Round 2 四輪国内B級、A級ライセンス取得体験記

2004.02.20

1月18日(日)、有楽町の東京国際フォーラムの会議室でチームクレバーレーシングが主催する2時間の講習を聞き、大垂水峠バトルの翌日に、おらは国内B級ライセンスを取得した。講習の内容はFIMとJAFの関係、競技の種類、そして競技中に他のクルマと接触した際のクルマの損害は双方相手方に請求できないといった簡単なものだ。8人の受講者が来ていた。講習受講料\4,000、JAF指定の教材費\5,000円、JAF入会金\2,000、JAF年会費\4,000、3日後以降にJAFにライセンスを取りに行くときの許可証料\3,000の計\18,000の出費。国内B級ライセンスがあれば、ラリーに加え、ジムカーナ、ダート・トライアル、サーキット・トライアルといった一台ずつ走ってタイムを競う、スピード行事と呼ばれるJAF公認競技に出場できる。しかし、複数台のクルマで同時にスタートするスプリント・レースや耐久レースに出場するには国内A級ライセンスが必要だ。

 

1月25日(日)、MTのヴィッツをレンタルして、おらは一人でヒール・アンド・トーの練習をしに奥多摩周遊道路に行った。雪が積もっていたが、道路は平気でちょっとだけ凍結している部分があるだけ。しかし残念ながら奥多摩周遊道路は土砂崩れの為、途中で通行止めになっていた。しかたがないので、奥多摩周遊道路入口から通行止めの地点までの短い距離の往復を一時間ほど繰り返した。おらは少なくともノーマルのヴィッツでのヒール・アンド・トーをマスターした。

1月31日(土)、おらはまたMTのヴィッツをレンタルして、今度は尾田と奥多摩周遊道路に行った。ヒール・アンド・トーができるとMTの運転が楽しいし楽だ。奥多摩周遊道路の入口から通行止めの地点までの短い距離の往復をまた繰り返した。尾田のアイデアにより通行止めの折り返し地点では、立て看板を頂点にサイド・ブレーキを使ってスピン・ターンさせた。この日はストップ・ウォッチを持ってきて何回か尾田にタイムを計ってもらったから、おらは何度か100%で走ってみた。1度左コーナーでヴィッツをかなりスピンさせてあわやとなったが、部分的に濡れている路面の上を懲りずに四輪ドリフトさせながら滑走した。尾田も走りたくなってタイム・アタックしたが、おらのベストが452で、尾田のベストが502。なんとおらの方が速い!尾田曰く、おらみたいに速い月給取りは他にいないそうだ。二時間ほど練習して、二人でD-jacに寄ってから帰った。D-jacの尾島さんにもてぎの各コーナーでのブレーキング・ポイントとシフト・チェンジの場所を聞いておいた。尾島さんの話では、自分もやったことがあるが、4速から5速へ入れようとして3速に入れてしまい、オーバー・レヴさせてエンジンを壊すことがあるらしい。くわばらくわばら。

 

次は国内A級ライセンスへのステップ・アップだ。国内A級ライセンスを取得するには、少なくとも一回国内B級ライセンスで出場できるJAF公認競技に出場して完走し、その後国内A級ライセンス講習会に参加して、筆記試験と実技走行に合格しなければならない。でも、国内A級ライセンス講習会が行われる日の午前中に開催されるジムカーナに出場して完走すればいいから、これも一日で取れる。四輪のジムカーナも二輪のジムカーナ同様、アスファルトの上にパイロンを数多く置いて、一人ずつジグザグ走行してタイムを競う競技だ。ジムカーナと国内A級ライセンス講習会の実技走行に使用するクルマは、ATだろうがレンタカーだろうがナンバー付きなら何でもあり。このジムカーナに出場する連中は皆ビギナーのはずだし、ATとMTでクラス分けされていたから、おらはあわよくば優勝するつもりでいた。ATのクラスに走り屋がいるわけはないから、140psのATビーマーでも十分勝てると思ったのだ。二輪のジムカーナでさえ出場したことのないおらが、四輪のジムカーナに出場することになった。

2月7日(土)、チームマグナスオートクラブが主催する、2004年TMACビギナー入門ジムカーナ第1戦とA級ライセンス講習会に参加するため、おらはかみさんとビーマーで筑波に行った。渋滞を避ける為、朝の04:00に自宅を出て筑波に06:00着。早すぎた。ゲート・オープンの07:30までジムカーナ場近くの朝一待機駐車場で待機。筑波のサーキット入口とジムカーナ場入口は別になっている。

07:30にゲート・オープン。前もって知らされていたゼッケン番号と同じ番号の駐車位置にクルマを止める。そして荷物を出してクルマの後ろに置く。このときエキゾースト・パイプの後ろに荷物を置くと、排気で汚れるから注意。おらやった。天候は晴れだが、やたらと寒い。かみさんがキャイーンのウド鈴木とシャ乱Qのたいせーとまことがいるという。いずれもおらの知らない芸能人だが、“山野哲也のサーキット攻略講座!”というウェブ・サイトでおらがお世話になってる山野哲也も一緒にいた!山野哲也はおらが知ってる数少ないプロ・レーシング・ドライバーの一人だ。BSフジで放映している“ウド鈴木のバカクルマニア”という番組で、3人が国内A級ライセンスを取る過程を収録するロケだった。ウド鈴木はクルマ雑誌“ホリデーオート”に連載を持つほどのクルマ好きらしい。この3人のマシンはホンダのS2000。堂々250psのMTオープンカーだ。山野哲也は3人の指導をしていた。おらは今度のもてぎでのレースの為に印刷しておいた“山野哲也のサーキット攻略講座!”のもてぎ編を偶然この日持ってきていたから、その表紙にサインをしてもらったら、「ありがとう」と言われた。カッコいいのになんて謙虚な人だろう。

0020 おらよりカッコいい山野哲也

07:45にジムカーナの受付開始。免許証と国内B級仮ライセンスを見せ、出場者名簿、ゼッケン2枚、参加賞のビニール・テープを貰った。さっそくビニール・テープでビーマーの左右のドアにゼッケンを貼り付けた。おらのゼッケン番号は11番。出場者数はATのクラスが12人、MTのクラスが36人の計48人。このうち45人がこの日の午後の国内A級ライセンス講習会を受講する。ゼッケン番号1番から12番がATのクラスで、ゼッケン番号順に走る。ATのクラスで1,800ccのおらのビーマーより排気量が多いのは全て2,000ccのスバルのレガシーとレガシーB4、トヨタのカルディナ、アリオンとRAV4だけだ。その中で速そうなのはB4だけ。これは優勝もらったとおらは確信した。

08:00から車検だ。クルマのボンネットを開けて、ヘルメットをルーフに置いて待機する。二輪のレース車検は、つなぎ、グローブ、ブーツ、ヘルメットを車検場まで持っていくだけでなく、重いバイクを車検場まで押していかなければならないので一人では到底無理なんだが、四輪ジムカーナの車検はオフィシャルがやって来るのをただ待っているだけでいいから随分楽だ。ジムカーナは、長袖、長ズボンを着用していればレーシング・スーツは必要ないが、ヘルメットとレーシング・グローブが必要で、それらのチェックを受けた。おらの使うヘルメットは10年選手で傷だらけの二輪用ジェット・ヘルだったが、問題なし。フル・フェースはうっとおしいから嫌いなのだ。この日使うレーシング・グローブは初めてFISCOに行ったときにビーマーでフリー走行する為に買ったものだ。クルマの中にある余分な物は全て車外に出すように言われた。でもフロア・マットは固定されているのでよしとされた。そしてエンジン・ルームとゼッケンをチェックされ、車検は無事合格。

0461 車検を受けるおら

08:25にブリーフィングがあり、競技方法と注意事項の説明があった。

08:35からこの日のジムカーナのコースを慣熟歩行する。当日知り合った、ジムカーナ愛好者の田原さんにコース攻略法を教えてもらいながら、国内A級ライセンスを取りに来たAT RAV4で出場の坂本さんと三人でコースを歩いた。「ジムカーナの慣熟歩行は人が大勢いる後をついていっても、コースがよく見えないから、人が前にいなくなってから歩行した方がいい」と田原さん。また「最初はコース図をみながら1回、その後コース図を見ないで2回の計3回は慣熟歩行をした方がいい」とのことで3回歩いた。ジムカーナのコースは三日前に送られてきた資料に同封されていたので、おらはばっちり覚えておいたが、コース図とちょっと違った場所に置かれているパイロンが一つあった。田原さんは、「コース図をクルマの運転席に貼っておくと良い」と。おら貼った。パイロンの数は計13個。

0484 慣熟歩行

08:55から山野哲也の試走が行われた。S2000がタイヤをスピンさせて白煙をあげる。

09:00からは一人一回の練習走行。おらは100%で走った。走る前は2速も必要かなーと思っていたが、1速でオーバー・レヴすることはなかったので1速だけで事足りた。ATだと2速から1速にシフト・チェンジしても、エンジンの回転数が高いと1速に落ちてくれないから、2速を使う必要がないのは助かった。おらはミス・コースしなかったし、それなりに走れたから自信を持った。「なかなかの走りっぷりですねー。やっぱり二輪をやってる人は違います」というアナウンスが流れていたと、かみさんに聞いた。でもかみさんは肝心なタイムのアナウンスを聞き忘れた。タイムは自動計測機により1/100秒単位で計測される。坂本さんはミス・コースした。ウド鈴木もミス・コースした。

09:35競技開始だ。2ヒート走って良い方のタイムで順位が決まる。おらはここに勝つ為に来たんじゃなく、国内A級ライセンスを取りに来たんであって、その為には順位などどうでもよく、ただミス・コースせずに完走することが必要だった。だから1ヒート目はゆっくり走って完走することに専念し、完走できたら2ヒート目に100%で走ればよいと思っていた。だからブレーキング・ポイントを十分手前にして、絶対にスピンしないスロットル・ワークで走るつもりだった。少なくとも前日までは。3分あれば駆け足でもゴールできそうな距離を、クルマで3分以内にゴールすれば完走扱いになるのだ。ところがスタート・ラインを目前にしたビーマーのドライビング・シートには、可能な限り速く走ろうとしている100%戦闘モードの男がいた。おらの意思に反して、おらのレーシング・ライダーの血が、流して走る事を許さないのだ。パイロンを倒したとしても5秒加算されるだけで失格にはならないから、ミス・コースさえしなければいい。そんなの軽いと思った。おらのスタート前に、ライバルとなりそうなB4がスピンしすぎてターンを失敗しているのが見えた。こりゃ、なんとかなるかも。そしておらのスタート時間が来た。スタートの合図の後、30秒以内に自分の好きなタイミングでスタートすればいい。スタート!フル・スロットルでスタートし、ターン地点ではフル・ブレーキングし、ターン時もフル・スロットル。ところが思いのほか駆動輪の後輪がスピンしすぎて、思ったように前に進まない。そして後半でちょっとコースを忘れそうになったが、なんとか完走した。タイムは46”21。1位はかたいと思った。なのに3位だと!

B4が45”17で約1秒差の1位だった。まあ、それはしかたないとして、なんとトヨタのファンカーゴが4548で2位につけている!ファンカーゴはヴィッツをベースに作られたミニバンだ。そんなクルマにおらは負けてるのか!まだ2ヒート目があるが、B4は失敗してあのタイムだから、おらの優勝は難しいかもしれない。しかしファンカーゴには負けられない。おらの1ヒート目のアナウンスは、「かなりのオーバー・スピードで入ってきました」等々「オーバー・スピード」を繰り返していたとかみさんから聞いたから、おらはブレーキング・ポイントが遅すぎて、パイロンを隋分行き過ぎていたのかもしれないと考えた。坂本さんはというと、なんとここでもミス・コースし、次の2ヒート目もミス・コースしたら、ジムカーナの出場料だけでなく、午後の国内A級ライセンス講習会の受講料までパーになる。おらは「タイムはどうでもいいから、思いっきりゆっくり走って完走を目指すべき」とアドヴァイスした。ラリーをやりたいとのことだったが、この人大丈夫だろか。

おらの2ヒート目のスタートだ。1速固定で100%で走った。ブレーキング・ポイントは幾分手前にした。何か違うかもしれないとは思いながらも、またターン時にはフル・スロットルにして後輪をスピンさせまくった。しかしほぼ完璧な走りで完走し、アナウンスは「1ヒートで三番手の東郷選手、ベスト・タイム更新です」で、おらのタイムは1ヒート目を約2秒上回る44”25。1ヒート目1位のB4のタイムを抜いた。しかしB4は4121というタイムをたたき出し、ダントツの1位に。坂口さんは無事完走し、両ヒートともミス・コースした人はいなかった。

000011 初の四輪ジムカーナで疾走するおらのビーマー

本書では今までおらの数々の情けない失敗談を披露してきたが、一台目のTTのエンジンをおらの無知から焼きつけたことを除けば、恥ずべき事はなかった。しかし今回の結果は本当に恥ずかしいから、できれば書きたくない。でもおらは事実に忠実に書く事を本書の信条にしているから書かざるを得ない・・・。なんとファンカーゴも2秒近くタイムを更新して43”61というタイムを出し、おらはファンカーゴに064遅れで負け、3位になってしまった!おらはどえらいショック。おらの四輪の素質は計り知れないものがあると思っていたのに、実はたいしたことなかったのか・・・。しかも1ヒート目のタイムを更新しなければ、おらは5位になっているところだった。競技ライセンスを取ろうとするだけあって、皆それなりに速いのかもしれない。でもかみさんの話では、ATのクラスで「申告されたクルマと違うクルマが走っています」とのアナウンスがあったようだから、ひょっとしたらおらが負けたのはファンカーゴじゃないかもしれない。そう願いたい・・・。

10:45から表彰式。おらは生涯最初で最後であろう表彰台に上がった。おらだけはWGPライダーのようにゴロワーズ・ヤマハのキャップをかぶり、ヘルメットを小脇に抱えた。表彰台では銅メダルを首にかけてもらい、ガラス楯を戴き、副賞としてエンジン・オイル2リットルとダンロップのトレーナーを戴いた。おらは銅メダリストとなり、金メダルが取れなかったときの柔ちゃんの悔しさがよくわかった。

0015 それでもJAF公認競技での表彰台は嬉しかったおら

0509 銅メダルとガラス楯

B4のドライバーに「何馬力あるの?」と聞いたら、「ツイン・ターボで260ps」だと!日本にそんな凄いATマシンがあるとは知らなかった。こりゃ負けたのも致し方ないだろう。ファンカーゴのドライバーには「随分速かったけど何馬力あるの?」と聞いたが「知らない」と。後で調べたら1,500ccの110psだった。このドライバーが凄すぎるのか・・・。

おらはジムカーナでのターンの際は、駆動輪をスリップさせながらも、ただただフル・スロットルでいけばいいと思っていた。山野哲也の試走での派手なホイール・スピンがそう思わせたところもあった。ところが、どうやら違うようだ。翌日D-jacの尾島さんに聞いたら、「ジムカーナでもサーキットでのコーナーと同様、スロットル開度は全開にすればいいというものではない」と。「二輪ジムカーナが二輪サーキットに活かせる技術は全て」と言っていた色男本田氏の言葉を思い出した。その色男本田氏も昔は大垂水峠で遊んでいたようだ。そして彼も二輪で大ケガして四輪に転向し、その後また二輪に戻ったと。

本田氏といえば仮面ライダー。この前放送が終わった“仮面ライダーファイズ”は結構おもしろかったが、新たに始まった“仮面ライダーブレイド”は今のところ“仮面ライダー龍騎”並みにつまらない。やはりおらの一押しは“仮面ライダーアギト”だ。

ジムカーナは面白かったが、遠いサーキットまでわざわざやって来て、あっという間に競技が終わってしまうのが物足りない。せめて4ヒートぐらい走らせてくれればいいと思うんだけど・・・。これなら一日中やってても飽きないと思う。

受付時に買わされた\1,000の昼食券を使って、サーキット前にあるレストラン・モナークで短い昼食を取った。表彰式で時間がおしていたものの、午後の講習会は時間通りに始まるので、皆弁当を一気食い。この日はずっと忙しいスケジュールだった。

12:00からは、国内A級ライセンス講習会だ。参加者は57名で、内45名は午前中のジムカーナに出場した人達。遠く愛知県(鈴鹿があるのに?)から一人、新潟県から三人の受講者がいた。国内B級ライセンスの講習の際に買わされたJAFの教材を使い、国内競技規則、国内車両規則、スポーツ法典H項に関してそれぞれ30分の学科講習を受けた。JAFの最新の教材は受講前に教室で買えたが、すぐ売り切れた。講習の内容は、全てその後の筆記試験に出た。ウド鈴木を挟んで、たいせーとまことが教官卓のまん前に座り、ウド鈴木がたまにおもろい質問をして皆を笑わせる。そして教室の中にテレビ・カメラがときたま入り込む。その後、講習さえ聴いていれば簡単で、教材参照可能な○X式の30問の筆記試験を受けた。そして公認競技出場記録カードに午前中のジムカーナ出場の押印をしてもらった。

0443 JAFの教材

奥田、関口というカートの国際ライセンスを持っている若者二人が、クルマの免許なし、実技走行免除で合格して帰っていった。教官曰く、F1ドライバーになれる可能性があるんだと。じゃあおらはWRCドライバーを目指すか。

15:10から実技走行前の注意事項が説明された。通常のスプリント・レースでやるグリッド・スタートでなく、ピット・ロードから走り始めて追い抜き禁止の1ラップの後、ゴール・ラインを通過した時点で、そのまま走りながらのスタートとなるローリング・スタートで行くと。スタート後の最初のラップの最終コーナーで黄旗を出し、1コーナーで緑旗を出すからその間は追い抜き禁止だと説明があった。あらかじめ黄旗と緑旗の出る場所がわかっているなら簡単だ。この実技走行は、走りながら信号旗を見ることができて、その意味を理解した走行ができるかどうかを試すもので、別に遅く走っても構わない。何だったらずっとインベタでゆっくり走っていればよいと。27台の速そうなクルマのクラスと、28台のAT及び遅そうなクルマのクラスに分かれ、15分づつの実技走行が行われた。

16:00、速そうなクルマのクラスの実技走行開始。黄旗が出てるのに平気で追い抜いていくクルマを2台見た。初めてサーキットを走ると舞い上がってしまうという教官の言葉通りだ。次は遅そうなクルマのクラスの番。おらは当然100%で行く。1ラップ走ってゴール・ラインを過ぎたと同時におらは抜き始めた。抜いたクルマの数を数えながら。最終コーナーで予定通り黄旗が出たので、そこから1コーナーまでは追い越しをやめ、1コーナーを抜けた瞬間にまた抜きにかかった。その後何と3ラップ目からは黄旗がなくなり、フリー走行状態が延々と続いた。こんなことならP-LAPを持ってきてタイムを計ればよかったよ。二輪でさえ抜きどころのない狭い筑波のコース幅で、四輪で抜くのはさぞや難しかろうと思っていたが、遅そうなクルマのクラスだから、いたるところで面白いように抜ける。レースだと予選の順位でグリッドに並ぶから、よっぽどスタートで出遅れない限り、何台も抜けるなんてことはありえないから、こんなチャンスはめったにない。ビーマーで走りながら、おらはこんなことを二輪でもやってるのかと思うと空恐ろしくなってきた。それが四輪だと全然怖くない。ただ最終コーナーだけは、FRの場合グリップの限界を越えたらいきなりスピンしそうでおっかない。こんな高速コーナー、二輪で走りたくはないよ。終盤になってなかなか抜けないクルマが現れた。それも軽自動車。そのクルマはスズキのKeiスポーツR。2ラップがかりでなんとか抜いたが、ビーマーのスピードと変わらない速さだった。後で調べたらインタークーラー・ターボ付で64psだが、車重が790Kgと軽い。おらはヴィッツのワンメイク・レースしか知らなかったが、スズキ・ワンメイク・レース・シリーズというのがあって、その中にスズキKeiスポーツカップというのがあるぐらいだ。フォーミュラ・スズキKeiってのまである。例のB4にだけは抜かれたが、おらのビーマーは何と12ラップでのべ21台をごぼう抜きし、ファンカーゴに負けたショックが多少は和らいだ。

000019 ライトをつけてるのが筑波でぶっちぎるおらのビーマー

四輪でサーキットを走ったのは二年ぶりで、四輪で筑波を走ったのは初めてだが、四輪は転倒しないだけでなく、多少ブレーキングが遅れて突っ込みすぎても、コーナーでスロットルを開けすぎてタイヤをスライドさせても命取りにはならないし、バック・ミラーがあるってのがいい。おらのビーマーは今年9年目の車検を迎えるし、おらの欲しいクルマ、アルファGTとプジョー307CCが今年発売されるから、買い換えようか迷っていたが、ビーマーへのご褒美に今年の車検は通してあげようという気になった。プジョー307CCはメタル・トップのオープンカーながら、今年のWRCでプジョーがベース車として使い始めたクルマだ。かっこいいし、フル自動オープン。その世界最高峰ラリーであるWRCは今年から日本でも開催される。F1のテレビ中継さえ見なかったおらだが、四輪のことも勉強し始めたのであった。

16:45、教室に戻って合格発表だ。まずは筆記試験の結果から。ウド鈴木を始め、講習会受講者57名中39名が満点だった。おらは何問間違えたか知らないが満点じゃなかった。おらはウド鈴木より頭が悪い!でも3問以上間違えた人はいないとのことで全員合格。80%の正答率で合格だし、落ちても追試があるようだ。

次は実技走行の結果発表。「違反者が3人いるが自分だと思う人は手を上げなさい」と教官。すると真っ先にウド鈴木が手を上げた。正直ものだ。その後、なかなか誰も手を上げなかったが、「違反はしかたないとしても、自分で違反を認識していないと不合格にする」との教官の脅しに負け、次々と計10人もが名乗りを上げた。自信のない連中は皆手を上げたって感じ。ウド鈴木は最終コーナー手前にある正規のピット・ロード入口から戻らず、最終コーナー途中からピット・ロードに入るというイエロー・カットをやったようだ。他の二人は黄旗での追い抜き。違反した3人を除き皆合格となって解散し、3人は居残りとなった。こうして国内A級ライセンス講習会は17:30に終了した。随分長いが充実した一日だった。国内A級ライセンス講習会では12ラップもフリー走行できたから、高価な講習会受講料は只みたいに思えた。それにジムカーナでは3位になったおかげでいろいろ貰えたから、これも出場料は只みたいなもんだ。こりゃクルマ好きならレースに出なくても、話の種に国内A級ライセンス取るしかないでしょ。できれば高性能なATをレンタカーして。かみさんはジムカーナと実技走行のときは写真係で忙しかったが、講習の間はビーマーの中で寝てた。

実際には、この日の9日後以降にJAFに仮ライセンスを取りに行かなければならないが、こうしておらは大垂水峠バトル・レースの21日後に国内A級ライセンスを取得した。3時間耐久レース決勝の3月7日(日)まであと29日を残していた。ジムカーナ出場料\11,000、講習会受講料\20,000、後日JAFにライセンスを取りに行くときの許可証料\1,000の計\32,000の出費。国内A級ライセンスの許可証料は、国内B級ライセンスの許可証料\3,000を差し引いて差額の\1,000だけですむ。国内B級ライセンスの取得費用を含めると国内A級ライセンスを取るのに合計\50,000と二日を要した。国内A級ライセンスがあれば、国内B級ライセンスで出場できるJAF公認のスピード行事に加え、国内で開催されるほとんどのレース形式のJAF公認競技に出場できる。

さて、その国内B級ライセンスと国内A級ライセンスは、残念ながら“永久”ライセンスではなくて、有効期限は取得した日からその年の12月31日までで、更新するには、毎年更新料金を支払う必要がある。国内B級ライセンスの更新料金は3,000円、国内A級ライセンスの更新料金は4,000円。それに国内B級ライセンス、国内A級ライセンスどちらもJAFの年会費4,000円が必要。だからおらは死ぬまで年\8,000をJAFに払い続けなければならない。でもJALグローバル・クラブ会員のように、金さえ払えば何の実績がなくても更新できる。また、以前は2年目以降の更新の際にはどこかのクラブに所属して、クラブ所属費用を払う必要があったが、1999年からはクラブに所属する必要がなくなった。おらはD-jacのクラブに所属したけど。

ここで意外なのは、四輪の競技ライセンスは、ロードサービスで知られるJAFが発行しているということだ。JAFは国内唯一の四輪モーター・スポーツの統轄機関で、国内で公認と呼ばれる四輪競技は全てJAFによって認められた競技である。F1等世界格式の四輪モーター・スポーツを取り仕切っているのがFIAという組織で、JAFはその下に属している。二輪で言うWGPを取り仕切るFIM下のMFJみたいなものだ。そのJAF公認の四輪国内競技に参加するのに必要なのが国内ライセンスで、FIA公認の国際格式の競技に参加するのに必要なのが国際ライセンス。国際ライセンスも日本ではFIAのもとでJAFが発行する。国際ライセンスには、国際C級、国際B級、国際A級の三つのライセンスがある。日本国内で行われる競技にも国際格式のものがあり、それに出場するには国際ライセンスが必要になる。ちなみにパリ・ダカに出場するには国際C級ライセンスが必要だ。

国内A級ライセンスから国際C級ライセンスにステップ・アップするには、その申請前12ヶ月以内にJAF公認レースで2回以上決勝進出して完走するか、地方選手権を含む国内選手権のJAF公認ジムカーナ等のスピード行事で6回以上完走しなければならないという難関がある。しかし国際C級ライセンスには更新条件がなく、ちと高いが毎年10,100円の更新料とJAFの年会費\4,000を払うだけでいい。対して国際B級ライセンスと国際A級ライセンスの更新には、毎年そのライセンスを取るのに等しい更新条件がある。例えば国際B級ライセンスを更新するには、申請前12ヶ月以内に準国際・国際格式のレースに1回以上決勝出走するか、24ヶ月以内に国際B級ライセンスを取得するのに必要な条件を再度満たしていないといけない。だから国際B級ライセンス、国際A級ライセンスは取る気がしないが(取りたくても取れそうにないが)、チャンスがあれば国際C級ライセンスなら取ってもよいと思っている。レンタカーのMTヴィッツで地方選手権に出場できるならジムカーナやろかな。

尚、JAF公認の四輪競技では競技ライセンスだけでなく運転免許証の提示が義務付けられていて、公道で違反して免停や免取になると競技に出場できない。公道のライセンスが有効でないと四輪の競技に出場できないなんて摩訶不思議だ。公道のライセンスは警察が発行しているものであり、競技とは関係ないのに。二輪のレースには免許証はいらないぞ。

おらの表彰台の姿がテレビに映るかもしれないが、民放のBSが見れる家なんてまずないだろう。そこでおらは自宅に戻ってからオーバー40の小山さんに電話した。小山さんは電気店をやっているから民放のBSも見れて、DVDレコーダーも持ってると思ったのだ。思った通りで、小山さんに録画の了解をいただいた。5月のMCFAJレースに出場するのか聞いてみたら「走行会なら冷静に走れるが、レースとなると冷静でいられなくて危ないから迷っている」と。筑波をおらより1秒速くラップするライバルの小山さんがレースに出ないんじゃ、おらはつまらないよ。

2月17日(火)20:00-21:00に、 “ウド鈴木のバカクルマニア”で、“まこと&たいせーとA級ライセンス取得の道”というタイトルの放送があったが、残念ながらおらの表彰台姿は映ってなかった。居残りのウド鈴木とあと二人は合格してた。

 

こうしておらの2004年のサーキット人生は、思いもしなかった四輪競技ライセンスの取得から始まった。本間師匠には申し訳ない展開だが、師匠もカート・レースにうつつをぬかしたり、今度黒澤というプロ・レーシング・ドライバーとシビックで耐久レースに出るということだから許されよう。そういや岡田の友人の西田氏もシビックでレースやってたし、尾田しかりだ。シビック使いがおらの回りにはたくさんいるなー。でも平校長には合わせる顔がない…。学生時代にバイクに乗っていた頃、同じくバイクに乗る友人と「おれ達はクルマになど乗らず、いつまでもバイクに乗り続けよう」なんて話してたのに、二人ともその約束を破った思い出がある。そのおらはサーキットという舞台でバイクに戻ってきたのに、またバイクを裏切ってサーキットでもクルマに乗り始めた。その点、何歳になってもバイク一途であり続ける平校長は偉い。おらはそもそも何故二輪サーキットなのか?四輪ではいけないのか?と、去年二輪サーキットの恐怖感に襲われてから度々自問自答するようになった。二輪の方が男らしいし、コーナーでバイクを寝かせているときの快感は四輪にはないものだ、というのが漠然とした答えだった。しかし四輪サーキットをやってしまったら、二輪サーキットに戻れなくなるのではないかという、危機感のようなものが今のおらにはある。気持ちとしてはおらはレーシング・ライダーでいたい。でも二輪サーキットは怖いし、ケガしてまた会社を長期間休むわけにはいかない…。

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