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檻 −3−


一人砂漠をさまよう青年が辿りついたのは、とあるオアシスの町。
月が見守る中、出会いも別れも、全て砂の中に埋もれていく…。

 村に、久しぶりに大きな商隊がやって来た。村人達は商隊のもたらした、普段滅多に手に入らない珍しい品物に目を輝かせている。それはイリシャにしても同じ事だった。その商隊の主人の名はナクヤム−溢れる水、という意味のその名は、この地方ではそう珍しい
名前ではない。だがこの名前を聞いた時、クィールは心に影が差すのを感じた。昔…十年程前に、同じ名前の男のために、大切な人を失った事があったのだ。クィールは、きっと同名の別人だと心を宥めたが、一度心に巣くった不安の暗い影は、そう簡単には消えて
くれそうになかった。             
「ねえ見て、私こんな織物、始めて見たわ」 
イリシャが興奮を隠せない様子ではしゃいでいる。クィールには、そんな彼女や村人達と同じように無邪気に喜ぶことができなくて、それが何となく心苦しかった。       
 その夜イリシャは昼間、井戸端で仕入れてきた情報を披露してくれた。        
「あのナクヤムという人、いろんな所を旅しながら、ある人を捜しているんですって」  
「ある、人?」              
クィールは何だか嫌な予感がした。しかし商隊が人探しを兼ねるのは、たいして特別な事ではない。               
「どんな人だと思う?」         
そんなクィールの心中を知ってか知らずか、イリシャは嬉しそうに話を続ける。     
「さあ…見当付かないな」         
「あのね、不老不死の男、なんですって」  
クィールは一瞬、息が止まるかと思った。  
「ねぇ、クィールはそんな人、本当にいると思う?」                 
「え、さあ…どうかな。おとぎ話とかなら、聞いた事あるけどな」           
クィールは自分の鼓動が速くなっていくのを自覚した。                
「そうよねぇ、そんなのおとぎ話よねぇ」  
「イリシャ、そのナクヤムって商人…どうしてそんな、不老不死の男なんか捜しているのかな?」                 
クィールは声が震えないよう、気を付けて言った。                  
「ああ、それはね、なんでも昔、ある男の血を数滴飲んだ人の病気が、すぐに治ったのを見た事があるんですって」         
「そう…」                
不老不死の者の血が万能薬になるというおとぎ話は、この地方では良く知られている。ただし大半の者が、それを迷信の類いだと思っていたが。                
「それでね、その血をたくさん飲めば、自分も不老不死になれるんじゃないか、って…クィール?どうかした?」          
急に考え込んでしまったクィールに、イリシャは心配そうに尋ねた。          
「え?あ、いや、何でもないんだ」     
その声にはっとして慌てて答えたクィールだが、その後も何だか上の空で、イリシャは微かに眉を曇らせた。            
「クィール、疲れているのね?今日はもう休んだ方が良いわ」             
本当はそういう訳ではなかったのだが、クィールはあえて訂正しなかった。       
「じゃあ、そうさせてもらおうかな」     
そうして彼は貸し与えられているベッドに潜り込んだ。イリシャの兄が使っていた物を、丁度良いからと言って使わせてもらっているのだ。壁の方を向いたクィールは、まるで何かを恐れるかのように、きつく目を閉じた。  

 瞼の裏に浮かんだのはクィールが生まれた町の風景だった。               
決して、大きな町ではなかった。けれど、それでも百人以上の人間が暮らしていた。
確かに嫌な奴らも多かったが、行くといつでも「失敗作だ」と行っては、笑いながら一つまけてくれたパン屋の気の良い主人や、薬草の見分け方を教えてくれた、気難しいが根は優しかった露天商の老婆、それから…とにかく、こんな自分にも親切にしてくれた人達もいたというのに…。彼らは一体どこへ行ってしまったのだろう。どこかで生きていてくれたら、と何度思った事か。愚かな自分のために犠牲になってしまった彼ら−行く先々でその面影を見付ける度、身代わりと分かっていても、せめてその子らが幸せであるように、と願い続ける事しかできなくて…。そう、まるで、せめてもの罪滅ぼしででもあるかのように。 
「これは、罰なんだ…」          
望んだ物を手にいれた代償に、一番大切だった物まで失ってしまった。         
 クィールの双眸からこらえ切れずに零れた涙が一滴、窓から差し込んだ月光を反射して銀色に煌めいた。             
                     
 翌朝、クィールはいつものように水を汲みに出掛けた。               
「やあ、ようやく追い付いたようですね」  
突然掛けられた声に、クィールは背筋が凍る思いをした。               
「覚えていらっしゃるのでしょう?私ですよ、ナクヤムです」              
馴々しい声に嫌悪感を覚えながら、クィールは振り返った。そこには確かに昔の、クィールの知る面影を残す初老の男が立っていた。 
「本当にあなたは変わりませんね、クィールさん。私ももう少し早くあなたを見付けたかったのですが、思った以上に時間がかかってしまった。私ももう老人の仲間入りですよ」 
肩を竦めた男はしかし、その表情のためにとても老人には見えなかった。したたかで貪欲な、商人、と言うよりはむしろ、権力者のそれ。実際、かなりの権力を手にしているのだろう。
抜け目のないこの男のなら、有り得ない事ではない。何を、誰を犠牲にしてでも生き残る−ある意味、とても人間的な男である。だがクィールは振り返ったきり、一言も話さなかった。その必要を感じなかった。    
「どうして黙ったままなんですか?せっかくの再会だというのに」           
クィールは尚も喋り続けるナクヤムに背を向けて歩き出した。             
「クィールさん、私に協力してください。そうすれば私はあなたを守って差し上げる事ができるのです」               
クィールにはナクヤムの言葉がたわごとに聞こえた。彼は悪い予感が当たってしまったという事実に打ちのめされていた。       
 明日にでも、ここを出ていこう。あの男がいる以上、ろくな事は起こらないだろうから。 
一日でも早い方が良い。でないとまた、大切な人を失う事になるかもしれない。けれど今は。今日だけはまだ、ここに留まっていたい。今晩、彼女に出て行く事を伝えよう。そして明日、朝一番にここを発つのだ。そうすれば彼女に迷惑は掛かるまい。彼女はこれから誰かと一緒になって、子供を生んで、育てて…そんな、普通の幸せを手に入れる。自分がいれば、きっと邪魔になる。彼女が手に入れるべき幸せを奪ってしまう−それだけは避けようと、クィールは思っていた。        
 クィールが見上げた空には太陽にかき消され、青空に輪郭を滲ませながらも、月がその姿を見せていた。              

 クィールは前方、つまりイリシャの家の前に、人だかりができているのに気が付いた。 
「どうしたんですか?」           
扉から中の様子を伺っている近所の主婦に声を掛けた。                 
「ああ、クィール、イリシャがね、砂虫に刺されちまったんだよ」            
砂虫というのは砂中に潜む毒虫で、刺されたらまず助からないだろうと言われている。
クィールは急いで家の中に飛び込んだ。そこには、村で唯一人の医師がイリシャを看ていた。 
「体中に毒が回ってしまっている。もって今日一日が限度だろう」            
クィールは茫然とした。別れを告げようとした途端、イリシャの命が失われようとしているなんて…。そして、疑問に思った。イリシャはなぜ砂虫に刺されたのだろう。
砂漠の民は普通、砂虫除けの香袋を身に付けているし、村の中に入ってこないように、村の中と外を区切る境目には砂虫の嫌がる匂いをばらまいている。だからまず、村の中にいて砂虫に刺される、という事はない。まさかとは思うが、誰かが故意に…?             
「ねぇクィール、あんた、不老不死、なんだってね?」                
気が付くと側に、先程クィールにイリシャの事を教えてくれたイズが、硬い表情で立っていた。                  
「ナクヤムさんの話じゃ、あんたの血で本当に病人が治ったって言うじゃないか」    
その主婦はイリシャの両親が亡くなってから何かと兄妹の世話を焼いていて、イリシャの事を実の娘のように可愛がっていた。
「僕、は…」               
クィールは血の気が引くのを自覚した。いつかこうなる事は分かっていたが、それがこんな形で目の前に突き付けられるとは思ってもみなかった。               
「クィール、お願いだよ、イリシャを助けてやっておくれよ」             
懇願されたクィールは唇を噛み締めた。   
「あなたが迷うのも無理はありません。あなたの血でその女性が助かれば、あなたが不老不死である事の確たる証拠になるのですからね」                   
いつの間にか戸口の所に姿を見せていたナクヤムが口を挾んだ。クィールは何となくナクヤムの魂胆が見えたような気がした。    
「お嫌なら構わないんですよ。けれど、あなたにその女性を見捨てる事ができますか?」 
ナクヤムの言葉が、クィールを追い詰めてゆく。村人達は不安そうな顔で、ただクィールを見詰めるばかりである。クィールは覚悟を決めて、自分の荷物からナイフを取り出した。手近にあった椀の上で手首を切り、その中に入っていた薬湯と一緒にイリシャに飲ませてやった。                 
 翌朝、イリシャは目を覚ました。   


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