Round 11 二輪サーキット引退を決意!

2004.05.16

部下の査定会議を行っている際に、間もなく始まるゴールデン・ウィークの話が出て、おらの上司のそのまた上司にあたる事業部長から、「バイクにはもう乗らないでくれよ」と言われてしまった!今まで職場では誰からもそれを直接的には言われなかったんだが・・・。おらはそのとき無言で通したが、こりゃ本当にクビを賭けて走る事になった。

緑の日の前日に有給休暇を取ってJoy耐公開練習に参加したとき、おらは走行直後にだめ元でその明後日の筑波の二輪走行の予約を取ろうとしたら、随分間が開いてしまうが08:00から30分と15:30から30分の予約が取れたので、会社の連中にひんしゅく買うに違いないが、おらは緑の日の翌日も有給休暇を取る事にした。一応Joy耐公開練習が終わって帰宅してから会社宛のe-mailを確認し、ちょっと仕事をした。これでおらのゴールデン・ウィークはなんと8連休となった。そしてこの2週間で二輪、四輪のマルチ・レースに備えた二輪2回、四輪2回の計4回ものサーキット走行をする事になる。これだけ頻繁なサーキット走行だと、走ること自体は全く問題ないものの、本書の執筆が滞って往生する。その時点でおらはまだ最初の二輪@筑波の執筆さえ終わってなかったのだ。“次のイヴェントまでに執筆完了”という、本書の執筆を始めてからおら自身が決めた〆切をとうとう破ってしまった。おかげでおらのゴールデン・ウィークは、サーキットに二日行った以外は全て本書の執筆に費やすことになる。

ところで筑波の予約はAクラス(プロダクション・レーサーとナンバー付き)は平日でもすぐ空きがなくなるが、Bクラス(550cc以上のプロダクション・レーサーで106以内で走れる人)は結構空きがあるから、練習量に違いが出てますますタイム差が開いてしまう。Aクラスの枠をもっと増やした方が筑波も儲かるはずだし、上級者でないAクラスのライダーが、いつも大勢で走るのは危険だと思うんだけど。

4月30日(金)、おらは有給休暇を取り、軽トラ借りてかみさんと筑波に行った。05:00自宅発の07:00筑波着。既にピットどころかパドックの駐車場もトランポで埋まっていて、何とか随分奥のスペースに軽トラを停めた。そこは第1ヘアピンのすぐ横だった。筑波はコースのエスケープ・ゾーンだけでなくパドックの敷地も狭すぎる。それにしても筑波でもFISCO同様、軽トラをトランポにしているのはおらくらいだ。みんなワンボックスのトランポを自前で持っていて、二輪サーキットの為に普通車を持つ事を犠牲にしている。おらはクルマも好きだからそうは割りきれない。

オイルの量を確認し、エアーを補充し、ガソリンをほぼ満タンにした。サーキットにやってくる連中は皆ガソリン・タンクを持っていて、それをパドックにあるガソリン・スタンドまで持って行きガソリンを買うが、おらはこれ以上荷物が増えるのを嫌がってガソリン・タンクを買ってない。おらは軽トラを借りる度にフルフェース、つなぎ、グローブ、ブーツ、工具、ラダー・レールその他のサーキット用品一式を自宅から軽トラに運ばなければならないが、かみさんと二人で1回で運べる荷物はこれが限界なのだ。しかしFISCOではバイクに乗ってパドックにあるガソリン・スタンドまで行く事ができたからよかったが、筑波はオフィシャルがうるさいのかそうしてる人を見かけないから、おらはガソリン・スタンドまでR6を押して行かなければならない。それにしてもR6を押して歩くといつも思うが4ストローク600ccマシンは重い。走ってるときは寝かし始めるとき以外そんなに重さは感じないのだけど、こんな重い物をレーシング・スピードで走らせているのかと思うとゾッとする。

昨晩から何か妙に嫌な感じがして筑波に行くのは気が進まなかった。この日も筑波に近づくにつれその嫌な気分は増した。走るのが怖いからなのか、それとも会社を休んでばかりでうしろめたい気持ちでもあるのか自分でもわからなかった。筑波に着くと、この日は転倒するような気がした。そして走行時間が近づくにつれ、だんだん怖くなってきた。二輪サーキット恐怖症がぶりかえしたのだ!前回は10ヶ月ぶりの二輪フリー走行なのになんともなかったし、危ない目にあったわけでもないのに何故?FISCOで走るわけでもないのに?そういやFISCOで走ってたときも、その前の走行結果に関わらず、なぜか怖いときもあればそうでないときもあった。それに転倒を繰り返した1年目の2001年シーズンはそんなに怖いと思った記憶がないが、転倒が少なくなった実質2年目の2003年シーズンになっておらはパドックでどえらい怖がるようになった。一度罹ったサーキット恐怖症は完治しないのか?原因不明の症状だ。それにしても筑波で怖がるようになったんじゃお終いだ。これじゃあ、この先とても長く続けられそうにない。もしかしたら前回のツーリング・ペースと違って、この日は攻めようとしていたからかもしれない。怖がっている事をかみさんに話すと、「もうやめたら」と簡単に言ってくれる。フルフェースを被る直前になると本当に走るのをやめたくなった。レースもやめようかと思った。しかしここまできたら走るしかない。サーキットを走り始めた頃の楽しさはどこへやら。とても楽しいなんて思えない。怖いだけだ。少なくともまたマシンをダメにするか、入院するような大ケガをしたら今度こそやめようと思った。たとえこのまま大ケガすることなく続いたとしても、筑波でのおらのタイムの限界が見えたら、自ずと筑波でのフリー走行はやめると思う。

今回の目標はブレーキング・ポイントを5m刻みで、ちょっとでも詰める事。S字をレコード・ラインで走る事。第1ヘアピンでも毎ラップ膝が擦るくらい寝かせる事。ダンロップ下でも膝が擦るくらい寝かせる事。そしてシケインの左側の縁石に寄る事だ。これらの内一つでもクリアできればいい。目標タイムは前回の115に対して、ファイナルを代えた事と上記により2秒短縮の113。でも走行中にP-LAPは見ない。



0968 第1ヒート出走直前のおらとR6

08:00から30分の第1ヒート。コース・インするといつものように怖さはなくなる。だいたい怖いと思ってる暇がない。ギアのセッティングはだいぶいいが、S字と170Rではぎりぎり2速のレブ・リミットに当たり、3速にシフト・アップ。これ以上ファイナルをショートにはできないから、2速のままってのもありかもしれないが、それではタイムは伸びないだろう。

S字での加速中はあいかわらず全く左に曲がれないから、レコード・ラインを大きく外してしまう。

第1ヘアピンでは膝は擦らないものの、ブーツの横が毎ラップ擦るようになった。前よりは寝かせているんだろう。しかしここでは相変わらず飛び出しが出てばかりでスロットルを開けにくいから、立ち上がりスピードが遅い。

シケインでは右縁石に寄ってから左縁石にも寄れるようになった。

前回気になったバック・ストレートでのウォブルは、3速にシフト・アップした直後のフル・スロットルでの一瞬だけであることがわかった。ちょっとおっかないが、これなら我慢できる範囲。

第1コーナーと第2ヘアピンでは膝は擦るものの、擦り具合が浅く、前回のようにガリガリいかない。意識してそうしたわけではないが、何故かどちらも前回よりクリッピング・ポイントが奥めになって、インベタにしてた距離が短いからかもしれない。最終コーナーだけは怖くて寝かせきれるスピードにしていない事がはっきりとわかった。だから最終コーナーでは膝は1回かすった程度。これじゃあストレートでの加速だけはファイナルをショートにした分良くなってても、ラップ・タイムは遅かろう。

ブレーキング・ポイントはどこも全く詰められず。第1コーナー手前の110mと第2ヘアピン手前の70mはこれがぎりぎりって感じ。最終コーナー手前は110mからまだ詰められる余裕があるが、怖くてとても詰められなかった。170Rと最終コーナーでだけは転倒したくない。

パドックでナンバー付きを1台見かけたが、コース上では遭遇せず。何台か抜いたが、抜かれた方が多かった。

すぐにまた太ももにきた。我慢して走ったが、チェッカー・フラッグを受けずにパドック・イン。その直後に走行時間が終わったから走り続けていてもあと1ラップできたぐらい。これじゃあ、筑波の二輪耐久レースなどおらには絶対に無理だ。P-LAPを見ると15ラップして、ファステストは13ラップ目の114832。わずか0493ベスト・タイムを更新したが、ちっとも嬉しくない。このギア・セッティングで前回の様な走りができていたら2秒は更新できたはずだ。それにしても前回はツーリング・ペース、今回はそれなりに本気で走ったのになぜこうも走りが違うのか?

その後しばらく第1ヘアピンを走る他のクラスのフリー走行を観ていたが、2スト125ccレーサーの進入スピードとコーナリング・スピードは他のクラスを圧倒している。第1ヘアピンではパワーはいらないから、軽量かつスリック・タイヤを履いている2スト125ccレーサーが一番速いんだろう。2スト125ccレーサーの第1ヘアピンへの進入での切り返し、コーナリング、立ちあがりの美しさは観ていて惚れ惚れする。コーナーで寝かしたいのなら2スト125ccレーサーにするべきだった。しかし2スト・レーサーのメンテなどおらには到底できそうにない。それに比べてプロダクション・レーサーの走りは、106以内で走れる人のBクラスであっても、進入時にはほとんど失速状態で、コーナリング・スピードものろくて観ちゃいられない。おらはこれより遅いのかと思うと嫌になった。

S字がどうしてもだめだし、何故こうも前回と走りが違うのか理由がわからず、このまま次を走っても何も進歩がないと思ったおらは、すがるような気持ちで筑波の食堂から本間師匠に電話した。あいかわらずの元気で甲高い声が出た。

おら:「S字でのフル・スロットルではどうしても左に曲がれない」

師匠:「寝かすときにスロットルを1/2だけ戻す。S字でスロットルを開け過ぎると高速でのハイサイドになるから危険。無理しない方がいい」

おら:「前回のように寝かせられない」

師匠:「二輪も他のスポーツ同様精神的な要素が大きい。ちょっと力が入ると操作がラフになるから遅くなる。遅い奴ほど操作がラフで転ぶ。タイム・アタックはもっとコースを知ってタイムが安定してからでいい。危ないと思うところは攻めない方がいい」

おら:「最終コーナーでは距離看板を目安にブレーキング・ポイントを決められるが、どこでブレーキを離せばいいのかわからない」

師匠:「最終コーナーでは遠くを見て、観客席の場所や色を目安に、ブレーキを離す位置、パーシャルから開け始める位置も覚える。速度を落としすぎなければ、加速していなくてもタイムはそんなに落ちない」

その後師匠が、「二輪は危ないからツーリングに留めて、サーキットは四輪に専念した方がいい」と言う。おらは「ツーリングは嫌いなので…」と答えたが、師匠がこんな事を言うなんて初めてだ。今更遅いよ。おらをその気にさせたのは、もともと江場ちゃんと師匠だ。年末にみんなで飲んだ時も、「二輪サーキットにはヨウマ(腰椎麻酔の略で、ケガして手術する際に行う下半身麻酔のこと)はつきもの」と、おらのヨウマの回数は5回だが、師匠は何回、江場ちゃんは何回とおらに「ヨウマ・クラブへようこそ」ってな話で盛り上がったのに。しかしおらは師匠からその言葉が出るのをずっと待っていたような気もする。おらの二輪サーキットはたいして速くなったわけでもないが、数々の転倒を繰り返して、ケガもして、「そこまでやれば免許皆伝」とまではいかなくても、「そこまでやれば本当の弟子と認めてやる。だからもうやめてもいいよ」と言われたような気がした。師匠は、このままおらに二輪サーキットを続けさせて死なれでもしたら責任持てない、と思っただけかもしれないが、後になっておらはその一言が嬉しくなった。それにしても、こんなとき本間師匠の存在は本当に助かる。午後の走行で師匠に教わった事を試したい。

おらはバイクそのものは好きなんだが、乗る事自体は億劫で好きではない。クルマも同じで、毎週の様にかみさんと関東近辺の温泉までドライブするが、ほとんどかみさんに運転してもらう。でも競技は好きだから、二輪サーキットは怖くてもツーリングより断然好き。それがレースでなくてもいい。P-LAPでタイムを計ることにより、過去の自分のタイムとの勝負や、自分で決めた目標タイムに挑む事でサーキットとの勝負ができる。対してレースは表彰台を狙えるわけではないが、同じ様なタイムで走るライバルがいればその勝負が面白い。

さて、第1ヒート終了からおらの次の走行時間までは7時間も間があるので、師匠に電話した後もまだ6時間の間があった。よってR6を筑波に残し、予めかみさんが調べておいた、筑波からクルマで30分くらいのところにある“しもつま温泉”に行き、露天風呂にゆっくりつかって太ももの筋肉を癒しながら、次の走りのイメージ・トレーニングを繰り返した。温泉で昼飯を食べた後、かみさんは休憩所で寝てしまった。

おらは次の走行まであと1時間の14:30に筑波に戻ってR6にまたがってみたが、太ももの状態はあまり回復しておらず、3ラップも持ちそうにない。でもこの状態では攻める事も出来まいと思うと、返って怖さが薄れた。

おらは第1ヘアピンで、今度は2スト250ccレーサーのコーナリングを観てうっとりしていた。すると「15:00以降の走行は中止になったので走行料金を払い戻す」との場内アナウンスがあった。7時間も待ったのに!師匠の教えを実践してみたかったのに!でも今度こそ転倒するかもしれないと思っていたから、おらはちょっとホッとした。コントロール・タワー2階の受付で走行料金を払い戻してもらい、なぜ走行中止になったのか尋ねると、「事故があり警察の現場検証があるから」と。「死んだの!」と尋ねると「そうだ」と!おらはどのクラスで走ってた人が亡くなったのか知りたくて、亡くなった人の名前を尋ねると随分困った様子で、「事務所で聞いて下さい」と。1階の事務所に行き名前を尋ねると、「どういうご関係ですか?」と聞かれたから、「知り合いかもしれないので」と答えると、これも随分困った様子で、大勢いたオフィシャルは皆しばらくどうしようか考えていたが、亡くなった人が書いた例の念書を見せてくれた。静岡県からやってきた人でA1(Aクラスの1枠目)、A2、A3の枠を予約していたことがわかった。おらのこの日の予約はA1とA5で、おらも走ってたA1では事故はなかったからA2かA3での事故だ。事故のあった場所を尋ねたら第1コーナーだと。第1コーナーに行ってみた。そこにいたMFJライダーと話をしたら、「自分もAクラスで慣らしをしてたが、混んでいたし、いろんなスピードのライダーがいて危なかった」と。第1コーナー出口のちょい先で現場検証が始まった。最終コーナーならいざ知らず、そんなにスピードの出ていない場所なのに何故死亡事故にまでなったのか?転倒後に轢かれて死亡するケースが多いようだから、立ち上がりではらみすぎて転倒した後に轢かれたのか?その後A3枠で走ったライダーから事故現場を目撃したと聞いた。「2人のライダーがコース両側に倒れていて、ひとりは動いていたがもうひとりは動かなかったから死んだと思った」と。どうやら接触事故による即死だったようだ。A3枠は11:30からの走行だから、おらと一緒にA1枠で走ってた人が、その3時間半後には亡くなっていた事になる。二輪サーキットは何と死の身近なスポーツか。でも接触事故だとしても100km/hも出てないはずのあの場所で、フルフェース被ってて、そんなに簡単に人が死ぬものか?頚椎を強くやったんだろうか?おらネック・サポートのついたつなぎに買い代えた方がいいかもしれない。それよりこれを機会にやめた方がいいかも。この日無事だったら、おらは申し込み期限の迫っているMCFAJレースの出場申し込みをするつもりだったが・・・。

下半身の力がない状態でR6を軽トラに載せると前回みたいにまた倒しそうだから、かみさんのアイデアを使った。四輪のレース車両をトラックに載せる為にサーキットに設置されている台を使ってR6を軽トラに載せたのだ。

おらは、やりきれない気分で筑波を後にした。16:00筑波発の19:00自宅着。自宅の駐車場でR6を軽トラから降ろすのに随分苦労した。1週間後、筑波サーキットから走行中止となった事に対するお詫びの書面とコンビニ他で使える\500分のクオ・カードが郵送されてきた。

確かにサーキットは転倒しても“できるだけ”死なないように作ってある。しかしサーキットが安全だなんて大間違いだ。確かに公道のように対向車が来たり、歩行者が飛び出す事はないが、サーキットでは皆が常時フル加速かフル・ブレーキングかフル・バンクの100%の走りをする。それにサーキットはコース幅が広いから、同じスピードでも公道で感じるほどのスピード感はないが、絶対スピードが公道に比べて桁違いに速い。そして数多くのライダーが1車線上で同時走行し、抜いたり抜かれたりの接触ぎりぎりの走りを繰り返す。公道で接触ぎりぎりで抜くなんて事はまずありえない。そして自分がどんなに気をつけて走っていても、無茶なライダーとの接触の可能性は捨てきれない。おらはFISCOの最終コーナー中盤で抜いてきたライダーに接触されて、転倒こそしなかったものの、ステアリングをとられてヒヤッとしたときの事を今でもはっきり覚えている。サーキット走行がマシンに及ぼす負荷の大きさも公道でのそれとは桁違いだから、マシンの整備が充分でないことにより転倒する事もある。そしていくら関節部分のプロテクターが内蔵されている革つなぎを着ていても、擦過傷は防いでくれるが打撲はほとんど防げない。加藤大治郎のような超一流のライダーでも死ぬ。また、ある人から聞いたのだが、サーキットはどこも田舎にあるため、運ばれる病院は決まって小さな病院で、初期治療が大事なのに動かせるようになってからでないと大病院へは移されない。

偶然にもこの日は三つの出来事が重なった。二輪サーキット恐怖症のぶりかえし。師匠の引退勧告。身近で起きた二輪サーキットでの死亡事故。二輪サーキット恐怖症は、去年乗り越えたようにいつしか治まっていくだろう。引退勧告は師匠に始まったわけでなく、おらが二輪サーキットを始めてまず平さんに、左肩亜脱臼のときにかみさんに、左足首骨折のときに両親と上司にも受けている。そしておらは周りからどんなに反対されても、やめるときは自分の気持ちだけで決めようと思っていた。サーキットでの死亡事故は、どこのサーキットでも毎年のように起こっている事で、今回は偶然身近で遭遇しただけ。でも一日に起こったこの三つの出来事の意味するものは…。無神論者のおらではあるが、誰かがおらに「もうやめろ」と言ってるような気がした。

二輪サーキットを始めるにあたり、おらは死ぬ覚悟はできていたが身体障害を持つのが怖かった。だからおらは二輪サーキットを始めたときから、取り返しのつかないことになる前にやめるべきだとずっと思っていた。しかしそうは思っても、せっかく始めて自分に合っていると思えた趣味だし、始めるにあたってそれなりの心積りが必要だっただけに、そう簡単にはやめられなかった。だからおらはやめるきっかけが来るのを待ち望んでいたような気がする。普通は趣味をやめるきっかけなどなく、ただ単に興味がなくなって自然に遠ざかるというものだろうが、この趣味だけはやめたくなくても、やめるときを自分で決める必要があると思っていた。1年目にやった左肩の脱臼のときは、おらが死んだ後のかみさんの事を考えると、気持ちがぐらついた。そして医者から同じところをなたやったら脱臼がひどくなり、手術が必要になると言われたので怖くなったが、そんな事は防ぎようがないものの二度と左肩から転倒しないように注意すればいいと思った。しかしいつの間にか、かみさんの事は考えないようになったし、痛みがなくなると脱臼した事もすっかり忘れてしまい、脱臼はやめるきっかけにはならなかった。去年からやめたいぐらいパドックで怖いと感じるようになっても、我慢して続けて克服した。昨年足首を骨折して会社を長期に休んでも、やめようとは露ほども思わなかった。だからおらは、きっといつまでたってもやめられるようなきっかけなどやってこず、そのうち取り返しのつかない事になるかもしれないと思うようになった。これはおらが走行時間の長いFISCOのフリー走行で、転倒するまで走るのをやめられなかった事に酷似している。反面、おらはこんなに男らしくて真剣な趣味もないと思うので、長く続けられるといいなーとも思っていた。それにおらはバイクは好きな癖に、悲しい事にツーリングはだめだから、バイクに乗れるのはサーキットのおかげであって、二輪サーキットをやめたらバイクと接する機会がなくなってしまうという思いもあった。

おらはゴールデン・ウィークの間、悶々として本書のRound 9、10を執筆していたが、筑波での一件の4日後に決心した。5月30日(日)のMCFAJのオーバー40を最後の二輪レースとし、レース後にもてぎと鈴鹿で1回づつ走って二輪サーキットをやめる。来年改修が終わるFISCOが悩みの種だが・・・。二輪サーキットを趣味にするのは危険すぎる。ここらが潮時で、五体満足なうちにとっととやめる。ケガの後遺症で走れなくなったわけでも、金が底をつきたわけでも、走りたくなくなったわけでもないのに、自分の意思でやめるのは難しいものがあるが、筑波の1日での三つの出来事以上の大きなきっかけは今後ありえないだろうから、今度こそ、その決断を下すときだと思った。四輪サーキットを始めた事により、大好きになったサーキットと完全に別れるわけではないという事もやめる決心がついた大きな要因だと思う。世界一カッコいい6輪レーサーの座は宇井陽一に譲る。おらは決心が変わる事のないようにかみさんにやめると言った。10ヶ月ぶりの復帰直後の引退決断であった。でももし癌でも罹って余命宣告を受けたら、身体障害を持ってもすぐ死ねるから復帰するかも。

おらがなかなかやめられなかった理由が他にある。本書の執筆を終わらせたくなかったのだ。しかしゴルゴ13じゃあるまいし、おらが二輪サーキットをやめない限り本書はいつまでたっても完結しない。そして段々内容の薄いものになってしまうだろうから、このへんで完結させた方がよいと思えてきた。それに今シーズンのおらのサーキット人生は、本書のタイトルにそぐわない内容になってしまっている。おらは二輪サーキット引退と同時に本書の執筆を終え、次は四輪サーキットの体験談を綴る、「おらのサーキット人生!」シリーズ第2弾、「おらの素敵なサーキット人生!」を執筆する事にした。

引退を決意したおらは、久しく会っていない飯尾さんに筑波での顛末とそれにより引退を決意した事を知らせると共に、飯尾さんは走行前のパドックで怖いと思うことがないのか尋ねてみた。走行前も後も、いつもおっとりした飯尾さんが、いったいいつもどんな心境でパドックにいるのか知りたかった。飯尾さんの返事を要約するとこうだ。

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私は走るのが怖くなったらやめた方が良いと思います。飯倉さんは、レースを始める勇気よりやめる勇気を持つのが大事と言っています。私の場合パドックでの怖さはありません。走行中にはブレーキング・ポイントをミスして突っ込み過ぎたときに怖さが出ますが、これはまた違う怖さですから・・・。だからと言って、ニコニコしてコース・インしている訳ではありません。コース・インの前には緊張はしますよ。あのロッシでも、走行前にはバイクの横にしゃがんでステップに手を当てて何かおまじないみたいな事を必ず行っています。自分も怖くなったら、やめるときと決めています。怖いというよりは、何かしっくりいかない、気分が乗らない時は、走行はやめます。飯倉さんが、正直に「怖いからやめる」と正々堂々と言える人が少なく、何かしらの言い訳をしてレースをやめていく人が多いと言っていました。たとえば、お金が無くなったとか、家族ができたとか・・・。自分の気持ちに正直に「怖くなったからやめた」と言えることは素晴らしいと思います。登山も、あと少しで頂上という所で引き返す勇気も必要なときもあるといいますよね。

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「レースを始めるより、やめる勇気を持つのが大事」か・・・。パドックで怖がるようになって楽しいと思えなくなっても、なぜやめられないのか自分でも不思議だったが、この言葉でその理由がよくわかった。おらがやめられなかったのは、「怖くなったからといってやめては男がすたる!」という気持ちがあったからだ。しかしそれはおらのひとりよがりな変な勇気だったのかもしれない。確かにレースというよりは、二輪サーキット・フリー走行を始めるにあたっても勇気は必要だったが、やめるのはもっと難しかった。それはおらにやめる勇気がなかったからなんだろう。飯倉さんのこの言葉で、やめるのは勇気がないからではなく、勇気があるからだと自分に言い聞かせることで、本当にやめられそうな気がした。それに「なぜやめるの?」と聞かれて、「身体障害を持ちたくないから」と答えるのは身体障害を持つ人に対して失礼だし(ここにそう書いてる事自体失礼なのだが)、「怖くなったから」と答えるのは潔くてカッコいいかもしれない。飯倉さんはただの茶髪腕白おやじではなかった。飯尾さんもなかなかいいことを言う。登山の例えはまさにこのケースにあてはまる。おらは山の頂上近くまで行ったら天候が悪くなっても引き返す事を潔しとしない、冷静沈着なコルゴとは正反対の旧帝国陸軍型、猪突猛進男であることがこの歳になってわかった。そして飯尾さんの様に気分が乗らない時には走行しないというのはなかなかできることではないが、それが怖くならない秘訣なのかもしれない。

数日後におらは江場ちゃんにも電話して引退することを伝えた。江場ちゃんは「GPライダーでも怖がるようだよ」とおらに続けさせようとするが、終いには「怖くなったらやめどきかも」と言ってくれた。

 

二輪サーキット引退を決意したおらは、残されたあと数回のフリー走行と最後のレースの映像を残したくて、Joy耐7時間を待たずにビデオ・カメラを買った。ビデオ・カメラを選ぶ際に、まず記録メディアが最近出だしたDVDのものにするか、ミニDVのものにするかで迷った。MICROMVなんて新規格のテープ・メディアもソニーが売り出した。もうテープの時代でもなかろうからDVDビデオ・カメラが今後の主流になるんだろう。そして過去VHS-C、8mmといったテープ・メディアを使うビデオ・カメラが市場から消えていったように、ミニDVビデオ・カメラもいずれ市場から消えるかもしれないから、映像は全てDVDにして保管したい。ミニDVビデオ・カメラだと撮影後にDVDにダビングする必要があるが、DVDビデオ・カメラならその面倒な作業が必要ない。DVDは今後10年は市場から消えないと思うし、次世代のメディアが主流になっても8cmと12cmのディスク・サイズは変わらず、その再生プレイヤーはDVDも再生可能な上位互換のものになると思う。しかしDVDビデオ・カメラで使われる8cmDVDでは最長で60分の録画というのが辛い。ミニDVなら最長で120分の録画ができる。そしておらはDVDビデオ・カメラの致命的な問題に気がついた。テープと違ってディスクは振動に弱いだろうから、車載固定でのサーキット走行の録画は無理かもしれないという事だ。DVDビデオ・カメラを売っているソニーとパナソニックに電話して尋ねたら、やはりどちらも「無理」と言う。こうしておらはミニDVビデオ・カメラを選ぶ事にした。面倒くさいがミニDVで撮った映像は、そのうち買うだろうDVDレコーダーで12cmDVDにダビングして保管する。

さて次はソニーの家庭用最高画質のビデオ・カメラにするか、パナソニックの同じ様な価格の3CCDのものにするかで迷ったので、家電量販店に行って両機種の映像をテレビに映してもらった。パナソニックのものは一見色彩豊かだが、おらの顔がまるで酒でも飲んだかのように赤く写る。店員に「おらの顔が赤いのか、映像が赤いのか?」と尋ねたら、「それがパナソニックの色」と。こりゃまともな商品とは言えないから普通に写るソニーのを買った。おらのパソコンも、DVDプレイヤーも、テレビもソニー製だから、できればソニーで揃えたかったのでよかった。そのソニーのビデオ・カメラで撮れる静止画の画素数は305万画素で、おらの持ってるFUJIFILMの古いデジカメの画素数の倍以上。しかもそのビデオ・カメラは結構小型。これならデジカメを買い替える必要はない。おらはデジカメを買い替えることで何とかビデオ・カメラ代わりにも使えないかと考えていたが、逆だった。今時はビデオ・カメラがデジカメ代わりにも使えるのだ。動画の画素数は205万画素だが、ミニDVに録画される際にその画素数はDV規格である34万画素に圧縮される。だから動画から静止画にコピーしたものはたいした画質ではなかろうが、前回のようになんとか使えるだろう。しかしFUJIFILMのデジカメとソニーのビデオ・カメラで撮った静止画を見比べるとソニーのは色が薄すぎて、肌の色などは病的に白く写る事がわかった。これがソニーの色か。パナソニックは濃すぎて、ソニーは薄すぎる。残念ながらFUJIFILMはビデオ・カメラを出していない。そこでおらはソニーのビデオカメラを返品して、キャノンのものを買おうかと思って家電量販店に行ってみた。そしてキャノンのビデオ・カメラの映像を観て見たら、これもパナソニック同様の真っ赤な顔になる。店員に何かいい方法がないか尋ねたら、ソニーのビデオ・カメラの“ホワイト・バランス”の設定を変えたら肌の色がまともに写る事を教えてくれた。

そして月給取りのおらは、現在防衛庁を介して、地上で最も強大な組織である米陸軍と絶対に負けられない戦いの真っ最中にいた。おらが輸入しているパトリオット関連システムの競合製品を扱う武器製造会社が、米陸軍を抱き込んでおらの商売を邪魔しているのだ。米国を支配する軍産複合体恐るべし。おらは今の仕事をもう18年もやっていて、今更他の仕事に情熱を捧げられるとは思えないから、本当は会社を休んでばかりいる場合じゃなかったのであった。

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