城とは何か?

↑姫路城

↑天童城

まず、ほとんどの方は城と聞けば、姫路城のような大きな天守閣があり石垣の周りに水堀があるものを思い浮かべると思います。しかしそのような城はほんの一部です。さて、城の定義というのはあいまいで伊達家が江戸時代に築いた要害なども分類上は城に含まれます。その他にも天童城のような一見山のようなものでも城と呼ばれます。天童城などを城ということに抵抗を感じる人もいるとは思いますが、そのような方々は日本史をもう一度勉強しなおすことをお勧めします。

城の種類

ここで簡単に城の種類を説明します。

平城・・・近世城郭に多い造りで、郭の周りに水堀を配する城郭。大規模な天守閣はこのタイプの城に多い。(江戸城、山形城等)
平山城・・・小さな山を利用して作った城。姫路城が有名である。このタイプの城郭では建築物が残っているものも多い。(姫路城等)
山城・・・日本で一番多い城の形式。山全体を郭として作られた城。このタイプの城で建造物が残っている城は稀であるが、歴史が古い。

天守閣とは?

城のシンボルである、天守閣・・・。しかし、天守閣はすべての城にあるわけではありません。むしろ有る方が珍しいのです。ましてや現存天守閣を持つ城は12城しかないのです。昭和期にもともと無い天守閣をわざわざ新しい石垣まで作って建てたお城もあります。ここに来た人に分かってもらいたいことがあります。

それは、

天守閣≠城

であること。

 例えば天守閣といっても二層のものから五層のものまであります。大坂城には過去弘前城の現在の天守閣クラスの櫓が11基もありました。又、一部の城では徳川幕府への配慮から天守閣を「御三階櫓」や「三重櫓」などと呼ぶこともしばしばありました。そのような櫓はほぼすべての近代城にあるといってよいでしょう。しかし、山形城などは三階櫓が二の丸内にあり、天守閣と言っていいものか非常にあいまいであり強いて言うなら天守閣に匹敵する建築物というべきでしょうか。山形城の場合は二の丸の東端と西端での高低差が約5m〜15mあります。また街道は東側を通っているため二の丸の西側に天守閣を建築するよりも東側に建築をしたほうが、近代建築としての天守閣の本来の役割である大名の政治的支配力を誇示すると言った用途にはより有用だと思います。
 天守閣とは高石垣の上に聳え立ち城のシンボルだった、と考える人もいると思いますが、天守閣は土塁の上にも建築されました。大東亜戦争中まで存在していた水戸城の御三重櫓がそのよい例です。

層塔型と望楼型

天守閣には、大きく分けて二種類あります。層塔型と望楼型です。
・層塔型・・・ほぼ正確な正方形や、長方形の形の天守台の上に立てることが出来る。各層が一定の割合で、小さくなっている形。江戸時代に立てられた天守閣などに多い。
・望楼型・・・初期の天守閣に多い形で、大坂城や安土城など。どのような形の天守代にも立てることが出来るため、比較的建てやすい。大きな母屋形の屋根が特徴的。

層塔型天守閣。関東以北では、唯一残る現存天守閣。

望楼型天守閣。松江松平家の居城。現存天守閣では、分かりやすい望楼型。

現存天守閣がある城

弘前城・松本城・丸岡城・犬山城・彦根城・姫路城・丸亀城・備中松山城・高知城・宇和島城・伊予松山城・松江城

2004年に愛媛の大洲城の天守閣復元工事が終わりましたが、完全木造かつ構造・工法も江戸時代と何等変わらない情況で造っています。そのことから大洲城の天守閣は現存天守と同格に扱っても良いと私は思います。