八雲WVコース |
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雄鉾岳 |
幅500m、標高差200mの大岩壁を持つ遊楽部山塊南東の双耳峰で、
ワイルドな変化に富んだ登山を楽しめる山である。
アイヌ名は頂上部の大岩壁を言う(カムイ・エ・ロシキ=神々の連立するところ)。 雄鉾岳の山名は、ここの近くにある、姿も似て古くから知られていた小鉾岳(792メートル)と区別するため、雄鉾岳と名付けたようだ。 この山が歴史に登場するのは、1677年からで、鉄や銅を採掘したと記録にある。さらに1936年、鉛を中心とした有力鉱として、 本格的な鉱業生産が開始された。最盛期の50年代には、作業員と家族など、約300人が生活をしていたという。 ヤマは1969年閉山となるが、直前の66年から68年にかけて鉱山の特定郵便局を基地に、 八雲ワンダーフォーゲルが中心となって雄鉾岳に登山道を開削した。郵便局は、 後に「オボコ山の家」として登山者の憩いの場になった。 入り口に残る赤いポストが、当時のにぎわいをしのばせてくれる。 |
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中流部 |
銀山沢 | 銀山沢 |
ここからいよいよ銀山沢の沢歩きが始まる。大岩がゴロンゴロンしている沢を大自然の猛威を感じながら、
適当な徒渉ポイントを見つけ、徒渉を繰り返し進むと、やがて、右手より雄鉾沢が合流し、ここで、銀山沢と
別れて右手の雄鉾沢を進む。 沢は深くえぐられ、真っ直ぐに延びている。かって、雄鉾岳大岩壁のビューポントであった「一服峠」は削られて消失している。 だんだん傾斜がきつくなって、赤ペンキ・テープの標識がある金ケ沢出合に到着。左手の枝沢、金ケ沢に入る。 荒々しく変貌した雄鉾沢とはうって変わって、苔に覆われ清流が流れるしっとりとした沢となる。 沢は細くなり、イオウの臭いがしたり、茶色に変色した石を見ると、この山に、 かって鉱山があったこともうなずける。やがて、金ケ沢から離れ、踏み跡は岩壁基部の急斜面をトラーバスし、ルンゼ (落石ルンゼ)に達する。 ロープの張られた「落石ルンゼ」を登りきると、頂上よりの稜線にでる、海見平である。 ここからは、その名の通り、噴火湾、日本海等が見える。 ダケカンバの点在する笹原は頂上まで続く。なだらかな、広い斜面だが、深い笹原の中は起伏に満ちている。 山頂は荒々しい雄鉾沢や岩壁が嘘のような平坦地だ。 |
海見平 | 頂上 | 海見平よりの展望 |