Round 1 サーキット恐怖症?!

2003.02.23

 

1年と2ヶ月ぶりに本書を執筆する気になった。いよいよ第2部の始まりだ。

 

2001年末に左肩を脱臼したときは4週間たっても、左手に何も持てないどころか、左腕の重さに肩の靭帯が耐えられず、机で左肘を付いているか三角巾をしていないと左肩の付け根が痛み、三角巾なしでは電車にも乗れない状態だった。会社では三角巾を外し、ケガをしていることを隠し通した。日常生活の不便さに閉口すること以上に、このままこの痛みが消えなかったらと思うととても不安で、おらはことの重大さを感じ、精神的にまいってしまった。こりゃ職業ライダーは大変だわ。今でこそサーキットの安全性が確立され、死に至るケースは珍しくなったようだけど、多くのプロ・スポーツの中で、ロードレースは特にケガが身近なスポーツだ。

 

今まで何人かから、無理をしないようにと言われ続けてきたが、おらはあまり気にしなかった。転倒し続けたとはいえ、いつのまにかおらは大きなケガをするとは考えなくなっていたからだ。おらは、そんなおらのサーキット通いを黙って許してくれていたかみさんがとてもいとおしくなった。おらが死ぬのは勝手だが、残されるかみさんは可愛そうだわな。

 

スポーツ診療のある整形外科にも行ってみた。おらのケガは2度の脱臼(1−3度まである)で、完全治癒することはなく、鎖骨の突起は元には戻らないそうだ。そんでもってまたやったら次はもっとひどくなるそうだ。これ以上ひどい3度の脱臼になったら手術が必要になると。2ヶ月間は安静にするように言われた。鎖骨骨折の方がましだったらしい。でも痛みは6-8週間でなくなると。おら、ホッとした。

 

6週間で痛みは消えた。しかし左鎖骨の突起はあいかわらずだ。これが右肩だったとしたら、しばらくは字も書けなかったし、テニスも二度とできなかったかもしれず、不幸中の幸いとしか言いようがない。仕事への影響や、これがもっと大きなケガだったらと思うとおらはサーキットが恐ろしくなった。懲りたって感じだ。引退の文字がちらつく。引退をを考えると、戦場から無事帰還したような安堵感を覚えるが(戦場に行ったことないけど)、同時に、始めたばかりのサーキットでやり残していることが多く、このままじゃやめられないという気にもなる。でも、今やめておけば少なくとも、利き腕の右手は不自由なく、テニスが続けられる。二輪サーキットは趣味でやるには危険過ぎるなー。今まで、ケガすることで、会社の上司からサーキット通いをやめるように言われることを心配していたおらだが、これはおら自身が決めるべきことだった。

 

 

2002年2月にFISCOのサーキット・ライセンスの更新時期がきて、おらは相当悩んだが、郵送で一応更新しておいた。ただ、2002年に新しくしょいこんだ仕事が大変だったこともあって、左肩の痛みが治ってもおらはサーキットに行く気がせず、とりあえず春が来て暖かくなるのを待っていた。と同時にほとんど引退を決めこんでいた。

 

 

2002年4月6日(土)に初めてかみさんをタンデム・シートに乗せ、SRV250で台場に東京モーター・ショーを観にいった。ウィリーを連発してたら、帰り道でかみさんを落っことして、膝を擦り剥けさした。

 

 

2002年4月14日(日)、そんなおらが、自分でも不思議だが、4ヶ月ぶりにFISCOに行く気になった。前回のこともあり一人では心配で、かみさんの運転する四輪ビーマーとおらの自走で行った。この日は排気量によるクラス別の走行で、かつ2ヒートに分けて走らされることになってた。今度こそツーリング走行に徹し、絶対転倒しないように走ると心に誓ったが、サーキットではそれは無理だと分かった。いざ走り出すと、どうしても攻めてしまう。前回転倒したサントリー・コーナー前のストレートこそ恐くてフル加速できなかったが、100R、最終コーナーは恐怖感なく、1コーナーも含めて右膝を擦った。ところが1ヒート目を終えてパドックに戻ると恐怖感でいっぱいなことに気がついた。走ってるときはそんなことなかったのに。今までこんな恐怖感は感じたことがない。いや、それよりも、走ってて前ほど楽しくないのが気になる。2ヒート目を走るのを躊躇していたおらだが、そこへ飯尾さんが現れた。おらは飯尾さんの後ろを走りたくなってコース・インすることにした。でも飯尾さんにはすぐぶっちぎられちゃった。一番イヤになったのはストレートでのウォブルをなくす為、ステアリング・ダンパーを外してみたのだが、最高時速250Km/hは出たものの、210Km/h以上ではウォブルが前より激しくなっていたことだ。とてもスロットル全開にできない。また最高速度に関してはいずれにしても250Km/h程度がTT600の限界で、これ以上は空気抵抗に勝てないって感じ。マシン・トラブルで結局4ラップ x 2ヒートで計8ラップしかできなかったが、そのわりに8秒台もでてるから、極端に遅かったわけじゃない。

 

でも楽しめないというのは問題だ。肩の脱臼で懲りたことや、仕事がどえらい大変で精神的に全く余裕がないこともあったが、何よりもサーキットへの情熱がなくなったおらの2002年のサーキット走行は、その後11月に四輪ビーマーで1回FISCOを走っただけにとどまった。残念だがこれでおらのサーキット人生は終わった。短かいが熱くそして悲惨なサーキット人生であった、と思っていた。

 

ちなみに1800cc、 DOHC、 NA、AT、140PSの四輪ビーマーでのファステストはセミ・ウェットで、219。ストレートでの最高速度は200Km/h。100R以外はアクセルべた踏み。ブレーキングはいづこも力の限り踏み込んでABSまかせ。ヘアピンとダンロップ・コーナーではスピンしまくり。周りのクルマがうまくよけてくれたから助かった。いくら馬力のないATでの走行とはいえ、二輪とは全く違う安全な世界。せめて200PSぐらいのMTでないとおもしろくないだろう。

 

Round yy.mm.dd Circuit Condition Machine Tire Laps Fastest Lap Fastest Time Km/h Crash

1

02.04.14 FISCO Dry T-TT600-2 DP D208GP

8

4

2'09

123

0

2

02.11.23 FISCO Dry BMW 318ti PL P6000

6

2

2'19

114

0

Total

 

 

 

 

 

14

 

 

 

0

2002年シーズンのおらのサーキット走行記録

 

 

8月にひとつ悲惨な出来事があった。バッテリーがあがってはいけないと思い、久しぶりにTTで自宅近くをちょっと走ろうとした。そしたらスロットルが戻らない。おっかなかったがその状態で走った。しばらく走って、2速から1速にシフト・ダウンするときにスロットルを開けたら、スロットルの戻らないTTが暴走しておらはひっくり返り、肘と膝にかなりの擦り傷を負った。幸いジェット・ヘルを被っていたから頭部のケガはなし。TTはフロント・ホイールが割れてしまった。

 

 

ときは流れ、2003年1月。おらは再び二輪でFISCOに行く気になっていた。月給取りの仕事が少し楽になったことと、2003年秋からトヨタがFISCOを大改修する予定で、2年ほどFIISCOが使えなくなるってのが大きな理由だ・・・と思う。今のコースで何とか2分を切っておきたかった。

 

バッテリーもあがって腐りかけてたTTを、国道16号線沿いに新装開店したスナップリングに預け、使い古したタイヤもミシュランのパイロット・レースM2(ソフトのS2、ミディアムのM2、ハードのH2がある)に履き替えた。申し訳程度にトレッド・パターンを入れただけのスリック・タイヤもどきのタイヤだ。ダンロップのD208GPで悩まされたウォブルがなくなるといいんだが。スプロケットもオリジナルの設定のフロント14Tリア42Tに戻し、最高速度より加速に振った。

 


0038 パイロット・レースM2

 

転倒派のおらは帰ってこれなくなるのがいやだし、寒くて自走でサーキットに行く気がせず、とうとうこだわってきた自走をあきらめた。あと3ヶ月で車検が切れるTTの廃車手続きをして、サーキット専用マシンにすることにして、ライトをはずした。ライトがあった場所は、フロント・カウルの裏からプラスチックの薄板をあて、ガム・テープでとめた。低回転域のトルクのない超高回転型で、110PSと公道では馬力過多で、足つき性が悪く、小回りするにはカウルが邪魔なTTで公道を走る気にはなれないからサーキット専用にしても惜しくはない。公道にはマシン性能を100%発揮できる、とろい2発27PSのSRV250がある。


0047 ぶかっこうなレース・カウルもどき

 

できれば観賞用にネイキッド2発のドゥカティ・モンスター600ccが欲しい。赤でなく青の!でも残念ながら日本には600ccは入ってこないし、800ccは入っているが青が入ってこない。ヤマハの2発TDM900も2003年モデルからチューニング・フォークのエンブレムがついて捨てがたいが、またがってみたら足つき性が悪かった。TDMに限らず、2002年モデルのR1に始まり、2003年モデルのR6、 XJR1300等多くのヤマハ車が、おらの望みどおりチューニング・フォークのエンブレムかプリントをタンクに持つようになった。これでヤマハの売り上げは伸びるぞ。TT600はというと、2003年から日本には入らなくなった。結局日本では10台も売れなかったらしい。

 

2003年2月1日(土)、10ヶ月ぶりのFISCOでの二輪フリー走行だ。初のトランポ使用でかみさんと行った。前日に自宅近くのトヨタ・レンタカーにビーマーで行って、ビーマー置かしてもらって軽トラ借りた。1日\6,300なりの幌付き軽トラのレンタカー。二輪をトランポに乗せる為のラダー・レールは、ホームセンターで\3,800で売ってた2mの作業用足場板を買って済ませた。二輪用のラダー・レールをまともに買うと1本\20,000以上するのだ。トランポ初心者のおらは二輪を押すおらの足場用も含めて2本買った。それと二輪をトランポにくくりつけるタイダウンなるひもを前後左右で計4本購入。FISCOに行く前夜にTTのエンジンをかけ、半クラで何とか軽トラに乗せたが、ラダー・レールから後輪が外れて大苦戦した。降ろすときはFISCOに来ると聞いていた飯尾さんに後ろから見てもらった。

 

飯尾さんが通うバイク・ショップSWINGの店長、飯倉さんも来てた。飯倉さんには、昨年のマシン・トラブルの際に直してもらったのだ。飯倉さんは2スト・レーサーTZ250でMCFAJのGP250レースに出てる。親切にいろいろ教えてくれる、話好きな人だ。飯尾さんと飯倉さんともう一人で去年のSUGO 6時間耐久レースを完走しているのは、飯尾さんのウェブ・サイトを見て知っていた。おらもそうだが、何故か二輪サーキット野郎の多くは自分のウェブ・サイトを持ってる。飯尾さんの話では、去年FISCOでジョーが派手な転倒をしたそうだ。

 

須走IC付近の外気温度表示は-9℃。晴天で富士山もくっきり見えるが、寒そうだ。寒いのはいいんだが、路面が冷たいと転倒しやすい。寒いからかこの日のFISCOはガラガラ。二輪フリー走行には10人ほどしか来ていない。この日は10:00-12:00の2時間も走行時間があるから、転倒しなきゃたっぷり走れる。ついでにこの日、FISCOのサーキット・ライセンスを更新した。3年目だ。

 

走り始めておらは愕然とした。やけに怖い!前回走ったときに、走り終わってから怖かったってのはあったし、今まで怖いと思ったことは何回かあったが、怖さの度合いが違う。今回は走ってるときに、どえりゃー怖い。ホーム・ストレートでの240Km/h、1コーナー手前のブレーキング、ヘアピン出口と、今まで何とも思わなかった場所まで怖い。いわんや100Rおや!サントリー・コーナーまでのストレートおや!なしてこんなに怖いのか。10ヶ月ぶりだから?違うと思う。初めてTTでFISCOを走ったときだってぜんぜん怖くなかったもの。そのときもホーム・ストレートで240Km/h出したし、1コーナーのブレーキングだって200mどころか150mなんてのもやった(グラヴェルに突っ込んだが)。ところが今回は200mどころか250mぐらいがやっと。全然余裕があるのに、200mまでブレーキングが待てない。1コーナー手前のブレーキング中に、みるみる1コーナーが視界に迫ってくるのが怖すぎる。今まで転倒することなんて考えながら走ったことなどないのに、転倒しそうな気がしてしょうがない。

 

怖がってるからか、走行ラインが定まらないし、イン足の置き場所がうまくいかなくて、ハングオフのフォームも決まらない。当然タイムも悪くて、こんなに怖がりながら走っても意味ないなーと思ったが、FISCOでどうしても完走できないおらにとって、今日はツーリングに徹して完走するチャンスと言い聞かせ、P-LAPに表示されるタイムを見ながら走り続けた。1ラップごとにタイムは1秒程ずつ良くなってるが、それにしても遅すぎる。ブレーキング開始位置が手前すぎるだけでなく、コーナーで全く寝かせられないから、結局一回も膝は擦らなかった。休憩とギア・ロッド外れにより計2回パドック・イン。計9ラップして9ラップ目の214がファステスト。これはおらがTTで初めてFISCOを走ったときのファステストと一緒。走行時間としてはおらのFISCO最長走行時間と同じ43分間だったが、何ちゅーことだ。何でこんなに怖いのか?走りこめば怖くなくなるんだろうか?今まで出くわしたことのない問題におらは直面した。本間師匠にも、飯倉さんにも、怖いのが普通で、怖くなければ危ないと言われたが、おらはいくらなんでも今回のは怖がりすぎだと思う。別に前回転倒したわけでもないのになぜ・・・。

 

逆に考えると何で今まで怖くなかったのか?おらは二輪に乗るやつらなら誰でも、サーキット行って楽しめると思ってたが、そうじゃないように思えてきた。峠は危ないけど、タイム計るわけじゃないから無理しないので怖くない。サーキットは安全だけど、タイム計って無理するから怖い。二輪に乗るからって、みんながみんなサーキットに来るわけじゃないのは、単にめんどくさいからだけじゃなく、やはりサーキットは別世界なのだ。

 

おらはこの日は相当ゆっくりのツーリング・ペースを余儀なくされたから、もう転倒するほど攻められないライダーになってしまったのではないか?なんていう身のほど知らずな悩みを持ち始めながら走ってた。しかし、ダンロップ・コーナー(最終コーナー前のシケイン)を右に入り、左に切り返してアクセル開け始めたところで、後輪を大きくスライドさせて転倒!おらは久しぶりのリア・スライドでゴロゴロ横に転げ、TTは芝生に寝そべってた。おらはTTを起こして何とかパドックに戻ったが、おらが無傷なのに対し、TTはかなりの損傷。シケインだからスピードはたいしたことなかったのになぜ?

 

TTは左ハンドルが折れ曲がり、フロント・マスタ・シリンダが壊滅し、フロント・カウルとシート・カウルが割れ、スクリーンが傷まるけで、フロントのサブ・フレームが曲がり、左ステップとシフト・ペダルが折れ曲がって、ガソリン・タンク左側がへこんだ。そういや、後輪が右にスライドして、おらはTTの左側に転倒したのに、何故かTTは右向きに倒れてた。どうやらおらがTTの左から落ちた後に、TTは逆にひっくり返って上から落ちたらしい。縁石にひっかかったか、TTだけがハイサイド?カウルの破片がかなりなくなっていることに気づいたおらはFISCOの事務所の人に頼んで、休み時間にカウルの破片を拾ってきてもらった。破片さえあれば、カウルはプラリペアで直せるのだ。


0034 スクリーンはもう使い物にならん

 

翌週の土曜日も2時間走行時間があるから、たっぷり走れると思ってたのに…。これじゃー練習する時間がとれずいつまでたってもちっとも速くならん。

 

ミシュラン・タイヤは偉い!最初の3ラップぐらいは、タイヤが冷えてたからか、新品だからか、ヘアピンやダンロップ・コーナーでツルツル滑ってたが、ストレートで240Km/h出しても全くウォブルなし。D208GPがひどすぎたのか?おら、二度とダンロップは履かん。

 

FISCOからスナップリングに直行。店長に助けてもらって軽トラからTTを降ろしたが、ラダー・レールはトランポに掛ける部分にベロがないと、段差のせいで後輪がなかなか乗らない。結局おらは足場板一本を人にあげて、\27,000.の折りたたみ式ラダー・レールを買った。

 


0027 トランポ初心者の図

 

それにしてもトランポで来て良かったー。TTはシフト・チェンジができないし、フロント・ブレーキも効かなくなってたから、自走での帰宅は無理だった。

 

TTの修理に\140,000以上かかってしまった。ホントもう転倒したくない。右カウルの修理をしたが、もうくっつきようがない部分があるだけでなく、全体的にどうしようもなく割れてた。フロント・カウル、シート・カウルも同様だ。


0049 シート・カウルをやったのは今回が初めて。接着剤とガム・テープでなんとかした

 

 

2月22日(土) 、07:00におらはまた軽トラ借りて、かみさんとFISCOに向かった。須走IC手前の気温表示は0℃で、雪がちらついてる。う〜さぶそう。ん?おらグローブ忘れた!自走だと忘れようがないグローブだが、トランポ初心者のおらはつなぎとブーツとフルフェイスしか頭になかったよ。おらはまるで空港まで行ってパスポート忘れたような気分でフリー走行をあきらめ、自宅に引き返した。その日は09:40-10:50の1時間走行だから自宅までとってかえして間に合う時間じゃない。帰る途中、もし飯尾さんが来てて予備のグローブ持ってたら…、とも思ったが、時既に遅し。普段スマートに行動するおらが、なぜにサーキットに関しては、こうも惨めな思いばかりするのか…。

 

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