Round 4 MAMMA MIA! Racing誕生

2003.04.09

 

4月6日(日)の2003 WGP第1戦日本グランプリ@鈴鹿でホンダの加藤大治郎が転倒し、頭と胸を打って未だ意識不明の重態だ。大治郎は2001 WGP 250ccクラスのチャンピオンで2002年からMoto GPクラス(2ストローク500ccと4ストローク990ccの混走)に転向した、日本人初のMoto GPクラス・チャンピオンの期待がかかるライダーだ。そして滅多に転倒しないライダーだったが…。なんとか回復してほしい。大治郎のような天才ライダーでも、サーキットでは大事故にあう危険性があるのだ。

 

 

とうとうレースに出場することになったおら。おらが出場するレースは、MCFAJクラブマン・ロードレースのオーバー40というクラス。その名のとおり40歳以上のライダーが出場できるレースで、FISCOでの去年のレース・リザルトを見ると速い人は1'49台で、遅い人は2'15台で走る。予選落ちがないからピンキリだ。P600クラスはおらには厳しいから諦めた。オーバー40ではスリック・タイヤは禁止だが、使用する二輪の排気量や気筒数の制限はない。だから、過去の出場者のマシンはほとんど150PS程度の1リッター・スーパースポーツだ。当然ストレートでは110PSの600では不利だから、コーナリング・スピードでカバーするしかない。ヤマハの1リッター・スーパースポーツYZF-R1を持つのは魅力だが、普段のフリー走行では、その馬力をもてあましてつまらないに決まっているから、1リッター・マシンに乗り換えるつもりはない。600だって馬力をもてあましてるんだから。でもオーバー40で表彰台を狙えるようなタイムを出せるようになって、かつ本書が売れて金が貯まったら、乗りかえるかも。

 

MCFAJへのチームの登録には最低4名必要だが、ロードレースBRCという方法であればライダー1名とピットマン1名の計2名だけで登録できる。おらはかみさんをピットマンとして登録した。おらのチーム、MAMMA MIA! Racingの誕生だ。諸費用はチーム登録に年間計\30,000とレースのエントリー費用が一回\13,000。また、前にも述べたが、レースに出場するには、レース経験があるか4時間以上のサーキット走行経験が必要。おらはレース経験ないが、4時間以上のサーキット走行経験がるので、走行時間証明書を提出して出場できる。

 

目標は、完走して、最下位にならないで、2ラップ目以降の全てのラップで2'10を切ること。おらが2'10を切り出すのはいつも7-8ラップしてからだから、2ラップ目から2'10を切るのは相当難しいだろう。でもそれをしないと最下位になる可能性がある。7ラップのレースだから、周回遅れになることはないと思う。でも150平均で走る人がいて、おらが210平均で走ってたら周回遅れになる。レースの日はP-LAPが拾う磁気信号が発信されないらしいから、走りながら自分のタイムを知る術がない。かといって、サイン・ボードなんか見てる余裕はないから膝の擦り具合でペースを確認するしかないだろう。また自分が最下位かどうかを走ってる最中に知る術もない。これはちょっと困る。

 

ウェット・レースになったら、ほとんどトレッド・パターンのないレース・タイヤではまともに走れないから、江場ちゃんの薦めもあり、おらはレイン・タイヤを買った。これもミシュラン・パイロット。でもウェットで走りたくはないから、ただただ晴れることを祈るばかりだ。

 


0023 ミシュランのレイン・タイヤ

 

それにしても数年前までサーキットで走るなんて夢にも思わなかったおらが、まさかレースにまで出場するなんて驚きだ。おらの減量は今のところ順調で、3Kg減りあと2週間で2Kg減らすだけだ。ここからが力石徹状態になるだろう。おらは血糖値が高いだの、中性脂肪値が高いだの、脂肪肝だのと人間ドックでたびたび脅され、減量を何度か余儀なくされているので、減量には慣れてる。

 

 

4月9日(水)、おらはまた会社休んでかみさんとFISCOに行った。本当は会社を休んでられるような状況ではないのだが、転倒した場合に修理をレースまでに間に合わせるには、この日走るしかなかった。つなぎの修繕はコミネ本社に電話でお願いし、なんとか間に合った。

 

気温11℃。晴天で風もなく絶好のフリー走行日より。富士山くっきり。なんとこの日も飯尾さんは会社休んできてた。MCFAJのP750クラスに出場するとのこと。この日は総勢30台ほどか。

 

おらはレースを念頭におき、1ラップ目から2'10を切ることをこの日の目標とした。しかし、スピード感に慣れるのには何ラップかしないとだめみたいで、1ラップ目は2'18で、2'10を切ったのは4ラップ目だった。いつもの7-8ラップ目よりはましだが、これではレースはちときついなー。でもおらは本番に強い…、と思う。

 

この日も前回同様転倒せずに結構走れて、5秒台だの4秒台だのが出たと思ったら、なんと10ラップ目には、またまた自己記録更新の2秒台が出た!これはこのまま走り続けて2分を切る絶好のチャンス、と思ったが、黄旗がでたり、集団に前をふさがれたりで、11ラップしてパドック・イン。根性なしのおらは、まだたっぷりと走行時間があったのに、自己記録更新したからいいやと思って、これで切り上げた。これ以上走るのも怖かったし、ここで転倒してレースの日にびびるのも嫌だった。ちなみに、この日は走る前は怖かったが、走り出すと1コーナーのブレーキングを除いて怖さはなかった。しかし贅沢を言うと、1秒ずつしか記録更新できないのはせっかちなおらには嫌になる。もうそろそろこのへんのタイムがおらの限界なのかしらん?いや、自己ベストは出たものの、この日のライディングはおらには納得がいかない。この日も100Rでちょっと膝を擦った程度で、ノーマル・ステップだったとはいえ2001年7月にスポーツ・タイヤで5秒を出したときの、全てのコーナーで膝を擦ったライディングには、寝かせぐあいで遠く及ばないからだ。特に1コーナーとヘアピンでのコーナリング・スピードはもっともっと寝かせて速くできる余裕があるはずだ。同じヘアピンで撮った今回の写真と2001年の写真を見比べたが、やはりマシンの寝かせぐあいにかなりの開きがあった。今回が50度ぐらいの傾きで、2001年のが40度ぐらいの傾きだ。これだけ寝かせ具合が違うとコーナリング・スピードもかなり違うはずだ。

 

この日の練習で、おらは今度のレースでのブレーキング・ポイントを以下のようにすることにした。

1コーナー:200m

サントリー・コーナー:100m

ヘアピン:70m

MCコーナー:50m

ダンロップ・コーナー:90m

 

FISCOに車載で来る連中は、マシンの燃費計算をして、容器に入れたガソリンを必要な分だけ走行前にタンクに入れる。おらはそこまでこだわらないで、車体を揺らして、タンク内にガソリンが見えればOKにしてる。

 

 

バカチョン・カメラ、そしてデジカメを使うようになって、20年くらい放っておいたマニュアル一眼レフのニコンFT2用に、望遠レンズを中古で買った。\7,000。その目的はサーキットでのおらのライディングをかみさんに撮ってもらうためだ。おらのデジカメのズームでは、撮影可能場所からコースまでの距離が遠すぎるのだ。あまり知られていないが、フィルム・カメラのネガは、フォト・ショップに出せばかなりいい画質のデジタル・データにおとしてくれるから、ウェブへのアップロードも可能だ。今回のFISCOで早速その望遠レンズを使って写真を撮った。


000022黄色いTTでのサーキット初走行

 

 

今回のイラク戦争では、なんと友軍機を打ち落とすといった失態を演じたパトリオット・ミサイルだが、北朝鮮の脅威が高まっている現在、日本でのパトリオット関連ビジネスは追い風にある。あまり知られてないが、航空自衛隊の7つの基地に、パトリオット・ミサイル(航空自衛隊ではペトリオットと呼ぶ)が配備されている。おおざっぱに言うと千歳、三沢、入間、浜松、岐阜、春日、那覇の各基地とその周辺だ。そのパトリオットは三菱重工業が主契約者となり、国内生産されている。米国が開発した戦闘機を初め、多くの武器を割高になっても国内生産しているのは、国内の武器生産技術の確保と、国内兵器産業の擁護のためだ。パトリオットは元々戦闘機を打ち落とす為に開発されたものだが、弾道ミサイルをも打ち落とせるように改良が加えられている。しかし現在の日本のパトリオットには、まだ弾道ミサイルを打ち落とす能力はない。パトリオットは湾岸戦争で初めて実戦で使用されたが、当時はまだ弾道ミサイルを打ち落とす機能を十分持ち合わせてはいなかったため、ほとんど当たらなかった。しかし、イスラエルの参戦を留まらせる効果はあったようだ。

 

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