札の辻 | さくら野の角に「札の辻」という標識が建てられています これは、領民に法度(法律)を知らせる札(ふだ)を建てる場所 |
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番町 (大門通り) |
八戸城の大手門から札の辻に至る道を大手筋といい 今のカネイリの当たりで武家町と町人町の境目に大門が建ち この門の開閉を遠山家が行っていた。 『遠山家日記』として残され図書館に所蔵されている。 |
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市庁広場の 美術品について |
佐々木憲章氏の 『花の精』 八戸出身の書家 佐々木泰南氏の長男 |
縄文十二支 何処かわかる? 広場の中央ベンチの あるところです。 えとが古代文字で書かれてます。 公会堂の壁面にも 同じ物があります。 |
欠畑(かけはた)美奈子氏 『母子像』 |
三浦哲郎文学碑 | 八戸城・解説板 八戸のお城は天守が無い 「陣屋形式」で石垣は無く周囲は 水堀・空堀・土塁で囲まれていて、 三八城神社のあたりが 御殿跡のようです。 |
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三八城神社 | 元禄2年(1689年)藩主の邸内に 勧請下のが始まりで 現在の社名は明治7年(1874)の 廃藩置県により改められた 『弁慶石』 石のところどころが、 人間の大きな足形のように くぼんでいるのが、力自慢の 弁慶が岩にしるした足型と いわれている。 |
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築山 | 八戸城址碑 八戸藩成立から廃藩までの 記録が書かれていて 現在は口語文でわかり易い 説明文が建てられている 昭和3年建立 |
南部直房公の銅像 平成13年建立 八戸博物館前には 八戸の先祖 南部師行(なんぶもろゆき) の像があります |
森のおとぎ会 大正13年八戸の半分以上を 消失した大火の後子供達に 夢を持たせようとお話会が 始められた。 昭和20年代の戦争の時に 1度休んだだけで、現在 場所を長者さんにうつして 続けられている。 |
おがみ神社 | 八戸三社大祭 発祥の神社の一つです 200年ほど前の山車が 赤い屋根の見える倉に 保管されていていつでも 見ることが出来ます |
義経北行伝説の残る神社でもあります 義経の北の方(久我大臣の娘)が死亡し京ヶ崎に葬られたいう 伝説と久我姫の持っていたとされる手鏡が残されている |
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南部家表門 |
大正ロマン(西洋建築・国定有形登録文化財) |