Round 5 黄色いTTの最後
2003.04.26
日本GP@鈴鹿での事故から.2週間後、意識不明だった加藤大治郎が亡くなった。お悔やみ申し上げます…。それにしてもよりによってホンダのお膝もとの鈴鹿で大治郎が大事故に遭うとは。転倒した先のシケインは四輪用に今年改修されたばかりで、二輪には返って危ないとの前評判はあったらしい。大治郎は押しも押されぬ日本のエースだっただけに本当に残念だ。転倒の原因は未だはっきりしていない。でも誤解を恐れずに言うと、残された家族はかわいそうだけれど、カッコいい死に様だ。大治郎で印象に残っているのは、2001年のWGP
250ccクラスでのレースで大治郎が結果的に2位のライダーをブロックした形での優勝となり、「後味が悪い」というようなコメントをしたことだ。後続のライダーをブロックすることは、ブロック・ラインという言葉もあるくらいで、二輪のレースでは当たり前のことなのだが、大治郎はそれを潔しとしない男だった。その大治郎はFISCOでのGP250のコース・レコードを未だに保っている。1997年6月の“97富士スーパーバイクレース大会”での記録で、1’38”215。スリック・タイヤを使う2ストGP250レーサーとはいえ、誰かさんとは全く次元の異なるタイムだ。FISCOの改修と共にこのコース・レコードも消えていく。
ちなみにレース出場申込時には通称“死の誓約書”と呼ばれる誓約書に署名する必要がある。MCFAJの誓約書の内容は以下の通りだ。
“私は本大会に出場するに当たりMCFAJ競技規則に従いスポーツマンシップに則り行動いたします。万一事故により死亡、負傷及び車両等の損害については本人が一切の責任を負い、主催者、コース所有者、役員、競技関係者に対し責任を追及したり損害の賠償を要求しないことを誓約いたします。また、理由のいかんにかかわらず出場料の返還請求はいたしません。なお、死亡したときは相続人、並びに家族についても同様の効力を有することを誓約いたします。”
レース5日前のぎりぎりになってMCFAJからレースに関する資料が郵送されてきた。おらのゼッケン番号は12番。おしい!もう少し遅く参加申し込みをすればゴルゴな13番だったのに。でもこんなぎりぎりの平日になってゼッケン番号通知されても困るなー。かみさんにゼッケン・シールを買いにいってもらった。オーバー40は、出場者が14名で7ラップのレース。混走でない単独レースだ。全レースの合計参加台数は128台。オーバー40はA.V.C.C.(旧型ハーレーのワンメイク)の20人についで参加者が多いクラスとなっていた。
資料には、「フロントフェンダーをタイラップ等を使って固定しないこと。コントロールレバー(クラッチ、ブレーキ)に傷があるものは不可とする」とあった。おらはフロント・フェンダーをタイラップで固定しているし、TTを見たらクラッチ・レバーには傷があった。これももっと早く教えてほしかったなー。適当なネジをかみさんに買ってきてもらい、フロント・フェンダーを固定し、クラッチ・レバーは予備の新品に取り替えた。予備がなかったらレースには間に合わなかったな。
通常の土日祝日はFISCOの入場料は\1,600なのに、レース当日は\2,000。パドック・パスは通常無料が\1,000。おらはプロか?MCFAJ会員はフリーパスだ。
初めてのレースで心配な点がいくつかあった。
その1。フロント・ローからのスタートでない場合、たぶんスタートが得意であろうおらが、前にいる二輪と接触しないかということだ。江場ちゃんに聞いたら、奇数列と偶数列は交互にずれて並ぶから前の列の二輪は目の前にはおらず、間をぬっていけると聞き安心した。でも2列前を抜くなら、なんとかうまくかわすしかない。MCFAJの資料には5-4-5式とあったので予選9位内に入ればセカンド・ローだ。これを狙うしかない。
その2。ホーム・ストレートの中間にあるスタート位置から走り始めることなど普段はできないから、スタート直後の1コーナー手前でのブレーキング開始位置が全然分からないことだ。普段より50m奥の150mにしようかなー、と漠然と考えていたが、これが一番心配だった。
その3。十数台の二輪がいっせいにスタートするわけで、1ラップ目の1コーナーやサントリー・コーナーに進入する際に二輪同士が接触しないかということだ。ホール・ショット(真っ先に一つ目のコーナーに進入すること)を奪えばいいが、1リッター・マシンに比べて加速で劣る600だし、1ラップ目のブレーキング・ポイントがわからないから、おらにはたぶん無理だろう。
その4。P-LAPが使えないようだから自分が何ラップ走ってるかわからないし、普段のフリー走行でもチェッカー・フラッグを見るまで走りきったことなどほとんどないから、ちゃんと7ラップで走り終えることができるか心配だった。でもこれにはいいことを思いついた。トリップ・メーターをスタート地点でリセットし、4,416Km/周
x 6周 = 26.5Km となったところで、あと1ラップだとわかる。
その5。7ラップ完走してなくても、周回遅れになったら、その周回で終わりのようだが、もし6ラップ目を終えるぎりぎりで周回遅れになって、自分が周回遅れかどうかわからなかったら、もう1ラップするのかどうかがわからない。でもこれはMCFAJから送付されてきた資料に、「トップ走者がゴールするとき、そのすぐ前を走っているライダーがある場合はチェッカーと青旗を掲示する。この場合・・・その前を走るライダーは最終周を走っておりレースは続いていることを意味する」とあった。
おらは5Kgの減量に成功して、65Kgちょうど。ガソリン5リッター分の減量だ。短期間での減量だったから結構無理して、絶食を何日か繰り返した。その割にガソリン補給量には無頓着なおら。そして41歳11ヶ月のおらはレース・デビュー戦の前日を迎えた。体調良し。翌日の天気予報悪し。
4月19日(土)は、レース出場者の前日練習(フリー走行)とレース車検だ。
12:30
いつものようにレンタルした軽トラでかみさんと自宅を出発。もっと早くでる予定だったがレイン・タイヤを積むのを忘れて一度引き返したのだ。
0002 雲行きの悪い2003
MCFAJクラブマンロードレース1の前日
14:30 FISCO着。名古屋からメカニックやりに来てくれた江場ちゃんと合流。東京は晴れだったが、FISCO上空には重たい雲が。受付を済ませ、プログラムと参加賞のタオルとシールをもらい、計測器を借りた。次はレース車検だ。フルフェースは傷が心配だったが無事通った。つなぎも問題なし。二輪の方は、ライト、バックミラー、ウィンカー、サイド・スタンド、センター・スタンド、同乗者用フットレスト、ナンバー・プレートを取り外さなければならないことになっていたが、今までのTTで新たに取り外さなければならないのは、サイド・スタンドだけ。これは1週間前に外しておいた。ワイヤー・ロックに関しては、オーバー40だけはオイル・ドレイン・ボルトとオイル・フィラー・キャップだけでいいことになっていたが、ブレーキ・キャリパー他のワイヤー・ロックもした方が望ましいと指摘を受けた。
0004 レース車検
0014 車両合格証
車検場の近くにラッセルさんがいて久しぶりに話した。MV
AGUSTA F4のワンメイク・レースにでるんだと。MV
AGUSTAは二輪のフェラーリと呼ばれる超高級車。そんなバイクでサーキット走るなんて並大抵の金持ちではない。
明日の天気予報は90%の確率で雨。ミシュラン・サービスの人が、明日になるとタイヤ交換はとても混むから今やっておいた方がいいと言う。そこでこれからレイン・タイヤに変えることにした。買っておいたジャッキでTTの前輪を持ち上げ、江場ちゃんがフロント・ホイールを外し、おらはそのタイヤ付きのホイールとレイン・タイヤをミシュラン・サービスに持ち込んだ。ミシュラン、ダンロップ、ブリヂストンの中では、ミシュランが一番コントロール・タワーに近いところに店を構えてる。\1,050で前輪のタイヤ交換とホイール・バランスの調整をあっという間にやってくれた。
0008 ミシュラン・サービス
TTのところに戻ると、強風でTTが右側に倒れたと!ジャッキ・アップしたのが失敗だった。で、ジャックという名の外国人がフロント・スタンドを貸してくれたと。おらはお礼を言いにジャックのところに行ったら、彼はおらが2年前に転倒して肩を脱臼したとき、そのフリー走行前に話したことのあるスズキGSX-TL1000Rに乗ってるライダーだった。あのとき、おらが転倒ばかりすることを彼に話したら、彼は「ツーリングすればいい」と言ってた。1'54ぐらいで走ると聞いたが、なんとおらと同じオーバー40に出場するんだと。強敵現る!
リア・ホイールはTT 1号機のホイールにレイン・タイヤ装着済みで持ってきていたので、そのままホイールを江場ちゃんに交換してもらった。TT
1号機のフロント・ホイールは昨年割っちゃったのだ。その後江場ちゃんはおらがさわったことのないフロント、リアの伸び側、縮み側のサスペンションのセッティングをしてくれた。
0015
江場ちゃんのサス・セッティング
この日の練習は、フリー走行をMCFAJレース参加者だけが行えるというもので、別に走っても走らなくてもいい。下手に走って転倒してTTが壊れたら嫌だったし、明日はウェット・レースだからこの日走っても練習にはなるまいと思っていたが、新品のレイン・タイヤの皮むきの為には走ったほうがいいのかなーとも思っていた。でもTTいじってるうちにフリー走行の時間は過ぎてしまった。
飯倉さんにウェットでのブレーキング・ポイントをどう設定すればいいのか聞いてみた。飯倉さんはアクセル戻してから、ブレーキングまでの時間をあけ、しばらく惰性で走るとのこと。
江場ちゃん、かみさん、おらはFISCO近くの江戸屋という旅館に泊まった。おらは久しぶりにまともに飯を食った。ウェットでのブレーキング・ポイントについて聞きたくて、本間師匠に電話し、久しぶりに話した。師匠は、「何回もかけ直すことになるかもしれないが、幾分手前でブレーキングする。ウォーム・アップ走行時に水溜りのある場所をよく確認しておくように。最下位になることだけを避けて、完走を目指すように」と。大ケガしたと聞いていたので心配してたが、あいかわらず明るくてかん高い声を聞いて安心した。
4月20日(日)のレースの日は朝になって雨が降りだした。富士山見えず。この日はレース車検、タイム・アタック、そして決勝だ。おらはレース車検を前日に通しているので、タイム・アタックに集中できる。1台でピット一つ独占なんて贅沢だが、雨を避けるため\9,000なりで初めてピットを借りた。ラップ・タイム・モニターもあるぞ。ジャック他数人が隣のピットを借りてた。
0026 おらが借りたピットと軽トラ
以下はこの日のスケジュール。
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03 CLUBMANロードレース1
2003年4月20日 富士スピードウェイ 参加台数:128台
AM 6:30 ゲートオープン
7:30〜 9:30 公式車両検査
7:30〜 7:45 開会式&ライダースミーティング
タイムアタック/フリー走行
●=タイムアタック
スタート前チェック
○=フリー走行 クラス
@ 7:40〜
● 8:00〜 8:12 GP-E125 (13台)/GP-N125 (
6台)
A 8:02〜
● 8:22〜 8:34
Nプロダクション600(11台)/プロダクション250 (
9台)/プロダクション400 ( 2台)
B 8:24〜
● 8:44〜 8:56 Nアンリミテッド (12台)/Nプロダクション750(
5台)/NKスーパー ( 1台)
C 8:46〜
● 9:06〜 9:18 Eアンリミテッド ( 9台)/Eプロダクション750(
7台)/Eプロダクション600( 4台)/GP250 (
5台)
D 9:08〜
● 9:28〜 9:43 オーバー40 (14台)
E 9:38〜
● 9:53〜10:05 MV-F4 CUP(11台)
F 10:00〜
○ 10:15〜10:30 A.V.C.C. (19台)
■リタイヤ車引き上げ(17分)
決勝レース
スタート前チェック〜サイティング〜選手紹介
スタート〜ゴール 周回 クラス
@ 10:30〜 10:50〜11:10
10周 GP−E125/GP−N125
A 11:05〜 11:25〜11:45
10周
Nプロダクション600/プロダクション250/プロダクション400
B 11:40〜 12:00〜12:20
10周
Nアンリミテッド/Nプロダクション750/NKスーパー
C 12:15〜 12:35〜12:55
10周
Eアンリミテッド/Eプロダクション750/Eプロダクション600/GP250
■リタイヤ車引き上げ(20分)
走行会
スタート前集合
コースイン〜コースアウト 走行時間
1) 12:55〜
1:15〜 1:35 20分間 炎の走行会-@
2) 1:20〜
1:40〜 2:00 20分間 コルセ走行会 -@
D 1:50〜
2:10〜 2:30 8周 MV-F4チャレンジカップ
E 2:25〜
2:45〜 3:05 7周 オーバー40
F 3:00〜
3:20〜 3:35 7周 A.V.C.C.
■リタイヤ車引き上げ(15分)
※体験走行(5周)雨天の場合中止
走行会
スタート前集合
コースイン〜コースアウト 走行時間
4) 3:30〜 3:50〜
4:10 20分間 炎の走行会-A
5) 3:55〜 4:15〜
4:35 20分間 コルセ走行会 -A
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実はおらは今回のレースを無難に走って完走さえすれば最下位はないと考えていた。しかし、なかなか2分を切れないFISCOが9月から長い改修工事に入る為、このレースでおらが本気になることで、転倒のリスクを冒してでも2分を切る走りをしようかとも考えていた。そしてこのレースで最下位にならず、かつ2分を切ったら本書を完結させ、次回からは“おらのステキなサーキット人生!”を執筆しようと考えていた。しかしウェットで2分を切るのは無理。“ステキな”は諦め、無難に走って最下位突破を目標とした。
07:30-07:45開会式とライダース・ミーティング。ここでスタート方式の説明があった。昨年まではWGPのように、赤が消灯して青が点灯したらスタートだった。しかしWGPのスタート方式が、赤が消灯したらスタートとなったため、同じようにするつもりだったらしいが、FISCOの信号がこれに対応できないとのことで、従来方式のスタートになったと。また、雨で時間がおすので、各クラス1ラップないしは2ラップの減周になると。
昨日かみさんがTTからオイルが漏れているのを見つけ、江場ちゃんが心配していたが、「いつもオイル・ドレイン・ボルトからオイルが少しずつ漏れる」とおらが江場ちゃんに話したので、そのままにしていた。だが、江場ちゃんはオイルの漏れがオイル・ドレイン・ボルトからのものでないことをタイム・アタック前に見つけ、タイム・アタック中にエンジンに少しでも不調があれば戻るようにおらに指示した。江場ちゃんは「タイム・アタック後、カウルを外してオイル漏れの原因を究明する」と。
江場ちゃんから目標タイムを聞かれたので、おらのベストの2'03にウェット分として15秒をたし、2'20と答えた。
今年に入ってサーキットを走るのが怖くてしかたなかったが、この日はわくわくした。ただスタート直前になると、ウェットで走るのが怖いのか、いやに落ち着かなかった。戦場に赴く気分だ。ボクシングの試合前なんかもこんなだろうなー。グリッド順なんてどうでもいいから、とにかく転倒だけを避けて、慎重に行くことを心がけた。
0028 出走前のTTとおら
09:28-09:43の予定だったオーバー40のタイム・アタックは30分ほど遅れた。タイム・アタックでの予選落ちはないが、2ラップ以上の走行が義務付けられており、タイム順に決勝のグリッドを決める。さて、いよいよだ。走行前にも簡単な車検を受けることになっている。おらはオイル漏れを指摘されないか心配だったが、無事通過。雨脚は結構強い。
14人のエントリーのあったオーバー40だが、タイム・アタックに現れたのは7人だけ。レイン・タイヤを持っていない人は皆棄権したんだろう。スナップリングのYukariさんから、村崎さんというレース経験者が、おらと同じオーバー40に参加すると聞いていた。おらのTTを見て笑いかけてきた人がいたので、「村崎さんですか?」と聞いたらそうだった。ヤマハSZR660というシングル・エンジンに乗る村崎さんは、スナップリングでデイトナ996を買ったが、事故って今は使えないそうだ。
レースの日はパドック内でのエンジン始動は禁止されており、ピットからレース前の車検場所、そしてピット・ロードまで、マシンを押していかねばならない。やさ男のおらにはそれがきつかった。大汗かいたぞ。タイム・アタックのスタートまでかみさんにアンブレラ・ガールを演じてもらった。だって本当に雨が降ってたんだもの。もうどしゃぶりになっていた。
0030
初公開のかみさんとおら。左は村崎さん
ピット・ロードから2台づつ黄旗で出走。第1陣はジャックと他のライダー。おらは村崎さんと共に第2陣。いよいよ初レースだ!出走直後、おらは村崎さんの前に出た。0ラップ目はジャックを追っかけゆっくり走る。ジャックも相当ゆっくりペースだ。レイン・タイヤは思いのほかグリップがいい。ところが1ラップ目の1コーナー手前で前輪が小刻みに揺れた!今まで感じたことのない揺れだ。恐ろしくてペースを極端に落としたところを村崎さんに抜かれた。おらはもうタイムのことなど一切考えず、転倒しないようにおもいっきりゆっくり走った。すると300Rで後続の1台に抜かれた。と思ったら300R途中でその1台が転倒。おらはその先のダンロップ・コーナーの入り口で大きくリアを滑らしあわや転倒というところだったが、スピードが遅かったのでなんとか持ちこたえた。しかしその先の最終コーナーでエンジンの回転数が上がらない!コース出口前でとうとうエンジンが止まりかけた。おらはことの重大さを知り、パドック・インした。結局1ラップもできず、公式結果は“計測出来ず”であった。それでも決勝に出れるか聞いてみたら、グリッドが一番後ろになるだけとのことだった。しかしおらはこのエンジンは“いってる”かもしれないと感じていた。そこからピットまでTTを押していくのは辛かった。
0034 ゼッケン12番のリザルトのないオーバー40のラップ・タイム・モニター
カウルを外して、江場ちゃんがオイル漏れの原因を突き止めた。オイル・プレッシャー・スイッチが割れてて、それを止めるナットが緩んでいたのだ。割れたのは昨日TTが強風で倒れたときだろう。ナットが緩んでいたのは、実は前々回のFISCOでおらが右に転倒したときにオイル・プレッシャー・スイッチが割れて、部品を取り寄せ、店長に簡単にできるといわれて、おらが自分で取り付けたのだ。大きなナットだったので、おらの持ってるレンチでは合わず、プライヤーで締めたんだが、それが緩かったんだろう。それで、オイル・プレッシャー・スイッチが折れたときにナットが緩んで、その部分からオイルを撒きながら走ってたんだろう。ジャックがコース上にオイルが浮いてたと言ってた。かみさんにオイルを買いに行かせて、TTにオイルを入れたら、4リッター近く入った。エンジン・オイルはほとんどない状態だったのだ!エンジンはかかるが、異音がする。決勝に出るとしたらエンジンはだめになる可能性があるが、出るかどうか、という選択をしなければならなくなった。しかし、スロットル開けても回転の上がり具合が遅い。江場ちゃん曰く、このエンジンはもうだめだと。おらどえらいショック!決勝に出るどころか、TT
2号機をパアにしてしまったのだ!オイル漏れでエンジンだめにしたのはこれで2回目だよ。おら大損害。まったく、師匠にも、レースに出ることを話しておいた岡田にも合わせる顔がない。最悪のレース・デビューとなってしまった。
0040 割れているオイル・プレッシャー・スイッチ
ジャック、そして村崎さんが心配しておらのピットにやってきた。おらはリタイヤせざるを得ないことを説明した。タイム・アタックは村崎さん、ジャックの順で僅差の1、2位となっていた。
第1レースの決勝が始まった。四輪でレースやってる尾田が友達一人連れておらを応援に来てくれたが、おらの勇姿を見せることができなくて、申し訳なかったなー。でも江場ちゃん含め3人は決勝レースを楽しんでた。特に江場ちゃんは本当にレースが好きなようで、落ち込んでるおらをよそにレースに夢中になったり、隣のピットに行って他のライダーと話したりしてた。雨中のホーム・ストレートを250Km/hで突っ走るライダーを見ていると、おらは自分が走ってるとき以上に恐ろしくなった。こんな雨の中、二輪でサーキット走るなんて正気の沙汰じゃない。
ピットで途方にくれていたおら。そこへ加藤大治郎の訃報がとびこんだ。これは人ごとじゃない。サーキットは危険な場所なのだ。おらはマシンを失ったが、まだ命がある・・・。
しばらくして霧が出始め、結局決勝はオーバー40を含め第3レース以降は中止となってしまった。決勝が終わっていない年間タイトルを決めるクラスは7月5日(土)のFISCOでの第3戦に2レースやることになり、オーバー40等年間タイトルを決めないクラスでこの日の予選に参加したライダーにはレース参加費が半額返金されることとなった。
0044 FISCO名物の濃霧。こんな霧の多いところにF1誘致して大丈夫かしらん
MCFAJのウェブ・サイトに掲載されたオーバー40のレース・リザルトは以下の通り。
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* 第6レース
富士インターナショナル
スピードウェイ(4.416km) *
*
2003 CLUBMAN
ロードレース1
オーバー40 公式予選総合結果
*
*2003.04.20
天候 : 雨
コース状況 : ウェット
SEIKO TIMING *
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位 車番 ライダー
型式
車 名 (チーム名)
ベスト タイム 周回 トップ差 km/h
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1 10
村崎則征
Y-SZR660 Team
LANG
2'34.300 3
103.030
2 8 Jack
DeAndrade S-TL1000R
BAD KARMA Racing 2'34.641
3 0'00.341 102.803
3 9
大平博志
S-GSX-1000R NNRC
ガレージコーナーオートボーイ 2'46.610
3 0'12.310 95.418
4 11
小山和秀
H-VFR800 Team LANG
2'52.729 4 0'18.429 92.038
5 3
青木一雄
Y-XS-1'70 チーム
ハイスピードあおき 3'02.855
4 0'28.555 86.941
4 笹生 彰
K-ZX-9R RRワンデーライセンス
計測出来ず 1
12
デューク南郷
Triumph-TT600 MAMMA MIA! Racing.BRC 計測出来ず
1
1 鈴木俊彦
H-RS125R
ミクロモトリクラブ.BRC
未出走
2 大内貞人
S-GSX-R1000 RRワンデーライセンス
未出走
5 望月則政
K-ZX-12R RRワンデーライセンス
未出走
6 大久保 修
Y-YZF-R1 プライベートレーシングチーム
未出走
7 鎮目泰人
BIMOTA-YB8 Team Tortoise&AIR
未出走
13
内藤信男
Y-FZR750R レーシングチーム
100R
未出走
14
木村良一
MUZスコーピオン 城南テクニカルスポーツクラブ
未出走
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おらは一応エンジンの具合を見て貰おうと、TTを店長不在のスナップリングに預けて帰宅した。後日店長がエンジンを始動させたところ、このエンジンはもうだめと。悪いことは重なるもので、おらは月給取りの仕事でもひとつは社内の、もうひとつは顧客に関してどえらい問題を二つ抱えていた。
サーキットに通い出してからというもの、おらには悲惨な出来事ばかり続いたが、これはだめ押しだ。もしおらが既にFISCOで2分切ってて、一度でもレースに出て最下位になっていなかったら、おらは二輪サーキットという趣味をここでやめていたかもしれない。しかしおらは3台目のサーキット・マシンを物色し始めた。FISCOが閉鎖される9月まで、おらにはあまり時間がないのだ。それにFISCOでの最後のオーバー40レースが一戦残ってる。これにはなんとしても出場したい。
村崎さんからe-mailが来た。村崎さんの所属するTeam
LANGへのお誘いだ。Team LANGは厚木にあるLANGというバイク・ショップを母体としている。2001年に飯尾さんにもチームに誘ってもらったことがあるが、そのときはおらはレースに出ることなく、サーキットを去っている。厚木ならそう遠くはないし、せっかくのお誘いだから、おらはTeam
LANGに入れてもらうことにした。
さて、次なるマシンを探さねばならない。おらはまず中古のTT600が安く手に入らないかスナップリングで探してもらったが、他店に新車価格相当の2002年モデルが2台あるだけと。新車を買う金はもうおらにはない。あとはホンダが格安で販売している、ライト等の保安部品を取り外したレース・ベース車のCBR954RRとCBR600RRのホワイト・バージョンと呼ばれるものがある。店長に聞いたらCBR954RRは在庫があると。しかしヤマハ信者のおらがホンダに乗って良いものか。おらが巨人のユニホーム着て野球をやるようなもんだ。
次にヤマハYZF-R1とR6の中古を近所で探したら、走行距離1,000Kmで程度のよさそうなR1が\67万であった。しかしそれをレーサーにするには\15万はかかるだろう。それに1リッターで2分切るのは簡単だろうが、なんかスッキリしないし、150PSは危険な領域をはるかに越えている。オーバー40で優位に立つには1リッターだが、レースに勝つことより、エンジン・パワーを使いきってサーキットを楽しむことを優先しないと、おらはサーキットに通わなくなりそうな気がする。だいたいおらはコーナリングを安全に楽しむためにサーキットを始めたんだから、600ccでもオーバー・スペックなのだ。
TT 1号機のエンジンをだめにしたとき、全日本ヤマハの吉川選手が出入りしていたバイク・ショップ、モーターサイクルショップ カタクラを見つけR6の中古を探してもらったことがあった。で、今回も聞いてみた。シーズン前にはR6があったそうだが、今はR1、R6ともなし。おらのマシンが何か聞かれたので、トライアンフのTT600と答えたら、店長の河幡さんもFISCOに行くようで、なんとおらのことを知ってた。「トライアンフの元気のいいの」という評判があるそうだ。「レプリカのメット被ってるでしょっ」て言われたし、他にトラでFISCO走ってる奴などいないはずだから、間違いなくおらのことだろう。深くは尋ねなかったが、「元気のいい」ってのはたぶんよく転倒するってことなんだろう。あるいはカウルの割れが激しいことからそういう評判になったのかもしれない。
TTでここまでやってきたのは純粋にレースのことを考えれば選択ミスだったろうが、これだけ目立ってたってことはそれなりの意味があったと思う。またおらが国産に乗り換えることを二輪音痴の先輩に話したら、「国産なんて南郷らしくないなー」なんて言われた。つまりTTはTTで一つの選択だったわけだ。TTよ今までありがとう。おかげでおらは芸者の道を究めることができた。芸者を相手にするのは思いのほか難しかったぞ。
次におらはライディング・スポーツに載ってたレース仕様コンプリート・マシンを手がけているバイク・ショップ3店に、R1とR6の中古のレース仕様コンプリートがないか問い合わせた。シーズン・オフなら結構あるようだが、時期が悪かった。でも埼玉にあるファイヤーガレージという店で、2000年型R6のコンプリートが\55万であるとのこと。もてぎの2耐と3耐、そしてサンデー・レースに6回使ってる無転倒車だと。走行距離は4,500Km。江場ちゃんに相談したら、2耐と3耐で使ってるのがひっかかるようで、やめた方がいいと言う。しかし4月26日(土)に、おらはその店に行ってみた。お店でR6のエンジン軽く回して、外観見てその場で決めた。R6といえば大概カラーは赤だが、おらの好きな青だったのが気に入った。すっからかんのおらは初めて人に金借りた。かみさんからだ。おらは人に金借りるのが嫌いで、ローンで物を買ったことさえないのに。
2000年型YZF-R6のST600レース仕様(リヤサスをノーマルにすれば)の主要諸元は、以下のとおり。
アールズ製メッシュホースF
メタリカ製ブレーキパッド
FRPカウル(おそらくKDC製)
ドッグファイト製フロント・スプリング
モリワキ製フレームスライダー
キャブキット(RC SUGO)
オーリンズ製リヤショック
ピレリ製ドラゴンスーパーコルサ
WR'S製バック・ステップ
その他フロント、リヤのスプロケット数枚がつく
0003 3台目のおらのサーキット・マシンYZF-R6。実質2年のサーキット・シーズンで3台のマシンとは、プロ並みに贅沢だ。これでおらの持ってる二輪で動くのはヤマハが2台。おらは完全なヤマハ信者となった
岡田に今回のレースの話をしたら、「転倒せんでよかったね」と。おらは転倒は慣れてるがマシンを壊したのがショックだったのに。でもまあ、そういう考え方もあるわな。おらのかわりにTTが壊れたと考えよう。岡田はエンジンの壊れたTT
2台を是非くれと。名古屋から取りに来ると言う。何とか直して走れるようにしたいそうだ。ホントに直るんだろか?捨てるつもりだったからOKした。ただホイールがもしR6のものと互換性があればホイールだけはレイン・タイヤ用にとっとく。
大治郎の件もあったし、おらはサーキットで死んだ場合に生命保険がおりるのか生命保険会社に問い合わせた。職業ライダーでなければ、保険はおりるとのことだった…。