Round 1 深夜の大垂水峠バトル・レース

2004.01.31

 

今年はおらの実質3年目のサーキット・シーズンだ。そしてMCFAJへの登録更新時期がやってきた。今年のMCFAJレースは2月の筑波、5月の筑波、9月のSUGO、12月の筑波の全四戦。しかし未だにおらの足首の骨は付きが悪く、2月のレースは無理。4月に練習して5月の筑波でのレース出場を目標にする。でもまたケガをして会社を長期間休むわけにはいかないので、少なくとも一年間は自重するかもしれない。それにSUGOは遠くて行く気がしないし、12月は寒い。で、今年のMCFAJの登録は諦め、5月のレース出場の際はワンデイ・ライセンスで出場する事にした。LANGの中村店長を始めとするメンバーも2月は寒いから誰も出場しないと。

 

 

クルマの雑誌を読んでいて、去年の7月にもてぎで開催されたJoy耐という四輪7時間耐久レースのことを知った。ちょっと面白そうだと思い、もてぎのウェブサイトで調べてみると、ドライバー3〜4名にピットマン数名が必要で、ナンバー付き車両では出場できないことがわかった。二輪サーキットがやれない今、せめて四輪でサーキットを走りたいと思い、おらは四輪レースをやってる尾田と二人で出ようかと軽く考えたんだが、これじゃ無理だ。でも試しに尾田に話を持ちかけてみた。尾田は今やってるレースに集中したいのでシビックのナンバーを外すつもりはないし、Joy耐にも興味がないと。でもD-jacというクルマ用品店から去年Joy耐に誘われたから、おらをドライバーの一人に入れてもらえないか話してくれると言う。D-jacはおらがP-LAPを買った、おらの自宅近くにある店だ。D-jacの返事は、腕に関係なく、参加させてくれるとのことだった。ただし\200,000くらいの費用がかかるらしい。おらとしては、マシンも提供してもらって\200,000ならOKだ。しかしおらの腕がどのくらいのものか、D-jacに知ってもらった上で、参加の可否を聞いた方がいいと思い、尾田のシビックでサーキットを走らせてくれと頼んだ。おらは二輪よりもむしろ四輪の方に自信があるくらいだが、サーキットでタイムを計ってみないと本当の実力はわからないからだ。サーキットで尾田と同じくらいのタイムが出ればD-jacもおらの参加を快く認めてくれるだろう。

 

数日後、尾田と会社で話し合って、とりあえず峠で試してみることになった。金曜日の仕事が終わった後の1月17日(土)の深夜00:30に尾田がおらの自宅に迎えに来て、01:00に相模湖近くにある甲州街道の大垂水峠に到着。深夜だからあっという間に着く。尾田は昔からしょっちゅうここで他のクルマとバトルしてると。大垂水峠でのバトルはクルマの通りの少ない深夜に行われ、コースのスタート地点とゴール地点は暗黙の了解があるらしい。登りコースのスタート地点手前のUターン場所にパトカーが止まっていたが、しばらくやり過ごすといなくなった。大垂水峠はクルマがスピードを出せないように、コーナーのところどころに凹凸舗装がされているから、二輪ではまともに飛ばせる峠ではない。登りコースのゴール地点の先にあるUターン場所の駐車場にはバトル待ちらしいクルマが5台ほど待機していた。

 

尾田が登りで飛ばす。おらはシビックの加速力に驚いた。おらの乗ったことのあるクルマとはまるで次元の違う加速力だ。VTECを200psにチューン・ナップしているとのことだが、所詮重い四輪の200PSなどしれたものと思っていた。これがどっこいもの凄い加速をする。250psぐらいあるんじゃないかと思える。後部座席を取り外す等して軽量化しているのも一因だろう。また、フロント225タイヤのグリップ力は大したもので、おらのビーマーの限界をはるかに越えたコーナリング・スピードでグリップする。二輪のタイヤは接地部分が楕円になっているのに対し、四輪のタイヤは接地部分が扁平になっているから、理論上二輪が前後輪の二つの“点”だけで接地しているのに対し、クルマは前後四輪の四つの“線”で接地している。だから、四輪のコーナリング・スピードは二輪のそれを遥かに上回る。また四輪だとコーナリング出口でのスロットルもかなり多めに開けられる。二輪がこういった高性能な四輪に勝てるのはストレートでの加速だけだろう。バトルのコースは1Kmにも満たない短距離だが、左ブラインド・コーナーから始まり右ワイド・コーナー、そして左コーナー、左コーナーと続く楽しめるコースだ。

 

今度は下りをおらに運転させてもらった。おらがMTで飛ばすのはおらの一台目の四輪のジェミニ以来14年ぶりだ。初めて試したヒール・アンド・トーがうまく決まらない。尾田はまったくクラッチにショックを与えないでヒール・アンド・トーをこなすが、おらがやるとどうしてもクラッチ・ミートの際にガツンとくる。尾田は「クラッチが壊れる!」と悲鳴を上げる。簡単にできると思ってたのに・・・。ちょっと尾田のシビックのクラッチ・ミートは特別難しいんじゃないかと思える。後で聞いたら、尾田のシビックには強化クラッチが入っていて、ノーマルに比べてクラッチの繋がる瞬間の圧力が強くていきなり繋がるから、やっぱり難しいそうだ。そして尾田にはレヴ・リミットまでひっぱらないように言われてたのに、おらはタコ・メーターを見るのを忘れて2速でひっぱりすぎ、随分オーヴァー・レブさせていた。尾田は「随分金をかけたクルマを壊されてはたまらん!」と叫び続ける。おらは「50%でしか走らんから大丈夫」と言い続けながら70%ぐらいで走り続ける。

 

さて、尾田に運転を交代して登りコースでいよいよバトルだ。Uターン地点で尾田のシビックに続き、2台のMR-2とスターレットが揃ってUターンし、スタート地点までのろのろと走り、一旦ほとんど静止してから右ウィンカーを出してスタート。片側1車線の、とても追い越しなどできる道ではないため、前のクルマについてこれるかどうかで勝負が決まる。尾田は右ワイド・コーナーで、公道でこんなに無茶して大丈夫?と思えるほどの走りをみせた。反対車線からクルマが来てるのにようやるわ。そして先頭の尾田は見事に後続車をぶっちぎった。これがいわゆるローリング族ってやつ?危険だが、十分おもしろいレースだ。箱根や奥多摩周遊道路では昼間からこの手のバトルをやってるらしい。尾田はバトルを3回繰り返した。おらは辛抱たまらなくなって、「変わろう」と尾田に何度頼んでも、「壊されるから嫌だ」という。これじゃどっちが速いか試せない。でもおらがヒール・アンド・トーを尾田のようにスムーズに決められない分、右ワイド・コーナー手前での3速から2速へのシフト・ダウンで差が出るから、たぶん尾田の方が速いだろう。

 

1時間半ほど大垂水峠で過ごして03:00に自宅に戻った。尾田が大垂水峠に連れてきた何人かは皆ゲロッたそうだ。おらはヒール・アンド・トーがうまく決められなかったことがショックで、このままではD-jacにお願いするのもなんかなーと思った。ヒール・アンド・トーの練習をしたくても、今時MTのレンタカーなんてないだろう。んで、朝起きてからいつもトランポを借りるトヨタ・レンタカーにMTのクルマがないか一応聞いてみたら、何とヴィッツのMTがあるという!おらはこれでJoy耐出場を決めた。“汚れた英雄”の主役、北野晶夫もWGPに出ながら趣味で四輪レースをやっていたのを思い出した。北野はその四輪レースで死ぬのだが・・・。

 

同日D-jacに行って社長の尾島さんにJoy耐のメンバーに入れてもらえないか、おらから改めてお願いしたところ、「来るもの拒まず」と快諾戴いた。D-jacが2003年に出場したJoy耐は予選突破し、決勝ではあと1時間というところでクルマが壊れたが、順位認定を受けブービー賞の74位だったと。もてぎのウェブサイトにあったリザルトを見ると、7時間走破していたら結構いい順位に入っていただろうことがわかった。四名ともいいタイムを出している。Joy耐7時間の前哨戦で3時間耐久レースが3月にあるので、これからメンバーを募ると。つまり最初にJoy耐の出場をD-jacに依頼したのはおらだった。おらは急遽、Joy耐出場に必要な四輪の国内A級ライセンスを取る必要に迫られた。

 

国内A級ライセンスを取るには、まず国内B級ライセンスを取ってから、ステップアップしなければならない。D-jacの推薦だけで国内B級ライセンスは取れるとのことだったが、四輪レースに関して一から勉強する為に、おらはあえて正規の順序でライセンスを取ることにした。D-jacから自宅に帰って、筑波サーキットのウェブサイトのリンクから国内B級ライセンス講習会の最短の受講日を調べると、翌日の日曜にある。おらは早速電話で予約した。また、国内A級ライセンス講習会の最短の受講日を調べると、3週間後の2月7日(土)にある。これも早速資料請求して、すぐに参加申込書と参加料を郵送した。

 

去年、FISCOのコントロール・センターに置いてあった四輪の国内B級ライセンスと国内A級ライセンス取得の案内を何気なく貰ってきて、これらのライセンスを取ろうかなーと思ったことはある。FISCOでの二輪サーキットが恐くなったおらは、四輪の競技ライセンスの取得に逃げようかと思ったのだ。ほんとは使いもしない四輪競技ライセンスなんか取る暇と金があったら、筑波かもてぎのサーキット・ライセンスを取るべきなのに。しかしそのライセンスが本当に必要になってきた。

 

四輪のレースとはいえ体重が軽いに越したことはないから、75kgから70kgまで減量したおらは、3月のレースまでに更に5kg減量する事にした。

 

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