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| 日に日に元気を取り戻してゆくイリシャに、クィールは自分の決心を話すことにした。 「イリシャ、僕はここを出て行こうと思うんだ」 「え?」 寝耳に水、とばかりにイリシャは驚いたが、看病に来ていたイズは、むしろほっとしたように頷いた。 「そうだね、その方が良いよ。何だかこの所、村の皆の様子がおかしいんだ。あたしゃ何だか嫌な事が起こるんじゃないかって、気になって仕方がないんだよ」 「イズおばさん、そんな…」 「いや、本当の事だよ」 イリシャは反論しかけたが、実際、村人達の態度はよそよそしい物に逆戻りしている。 誰もが目を逸らし、クィールに声を掛けようともしない。それは仕方のない事だとクィールは思う。人間は異質な物には敏感にできている。それは防衛本能に根差していて、異質な物を排除する事で自分達の暮らしを守ろうとする。人間とは、そういった生き物なのである。今のクィールにとっては悲しい事だけれど…。 三人は押し黙ってしまったが、やがてイズが再び口を開いた。 「けど、あんたが自分から出て行くって言い出してくれて、本当に助かったよ」 「おばさん、何を言い出すの?クィールは私の事を助けてくれたのよ!?」 「だってこのままじゃ、イリシャ、あんたまで変な目で見られかねなかったんだよ。でもあんたはそんな事言いやしないだろうから、あたしがクィールに言わなきゃいけないと思ってた」 そこでイズは一つ、思い溜息を漏らした。 「きつい事を言うようだけど、クィール、あんたはここにいちゃいけないんだよ。周りを不幸にするだけで、良い事なんて一つもありゃしない。それじゃあんただって、幸せになれないと思うんだ」 「そうですね…」 クィールには反論することができなかった。イズはイリシャが可愛くて仕方がないのだ。 「イリシャ、この前話したナクヤムさんの話、覚えているだろう?」 イズが納得できないでてるイリシャに話し掛けた。 「あの、不老不死の人の血を飲めば、って話?」 「ああ、そうさ。そうすれば自分も不老不死になれる、って。病気の方が本当だったろう?だから皆ナクヤムさんの話しを信じちまってるんだよ」 イズは嘆かわしい、とでも言うように首を振った。 「もし本当に不老不死になれたとしても、急に金持ちになったり、幸せになったりする訳じゃないんだ。そんな甘ったるい話が、そう簡単に転がってる訳がないんだよ…」 だからこそこういう言い方になる。けれど冷たいように聞こえても、これがイズに示せるクィールへの精一杯の優しさだという事もまた、彼には理解する事ができた。 「いつ、行くんだい?」 泣き出してしまったイリシャに変わって、イズが尋ねた。 「今晩にでも、と」 「そんなに早く?」 イリシャが顔を上げた。イズがそっと、席を立って部屋から出て行く。 「ああ、なるべく早い方が良いと思って…それに今、ナクヤムが用事があるとか言って村にいないだろう?今のうちに出て行かないとまた変な騒ぎが起こりそうだから…」 イリシャは泣き顔のまま頷いた。 「…あのね、昔僕のいた町ではね、好きになった人に指輪を贈る習慣があるんだ」 クィールはイリシャの細い手を取りながら言った。その指には母親の形見だという、飾り気のないリングが嵌まっていた。 「僕は、できる事なら…」 クィールは一瞬の逡巡の後、続けた。 「できる事なら君に、指輪を贈りたかったよ…」 蒼空は徐々にその色を変え、太陽が沈みかけているのを人々に知らせようとしていた。 支度を整えたクィールは、扉を出た所で呼び止められた。 「クィール、これを持ってお行き」 イズは彼に小さな袋を手渡した。袋の中には小さな、黄色い透明の石が入っていた。 「イズ、これは…こんな高価な物」 それは月光石といって、この地方の守護神である月の神の加護が得られるとされる、砂漠では最高の守り石だった。 「いいんだよ。あんたはイリシャを助けてくれたんだ。そのお礼だよ」 それだけ言うとイズは、照れたようにクィールに背を向けた。 「ありがとう」 クィールは、彼女の背中に向かって頭を下げた。 「イズおばさん…」 イリシャも嬉しそうにその背を見送った。 「じゃあ…元気で」 クィールとイリシャは、握手を交して別れた。 「気を付けて…」 イリシャの声が、背後から風に乗って追いかけてきた。クィールは口元に笑みを浮かべてそれに応えた。 数日後、行き合った旅の商人からその話を聞いた。 一つの村の滅亡…。飢餓、水不足、もしくは戦いに巻き込まれて−理由は様々でも、それはそんなに珍しい事ではない。しかしそれがほんの数日前までいた村の話だと知れば、 そうも言ってはいられなかった。 その商人は、かなり詳しく話してくれた。 『ほら、今の王様ってさ、何か不老不死に凝ってるって噂、あっただろ?その村に不老不死の男がいる、って情報を王様に売った商人がいたらしいんだ。で、それを聞いた王様は、そいつを差し出せと村に命令したんだとさ』 急いで引き返したそこは一面、無慘な焼け跡と化していた。 『でも、その男は村を出た後だった。だけど村には、その男の血を飲んだっていう娘がいたんだ。で、変わりにその娘が差し出された−村のために犠牲にされちまったんだな、かわいそうに…』 子供達の駆け回っていた道も、女達が話に花を咲かせていた井戸端も、人々の暮らしていた家々も、すべて。 『けどその娘は不老不死の男の血を飲んだだけで、その血は普通の人間と変わらない物だった−王様が求めていたような効果なんて何も無かったんだ。当てが外れた王様は怒って、その場で娘を殺しちまった』 何も無かった。ただ、人々の暮らしていた痕跡だけが、風に晒されて残っていた。 『だけど王様はそれだけじゃ飽き足らず、村ごと焼き払っちまったそうだ』 クィールは茫然と立ちすくんだまま、動く事ができなかった。 『まったく、お偉方ってのは一体何を考えてるんだろうな。不老不死だなんて、そんなおとぎ話みたいな話のために村一つ潰しちまうんだからよ…』 声すら出せず、ただ信じられない思いで見つめる事しかできなかった。 足元にキラリと光を弾く物が落ちていた。屈み込んで拾ってみると、それは指輪だった。 熱のために変形し、煤でくすんでいたが、それは確かに彼女の、イリシャの指に嵌まっていた物だった。母親の形見だと寂しそうに笑っていた、あの…。 手にとったそれが、不意にぼやけた。気付かないうちにクィールの頬を伝った滴が、渇いた大地に黒い染みを描いていた。 やがてここも、砂に覆い尽くされて行くのだろう−すべての物がそうであるように…。 ああ、やはり自分はあそこから出るべきではなかったのだ。犠牲者ならもう充分すぎる程出したと、あの時死ぬほど思ったのに…。それでも自分の弱さのために、外に−人のいる場所に行かざるを得なかった。人恋しさに狂ってしまったこの心を、あの湖と無人の町は慰めてくれはしないのだから。 後何百年経てば、この罪は終りを向かえるのだろうか…。 孤独な王は今日も無人の町で、夜空に浮かぶ月を見上げる。唯一つの救いを、求めて。 終わり。 |