<< トップページへ / << SSトップへ

OLD SQUARE


駅前から少し、住宅街の一角にある喫茶店の、いつもの風景。

 人にはそれぞれ帰る場所がある。故郷、昔見た風景、誰かの笑顔…すべては、人の思いの中に。そんな思いが集まる場所があり、いつしか人々はそこをこう呼ぶようになった−なつかしい場所、OLD SQUAREと…。


 喫茶『OLD SQUARE』は、駅前から少し歩いたところにある住宅街の一角にあった。角地という立地を活かした二面に大きくとられた窓、落ち着いた木調の内装…奥にはカウンター、2人掛けと4人掛けのテーブルが少し。メニューの数はそれほどなく、しかしどれも評判のよい定番ものが並んでいる。店内の柔らかい雰囲気と、髭のマスターの優し気な笑顔に迎えられると、皆どこかほっとしたような気分になる。
 マスターの伊川はカウンター内での開店準備を終え、店内に続いて店の前の掃除をすませると、いつもの場所に看板を置いた。腰に両手を置いて軽く背を仰け反らせる。視界に入った晴天に目を細め、一度深呼吸してから姿勢を戻した。
「さぁ、今日も始めるか」
満足そうに小さく呟くと、伊川は店内へと入っていった。

 カウンター内でグラスを磨いていた伊川は、カラン、という音に客が来たのを知る。
「いらっしゃい」
声をかけるが、顔は上げない。来店時間と、何よりもその足音で、その客が常連客ではあるが幼馴染の近所の時計店の店主、高城だとわかっていたからだ。
「おはよう。…今日は?」
いつものカウンター席に座った高城は、持参した新聞をカウンターにおいてあくび交じりに伊川に話かけた。
「鮭茶漬けと出汁巻き」
「じゃそれ」
簡潔な伊川の答えに頷いて、高城は新聞を広げて読み始める。ちょうど一面を読み終えた頃に、高城の前に小さなトレーが差し出された。鮭茶漬けの茶碗に大根おろしの乗った出汁巻き卵の皿がひとつ、白菜の漬物の盛られた小皿。一緒に添えられた箸はこの店が開店したときに高城が持ち込んだ自前の箸で、高城は再び新聞を置き、その箸を手に取る。高城が茶碗を手に取ったところで、再び扉の開く音がして店内に人影が増えた。
「いらっしゃい」
「おはよーさん」
伊川の声にかぶるようにしてもうひとつの声が響く。いつものように高城の横のカウンター席に腰を下ろしたのは、同じく常連の幼馴染、骨董屋2代目の相原だった。
「なんだエイちゃん、またわがまま言ってんのか………俺もこれね」
高城の前のトレーを無遠慮に覗き込んだ相原は、喫茶店にしては珍しい和食メニューに対してからかうように言った後、あっさりと矛盾するような注文をする。
「自分も注文するくせに何言ってやがる」
茶碗を手に持ったまま、高城は目を眇めて隣を見やる。そんな2人のやり取りを笑いながら、伊川は手早く用意したトレーを相原の前に置いてやる。
メニューに載っていないそれは、伊川が朝は和食党だと熟知している高城が自分の分もついでに用意しろとせっついたもので、その経緯を知っている相原もちゃっかり相伴に預かっている。いつも2食分しか用意されず、高城か相原が注文しない限り食べられないそれは、他の常連客達には「幻の朝メニュー」としてひそかに有名になっていた。
「いただきまーす」
相原は30代という年齢に似合わない元気な声で手を合わすと、小柄で、どちらかというと可愛らしい外見に似合わぬ大口で食べ始める。それらを5口で食べ終えた相原は近所でも早食い、大食いで有名である。先に食べ始めたはずの高城とほぼ同時に箸を置いた相原の前に、伊川がいれた緑茶が置かれる。相原が隣を見ると、同じように置かれた緑茶に手を伸ばす高城が見えた。その手元に再び広げられた新聞を覗き込みながら、相原はいつものように幼馴染2人を相手に世間話を始めるのだった。
「…ああ、そろそろ。時間なんじゃないのか?」
時計を見上げてお開きを宣言するのはいつも伊川の役目だった。その声に2人が頷いて立ち上がる。
「ごちそうさま」
「ごちそーさん」
声を揃えて会計を済ますと、手を上げてそれぞれに職場へと向かって歩いていく。
それを見送ってから食器を下げ、片づけを終えると、昼食時に合わせて雇っているバイトが来るまでの間、先程高城が持ち込んだ新聞を手に、カウンターの隅に置いた椅子に腰掛ける。
しばらく新聞に目を通していたが、再びの来客を知らせるドアベルの音に伊川は顔を上げて笑顔を向ける。
「いらっしゃいませ」
その笑顔にほっとしたような表情を見せる客に席を勧め、注文を取るために伊川はカウンターを出た。



 住宅街の中にある小さな喫茶店。いつもと同じ、しかし昨日とは少しだけ違う一日が今日も始まる…。




<終わり>