スーパー・スプリントは86年から始まったと記憶しています。そのときの総合優勝者はA.マンクだったと思います。マシンはNSR250。このレースは2ヒート制で、第1ヒートの優勝者は、本間利彦です。市販TZで雨の中ワークスをぶっちぎり優勝しました。晴れた午後のレースはパワーが物を言う富士では歯が立たず、下位に沈みましたが、それでも総合4位に入ったと思います。私も他のライダーのメカニックとして富士にいました」

というものだ。プライヴェーターの頃の本間氏が、ワークス相手に雨天だったからこそぶっちぎれたってことを考えると、おらウェットのサーキットを怖がってる場合じゃないと、勇気が沸いてきた。それにしても本間氏って、そんなに凄い男だったのか。よく考えると、雨の日にテニスはできんが、サーキットは走れるから、ウェットを走ることでうまくなれるならウェットの練習は一石二鳥だ。でもマシンの洗車が面倒だ。

 

07:00に首都高の永福サービス・エリアで友人の林夫婦と合流。結婚には向いてないと、あれだけ結婚嫌がってた癖に、結婚したとたんに子供作ってやんの。あいつにそんな生活我慢できるんだろか。おらは欲しいと思わんし、地に足着けたくないから子供はまだいらん。サーキットでも地に足つけたくないのはいうまでもないだろう。

 

08:30に筑波サーキット到着。ここは今はなき川崎球場か?それとも、まだある名古屋球場?それともひなびた競艇場か?あまりにもさびれたサーキットだ。おらの持ってた筑波のイメージとはかけ離れてる。手書き看板で「パドック」だって。昔の海の家みたいな食堂があった。

 

FISCOでは工具がなくて外せなかったサイド・ミラーを、買っておいた工具で林に外してもらったが、フロント・カウルがステーと離れたままになっちゃう。これじゃ、フロント・カウルが風圧で波打っちゃうだろうから、サイド・ミラーのネジでフロント・カウルとステーを林に固定してもらった。でも、毎回こうするのもめんどくさい。周りのライダーにどうやってるのか聞いてみたら、タイラップで留めるんだと。いろいろとこの世界独特の隠し技があるなー。

 

09:00受付開始。時間押してて、予定どおりの走行時間が取れないかもしれないからと、\1,000返金してくれた。えらい!FISCOでの走行料金が30分で\5,000だから、料金\12,000で30分走行1名 + (入場料\2,000 + パドック入場券\1,000) x 2名 は、サーキット・ライセンスいらないことと、プロ・カメラマンが写真撮ってくれて、後日郵送してくれることを考えるとお値打ちだ。「特徴ないと誰の写真だか分からない」というので、おらゼッケン・シールを貼った。デュークなら13番だろうが、シール代ケチって一桁の番号にするため、中日ドラゴンズのゴメスの背番号である4番にした。4は日本人の好まぬ“死”を連想させるから、これもおらにはぴったり。おら、本物のゴメスのユニホーム持ってて、しかも去年の北谷キャンプでサインしてもらったんだぞ。んでもって今年退団したゴメスは、またドラゴンズに戻ってきたのだ。おらゴメスにキャンプで会った際、「あと10年やってくれ」って頼んでおいたんだ。

 

10:30にVIPルームでのブリーフィング。確かにこの部屋だけは奇麗だ。幹事の本田氏(仮名)とMCFAJの小泉氏から何点か説明があったが、特記事項は、

・「ウェットで危ないから、インから抜くのはスピード差がよっぽどない限りダメ」

・「筑波は右回りなので、遅い場合はどこでも右側通行」と。おらてっきりそんな場合は全てコーナー・イン側と思ってたが、ちょっと考えれば確かにそうだ。全てイン側にしちゃうと、コーナーの向きによって、コース横断しないといかん。

・「ウェットだから、注意して転倒しないように」と何回も念を押された。おらみたいなやつも中には必ずいるから、注意しすぎて、し過ぎということはないだろう。

・「ウェットだと、120が普通」と。でもおら転倒しないことだけを目標にした。

 

12:00に集合。ブリーフィングで知り合ったホンダ900の兄ちゃんと、集合時間まで待ってるときに知り合ったNSR250の坊や二人だけにはぶっちぎられないことを目標にした。目標は絶えず変わる。45名定員締め切りになったとのことだったが、これだけ雨が降ったから、棄権したやつも多かったんだろう。30人くらいしかいなかった。パドックで随分待たされたが、そのときおもろい兄ちゃんがおらんとこ来て、「珍しいバイクっすねー!」から始まり、延々いろんなことしゃべってった。それはCBR900RRの小林君。絶対ヤンキー上がりッすよね。なんか憎めなくって、好きなタイプっすねー。随分謙遜だったけど、つなぎはぼろぼろだったから、年期入ってるよ。さすがに群馬からFISCOまでは来れないだろうけど、またどっかで会いたいねー。赤城の大将と命名した。

 

フル・フェースかぶってたからわからなかったけど、どっかで会ったかなーと思った人に挨拶された。後で声かけたら、この前FISCOでの転倒の際お世話になった佐藤さんだった。なぜ筑波に?佐藤さんは先導役だって。すごいなー。いったい何者?

 

参加者はCBR900RRばかりと思ってたら、そうでもない。でもおら以外全部ホンダだったと思う。こういうところにヤマハのR1で来て全員ぶっちぎったら、道場破りみたいでおもろいだろうなー。

 

2ヒート制で行われる走行会のまずは第1ヒート。初級、中級、上級の3列に並んでくれというので、中級にしようと思ったが、例の900の兄ちゃんが初級に並んだから、おらその後ろに着いた。偶然NSRの坊やもおらの後ろに並んだ。パドック内ではエンジン・オフのルールだって。おらみたいなやさ男だと、ピット・ロードまで二輪を押してくだけで体力使い果たすなー。上級列から順に、一台ずつスタート。だから、一台目から、最後尾までは半周くらいの差が最初からついてるはずだ。

 

タイヤのグリップなくさないよう、おらは必要以上にコーナーでは出力抑えてた。でもおら以上に、周りは抑えてて、次第にいらいらしてきた。充分スピード差あると思い、900の兄ちゃんを抜くことにしたが、抜けそで抜けない。抜くってのは、タイム出すのとはまた違った、特別なテクが必要だなー。筑波は距離だけでなくコース幅も狭いのだ。でも4ラップ目くらいだったかに、ついに1コーナー手前のブレーキングでインから抜いた。おっかながらせて、悪いことしたなーと抜いてから思ったよ。ライヴァルとはあまり親しくなるもんじゃないね。だいたい、おらブレーキングで勝負しないんじゃなかったのか!しかもウェットだぞ。それにインから抜いちゃだめって言われてたよなー。ラッセルさんの言葉も、ケニーの言葉もすっかり忘れて、おらはあの瞬間は炎のTTと化していた。ストレートでなく、コーナー進入で抜くなんて初めての経験だ。サーキットってなんて素敵なの!しばらくして、後ろを見たら、900の兄ちゃんもNSRの坊やも視界になかった。よっぽどスピード差がないと、抜くってのは難しいってのがよーく分かった。その点、先週のWGP250第4戦、最終ラップで原田哲也を抜いた加藤大治郎のイン攻撃はすばらしかった。

 

15分走行と聞いてたが、随分長く感じた。いったいいつ終わるのって感じ。FISCOみたいな高速サーキットじゃないし、コーナーには結構バンク(斜面)があり、かつウェットだからそんなに寝かせてないので恐くはなかったが、いったい自分が何速で走ってるのかわからないのが気になった。だいたい回転数見てる余裕もなかったなー。多分ヘアピンは2速に入れてたと思う。1コーナーから後は、2コーナー前のストレートで3速に入れるまで、ずうーーっと2速に入れっぱなしでもそこそこ走れちゃう。でもこれはたぶん違うだろう。ダンロップ下で、ギア落としたとたん、急にトラクション失ってあわやとなった。なんとニュートラルに入れてた。同じこと二回やった。FISCOならホーム・ストレートで6速に入るから、ギヤ数え直せるが、ここじゃ最終コーナー手前のストレートでせいぜい4速150Km/hくらいまでしか使ってなかったから、走り始めてから一度でも何速に入ってるのかわからなくなると数え直せない。おらって情けないライダー。こんなことで困ってる奴他にいるのかしらん。だいたい、FISCOじゃギヤをこんなに気にする場面はなかったと思う。最終コーナーは、ブリーフィングでも説明あったが、建物が視界をさえぎり、いったいいつコーナー出口がやってくるのかわからず、最後まで全然攻められなかった。なんかいい目印ないかなー。

 

二輪用のシケイン出たとこでスロットル開けたら、フロントがズリ、ズリッといって、おっとろしかったー。リアが滑るんなら分かるけどこんなの初めて。何故?何人かに聞いたけど、炎の武田さんの言うのが当たってそう。車体起こしきってないうちに開け過ぎてグリップなくしたんじゃないかって。プッシュ・アンダーって言うそうだ。

 

それは8ラップ目の出来事だった。2コーナー手前のほぼ直線、でもわずかに左へのRがあり、最後までラインがつかめず、一番難しく感じてた場所。2コーナーの30mくらい手前だろうか。スロットル開けすぎたのか後輪が右に流れ、コース左にはみ出した!そのまま芝生の上をしばらく走った後、グラヴェルへ。FISCOのグラヴェルでの転倒の記憶がよぎり、もうあかん!と、思ったら左フェンスぎりぎりのところで転倒せずに停止できた。FISCOのように小石でなく、そんなに深くない砂のグラヴェルだったから助かった。すぐ火を入れ直し、モトクロス状態で砂の上をケツ振りながら脱出した。グラヴェルからコースへ戻った瞬間、グリップが急に回復し、あわや今度は、2コーナーの先端からコース・アウトしそうになった。監視ポストのオフィシャルの人達がおらの脱出劇を見て笑ってたから、おらも笑い返した。林にタイム・キーパー頼んでたが、この間20秒くらいロスしてた。この脱出劇で、相当抜かれたろうな。でも、その直後、おら生まれて初めてチェッカー・フラッグを見た。初めてのサーキット完走だ!

 

結局3台くらい抜いて、2台くらいに抜かれ、グラヴェル突入時には何台に抜かれたかわからない。計8ラップでファステストは136。FISCOのフリー走行と違って、前が詰まってたから、周回重ねても、タイムは1ラップ目からほとんど変わってない。

 

2ヒートだ。おら第1ヒート終了時に、もう十分楽しめたし、これ以上やると間違いなく限界超えて転倒すると思ったから、怖くてもう走りたくなかった。ホントにもういいと思って逃げ出したかった。で、第1ヒートで抜いた900の兄ちゃんの後ろに並んだら、最後尾になっちゃった。今度は絶対彼を追い越さないぞと誓った。どえらい待たされてる間にレース中の一台がホーム・ストレートでものすごい音たてて転倒し、救急車で運ばれてった。おっかねー。


0072 スタート待ちのおら

 

雨はもうそれほど降ってなかったが、コースがどれだけウェットなのかはよくわからない。今度も最初は我慢して走ってた。でもやっぱりあかん。だんだん炎のTTと化してきた。スタート前はあれだけ怖がってたのになんで?2ラップ目だったか1ラップ目だったか、なんと最終コーナーで3台いっきにごぼう抜き。すっごーーーーーい快感!この瞬間は忘れられない。その後はストレートで1台ずつ抜いていって、計7台くらい抜いたぞ。でも6ラップ目に先導車の佐藤さんがおらを周回抜きしてった。おら多少無理してもライン知るために、佐藤さんについて行こうと覚悟を決めた。ところが、佐藤さん何故かすぐにペースを落としはじめた。と思ったら、みんな2コーナー抜けてもインに寄ってる。よく見たら黄旗が出てた。既にチェッカー・フラッグ振られてたのだ。一人で熱くなってばかみたい。第1ヒートより2ラップ分走行時間が少なかったようだ。おら、FISCOでもそうだが、路面以外を見てる余裕が全くない。


0076 ホーム・ストレートでホンダ勢をぶっちぎるトライアンフ。でも静止画だから抜いてるのか抜かれてるのか、わからんよね

 

6ラップでファステストは最終ラップの130。第1ヒートから6秒短縮だ。全然分からなかったシケインのラインどりが、正解かどうか分からんが、自分なりにつかめた感じ。

 

走り終わってこんなに満足感を味わったのは初めてで、めちゃくちゃ嬉しかった。なんてったって、計14ラップもできて、グラヴェル突っ込んだけど転倒なしで、ゴボウ抜きまでしたんだ。40の大台にのった悲しみがふっ飛んだ。でもこのコンディションで誰も転倒しなかったってのは正直寂しい。炎じゃないのか、君らは!加藤大治郎みたいに転倒しなくて速いやつより、おらは芳賀紀行みたいにしょっちゅう転倒するファイターの方が好きだなー。

 

帰る準備してたら、P600レースに興味のある炎の武田さんがやって来て、「速かったですよ」と言ってくれた。武田さんは走ってなかった。でも、130におらは、がっかりしてた。そのこと言ったら、レイン・タイヤ使えば10秒以上差がでるからって。でも、MCFAJレースでの今日のファステストがこのコンディションでも、109台だし、このコースであれば、排気量の差はそんなに出ないと思う。スプロケットのセッティングによるギヤ比の違いは大きいかもしれないが、いくらなんでも20秒差はショック。レイン・タイヤで10秒、セッティング、ライテクで10秒って考えると簡単なんだけど、ホントはどこか決定的に違うところがあると思う。どんなタイヤ履いたって、テクあったって、おらとてもそんなタイムでウェットの路面走る勇気はないよ。尾田の四輪でのタイムが、109だと言ってた。四輪にはシケインないし、ウェットとドライの違いもあるからよく分からんが、尾田は結構速いんでないかなー。それでも四輪最速のやつとは10秒差あるって言ってたけど、いいなー。おらビギナーで初めてのコースとはいえ20秒も差がある。炎の走行会の幹事やってる本田氏が言ってた、ウェットで120が普通って、どんな普通なんだろ。峠小僧の普通か、筑波走行経験者の普通か、二輪はCBR900RRでの普通か?

 

佐藤さんの正体がわかった。柏在住の元国際A級で、何とお役人さんだった。でもワイルド7、つまり白バイ警官じゃない。ワイルド7集めようかな。佐藤さんは両国って感じ。おら八百がいいな。でも誰かに飛葉とられるのもしゃくだ。佐藤さんはこの日ホンダのVTR100(1000cc)に乗ってたが\50万で売りたいと。


4549 左からおら、佐藤さん

 

おらが武田氏に渡した名刺を本田氏が見て、おらんとこにやってきた。本田氏はおらの苦手な、おらよりもてそうな色男タイプだが、その彼が勤務地は違うがなんとおらと同じ会社に務めてると!たまげたなー。しゃべってると、やはり相当遊んでる男だと容易に想像がつく。炎の走行会受付にいた女の子も一緒に来た。そういや朝からずーっと彼女の視線を感じてはいたが、まあおらにはよくあることだから無視してた。ところが何とその女がおらんとこに来たのはおらが目的じゃなくて、TT600の色とデザインが気に入って見に来たんだと!で、またがりたいんだと。ガあーーーん。おらにまたがりたいってんならわかるが、TT600にまたがりたいだって?!この女には美意識というものがないのか。それとも照れくさくてTT600をだしに使ってるのか?でも、スナップリングのYukariさんもあの青を気に入ってた。女を引き付ける色なのか。おらの好みの青とは随分違うんだがなー。とにかく、男にも女にも、おらよりTT600ばかりがモテる日だった。

 

さっきの赤城の大将、小林君にタイム聞いたら、たぶん130くらいだって。同じジャン。嬉しいなー。おら腕磨いとくから、今度は並んでスタートしようね。でも、ホントに穴空いたメットは変えたほうがいいと思うよ。それだけ使えばもう十分じゃん。

 


4552 赤城の大将とCBR900RR

 

今度は、NSRの坊やが戻って来て、MCFAJのオーバー40(40歳以上のライダーだけのレース)で60歳の人が走ってたって教えてくれた。車種規制はないそうだし、タイムによっては、40になりたてのおらには、おもしろいかも。レース・リザルト(レース結果)が楽しみだ。サイドカーの走行を初めて見た。80ccクラスともっと大きいのの2クラスあるが、大きいのはど迫力だった。1960年以前に製造されたヴィンテージ・バイクだけのレースもあって一台炎上してた。おら初めてモーター・レースを生で見たけど、一ヶ所で見ててもどうもつまらんなー。マラソンとロード・レースは現地観戦よりテレビだな。おら8耐前日の4耐SS600レースを観に鈴鹿に行こうと思ってたけど、あほらしくなってやめた。鈴鹿行くとしたら自分で走るときだ。だいたいマンガ“ふたり鷹”の影響で耐久にも多少は興味はあったが、自分でサーキット走るようになって、かつWGP観るようになってから、耐久には全く興味がなくなった。太く短くがおらの信条。レースは耐久よりスプリントだ。テニスならロングよりタイブレークだ。K-1だって、短いラウンドでやるからおもしろいんだろう。今時ホセ・メンドーサと15ラウンドも戦うなんてのは時代遅れだ。おら、女だって、二回目のデートでものにならんかったらもう会わない。でもミサイルの射程は長い方がいいのだ。

 

ホセといえば、梶原一騎と少年マガジン。梶原一騎と少年マガジンといえば“愛と誠”。で、誠のセリフを思い出した。あれは確か誠の部屋の描写部分で、部屋に二枚のポスターが貼ってあり、なぜその二枚が自分の部屋に貼られる資格があるのか、誠が独り言でうんちくたれる場面。内一枚のポスターが四輪レース・ドライバーの写真で、そのドライバーは、他のドライバーが減速するコーナーを、減速しないで突っ込んで死んだから資格があるんだと言う。梶原作品の主人公は最期に死ぬパターンが多い。星飛行馬だって、新巨人の星なんてばかなまねしなければ、死んだも同然。誠も、ジョーも、伊達直人もみな死んだ。昔の劇画はこんなのばっかだったから、おらの小児体験として、劇的な死を望むのかも。でも、おらそのドライバーも、それを偉いと言う誠もあほだと思う。レースでの減速は止まる為じゃなく、曲がるためにすることで、減速しないから偉いなんて気違いじみてる。おらにそのけがないとは言わんが、おらは減速ポイントを我慢して遅らせてるだけだ。ちなみにおらの部屋には、“MAMMA MIA ! A NEW MUSICAL BASED ON THE SONGS OF ABBA”、“ABBA  SPETTACOLO” (ABBA The Movieのイタリア版)、“THAAD” (Lockheed Missiles & Space Company のTMD用長射程ミサイル)のポスターが貼ってあるのと、観戦に行って泣けた1999年名古屋ドーム最終戦での、優勝をほぼ決定付けた、山崎武司の逆転サヨナラ3ラン・ホーマーのパネルが飾ってある。誠と違って、おらはうんちくたれない。

 

やっぱり、おらのホーム・サーキットはFISCOだな。いくら面白いコースとはいえ、筑波の雰囲気はなんかなーだ。FISCOは確かに膝擦り楽しむコースじゃないが、100Rと最終コーナーの緊張感と恐怖感、富士山の景観、澄み切った空気、雄大で神秘的なたたずまいと自然の息吹きがたまらない。FISCOで死ねるなら本望だけど、筑波じゃ死にたくない。FISCOも最初に行ったときは、今はなき西ノ宮球場風でおんぼろだなーと思ったけど、この前行ったときは、レストランと売店が大改装されてて、神宮球場ぐらいにはなってた。

 

筑波の前日、久しぶりにスナップリングから自宅までTT600で走ったときは、そのパワーが恐ろしかった。おら高校生のときに友人の原付に乗せてもらったのが初めてのバイクの経験だが、原付でさえ馬力の凄さに驚いた。今おらが乗ってるTTはその何十倍もの馬力があるのだ。TTを高回転までひっぱって公道で走らせると、その加速感は非常識に凄くて、恐くてとても扱いきれないものだ。でも筑波からの帰路、高速道路やサーキットで走る分には加速感は緩和され、そのパワーが楽しめる範囲内であることを実感した。道幅が広いし、信号も対向車線も、歩行者もいないからだろう。

 

 

帰ってから、その日に録画放送してた全日本のスーパーバイクのレース@筑波を見たら、カワサキの井筒が最終コーナー回り切れず、コース・アウトして転倒してた。オーバー・スピードで回り切れず、スライド転倒する前にコース・アウトするってことは、井筒クラスでもあるんだな。あそこは相当バンクもあってコース幅も広いんだが、やっぱりブラインドのせいで難しいんだろう。

 

MCFAJ 2001 CLUBMAN ロードレース 2のリザルトがMCFAJのウェブ・サイトに出てた。決勝での主なクラス別の最高位のファステストと最低位のファステストはこうだ。

GPE125/GPN125: 109-118

Eプロダクション250/Nプロダクション250/プロダクション400: 111-121

GP250: 110-113

・フォーミュラ750/Eプロダクション750/Nプロダクション750/プロダクション600: 111-123

E/Nアンリミテッド、NKスーパー: 109-130

・オーバー40: 109-134

その他、クラブマン50、80ccサイドカー、WVCC (World Vintage)、サイドカー、4st ミニ60分耐久レースといった、ユニークなレースがあった。P600の混走クラスは10ラップで行われ、120平均で走ってる人は同クラスで周回遅れしてない。オーバー40は時間の問題から1ラップ減の5ラップで行われ、1位はCBR900。12名出走で全員完走、5名出走せず。128平均で走ってる人は周回遅れしてない。このクラスのレギュレーションを全く知らないので、もし相当チューンしてるとしたら別だが、この128はCB125JXのものだから600ccで130というのは恥ずかしい。あとは彼らがレイン・タイヤを履いてたかどうかが気になるところだ。レイン・タイヤというのを今回初めて見たが、トレッド・パターン(タイヤの溝)が違うというより、全く異質なタイヤだ。全クラス通じてのファステストは、サイドカーの107だった。

 

色男本田氏に前回までの本書をe-mail送信したら、返事の中にあまりにも感動的な部分があった。「現行のアギトはホンダスポンサーの都合でVTR100Fの改造車+普通のスタントマンなのですが、前作のクウガはGasGasのトライアルマシン+全日本クラスのトライアル選手なんでバイクスタントはめちゃくちゃ良かったです」だと。おら正直面食らった。確かに友人の大塚からアギトだけでなくクウガも見ごたえがあるって話を聞いて、おらクウガのビデオを借りてきて、途中まで観てる。でも大塚が真面目にアギトの話をするのは分かるが、あの色男がおらのあんなくだらん話に対し、非常におたくな情報を、さも当たり前のように返してきたのは驚きだ。ただの色男ではなかったのね。うれしいなー。同じバカ同士じゃん。同じ会社で仕事してるだけある。でも本田さん、君はエライ。TT600のフロント・ブレーキのストップ・ランプを瞬時に直しただけでなく、あの観察力はいったいどこから来るのだ!彼はTT600の駐車場所にあった微量なオイル痕に気がついたのだ。そう言われても、オイル漏れの修理直後だから、おらまさかTT600のオイルだとは思わなかったけど、帰ってみたらやっぱりTT600からオイル漏れてた。しかも彼のすごいのは、そんなに二輪のハードに強いのに、本職は半導体製造装置の制御技術部ソフト技術課なんて部署でソフトウェアの仕事をしてるってことだ。それにしても同じ会社に勤めてて、片やおらは武器商人。随分違うもんだ。ひょっとして、おらといっしょで、ホントは頭いいけど、バカのふりしてる?おら“炎のRR会”に対抗して、おらだけが会員の“本能のTT会”でも作ろかな。それともおらの得意技は、にせゴルゴの体文字の“炎”の方じゃなくて“命”だから、“命のTT会”でもいいぞ。

 

いやー、今回の筑波で一挙にサーキットの知り合い増えたなー。炎のRR会には感謝しなきゃなー。でも何故か年下ばっか。スズキ党もまだ現れない。MLBに行ったイチロー効果でスズキ人気に火がつくとも思えん。二輪サーキット野郎はみんな明るくて、親切で、人見知りしなくて、人間できてると思うぞ。テニスに関しておらは、大学の体育会、社会人仲間との練習試合、草トーナメントとやってきてるが、意外かも知れんが二輪サーキットと比べると、その世界は地味で二輪サーキット野郎とは正反対って感じ。一言でいうと人見知りが多くて、女にもてんようなやつらばっかだ。それにテニス自体はおら好きだが、日本のテニス界はなんか好きになれん。その昔、佐藤次郎というウィンブルドンのシングルス・ファイナリストがいたということはあまり知られていないが、日本テニス史上不世出のその男はデ杯がらみで日本庭球協会に自殺に追いやられている。きっと現在も日本のテニス界の体質は変わってないんだろう。日本のテニス界の考えはあまりにも古臭いのだ。松岡修造がんばれ!君ならやれる。

 

だいたい、日本人って欧米人に比べて、なんでこんなに非社交的で不親切なんだろ。身内の中ではそうでもないのに。外国行くと随分違うなーと思うし、日本に帰るとがっかりする。日本人に限らず、アジア系はみなそんなかなー。それと日本はおかみ(飲み屋のでなくて)の威光が強すぎる。政治家より官僚にメスを入れるべきだ。読者におかみが既に二人いるから、おらに先にメスが入るかも。

 

炎の走行会@筑波の写真が11枚も届いた。写真撮影、おらのフォームともどえらいうまい。サーキットのコース内から写真撮って貰えるなんてこと、普通ないわな。おら自分のフォームがあまりにもそれらしいのにビックリした。ただ、正面から撮った写真を見てイン側のつま先が外向いてるのにはガッカリした。そういや、峠やサーキットでもたまにやるが、寝かせてるときにイン足のつま先が路面に当たる。他の走行会に参加したことないが、格安で、面倒みよくて、なによりこんないい写真を得られるなんて、炎の走行会に参加しない手はない。炎の皆さん、参加費高くなっても、走行時間減っても、何してもいいから、是非是非、写真撮影だけはやめないでね。そうでないと、FISCOのサーキット・ライセンス持ってるおらは、FISCOでの走行会に参加する意味がない。残念ながら、次回の炎の走行会@FISCOが行われる日は、既にテニスの試合をエントリーしているので参加を見送るが、ドライでの筑波のタイムも知りたいから、炎の走行会@筑波がまたあれば参加したい。


0010 炎の走行会で撮ってもらったうちの一枚。一見まともなライダー。その実力は未知数だ

 

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