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 おっと、帰らないとパパパパパフィーが見れなくなっちまう。(いつの話じゃ〜)


企画はしたものの闇に葬りかけた原稿を「まるそう」は見逃さなかった、途中まで入力し気が変わった「川納戸」氏には悪いが、あえて紹介する。
また続きを入力するかもしれない「川納戸暗」に期待しよう。
夜中にドカベンの再放送をたまたま見たのですが、や〜まだを含め、男いわきもみんな中学生だったのですね。ショックでした。

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 短編でパチンコの話。


 パチンコ好きの人ってたくさんいますよね。今はまったくと言っていいほど、パチンコはやりませんがその昔、10年ぐらい前でしょうか、どこのホールに行っても飛行機台では平和のビッグシューター、セブン台では西陣(うろ覚えで怪しい)のドリームW(Xもあったのでこれも怪しい)が設置されていました。個人的にはマルホンのパールセブン2と平和の平台、弁慶が好きだったのですが、記憶をたどると、これは北九州と筑豊にかぎった話ですが、ドリームを置いている店はそれなりに遊ばせてもらえるホールでパールセブンを置いている店は結構渋いホールが多かったような気がしてます。もちろんドリームはどこの店にもあったのでこの限りではないのですが。
 パチンコをやらない皆さんに解説しますと、パチンコをするには玉がいります。これを名目上、お客さんは店から玉1発につき4円で借ります。ですから販売機には玉貸し機と書いてあります。100円で25発、500円なら125発借りれる訳です。その玉を持って気に入った台で遊ぶのですが、ここからが運命の分かれ目で、博打の才がない私はよくケツの毛まで抜かれて鼻血もでない状態に陥ってました。この頃、戻り玉はオール13発が当然で回転数も1,000円あたり40回以上まわる台も珍しくなく、1万円も持っていようものなら、かなり心にゆとりをもったパチンコができたものです。91、2年頃に規格が変わって以降は違いましたけれど。
 当時、学生だった私には、潤沢に資金があるでもなくパチンコ屋に向かう時は、手持ちの金すべてを持っていってました。それが2千円の時もあれば2万円の時もあるのですが、何故2千円しかないかと言えばパチンコに前日負けたからであり、何ゆえ2万円もあるのかと問うならばこれまたパチンコに勝ったからでした。すべてがパチンコ中心にまわっていたすさんだ時代でしたね。
 こんな私も初心者の頃は、つつましく平和の弁慶ビッグシュータースタジアムなどの平台を打っていました。当時平台は1回の終了が3,000発の出玉、交換の時には1発につき2円50銭の引き取りがほとんどなので換金すると7,500円になります。終了3回でその台は打ち止め台となりホールのタイムサービスや終了台の開放まで打てなくなるのです。順調に打ち止めまでいったとして9,000発の出玉で2万2,500円、この中から終了後、継続するために払う2,000円(1回1,000円×2)と多少の打ちこみ分を引くと1台打ち止めにしてだいたい1万6,000円ぐらいが平均ではないでしょうか。これには初期投資が入っていませんから儲けとしては1万2,000円ぐらいになるのです。これに要する時間を考えると浅はかな自分は平台なんてやってられないとなり、ギャンブル性の強いものへだんだん移っていきました。この状態では楽しいパチンコから著しく遠い所にいるのです。パチプロじゃないのだから負けて当然なのにたまに勝ったりするのでパチンコの負けはパチンコで取返そうなどとつまらん考えになってしまうのですね。そんな時期に登場したのがドリームでありパールセブンそして忘れてました、1番好きだった三共のフィーバーレクサス4D、当時は個性的な台が各社から多く出てきて面白かったです。もっぱらこの3台を打つ様になるのですが、ドリームレクサスは1回そろうと出玉が約1,600発・4,000円、パールセブンは同約4,000発・1万円になりました。何時間もかけて平台で設ける金額より短時間で稼げるのです。ただし負けるのも早いのですが。この頃の台に共通するのは、わりと確実性のある連チャン法があったことです。ドリーム、特に初期の方とパールセブン2に関しては感覚的な要素が大きかったのですが(パールセブン1には多少面倒な攻略法がありましたが、設置されている店が家から1時間圏内で知ってるかぎり1軒しかなく、釘もバネも悪くあまり打ちにいきませんでした)レクサス4Dは簡単な連チャン法があり、3連チャンぐらいならかなりの確立でかかるのです。こういった台に巡り会うといよいよパチンコ生活からの脱出が困難を極め、今振り返ると勝った金も殆どパチンコにつぎ込んでいるのでトータルの負けは、程度のよいR33GTS-TtypeMspec2が買えるぐらい確実に負けてます。
 パチンコ依存症なる言葉も現れてそんな人も多いという話も聞きますが、私の場合、性格がネガティブな所が多分にあり、朝からパチンコなんかやって自分はなんとつまらん奴だと考えるのです。もっと有効に時間を使わなきゃ、こんな事してちゃだめだ、学校いかなきゃ・・・などなど。パチンコに行くという行為は一種の逃避でした。ですからパチンコやってても勝っていようが本当は楽しめてないのです。ある意味、堕落したいがためにパチンコ通いを続けていた感があります。またその頃のホールにはそういった雰囲気があって、おこがましいのですがこんな人間にはなりたくないと思うような人が大勢いました。店員といえばチンピラみたいな人も多かったし、文句の一つでも言おうものなら事務所に連れていかれて何されるかわからんと本気で思ってました。実際、客にもへんな奴が多かったのでそういう人でないとだめだったのでしょう。今では大学でてパチンコ屋に就職する時代ですが、一昔前はよく求人の看板に「住み込み夫婦歓迎」というくだりが必ず書かれていました。ようは、店の二階がアパートみたくなっていてそこに住んでホールで働くという事です。


 張り切ってまいりましょう。


 もう随分昔のことですが、1970年代の後半に業務用のコンピューターゲームが街の喫茶店やスーパーの屋上、商店街の空いた場所なんかに設置されすごい勢いで台数を増やしていった、そんな時代がありました。CPUも8ビットで今考えるととてつもなく、簡単な作りなのですが、今までのゲームとは違う魅力に当時小学生だった私は、簡単にはまってしまったのです。ブロック崩しから始まり、インベーダーゲームギャラクシアンパックマンと次々とグレードアップされ、白黒だった画面も最初は、モニターを保護するガラスに半透明の色テープを貼って無理矢理カラーにみせかけていましたが、後期のインベーダー(地域によって呼び名が違うが、名古屋打ちなる技があったり、全国的にデマが拡がった「口裂け女」全盛の頃“口裂けベーダー”なんてものまで登場した)やギャラクシアンからは本当に8色のカラーになりました。


 タイトルだけで終了しました。


………

 


 君は人の為に死ねるか?(杉良太郎風に)


 皆さんは、スポーツちゃんばら(以下スポちゃんと省略)をご存知だろうか。スポちゃんを知らなくても武田鉄矢はご存知でしょう。武田鉄矢と言えば各年代それぞれに思い出すものがありましょうが、ここでは金八先生を思い起こして下さい。特に私などは鉄矢よりも加藤松浦を思い出し、海援隊ではなく中島みゆきの歌を口ずさんでしまいます。そんな金八ですが、二つ前の金八で劇中、子供たちのストレス発散に効果がありしかも安全という事で取り上げられていたのがスポちゃんであります。皆さん思い出していただけましたでしょうか。
 鉄矢と言えば、刑事物語だろう、オレは金八なんか見てないぞ、という沢口靖子ファンのあなたのためにスポちゃんの簡単な解説を致しますと、道具はウレタンらしき棒状の物を空気で膨らませます。これがいわゆる“刀”でございます。この刀、種類も豊富で短刀、長い刀、槍、なぎなたなどがありどれを使っても結構。二刀流も結構。自分の得意なスタイルで試合に臨めるのです。頭部、顔面を保護するプロテクターは被りますが、いるものといえばこれぐらいでしょうか。ルールもいたって簡単、とりあえず武道なので礼にはじまり礼におわるのですが、剣道のように面、胴、小手の決まり技ではなく体のどこにあたっても負けというシンプルさ。初心者でもすぐ楽しめるのです。そんなスポちゃんを福岡で流行らそうと日々余念のない人が私の友人におりまして、名前をN村さんといいます。
 その彼が5月の最終日曜日に「住宅情報」(マイルームガイドだったかも)の取材でデモンストレーションをやるので賑やかしとして見にこんね、とおっしゃる。それならば賑やかさないといけません。当日のこのこと指定場所の平和台球場跡へ向かうと遠くの方にN村さんと取材陣らしき人たちがすでにスタンバっているのが見える。それを遠巻きにし、とりあえずスモ−キン・シガレッツ。家族ずれでやってきた「まるそう」一家と合流し集団の中へ。いよいよスポちゃんチャレンジの始まりです。


 「地震が起きるなんてびっくりくりくり、松江紀行」。


これもタイトルだけでした………


 日本シリーズに一喜一憂している川納戸です。


 日本中が、世紀のON対決第1戦に沸いていた10月21日、これまた20世紀を代表するアーティストの一人、スティングのコンサートがマリンメッセ福岡で開催された。94年のツアーに引き続き2度目のスティングである。前回、感動的なステージを見せてくれた彼だけに今回も期待するものは大きかった。76年にポリスとしてデビュー、常に素晴らしい音楽を発表し、最新のアルバムも彼らしい自然体で気負いのないものに仕上がっていた。活動期間が長いだけにライブもベスト的な選曲と考えられるが、ファンにとっては嬉しい限りである。

軽い引きこもり状態の川納戸です。ついに私の顔もワールドワイドに発信されるのですね。しかし「森川君1号」は相変わらずの情報屋ぶりです。

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