Round 8 二輪サーキットに戻ってきた愚かな男
2004.04.29

4月16日(金)、おらは有給休暇を取り、軽トラ借りてかみさんと筑波に行った。暖かくなったから懲りずにまた膝擦りしたくなったのだ。R6の加速感も忘れられない。そして練習を積んで1年前のレースのときと同じようなペースでラップできるようになったら5月30日(日)のMCFAJレースに出場しようと思ったのだ。FISCOでの骨折以来10ヶ月ぶりにおらは二輪サーキットに帰ってきた!

二輪@筑波はおらにとってまだ3回目で、フリー走行はこれが初めて。ここで詳しく説明するつもりはないが、筑波のフリー走行の予約方法はちょっと複雑で面倒だ。しかも電話だけでなくウェブサイトでも予約できるようになったのはやっとこの4月から。それは許せるとしても、土日の予約は事実上一ヶ月に1枠(30分)しか取れないから平日に走るしかない。でも去年随分会社を休んだおらには有給休暇がもうないし、あったとしても取り辛かった。だから4月が来るのを待った。年度が変わればおらの会社へのみそぎは済むと勝手に思ったのだ。しかし無意識に体が嫌がるのか、走行日が近づくと骨折した左足首がなぜか痛みだした。フリー走行の予約は一ヶ月前に取っておいたが、予約のキャンセルが可能な走行日の三日前まで、おらは本当に走るか悩み続けた。怖いと思うのと、もう大ケガできないという思いがずっとあった。それに四輪サーキットのラップ・タイムに満足したおらは、危ない二輪サーキットはやめて四輪に転向すればいいとも思っていた。しかしやっぱりおらの本職はレーシング・ライダー。でも今度大ケガしたらたぶんやめる。その前に会社を辞めなきゃならないかもしれないが・・・。転倒して大ケガしたら会社をクビになるかもしれないというリスクを背負っておらは筑波を走る。元々死ぬ危険性があるのを覚悟で走るんだからクビぐらい・・・。余談だがこの日のフリー走行の二日前に、会社の課の連中がボーリングをやると言いだした。しかしボーリングをやると右手の握力がなくなるから、おらは断った。ライダーの生死は右指二本にかかっているのだ。

05:00に自宅を出て07:00に筑波着。既に空いてるピットはなくパドックの駐車場に軽トラを止めた。ライダーって何でこう早起きなんだ?天気は晴れ。ホンダの走行会があるようで、おらの軽トラの近くに元GPライダーの坂田和人と青木琢磨がいた。でもおらにミーハーやってる余裕はなかった。

この日は予約した2枠(30分x 2)を走る予定だった。だから2枠目の走行料金を無駄にしない為にも、二輪サーキット恐怖症がぶり返さないようにする為にも、少なくとも1枠目はツーリング・ペースで走ることを心に誓った。かみさんにも、二輪サーキットに復帰することへの同意を得た部下の一人にも、「絶対無理しないで」と言われてたし、おら自信そうしなければいけないと思っていた。だからブレーキング・ポイントは去年のレースの際の、

第1コーナー手前:70m

第2ヘアピン手前:50m

最終コーナー手前:90m

に20mづつぐらい加算した。目標はレコード・ラインを覚えることと、絶対に転倒しない範囲でコーナーでできるだけ寝かせることだけにした。本間師匠に教えてもらった、内足のブーツの底をステップの先端にあてるやり方で、今までよりずっと寝かせられる予感があった。走行中にラップ・タイムを知ると熱くなるからP-LAPは見ないことにした。ツーリング・ペースだから特に目標タイムは決めなかったが、1枠目でおらのベストの116に対し120程度を、2枠目で118程度を出せれば十分と思っていた。

走行券を買いにコントロール・タワー二階の受付に行くと、みんな何か書いてる。おらが走行券を買おうとしたら、以下の記述の念書に年月日、住所、氏名、電話番号、チーム名、同行者名、走行車両と排気量、ゼッケンNo.を書かされた!印鑑がなければ拇印を押せと。フリー走行で念書にサインするなんて初めてだ。

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念書

財団法人日本オートスポーツセンター理事長殿

私儀(筆者注:国語辞典を引いてもこんな漢字はない。私議なら“私見”という意味がある。)

私はスポーツ走行、ファミリー走行に関連して起こった負傷、死亡、その他の事故で私自身の受けた傷害について、けしてコース管理者ならびにその従業員、雇員、又は、他の走行者などに対して非難したり、責任を追及したり、けして損害賠償を要求したりしない事を誓約いたします。尚、このことは、事故がコース管理者ならびにその雇員、又は、他の走行者の手違いなどに起因した場合であっても変わりありません。

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なんだか手がこんでるね。今更同意しないわけにはいかないでしょ。

ツーリングのつもりだし面倒くさいから2枠分まとめてガソリンを入れほぼ満タンにし、タイヤにエアーを入れて空気圧を調整し、オイルの量を確認した。

08:00から30分の第1ヒート。おらは前夜から随分神経質になってたが、ツーリング・ペースと誓ったからか、パドックを発つときもコース・インするときもそんなに怖くなかった。FISCOでの大転倒の恐怖心が残ってないか心配だったが、やっぱり筑波ならおらは怖くないようだ。サーキット・ライセンス取得時に神谷氏に教わったラインをトレースしてゆっくり走った。

Joy耐3時間で尾島監督に言われたように、コーナー出口でコース外側まではらむことによりスロットルをできるだけ早く全開にすることを意識した。おらはこんな基本的なことを今までやってなかったのだ。四輪サーキットは、ドライビングの状況を撮影して人に観てもらうことができるから上達が早くなる。そして二輪にもそのアドヴァイスが活かせた。R6にもWGPみたいにオンボード・カメラを取り付けられないかしらん。

S字ではフル・スロットルで加速中だから思うように最初の左が曲がれなくて、その後のラインもブレーキングも滅茶苦茶になる。

シケインでは最初の右の縁石に寄った後、左に切り返すのがどうしても遅れて左の縁石に寄れない。四輪ならステアリング回すだけで曲がれるが、二輪でヒラリ、ヒラリと曲がるには技も体力も必要だ。FISCOでもそうだったが、どうもおらはシケインが苦手だ。

クラッシュした後のR6の調子も心配だったが悪くない。しかしバック・ストレートでのウォブルがひどかった。タイヤをソフト・タイヤに代えたからか?これじゃFISCOのストレートはとても走れない。この日の走行が終わってからLANGに直行して中村店長に聞いても後日本間師匠に聞いてもステアリング・ダンパーを付ければいいとの事だったが、TT600にステアリング・ダンパーを付けてFISCOのストレートを走ったときはウォブルがよけいひどくなったからなー。

しばらくすると、内足の置き方を変えたのが効いたのか今までよりも随分寝かせられて、全て右コーナーになる第1コーナー、第2ヘアピン、最終コーナーで右膝を擦った!筑波で膝が擦ったのはこれが初めて。第1コーナーではブーツの先端外側も擦ってしまうが、そこには取り替え可能なプラスチックが付いてるし、本間師匠もブーツは擦ると言ってた。でも左コーナーになる第1へアピンでは、なぜか寝かせきれなくて膝は全く擦らない。FISCOといい筑波といい右回りのサーキットばかり走ってて、左コーナーの練習量が足りないから左コーナーが苦手なんだろか?それとも第1ヘアピンは小径だから寝かせにくいのか?嫌、第2ヘアピンも同じ位小径だ。本間師匠に聞いたら「突っ込みすぎでは?」と。

そしてその第1ヘアピンだけはスロットル全閉からパーシャルに持っていく際に飛び出しが出るから、パーシャルまでスロットルをなかなか開けられず、失速してタイムを随分ロスしてる。中村店長に理由を尋ねたところ、「第1ヘアピンは小径だからコーナリング中のエンジン回転数がパワー・バンドに入らない為では」と。本間師匠は、「スロットル全閉が長いとガスが溜まって飛び出しが出る。飛び出しの対処は、アイドリングのエンジン回転数を3,000回転くらいに上げるか、キャブレターのスローのセットアップを薄くする(エアースクリューを開ける)」と。第1ヘアピンで飛び出しが出て、同じくらいのRの第2ヘアピンでは飛び出しが出ない理由はこれか。確かに第1ヘアピン手前では、S字がまともに走れないことによりハード・ブレーキングできていないから、第2ヘアピン手前よりスロットル全閉の時間はかなり長くなってる。S字の走りがまともになっても飛び出しが出るようなら、ちょっとおっかないがアイドリングの回転数を上げてみる。でもキャブレターはいじる自信がない。あいかわらずサスペンションのセッティングさえいじったことのない、やる気があるのかないのかわからないおらであった。だいたいサスペンションの伸び縮みや前輪の接地感といった事がおらにはまるでわかってないから、必然的にサスペンションには無頓着になる。

S字の途中と第2ヘアピン手前の170Rでは、本来3速にシフト・アップするんだが、2速のレッド・ゾーンまで回転数が上がらない。バック・ストレートでは3速のレッド・ゾーンになかなか入らず、4速を使うのは一瞬だけ。FISCO用のロングなギア・セッティングのままで来たのが失敗だった。元々おらは筑波では2、3、4速しか使わないが、これじゃあ全然だめ。今のR6はフロント・スプロケットは何丁だか知らないがリア・スプロケットは46丁。筑波のレースの際には、リア・スプロケットは48丁にしてた。中村店長に筑波用のお勧めのセッティングを尋ねたら、「3速と4速、4速と5速の間は、2速と3速、3速と4速よりクロスしているから、フロントの丁数を減らして超ショートなギア・セッティングにし、2速の代わりに3速を、3速の代わりに4速を使うのがいい。筑波では通常のギア・セッティングで6速を使うことはないから、この方法で3、4、5、6速だけを使えばいい」と。本間師匠もスタートの事を考えるとこれがいいと。しかし今のR6のフロント・スプロケットが14丁だとわかり、おらが持ってるフロント・スプロケットは他に15、16丁だけなので、結局昨年の筑波のレースの際と同じギア・セッティング、つまりフロント・スプロケットは14丁のままでリア・スプロケットを48丁に戻すことにした。

おらは調子に乗りだして、第1コーナーと第2ヘアピンに加え、最終コーナーでもガリガリに膝が擦るようになる。しかし最終コーナーだけはひとつ間違えば出口付近でコース・アウトしそうでおっかない。最終コーナーは入口が100Rで出口が90Rという嫌らしい複合コーナーとなっている。

太ももが疲れてきたのでP-LAPに表示される周回数だけを見たらまだたったの7ラップ。筑波の7ラップはFISCOの3ラップほどの距離しかないのに。結局最後までペースを落とさず30分間走りきったが、体力の限界だった。筑波はストレートが短くてコーナーが多いからすぐ太ももにくる。こりゃレースで7ラップ程度走るのと違って、筑波のフリー走行は体力がいるわ。

無事フリー走行を終え、パドックでP-LAPを見てみると18ラップも走っててファステストは13ラップ目の115551。ななななんと去年のレースで出したおらのベスト・タイムの11624を更新してる!ツーリングしてたつもりだし、長いブランクがあったのに嘘みたい。きっとコーナリング・スピードが以前より随分速くなったからだろう。おらの腕は衰えてはいなかった。走行前にライテク本を何冊か読み返しておいたのも効いたか。


0884 ダンロップ・アーチをバックに第2ヒート直前のおら
とR6

1時間休憩して、09:30から30分間の第2ヒート。今回もコース・インの際の恐怖感なし。ツーリング・ペースは変えず。と言っても走り始めてすぐ太ももが駄目になったから、まともに走れなかった。次回からは1枠目と2枠目の間が2時間以上空くように予約する。

やはりフル・スロットルでの加速中に、S字の左でおもいっきり寝かせようとしても寝かせられず、左側の縁石にどうしても寄れない。だからその後の右が辛く、第1ヘアピン手前のブレーキングがまともにできない。

第1ヘアピンでおもいっきり寝かせる事を試みたら、一回だけかすかに左膝を擦った。左膝を擦ったのは3年前のFISCO以来2回目だ。でもここはまだまだの出来。

第1ヘアピン脱出後の短いストレートの終わりからシケインまでの、ダンロップ下での走り方がいまいちよくわからなかったが、速いライダーがストレートの終わりから右におもいっきり寝かせてたのを観て、あの走りだ!と思った。ここでも右膝が擦るほど寝かせなきゃいかんのだろう。

第2ヘアピン手前の170Rが邪魔で第2ヘアピン進入時にコース外側に寄れず、どうしてもコース真ん中から進入してしまうが、中村店長はそれでいいと。

神谷氏も中村店長も、最終コーナーは二ヶ所でクリップすると言ってたが、とても最終コーナー前半で一度クリップするラインが正解とは思えない。それだとアウト・イン・アウトでなく、アウト・イン・アウト・イン・アウトになるからだ。中村店長に聞くと、「600ccなら奥で一回クリップすればいい」とのことだったが、本間師匠は、「最終コーナーは、入口でクリップに付かないラインは入口で抜かれやすい。コーナーの中盤で外にはらんでもタイムは変わらない」と。入口でクリップして中盤で外にはらむのは怖そう。おらにそんなラインが使えるかしらん。

太ももの筋肉の辛さに耐えながらしばらく走ってたが、今度は息が切れだした。そしてついには右手の握力がなくなってブレーキングに支障をきたすようになった。さすがにこれ以上走り続けるのは危険と思い、おらはチェッカー・フラッグを待たずに20分走行したところでパドック・イン。42歳にしておらは初めて体力の衰えを感じた。二輪レースにはオーバー40ってなクラスがあるわけだよ。下半身の筋力と右手の握力を強くするにはテニスが一番いいだろうから、テニスにも復帰しようかしらん。

パドックでP-LAPを見ると12ラップしてファステストが12ラップ目の1’15“325でまたベスト・タイムの1'15"561をわずかながら更新!慣れないサーキットはこれだから嬉しい。これでおらは小山さんのタイムに並んだ。

2ヒートともたまに抜くけどほとんど抜かれっぱなしだった。ナンバー付きが一台いたが、それにも抜かれた。おらの二輪の才能は四輪のそれには及ばないようだ。でもやめられない。二輪サーキットは危険を承知でやめられない、麻薬のようなものだ。できればツーリング好きになって二輪サーキットは早く引退したいが、無理に好きになれる趣味などない。ベスト・タイムを更新したし、合計30ラップも走ったし、転倒しなかったので最高のフリー走行だった。おらの二輪サーキット完全復活だ!何を隠そうおらは今のところFISCO以外のサーキットで転倒したことはないのだ。おらはこれで5月のオーバー40レースに出場する決心をした!レースまでにあと3回は筑波で練習して、1秒づつタイムを縮めて1’12くらいで走れるようにしておきたい。そして筑波ならこれからもフリー走行を楽しんで続けられるような気がしてきた。またすぐにでも走りたい。まだ二輪サーキットを続ける気のある自分に、おらは満足した。それにしても何が楽して、おらはまた狂人の世界に足を踏み入れてしまうのか…。

ブレーキング・ポイントを少しは詰めたかったが、最後まで全く詰められなかった。コーナーの立ち上がりスピードが以前より速くてストレートでのスピードがアップしたからだろう。ブレーキング・ポイントは以下に戻して、一からやり直し。

第1コーナー手前:70m→100m

第2ヘアピン手前:50m→70m

最終コーナー手前:90m→110m

筑波のフリー走行のいいのは、以下のように二輪の走行クラスが五つに分かれていることだ。

L:ナンバー付き

A:プロダクション・レーサーとナンバー付き

B:550cc以上のプロダクション・レーサーで1’

06以内で走れる人

R:250cc以上の2スト・レーサーと750cc以上のプロダクション・レーサーで1’

02以内で走れる人

S:125ccの2スト・レーサー

クラス毎にストレートやコーナーでの走行スピードは違うから、これは安全。それに筑波は絶対スピードが遅いサーキットだから、FISCOより安全に膝擦りを楽しめる。筑波は超高速サーキットのFISCOとは正反対の性格のテクニカルなサーキットだ。しかも筑波は平日\2,500、土日祝日\3,000とFISCOより随分安い。おらは最初に選んだサーキットを間違えたようだ。筑波で安全に腕を磨いてからFISCOに行くべきだった。ラッセルさんにはそう言われてたんだが・・・。しかし飯尾さんは、「筑波はエスケープ・ゾーンが狭くて危ないからもてぎで走る」と言ってた。確かに筑波のグラベルとグリーンはないに等しいから、コース・アウトしたらすぐクッション・バリアに突っ込むようにできている。

走り終わったのに思わぬところで転倒した!しかも二回も?R6を軽トラに載せようとして、いつものように1速で半クラ使いながらラダー・レールに載せたら、ラダー・レールの途中でおらの体側にR6を倒した!下敷きになったおらは力が入らなくてR6を起こせない。隣のライダーが助けてくれてなんとかR6を地面に降ろした。そしてもう一度R6を軽トラに載せようとしたら、今度は軽トラに載せ終わったところで同じようにR6をおらの体側に倒した!今度は二人のライダーに助けてもらった。おらの下半身の状態はもう限界を超えていて、バイクを支える力さえ残っていなかったのだ。この転倒のせいで、走ってるときはなんともなかった骨折後の左足首が、歩くと痛むようになった。またひびでも入ったか?

 

その足でLANGに直行した。中村店長にライディングの疑問を聞きたかったのと、R6のアンダー・カウルの右側がFISCOでの転倒の際に大きく欠けたままなので、レース車検に通るかどうか見て欲しかったのだ。残念ながらこのままではレース車検に通らないとのことで、そのままLANGに車体ごと預けて修理してもらうことにした。中村店長にタイヤの交換時期を聞いたら、「4時間。レースのとき新品にして、あとは練習に使うといい」と。本間師匠もそれでいいと。一週間後の土曜は四輪@もてぎだ。忙しくなってきた。

 

筑波フリー走行の翌日の土曜に、SRV250で1年ぶりにツーリングした。毎年1回か2回、日帰りで友人二、三人と関東近県の峠に行って露天風呂につかる。今回はよく行く箱根に行った。SRV250は遅いマシンだし、峠でそんなに無理はしないから、おらはツーリングで転倒したことはない。とはいえおらは峠ではぶっちぎりのバリバリ伝説野郎だ。R6の1/4の馬力しかない27psでもコーナリングは十分楽しめる。前日のフリー走行のせいで右手の握力がなかったから、ブレーキングはシフト・ダウンを頻繁に行ってエンジン・ブレーキを使うと共に、サーキットをやるようになって全く使わなくなったリア・ブレーキを使った。途中でクラッチをきる左手の握力までなくなったから、完全停止するとき以外はシフト・アップもシフト・ダウンもクラッチを使うのをやめた。空ぶかしするとクラッチをきらなくてもシフト・ダウンがスムーズにできる。友人のヤマハSRX-400に乗ってみた。おらには初めての単気筒エンジン。パワーはないし、高回転域での振動が激しいが、低回転域でのトルク感がいい。ところで峠に革つなぎ着てやってくる連中が結構いるが、誰も膝のバンク・センサーが削れてないから返ってカッコ悪い。おらだったらやすりで削っておく。

 

筑波でのフリー走行の一週間後の日曜にR6のリア・スプロケットを46丁から48丁に代えたが、いざホイールを車体に取り付けようとしてもシャフトがどうやっても入らない。しばらくしてリア・ブレーキ・キャリパーを固定しているボルトの位置を変えなきゃいけないことがわかり何とかなったが、以前リア・スプロケットを48丁から46丁に代えたときは、そのボルトはいじらなかったがなー。


0922 リア・スプロケットを代えているところ。修理したR6のアンダー・カウルは着色していない状態 

おらとはレベルが随分違うが、RIDING SPORTの編集長の青木淳氏も、カワサキの600ccスパースポーツZX-6RRで練習して、全日本選手権に復帰しようとしている。何歳だか知らないがおらとどっこいどっこいの歳だろう。いい歳して、この人も狂人の一人だ。青木氏はその過程をRIDING SPORTの“編集長のZX-6RR参戦日記『目指せ全日本』って本気だぜ”という連載にしてるから、読者の手前途中で投げ出すことができないという、本書に似た状況に自分を追い込んでる。

 

ボルドール24時間耐久レースと共に伝統のあるル・マン24時間耐久レースで、2003年全日本ロードレース選手権の最高峰クラスJSB 1000チャンピオンの北川圭一が、日本人初の優勝を成し遂げた。しかも3人のライダーの中でのエース・ライダーとして走っている。北川のマシンはスズキのGSX-R1000で2位のマシンがヤマハのYZF-R1。しかし日本のメディアには広く扱われない、ロードレース後進国の日本であった。それにしても24時間耐久ロードレースなんて鬼のようなレースだ。今のおらには24分が限界。北川の所属するケンツは、昔江場ちゃんが全日本のメカニックをやっていたチームだ。

2004年の全日本ロードレース選手権は、市販4ストローク1,000ccベースのJSB1000、同じく600ccのST600、2ストローク・レーサー250ccのGP250、同じく125ccのGP125の4クラスと、カテゴリーが分かりやすくなった。しかし2ストローク500ccに変わって4ストローク990ccが最高峰となったWGPを含め、GP250の存在意義がよくわからない。市販につながらない2ストローク250ccマシンはメーカーにとって旨味がないし、4ストローク600ccマシンとの性能差があまりないからだ。またWGP(世界グランプリ選手権)が世界最高峰のロードレースというのはわかるが、他に“世界”と名のつく、SBK(世界スーパーバイク選手権)とWSS(スーパースポーツ世界選手権)の位置付けがよくわからない。誰か教えて。

2004年のWGP第1戦、南アフリカGPのMotoGPクラスで、ヤマハに移籍したロッシがホンダのビアッジとの接戦の末優勝した。ヤマハのYZR-M1での二番手ライダーがノリックの9位という、ホンダのRC211V絶対有利の状況での優勝ということからも、ロッシの強さは飛びぬけている。100年に一人の逸材だと。開幕前にロッシは「今シーズンはチャンピオンになれるとは思わないが、シーズン中盤には勝てる」と言っていたそうだが、随分謙遜した言葉だったのか?それとも今後は苦戦するのか?

 

おらはレースまでの1ヶ月半で、現在の70kgから63kgに減量することにした。おらは中性脂肪値と血糖値が高めだが、レースという目的があると頑張って減量できる。レースは成人病対策にもってこいのスポーツであった。

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