対 泉 院



   
対泉院の本堂と近くにある新井田郵便局の風景院
(上が対泉院の山門で下が松舘大慈寺の山門と近くを流れる新井田川が描かれています)

   
山門 中に本堂が見えます            鐘楼

以前の本堂は、明治44年(1911年)火災にあい焼失した。
その時の火元になった息子である中村松太郎が宮大工となって
寺の再建に心血を注いだ話は有名です。
昭和25年仮落慶式、すべて完成したのは昭和54年で
対泉院が完成した時、『現代の名工」になっていた中村松太郎は、八十歳を超えていた。

山門の右側に「飢餓萬霊等供養塔」の碑があり
天明の大飢饉(1783年)の時になくなった人を供養する為に建立した物で
裏に悲惨な状況が刻まれている。
明治になってあまり悲惨な「人肉を食らう」という文字を削ったとも言われている
  


本堂の左側には池があり、大賀ハスが植えられている
    


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