Round 10 200Km/hコーナリング中での転倒!
2003.07.06
おらは今回入院中の病院で本書を執筆している。とうとう大ケガをしてしまった…。
6月26日(木)、おらは会社を休んでかみさんとFISCOに行った。晴れてたのに須走前の篭坂トンネルを抜けると一転曇り。19℃。雲で富士山見えず。この日は09:00-12:00と、空いてる中たっぷり走れるが、今回はファイナル(今回リア・スプロケットを2丁増やしてる)をロングにしたことによる、シフト・アップの場所の違いをレース前に確認することだけが目的だ。
何とおらが止めたクルマの隣にジョーがいた!15ヶ月ぶりのサーキットだと。中古のトランポ買ってR6もレース仕様にしてた。今日は久しぶりで怖いからツーリングすると。
0108 久々復活のジョー
第1ヒート。1ラップ目から10秒切った。このところおらのタイムはかなり安定してきている。ホーム・ストレートでの6速の回転数は、ぎりぎり15,000rpmのレブ・リミットいくかどうかというところだから、スプロケットのセッティングはよさそう。3速、4速へのシフト・アップの場所は以前とさほど変わらない。しかしその後何ラップしても3秒を切れない。最高速より加速に振った方が良いのだろうか。6ラップしかしてないのに太ももが疲れてパドックイン。ジョーはこれでもかってくらいゆっくり走ってた。
もうやめとこうかなーとも思ったが、基本料金の30分は走らなきゃもったいないと思い、20分程休んで第2ヒート。やめときゃいいのに。加速感に慣れすぎたのか、ファイナルをロングにした為か、加速が悪いなーと感じてた。だから最終コーナー出口のフル・バンクに近い状態で、なんのためらいもなくスロットルを全開にしてた。3速のレブ・リミットが190Km/h程度だから、4速で加速途中の200Km/hぐらいの速度でのコーナリングだ。
9ラップ目の最終コーナー出口でその転倒はやってきた。フル・スロットルでも怖さがない。そこでいきなり後輪がスライドした!と同時に「おら死ぬ!」と思った。縦に1回宙に舞った感じで、後頭部をおもいっきり打ったのがわかった。次の瞬間おらはコース脇のクラッシュ・パッドの横にうずくまってた。クラッシュ・パッドに止められたのはこれが初めてだ。R6はおらより前方15m程のクラッシュ・パッドの横で止まってた。最初は、初の転倒となったR6のことが心配になった。かなりのダメージがあるはずだ。しかしもっと大変なことが。おらは左足の膝に力が入らなくて立てそうにない!おらはそのままうずくまってた。右肘がヒリヒリする。目の前にヘルメットのシールドが外れて落ちているが手が届かない…。
なかなか転倒しないR6に甘えてたのと、最終コーナー出口をなめ過ぎてた。4速の登りでそれほど加速してるとは思えなかったから、最終コーナー出口でオーバー・パワーにより後輪がスライドするなんて、おらはいつのまにか考えないようになっていた。それでスロットル気前よく開け過ぎた。200Km/hでコーナリング中の転倒。これ以上恐ろしい転倒が日本のサーキットで他にあるだろうか。FISCOの100Rと筑波の最終コーナーも恐ろしいが、所詮3速での速度だ。SUGOに高速コーナーはない。もてぎも4速で寝かせるところはないと思う。鈴鹿はわからん。高速でのコーナー進入には度胸がいるが、スロットル開けながらコーナーで高速に持っていくのはさほど怖くないのが落とし穴となった。タイヤも200ラップ使ってそうとういってたから、限界だったようで、後で江場ちゃんに聞いたら50ラップぐらいで交換した方が良いと。
しばらくして救急車が来て担架で運ばれ懐かしの医療室へ。例の看護婦さんがいた。モニターでおらの転倒を見てたとのことで、「勢いよく飛んだ」そうだ。足が痛くてつなぎを脱ぐのに往生こいた。左膝だけでなく左足首も痛くて動かせない!膝と足首にシップしてもらった。ぶあつい革つなぎは軽く擦れた跡があるだけなのに、右肘には大したことないが広い範囲で擦過傷がある。革着てなければ骨まで削れてたろう。
0105 これで最後のFISCO医療室
0110 つなぎ着てても摩擦熱でできた右肘の擦過傷。これは三日で完治した
看護婦さん曰く、死んだら調査してコース改修しなきゃいけないそうだ。で、一番ケガがひどいのは1コーナー手前でブレーキ効かなくなったときと、最終コーナー出口だと。おらが2001年に最終コーナー入口過ぎてから転倒したときは、2速開け初めの120Km/hぐらいでの転倒で、体は横に回転しただけで無傷だった。でも今回は首の骨を折って死んでてもおかしくなかった。これで無傷なんてのは虫が良すぎるか。でも単なる打撲であることを祈る。来週はレースなのだ。
ジョーがいてくれて助かった。とても歩けないおらに変わって、R6を軽トラに載せてもらった。つなぎは全体的に土で汚れて、右おしり部分がボロボロに裂けてた。ヘルメットも泥だらけ。R6はスクリーンが割れ、右ステップが曲がり、右下カウルが割れて欠けているだけで、一見しただけだと意外と大したことない。モリワキ製フレーム・スライダーがかなり削れてて、これで助かったようだ。しかしつなぎとR6を来週のレースに間に合わせるのは難しいかも。おらにとって最初で最後のFISCOのレースに出れなくなるかもしれないなんて、おらってなんて可哀想なの!
0106 無残なつなぎ
FISCOから帰る途中、コミネに電話してつなぎの修繕がレース前日までに間に合うか聞いてみたが、無理と。RSTaichiに電話したら別メーカーなので料金高くなるが、何とかしますと。今度つなぎ買うときはRSTaichiでアルパインスターズ買う。あとはR6のスクリーンだ。ところが…。
あいにくかかりつけの、スポーツ診の得意な整形外科は休み。しかたがないので、自宅近くのK整形外科に行って、レントゲン撮ったら、何と左足首は骨折してて、左膝は靭帯切れてるかもと!膝はMRI撮って結果を見ないと分からないが、足首は手術した方がいいと!7週間は通勤できないと!ガ〜ン。「来週レースなんですが…」と医者に言ったら、「立てるもんなら立ってみなさい。それどころじゃないよ」と。確かにレースどころじゃなく、会社がヤバイ!ただでさえ早期退職制度の真っ最中なのに、クビになるかもしれない!ケガによる長期休暇はこれが3回目で、おらは慣れっこだが、会社はそういう社員には慣れてないだろう。でも過去2回のおらの長期入院を知ってる人は、今の部署にはもうそうはいないはずだ。でもいっしょに仕事してる部下に迷惑かけるなー。スロットルひとひねりで2ヶ月がパーだ。でも200Km/hで転倒してこれだけで済んだのはサーキットならではだろう。まあ、大腿骨の骨折じゃなくてよかった。即日入院を薦められるも、おらは刑務所に入るような入院が嫌いだから、入院日数を極力減らすためにそれを断り、松葉杖を借りて病院を後にした。
さて、これからR6をなんとか軽トラから降ろす必要がある。割れたスクリーンがどこのメーカーのものか調べてもらおうと思って、まずRSTaichiに行ったら、R6を預かってくれるというので助かった。その場でR6を降ろしてもらった。相手してくれたのが前から知ってた何でも詳しい内藤多一さん。RS
Taichiに勤める多一さん。何か嘘みたいだが社長ではない。その内藤さんは筑波ともてぎで走ってるそうで、GSX-R750に乗り筑波で5秒だと。速い!MFJのレースに出てると。後日R6は、フロント・ブレーキ・レバー、オイル・ポンプ・カバー、フロント・フォークのインナー・チューブ二本、右側のフレーム・スライダーを交換することになる。\70,000程かかった。欠けたカウルの右下部分はレースまでに薄いプラスチックの板を接着剤でくっつけることにした。
夕方になって頭が痛くなってきた。翌朝起きたらおら死んでるかも。ヘルメットは傷ができただけで割れてないから、後頭部の衝撃はヘルメットがかなり吸収してくれたようだ。見た目は大した傷ではないがこのヘルメットは交換するしかないだろう。さらに背中の脊椎のあたりも痛くなってきた。脊椎パッドがなかったらと思うとゾッとする。いつの間にか大ケガどころか転倒もしないと思いこんでたおらだったが…。左膝は14年前にスキーで前十字靭帯を断裂して手術をしたことがあり、それ以降スキーをするときは、靭帯を守る装具を左膝に付けてたが、サーキットでもそれを付けとけばよかった。でもつなぎの下には無理かも。同じ日、中日の川上憲伸投手が練習中の下半身のケガで今期絶望となった。仲間がいて嬉しいような悲しいような…。
FISCOでのレースに諦めがつかず、骨折しているとはいえシフト・チェンジぐらいはできるだろうから、歩くことはできなくても、一旦バイクに乗ってしまえば骨折は問題ないのではないか・・・とも考えたが、転倒でもして骨折がひどくなったらホントに会社をクビになると思い断念し、MCFAJに電話した。7月5日(土)のレースは出場できなくなったので、12月の筑波のレースにエントリー費を回して欲しいと依頼したら、すんなり了承された。それにしてもおらがFISCOのレースに出ようとすると、毎回これでもかってくらいひどい目にあう。FISCOはおらが嫌いなんだろうか?だから毎回のように転倒させられたんだろか?初めてレース出場を決めた2001年9月のレースのときは、レース前にTT600 1号機のエンジンをおしゃかにした。結局出れなくなったそのレースの日は雨で、その日に米国出張したおらは、その二日後の同時多発テロのせいで無茶苦茶な出張となった。また、今年に入って初出場した4月のレースでは大雨の中でのタイム・アタック。そしてまたもやTT600 2号機のエンジンをだめにして、出れなくなった決勝は霧で中止となってしまった。そして極め付けが今回のレース直前の骨折だ。しかもFISCOはこれからコース・レイアウトが大改修され、おらがあんなに走りこんできたFISCOでのレースに結局1度も出れないなんて、おら悲しすぎる・・・。これは生徒の不始末で甲子園への出場を辞退するはめになった高校の野球部員のような悲しさだ。いやモスクワ・オリンピックへの出場が決まっていて、参加を取りやめた西側諸国の選手のような悲しさか。
その夜、おらは会社に事の次第をe-mailした。どうせわかるだろうが、”不注意で”ケガしたと伝えた。それにしても休暇取ってケガしたのはばつが悪い。
おらがFISCOを走るのはこれが最後となってしまった。通算19回で718分。約12時間走ってる。こうなる前に2分切っといてよかった。本書はFISCOのほとんどのコーナーで転倒した経験を豊富に綴った、FISCO完全攻略法ガイド・ブックとなった。しかし出版される頃にはそのFISCOは既にないから意味なし。でもこんなケガまでして本書が売れなかったらおら怒る。残念なのは安全なヘアピンで転倒することなく、攻めきれないまま終わってしまったことだ。100Rでは転倒しなくてよかった。
0102
四輪でも二輪でも突っ込んだ恐怖の1コーナー。手前が入口で奥が出口。写真にはオイル処理の白い跡がある
0104
おらは走ったことないが、ホーム・ストレートの先が高速コーナーだったころの通称“すり鉢バンク”。30度バンクだ。見るだけで寒気がする。何人も死んだらしい。
0076 奥が1コーナー出口で、右の先がサントリー・コーナー
0134
サントリー・コーナー。おらはサントリー・コーナー手前のブレーキングで手痛い転倒を繰り返した
0080 最も膝が擦りやすいがついに転倒しなかった恐怖の100R
0082
ここは一度くらい転倒するほど突っ込みたかったヘアピン。奥が100R出口
0086 ヘアピン出口からMCコーナーにかけての短いストレート
0093 奥が300Rに続くダンロップ・コーナーで手前が最終コーナー入口
0095
最終コーナー途中から出口にかけての登り
0096
今回おらが世話になった最終コーナー出口。左がそれに続くホーム・ストレート
0097 最終コーナー出口から見た1.5Kmのホーム・ストレート。こうして見るときれいな眺めだが、実際にはマシンの最高速でのウォブルに耐え、その後1コーナー手前のフル・ブレーキングへと続く地獄への登竜門
転倒翌日の金曜日には患部を動かさない限り痛みはなくなった。おらはかかりつけの整形外科医の診断もセカンド・オピニオンとして受けてみたが、足首は手術しないと元に戻りにくいし、手術した方が直りも早いと。膝は微妙だと。午後にK整形外科に行って、念のため頭と背中のレントゲンも撮ったが異常なし。注射で膝に溜まった血を取ってもらった。
今のところ不思議と引退する気持ちはない。肩の脱臼時ほど懲りてない。今回の転倒は原因がはっきりしているからだろう。でも、走りたくてももう走れないけど、今のFISCOの最終コーナーは二度と走りたくない。どのぐらいスロットルを開ければいいのか皆目検討がつかなくなったからだ。ただ単にフリー走行してただけなら二輪サーキットはもうやめようと思ったかもしれないが12月の筑波のレースに出たい。でもケガが治ってからでないと、ホントにまだ二輪サーキットを続けるかどうかはわからない。何が”ステキなサーキット人生!”だ。片腹痛いわ。おらに”ステキな”サーキット人生などありえないことが良くわかった。
入院前日に、長くなってた髪を高校生以来のスポーツ刈りにした。ゴルゴな感じだ。不自由な体では髪を洗うのが億劫だし、もともと短いのが好きなんだ。高校生のときは、入ってたサイクリング同好会がいつのまにか自転車競技部みたいになり、競輪場での1,000mタイム・トライアルで各人のノルマのタイムを切れなかったときにスポーツ刈りにしてた。
おらは40になってからサーキットを始めて良かったと思っていることがある。大ケガについてだ。ある程度歳がいってからの大ケガなら、万一取り返しのつかないことになったとしても、残りの人生はそれほど長くない。でも若くして体を不自由にしたくはなかった。もちろん今でも絶対にそんな状態にはなりたくないけれど。
転倒から3日後に入院し、その2日後に手術を受けた。症状は左膝関節後顆剥離骨折、左膝内側側副靭帯断裂、左膝後十字靭帯断裂と左足関節内果骨折。膝の側副靭帯の損傷は3度までの2度の断列で保存治療で元に戻ると。前に再建した前十字靭帯は残っており、後十字靭帯は恐らく今回断裂したようだが、前十字靭帯のように大事な靭帯ではないとのことで、医者と話し合った上放置することにした。膝の手術は大変なのだ。よって手術は足首にボルトを埋める、左足関節内果骨折の観血整復術というもの。おらは野球でスライディングして右足関節外果骨折やって手術したことがあるが、膝の手術に比べれば簡単なものだ。でもおらの大嫌いな腰椎麻酔(下半身麻酔)がある。脊椎にさす注射が”ピクッ”ときておっかないんだ。ボルトは数年後に取り除かなきゃならないが、また大ケガしたときにでもついでにやればいい。K整形外科の院長はインフォームド・コンセントを十分にやってくれる良い医者だった。以前入院したときに買ったビデオ一体型の小型テレビがまた役に立つ。
それにしても、何回もケガで長期に会社を休むおらはつくづく思うが、月給取りはこういうとき助かる。自営業なら飯食えなくなっちゃうだろう。生命保険の特約で、手術分\50,000、入院5日目以降1日当たり\5,000貰える。
0122 ふくれた左足首
0123 ふくれた左膝
手術を受けたことがない人に、手術がいかにつらいものかを教えてあげよう。以下に今回の手術の経過を記す。
6月30日(月)
18:00
最後の晩餐にしてはしょぼい夕食。
21:00
消灯。これ以降飲食だめ。タバコだけが頼り。
23:00
本を読んでたら、いいかげんに寝ろと言われ、熟睡。
7月1日(火)
07:00
起床。ケガのことは親には黙ってようと思ってたが、隠し通すのも面倒なので、名古屋の実家に電話。いい歳こいて親に説教される。
08:00
自分で浣腸。術前にお腹の中のものは全て出さねばならない。
09:00
水分補給の点滴。今日一日使う血管に長ーい針を刺す。その際、血があふれてせっかく着替えたT字帯(手術用の下着でふんどしみたいなもの)と手術着が汚れた。おらはそのままでいいと言うも、縁起が悪いとのことで着替え。あくびがでた。何故かおらは緊張するとあくびが出る。
12:00
抗生物質の点滴。
13:30
眠くする為の筋肉注射を3本。きつい。
14:00 手術室に向かう
14:30脊椎に腰椎麻酔の注射をし、手術開始。生涯5回目の脊椎への注射。今回は痛くも何ともなかった。でもこれだけは慣れない。もうケガしたくない。手術中は痛くはないが、ホースを大腿部に巻いて血液を止めながら同じ体勢でいることがとてもつらい。
16:00
手術が終わり、レントゲン室に移ってレントゲンを撮ってから病室に戻る。止血・消炎鎮痛剤の点滴。
19:00
麻酔が抜けず、尿意はもよおさないが膀胱が破裂しそうに痛い。我慢したあげくあきらめて、看護婦さんに管を入れてもらう。
20:00
水分補給と抗生物質の点滴。麻酔が切れだすと傷口が錘を乗せられたようにジーンと痛む。座薬を使っても効果なし。おらが手術で一番辛いのは術後の晩だ。眠れたためしがない。しかし今回は2-3時間は眠れて、翌朝起きたら傷口はさほど痛まなくなっていた。点滴のおかげか喉は乾かないし、お腹も空かない。少量の水分を飲むことを許される。
7月2日(水)
08:00久々の飯。
その後5日間に渡り点滴を継続。術後2日で患部の痛みはなくなった。術後3週間で抜糸し、4週間でギプスを外しリハビリを開始して、6週間で左足を地面につけ始める予定。
手術は辛いは、シャバに出れないはで大嫌いな入院生活だが、よくよく考えると、これは国際線のファースト・クラスに乗ってるようなものだ。180度フル・フラットのシートにフライト・アテンダントならぬ看護婦さんが24時間相手してくれる。ナース・コールのボタンは飛行機の座席にあるフライト・アテンダントを呼ぶボタンに相当する。喫煙所に行けばタバコが吸えるところは入院の方が勝っている。でも入院では酒は飲ましてくれないし、マイレージは貯まらない。
0127 ゴルゴも入院する
転倒前に江場ちゃんに教えてもらった泉優二のWGP小説数冊を入院中に読んだ。残念ながら全て絶版となっていたがアマゾンで古本を手に入れることができた。どれもあまりおもしろくないが、”汚れた英雄”のように実在の人物が出てくるところが良い。“ウインディー”の主人公である杉本敬は転倒で大ケガをし、7年もの間レースから遠のいてる。“チャンピオン・ライダー”にある同じ主人公の転倒シーンがこう書かれていた。高速サーキットとして有名なオーストリアのザルツブルグのサーキットでのことだ。
「敬は十一年前、このコースの餌食になった一人だった。六速全開のコーナーでリア・タイヤを滑らせたのだ。リア・タイヤのたった一度のスリップが敬の人生プランニングを狂わせたといってよい」
今回のおらの転倒に似てる記述だ。他にも、まさに今回のおらの転倒に当てはまるこういう記述があった。
「絶対に倒れないように走ってくれ。こいつが一番難しいんだ。知らないうちにオーバー・ペースになってることがよくあるんだ。悪魔に魅せられちまったようにね。調子に乗って、もっと速く走れると錯覚する。乗れてると思う時が特にあぶないんだ。神経だけは緊張させてろよ。少しでもヒヤリとした時があったら、次の周は気を入れて走れよ。マイペースで走るんだ」
こういうのも。
「俺だって命まで賭けて走りゃしないさ」「ライダーは誰でも、そう思ってるのさ。・・・事故の前はね」
また“オランダGPの16ラップ”は片山敬済を題材にしたノンフィクションだ。片山敬済は1977年、日本人で初のWGPチャンピオン(今はなき350ccクラス)となったライダー。
前々からアルパインスターズのネックサポート付きのつなぎが欲しいと思っていたが、今回かなりひどくなったつなぎを予備用にして、新しいつなぎを買うしかないと思っていた。つなぎ二つはかなり贅沢だが、二つあれば修理に要する期間を気にしなくてすむ。そこへほとんど諦めていたゴロワーズ・ヤマハのレプリカつなぎがとうとう見つかった!ライディング・スポーツに載ってたもので、アレンネスという新興イタリア・メーカーがゴロワーズ・ヤマハのライダーであるアレックス・バロスのレプリカつなぎを販売したのだ。しかもレプリカはノーマルの牛革でなく、より高級なカンガルー革で、価格も\148,000と比較的安価。中野王子もアレンネスを使っていて、そのレプリカも販売してる。
”誰でも安全に気軽に宇宙に行ける”というのが歌い文句の、再使用型宇宙輸送システムの研究開発の一環として、高速飛行実証(HSFD)という飛行実験計画を宇宙開発事業団(NASDA)と航空宇宙技術研究所(NAL)が共同で進めている。おらは昨年からその計画の着地システムであるパラシュートとエアバッグの輸入の仕事に携わってきた。なかなかパラシュートとエアバッグが満足する性能を得ることができず、おらは血のにじむような思いをしてきた。最終的に米国はアリゾナ州の砂漠でのパラシュート試験に成功し、なんとかスウェーデンの最北端で実施する飛行実験に間に合わせることができたが、これはイラク戦争で実験が一ヶ月遅れたおかげだ。この実験は気球により高度20kmまで上昇させた小型無人機を自由落下させ、音速前後での機体特性の検証を行うというもので、日本版スペース・シャトルの将来開発に向けた実験だ。で、おらが米国のメーカーから仕入れて客先に納めたパラシュートとエアバッグが問題なく作動し、落下する無人機が損傷することなく着地しなければならない。おらは期待と緊張に身を膨らませて日本で成功を祈っていた。実験の日程が遅れに遅れ、結局この結果をおらが知ったのは手術した日の翌朝の新聞を見てのことだった。果たして、7月1日の産経新聞に載っていた本件の見出しは、「”日本版シャトル”大破」というもの。パラシュートが開かなかったとある!ガーン。失敗したら早期退職制度を使って会社辞めようかとも思ってたが、既に6月30日に締め切られている。これから先が大変だ。おらは会社のパソコンをモバイルして、入院しながら仕事をこなした。悪いことは重なるもので、現在のおらのもう一つのパトリオットの仕事も16年間やってきて今までにないような大きなトラブルが起きていた。これは部下が何とかしてくれるとは思うが…。おらって役に立たない月給取り。
7月5日(土)、おらは手術後四日目にもかかわらず外出許可を取り、かみさんの運転する四輪ビーマーでFISCOに行った。MCFAJのレースを観戦するためだ。その日初めてETC車載器を使った。国土交通省が\5,000、オートバックスが\5,000負担してくれるキャンペーンをやってたので、三菱重工業の車載器を購入しておいたのだ。こりゃ便利。
三菱重工業から派生した三菱自動車。だから三菱重工業の社員は三菱自動車の購入を強制されてきた。しかし最近それが解禁になった。ホントかどうか知らないが、その理由は三菱自動車が三菱重工業のビーバー・エアコンを買わなくなったからだという。また同族企業でありながら、三菱重工業と三菱電機はミサイルとエアコンの製造に関して、競合関係にある。
FISCOに着いて早速Team
LANGのピットに行ってみた。今回出場するのは、中村店長、村崎さん、柳川さん、そして前のレースでおらがお世話になった柿澤さんだ。ノービス・アンリミテッド・クラスでダントツで1位になった人が、ダブル・チェッカーで失格となった。チェッカー・フラッグに気付かず、もう1ラップしてしまったのだ。それで失格になるとは思ってもいなかった。村崎さんの話では、走行ラップ数はサーキットに表示が出ると。
オーバー40観てたら、自分がそこにいないことが悔しかった。特に今回は4クラス混走で、おらのタイムぐらいの人がたくさんいたから、走ってたらバトルが楽しめたろう。ラッセルさんやTeam
LANGの村崎さん、柳川さん、柿沢さんとも一緒に走れた。自分も走りたくてしょうがなかった。しかもこの日はドライでさほど暑くもない絶好のコンディション。柿澤さんはプロダクション400に出場し3人中1位で優勝。400で2’01は速い。Team
LANGの人達の話では、おらが2001年に肩を脱臼した際に救急車で連れていかれたフジ虎ノ門病院で点滴を受けると速くなるらしい。その点滴には速くなる成分が含まれているんだと。
帰りにいつも素通りするFISCO近くの富士霊園というでっかい霊園に寄ってみた。桜の季節は人でごったがえす。おらの墓はここに作りたい。死んでるからFISCOで思いっきり無茶できる。久しぶりのシャバの空気がうまかった。
0131 FISCOのピット・ウォールで甚平姿のおら
1年半後に生まれ変わるFISCOはどんなサーキットになるのだろう。コース図は公開していて、1.5Kmの異様に長いストレートと100Rは残るが、危険だからか最終コーナーは低速コーナーとなる。トヨタが大々的に金をかける新装FISCOは、今までのFISCOと違って、予約がいるだのなんだのと、敷居が高くなるかもしれない。それにおらは怖いFISCOとは離縁して、完全に筑波に乗り換えるかもしれない。いずれにしても、FISCOよさらば。しばしのお別れだ。