1999年10月30日(土) 落馬、そして骨折。
今日は朝の9時と10時に乗馬予定。先週のクラブの大会で思ったように結果が出せなかったので、がんばって練習するつもり。さすがに大会の翌週だけあってクラブに人は少ないな。さて、馬わりを見ると先週大会の時にちょっとご機嫌がななめだったオーカンくんだった。ついてないな。しばらくこの馬にしか乗せてもらってないような・・・
9時から早速騎乗開始。3頭での練習。ドレッサージュで1課目の駆け足を始めたとたん、オーカンが前の2頭に突進していった。「まずい!」と思って右に巻き乗りをしようとしたところで、急停止、そのまま落馬してしまった。ださい!しかもお尻から落ちてしまった!
「痛い!」いつもの(結構落馬している・・・)痛みとはなんか違って中が痛い。背中?腰?起きあがろうにも起きあがれない。なぜだろう。まさか・・・
「救急車、呼びましょう」とのK宝さんの声。私は痛さのあまり顔が笑ってしまって「いたたたた・・・」と言っているだけ。情けない。救急車なんて初めての経験。
「足、動きますか?」足?動く動く。大丈夫。頭も打ってないし。
「とりあえず救急車呼びましたので、痛そうな顔しててくださいよ。そうしないと普通の外来で診察ってことになって診てもらうまでに時間かかりますから」そうか。そんな技があるのか。さすが慣れている。と思ったら、私の緊張をほぐすための冗談だったらしい。みんなにブーツとヘルメットをやっとのことで脱がしてもらったけど、その間ずっと馬場に寝たままで、起きあがれない。まさかこの時に、このまま3週間も寝たきりになるとは誰も思わなかったのだったが・・・。(>_<)
9時30分、救急車がサイレンの音と共にやってきた。「痛そうな顔」って言われても、十分痛いのに、ついつい笑ってしまうのはどうしてなんだろう?担架って真中から割れていて両脇からすくいあげる仕組みになっているなんて知らなかった。へぇ〜不思議。寝たまま車に乗るのも変な感じ。一緒にクラブのK野さんが同乗してくれていざ、出発。行き先の病院も自宅の近所の総合病院に指定させてもらえたのはラッキー。とりあえず命に別状はなさそうだったから、少々時間がかかっても大丈夫との判断でしょう。一路、自宅近くのT総合病院へ。が、競馬開催日で国道14号および中山競馬場付近はすでに朝から大渋滞。しかしそこはさすが緊急車両、「緊急車両通過します」の呼びかけで車は端に寄ってくれている(らしい)ので早い早い!
10時、病院到着。 |
1999年10月30日(土) 午前11時 入院開始
担架からストレッチャーに乗せられて、病院内へ。気持ち悪〜い!救急なのにそのまま30分も待たされた。痛いよう。外来はとっても混んでいるようだ。落馬の状況を説明してそのままレントゲン室へ。痛いけど、ありとあらゆるポーズでレントゲンを撮った。
結果は腰椎の骨折。担当はT先生という若い勢いのある?先生。「このまま入院ですからね」が〜ん。「ここ、折れてるのわかりますか?」(寝たまま)わかるわかる。なんかつぶれてるように見える。(イラスト参照)「第2腰椎の圧迫骨折というやつですね。6週間寝たきりになってもらいます。この骨折はとにかく横になって寝ているしか治療法がありませんから。ま、会社復帰は2ヶ月半後くらいからと言う感じでしょうかね」
あまりのことに私もK野さんも言葉を失った。6週間寝たきり、ってどういうこと会社はどうなるの?家はどうするの?あっ大変!家族に連絡しなくちゃ!と、K野さんに家に電話してもらう。親もびっくり仰天。いつか落馬して大怪我するんじゃないかと前々から言われていただけにちょっと肩身がせまい。その後CTスキャンを撮ったり、入院のための血液検査(勿論寝たまま)をしたりしている内に、両親と弟が到着。 11時30分病室へ。6階東病棟612号室。 |
1999年10月30日(土) その後
「昼食は病院の手続きが間に合わなかったので申し訳ありませんが、ご家族の方に買ってきてもらってください」と看護婦さん。そうですか、でも痛いのと、事態についていけないショックでちっとも食欲はありませんよ。
それより泥だらけの服を着替えたい。寝たきりの場合どうやって着替えるんだろう?そして最大の考えたくないけど考えなくてはいけないのがトイレの問題。考えたくない〜!!うん、考えないようにしよう。
家から持ってきてもらったパジャマにとりあえすもそもそ着替えて、親友Jに母から事態を連絡してもらう。夕方会うはずだったKちゃんにもJから連絡してもらう。みんな一応驚いていたみたいだった。あたりまえなのだ。
しかし、だんだん痛くなってきた。ただ寝てろ、といわれても痛み止めくらいほしいものだ。これからの自分の生活を考えて頭も痛くなってきた。一体全体どうなるのだろう???
痛くてナースコールをしてみたが「外来が混んでいて、先生がまだ病棟に戻ってこないんです。もう少しお待ち下さい」あの、本当に痛いんですけど。
そうか我慢するしかないらしい。とはいっても、14時頃むしょうにお腹がすいてきた。朝ごはんも食べていなかったし。そうだ、乗馬の後に食べようとしてバナナを持っていったはず。手を伸ばして近くにあったバッグからバナナを出してばくばくと食べた。その時、食事はどうなるんだ?ということに気付いた。寝たまま食べられるのか??そんなぁ。今のわたしに人間としてまともにできそうなことは、寝ることくらいしかないような・・・。
3時過ぎにしびれを切らしてまたナースコールしてみた。私入院したの午前中だったのに〜。やはりまだ先生が戻ってきていないらしい。まいったなぁ。
むかついているとやっと看護婦さんがかわいそうに思ったらしく連絡をとってくれて痛み止めを2錠持ってきてくれた。バナナを食べておいて良かった。寝たまま水で薬を飲むのは結構大変なことだ。むせそう。
少し楽になって、寝ていると今度は点滴が来た。「痛み止めと傷の循環を良くするお薬です」ふうん。
点滴は大の苦手。でも痛いのでそんなことは言っていられない。がまんがまん。
夕方親友Jが来てくれた。彼女も去年わたしと飲んで帰る途中の駅のホームで倒れてしまい、あごの骨を骨折して大変だった骨折経験者。「私達、なんでこんな目にあうの〜」と二人で身の不幸を語り合う。
5時過ぎにやっと先生がやってきた。「起きあがって背骨が潰れたら半身不随ですよ」と脅していった。
そして6時に初めての食事がやってきた!どうやって食べるの?人によっては付属の可動式テーブルに置いて鏡で映して食べているらしい。そんな器用な!私はベッドの上の枕の横においてもらった。
ご飯だけはおにぎりになっている。おかずも刻んであるみたい。おいしくはないな。みそ汁もストローで飲むと味がわからない。
そうこうしているうちに心配顔のKちゃんもやってきてくれた。花束と花瓶持参で。みんなとりあえず心配していたけど、私が意外に元気そうなのでほっとするみたいだった。口が元気だし、手足が動くから。本当に脊髄をやられていたら半身不随になっていたのかと思うと、こわいこわい。
なんだか訳のわからないまま消灯の21時を迎える。9時なんて、寝られるわけないじゃ〜ん!! |
1999年10月31日(日)
やっぱり眠れなかった・・・・。同室の人々は82歳、76歳、72歳。みんなトイレが近い!夜中になんと40分おきに行ったりしてて、ちっとも眠れない。だめだこりゃ。
痛みは痛み止めでかろうじてごまかしているという感じ。朝、点滴1本。
食事はお魚ばっかりでうんざり。私が大嫌いな「煮魚」攻撃。病院だからな〜。しかも寝たままなのでどうしてもうまく飲みこめないし、腕が疲れる。
K美ちゃんが私が頼んでおいた11月17日に行くはずだったジャミロクワイのコンサートチケットをもってきてくれた。あ〜っ!行けないじゃないか〜!!この2枚は一緒に行くMちゃんに2枚と譲ろう。行きたかった・・・
その後Kちゃんと、乗馬クラブのオーナー・K宝さん・U園さん・M野さんがお見舞いに来てくれた。 |
1999年11月1日(月)
朝、点滴1本。昨日も夜は眠れず。このままでは寝不足になってしまう〜!ごはんは相変わらずお魚続き。
平日の病院はなんとなく慌しいわ・・・
会社に母から電話してもらった。うまく通じたのでしょうか?2ヶ月はお休みしなくてはならず、ほんとすみません。 |
1999年11月3日(水)祝日
「シャワー浴びましょう」どどどうやって???寝たきりなのに!
というわけで、初シャワー体験。ベッドごとがらがらと浴室へ移動して、ストレッチャーにごろりと移動。そこで寝たままシャワーを看護婦さんにかけられてゴシゴシ。恥ずかしいよ〜!!でもさっぱりして気持ちが良いのです。頭も洗ってもらいました。なんでもやってくれる看護婦さんってほんと、大変ですね。
親友JとKとKが来てくれた。どさくさにまぎれて手を握らないように!私が動けないと思って〜(T_T)
弟夫婦も来たところへKちゃんも来て、乗馬クラブのT口さん・N尾さん・T田さん・H田さん・T口さんも来てくれた。ちょっとラッシュアワー。みんな檻の中の動物を観るみたいに、じーっと見ていて、パンダの気持ちがちょっとわかる・・・。
今夜から眠剤を飲んで寝ることにする。そんなの飲んだことないから、飲んで100数える間に寝てしまった。 |
1999年11月5日(金)
ついに、「お魚いやです」宣言をしてしまいました。わがままとは思ったけど、栄養が取れないのは困るからと看護婦さんと相談した上で。
夜会社のF子ちゃんが来てくれた。会社の人と初しゃべり。寝たきりで自分で状況が話せないから、心配してくれていたらしい。サンキュウ。 |
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1999年11月6日(土)
今日はベッドごとお散歩に行った!!久し振りに外の空気を吸って気持ち良かった。先週までは、外を馬で走り回っていたかと思うと、ちょっとさびしくなった。もう馬にも乗れないのかな・・・
会社のO田ちゃんが来てくれた。専務が「もうB型の女は採用しない」と言っているとか。
そう、実は会社のB型のお姉さんY山さんも、同じ骨折で入院していたのでした。とほほ。 |
1999年11月7日(日)
食事はお肉効果で少し食べられる状況になった。
今日はお昼から前の会社の友達が二人、わざわざ相模大野から来てくれた。その後シャワーをまた浴びた。夜、乗馬帰りのN野さんが来てくれた。彼は目撃者でもあるのです。「ぽーんと跳ねて落ちたから、結構高い位置から落ちたんだよ」そうだったのか。 |
1999年11月8日(月) かなり弱気になってきた
今日はレントゲンを撮る日。ベッドごとレントゲン室に行くのかと思ったら、レントゲンの機械が技師とともに病室にやってきた。びっくり。病院って知らないことが沢山あるんだなぁ。
寝たきり生活も1週間。ストレスがたまってきました。
何かすることがあるたびに、いちいち看護婦さんを呼んだり、誰かに頼まなくては自分ひとりでは何も出来ないというストレス。すごく辛くなってきた。何か落としたり、カーテン閉めたり、忙しい看護婦さんを呼ぶのは心苦しい。そこで、せめてカーテンくらい自分で閉めるためにカーテン閉め棒をゲットした。看護婦さんの手作り。たぶん、物干し竿を持ち上げるためのものだと思われる。便利!
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1999年11月11日(木)
木曜日は総回診の日。部長先生にぞろぞろとくっついてドクターが沢山やってくる。私の月曜に撮ったレントゲンの結果は「骨が骨折当初よりかなりつぶれて来てしまっていますからね、早めにギブスしましょう」とのことだった。つぶれてきているとは?怖い・・・。 |
1999年11月13日(土)
私が入院してからというもの、ほとんどとっても天気が良い!こんなところで寝ているなんて、もったいない。馬びより。この整形外科の病棟は、よくわかんないけど、骨折とかが多いからみんな明るい。深刻な人はあんまりいないみたい。そしてみんないろんなものを身体につけていて派手。がちゃがちゃと歩いています。
ギプスは来週の月〜水のどこかにやる、とのこと。「結構つらいので、覚悟してくださいね」、とみんなが言って行く・・・。そんなにつらいのか〜・・・。でも骨がつぶれて半身不随になってしまうよりよっぽどいいのだ。
夜、Kちゃんが来てくれた。遠いのに本当にありがとう!! |
1999年11月14日(日) お見舞い続きはつらいよ
90歳のおばあちゃんが入院してきた。なんと30分おきにトイレコール。どんなことになるのやら・・・
お休みの日はみんながお見舞いにたくさん来てくれてうれしい。
お友達のK子が来てくれて話していたら弟夫婦が来て、その後乗馬クラブのA部ちゃんとS久さんが来てくれて、うれしいんだけど寝たきりの私はぐったりしてしまうのです。またまた大渋滞の中、Kちゃんが一瞬来てくれた。 |
1999年11月15日(月) 久し振りに雨
突然病室の引越し。615号室へ。そこではじめてわかったんだけど、今までいた612号室は「ひとりでは何もできない重症患者」用部屋だったらしい。どーりでナースステーションの前だし、年寄が多いと思った!少し出世。
乗馬クラブのK野さん、Rちゃん、D川さんが来てくれて、カルシウムグッズを沢山くれた。ありがとう…(^。^) |
1999年11月16日(火)
この部屋は前の「重症患者用」と違って、少々若目?の人達の部屋でした。おばさんたちのパワーがすごい!いやーストレスがたまってるのね。一日中、ずう〜〜〜〜っと身の上話をしている!このおばさんの親戚関係、ご主人の仕事の内容・お舅さんの愛人の話・家族の内輪話、ぜ〜んぶ知ってます!!何でも聞いてって感じ。
ストレスが私に移ってしまう・・・・。
今日はギプスの前日ということでシャワーに入れてもらいました。
お見舞いに、会社のO川さん、M田さん、O橋さん、H畑さん、K野さんが来てくれました。 |
1999年11月17日(水) いよいよ体幹ギプス! しかしここまで痛いとは!
きょうはいよいよ、ギプスの日!どんなことになるのやらちょっと不安。「外来が混んでますので夕方になりますよ〜」と先生。ギプスの前にギプスを取った後に使う硬性コルセットのかたどりをするという。ガラガラとストレッチャーでギプス室へ。怪しいおじさんがひとりいて「さてと・・・」とかいって、寝たままの私にビニールシートをかぶせ、水に浸した石膏シートを背中とお腹の裏表に乗せて型を取っていく。石膏はだんだんあったかくなって固まるんだなぁ。なんか、芸術的な私の「型」ができた。
夕方、やっとギプス巻きに呼ばれた。それからの経験はちょっと壮絶すぎました。
まず、私は起き上がることが出来ないため、長いすを2つ置かれてうつぶせに肩をのせて、下半身ももうひとつのいすに乗せ、ちょうどブリッジのような格好になりました。この時点で背中が反って、骨折部が痛みました。看護婦さんが2人私の脇を支えてくれ、先生がなんと二人がかりでギプス巻き開始。はじめに変な綿をぐるぐる巻いて、その後に石膏シートをぐるぐる。結構時間がかかり、身体を支えている脇も腕もしびれてきて、痛い腰も限界に・・・「痛い痛い」「痛いですよね、つらいですよね、がんばってくださいね」仕方ない、がんばるけど。先生達の会話もなんか不安で、A医師「ちがう、そうじゃないこうだろ、こう!」T医師(私の担当医)「はいっ!」A医師「ちがうよ、お前、不器用だなぁ!」おいおい・・・。(>_<)私の不安は200パーセント。痛いし、つらいし。
やっと巻き終わって、ごろりと上向きにされた。息が吸えない。なんと言っても首の真下から腰の下まであるのだ。腕も下がらない。先生は汗びっしょり。実はギプス巻きは大変な作業だったのだ。
「さて、カットします」ウィ〜ンと電気のこぎりでまずお腹に丸い穴をあけた。これをあけておかないと、消化不良や嘔吐や症状が出てしまうらしい。しかし、超コワイ!お腹を電ノコで切られるって。マジックショーじゃないんだから!!
「絶対に肉は切れません」とは言うけど、摩擦熱で切れた・・・。その後、腕回りと足回りをカット。
腕の筋肉が圧迫されて痛い。「もう少し切ってくれないと手が動きません」「これ以上は切れません」、と。つらいー(T_T)
それからの痛みはここには書けません。それほど痛かったのです。折れた背骨が伸ばされて固定された時の骨の痛み、腕回りの大胸筋の圧迫による痛み、もうすべて拷問に近かった。口もきけなくて、ご飯も食べられなくて、痛み止めも効かなくて、本当につらかったです。もう思い出したくありません。
夕方にお見舞いに来てくれた会社のK林さん、Y崎さん、O田さんとも何にも会話ができなかった、ごめん。 |
1999年11月18日(木)
つら〜い夜が明けました。まだまだ痛いけど。なーんと、今日からリハビリだって!こんなに痛いのに!
今日からまた痛み止め開始。ロキソニンとノイエル。
ベッドごとリハビリ室へ行って、変な台に移された。リハビリの担当の先生と問診をした後に、その台にベルトで足と胴体を固定された。「3週間も寝たきりですので、急には起き上がれません。すこしずつ起きあがるようにこの台で角度を上げていきますね」今日はまず40度から。「急に起きあがると、貧血で気分が悪くなることがありますので、すぐ呼んでください」40度で10分、平気そうなら50度で10分。久し振りに世の中のものをタテに見ることが出来た。新鮮!すごい!タテ!60度から結構きつくなる。3週間前には何でもなかった普通のことができないなんて・・・・。80度になった時に冷や汗をかいてきてしまった。ギプスをつけてるから息が深く吸えない。あ〜今日はこれでギブアップ。 |
1999年11月19日(金) 立った!歩けた!
おとといの夜から病院の夜がとってもこわくなるようになってしまった。恐怖体験というか・・・。眠剤を飲んで寝るしかない。腕の痛みは相変わらずで、先生にギプス切ってもらおうとしていましたがオペが昨日の消灯後(21時)まで終わらず、だめだった。つらい。
今日もリハビリです。またがらがらとリハビリ室へ。きょうはがんばろう!
またあの台に移って今日は60度から。80度もクリアして「よし、そのまま歩いてみましょう」と図のような歩行器が来てくれた。カラカラカラ・・・と軽快な音を立てて一緒に歩く。
うれしい!立てた!涙が出てきた。歩いてる。どこも痛くないし。歩けた!
さすがに長い時間は無理だけど、歩けた。病室のおばさんたちもびっくり。「さっきまで寝たきりだったのに、まぁ〜」とか。コップで普通に水を飲める幸せ。ごはんを食べるのは座ったままはちょっと苦しくて、立って食べたけど、幸せ。
窓から景色を眺める。あっ!うちが見える!帰りた〜い!!
看護婦さんたちの感想→→「あれ〜意外と小さかったんですねェ」154センチです。はい。
お見舞いにK宝さんとOモッチが来てくれた。腕の痛みはしびれに。しかし今夜もオペが遅くまであったらしく不可。いいかげんにしてほしい。 |
1999年11月20日(土)
やっと夕方うでまわりを切ってもらった。カラカラと歩行器くんと歩くリハビリ。私が落馬した日に乗馬クラブの友人カップルが結婚した。その二人がお見舞いに来てくれた。この幸せ度の差!なぜ?
立てて歩けても、一切下には向けないので、下に物を落としたら最後、誰かに拾ってもらうしかありません。
情けな〜い!!
Kちゃんがユニクロのフリースを買ってきてくれた。これでふらふらお散歩できます。さんきゅー。 |
1999年11月21日(日)
このギプスにはちょっとした工夫があります。中にTシャツを着るのですが、それを着替えることが出来ます。
手順は上の通りです。
1.まず中に着ているTシャツには前後に布で作った丈夫なヒモを4本しっかりしっかり縫い付けておきます。
そのほかにヒモを4本用意しておきます。(包帯を長く切ったものです。消毒用アルコールを浸しておきます)
2.脱ぐ前にその包帯をTシャツのヒモにしっかりと結びます。ほどけないように!
3.脱ぎます。
4.包帯だけ残ります。この時点で、身体を拭くのです。ゴシゴシと。看護婦さんにやってもらいます。
5.次のTシャツを着る前にヒモを結びます。
6.ヒモを引っ張ってTシャツを着ます。
これで一応毎日Tシャツを換えることができて、本来拭けないはずのギプスの中もアルコール消毒できて、清潔清潔。しかし、ひとりでできないほどの重労働なのです・・・・。
お見舞いは弟たち二人、親友J、乗馬クラブのT口さんがなんと娘さん夫婦と供にきてくださった。 |
1999年11月22日(月)
久し振りに月を見た。満月だった。ちょっと息をのむほどキレイでびっくりした。月を見るのなんて、何週間ぶりだろう??この前満月を見たのは、由比ガ浜でお月見をした時かもしれない・・・。 |
1999年11月23日(火)祝日
今朝はオムライスの夢を見ていた。カウンターに出てきて、さぁ食べるぞ!と言うときに看護婦さんに起こされた。漫画みたいだけど、ほんとにがっかりした。
Kちゃんが来てくれて、1階にコーヒーを買いに行った。自動販売機の取出し口って、すご〜く下にあるんです。健康なときは気にしてなかったけど、ひとりでは取れないんです!おつりも!これってひどくない??
だから二人で買いに行っていたら、なんと!小学校の同級生のM子ちゃんにばったり会ってしまった!
「あれ〜何してるの〜」「べ、別になんでもない」・・・って言ってもちっともなんでもなくないか(^_^;)
ばれてしまいました。彼女は子供が小児病棟に入院しちゃっているそう。かわいそうに・・・小さいのに。
なんだか長くなりそうな感じらしい。彼女は泊まりこんでいるそうで大変だ。私も当分いるし、またね。お大事に。
そうこうしているうちに乗馬クラブのD面さん、Mちゃん、T田くん、Hシー、F見さんが来てくれた。しおからとか海苔の佃煮とか無臭ニンニクとかもらった。ありがとう。お酒飲みたくなりました。 |
1999年11月24日(水)
K柳先生の回診の時に、腕が痛いことを訴えてみた。「ここまではやりすぎですね」といって、赤鉛筆で線を引いてくれた。そこを看護婦さんがカットしてくれた。だまっていてはだめなのだ。 |
1999年11月25日(木)
2日のうちに3回も出てくる「さつまあげ」。私がこの入院でもっとも嫌いになった食べ物のひとつです。うげ〜〜〜っ!って感じ。
どうやらお魚の代わりに出てくるらしい。朝と夜に出てくるって、しかも翌日の昼も出てくるなんて、ちょっと反則。
クリスピーなおいしいものが食べた〜い!!
ケンタッキーフライドチキンが食べたい。。。。 |
1999年11月26日(金)
夜、眠剤を飲み忘れたら眠れなかった。夜になるとまだ恐怖心と口元のけいれんが来てしまう。その寝不足のせいでボケ〜ッとしていました。
お見舞いに会社のF子ちゃんと、Mちゃんと、F倉くんが来てくれた。O崎さんからクリスマスツリーをもらった。そういう季節なんだなぁ。 |
1999年11月27日(土)
これからの生活をあれこれと考えて暗くなってしまった。しかしよ〜く考えたら3〜4ヶ月の辛抱だ!春にはきっと元気になるんだ!と思ったら楽チンになった。
私の記録ノートの後ろに、必殺「弱音のページ」を作った。「弱音を吐きたくなったらどんどん書きこもう!」われながら良い企画だと思った。(^。^)
会社のO田ちゃんが来てくれた。何度もごめん。家が近いからとはいえ・・・・。 |
1999年11月28日(日)
37.3度の熱。風邪かな〜
もと乗馬クラブのK下さんとT村さんが来てくれました。意外だったのでちょっとびっくり。Kちゃんもきてくれた。 |
1999年11月29日(月)
首を閉められる夢を見た。きっとギプスがきつかったんだろう。なんか、私の夢って、わかりやすい・・・・
夕方、乗馬クラブのK課長がバラの花束を抱えて来てくれた。あれ〜平日なのに乗馬服。さぼって乗ってたな〜!でもすごい花束でうれしかったです。 |
1999年11月30日(火)
暑い!この東病棟は連日真夏日!パジャマ一枚でも暑い暑い!外の街路樹を見るとクリスマスのイルミネーション・・・
季節は間違いなく冬! |
1999年12月1日(水) コルセットができてきた!
コルセットができたきた。ちっとも楽になる気がしない。プラスチック製。肌色スケルトン。これしたらサイボーグみたいだぞ〜きっと。
これで退院後半年近くも普通の生活を送らなくてはならないかと思うとそれだけでかなり気分がへこんでしまいました。心から暗くなりました・・・。
オーダーメイドにつき 53,000円 なり!
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1999年12月2日(木)
リハビリ室でウォーキングマシンで歩いていると、となりでストレッチしていたおじいさんに「姿勢がよろしい」と誉められた(笑)。今は誉められてもけなされても「姿勢はいい」のだ。
昨日は退院してからの生活のことをいろいろ考えていて眠れなくなった。寝不足。レントゲンを撮った。
会社のM田さん、O川さん、乗馬クラブのK宝さん、Oモッチが来てくれた。 |
1999年12月3日(金)
夜、T先生が病室にいらした。「レントゲンの結果、グッド!」「・・・・グ、グッド、ですか」(^_^;)「思ったより潰れていないし、このままギプス、あと2週間がんばって!」かる〜いのだ。。。
<禁止事項>
前屈・正座・しゃがみこみ・駆け足(小走りも) コルセットつけている間は不可!
もちろん和式トイレも不可!
これは、結構制限あり、の生活だぞ〜〜〜(T_T) |
1999年12月5日(日)
土日はリハビリがないから自主トレ。15分間一生懸命歩くと大体1キロだから、毎日2キロくらいを自分で歩くことにしている。病棟をぐるぐると約8周で15分。ナースステーションの前を通ると「あ、俊足のNさんだ!」と看護婦さんにからかわれるほど、早足ができるようになってきた。もともと足は早いのです。
会社のF子ちゃんと、I波さんがお見舞いに来てくれた。エッグタルトを持ってきてくれた。うれしーこういうの、食べたかったよ〜。と、立て続けに2個も食べてしまった。ごちそうさまでした! |
1999年12月6日(月)
夜中に同室のおばあちゃん(72歳)がベッドから転落してしまって大騒ぎとなってしまった!幸い怪我はなく、本人は「きれいな雪景色を夢で見ていたわ〜・・・」とうっとり(?)私は寝不足です。
このおばあちゃんは内科の患者さんで、リウマチを患っている。お嬢さんおばあちゃんで、何にも自分ではできない。とっても注文が多くて、わがままで看護婦さんの手のかかる方なんだけど、なんかかわいくて私はにくめませんでした。 |
1999年12月7日(火)
今朝は別の部屋のおばあちゃんの乱入で目覚めた。朝5時、「すいませ〜ん!」という叫び声。またベッドから落ちたのか!?と思って起きると、知らないおばあちゃんが部屋にいた。「?」「トイレに行ったら自分の部屋がわからなくなっちゃって・・・」<実はこのおばあちゃんは2回目です(T_T)。
歳をとると、本当に大変なんだなぁと、今回の入院でつくづく感じました。いろいろしたくても身体がついていけなかったり、自分の意志と関係なくいろんなことが起きてしまったり(失禁とか)・・・。自分の老後についてしみじみ考えました。私はどんな風に歳をとっていくのかなぁ、と。ボケて自分の子供もわからなくなったり。なんだか、つらい。お金があったりなかったりでこれまた全く状況が違っていたり、ひとり暮しで身寄りがなくて誰もお見舞いにきてくれなかったり、旦那さんがマメで毎日きてくれてる幸せそうなおばあちゃんもいたり、で本当に人生の縮図。とっても耳年増になってしまった。
みんな必ず歳はとって老いていくものだけど、その老い方はある程度今から方向つけのできるものなのかもしれない、と思いました。あ〜毎日こんなことを考えていて、暗くなっちゃう。風邪も引いてしまった。 |
1999年12月8日(水)
今日はコロッケの差し入れがあった。久し振りに食べるクリスピー感に、一同うっとり・・・・。既製品のコロッケをこんなにおいしく感じたの初めてかも。それにしても私は恒常的に「カフェイン不足頭痛」。看護婦さんに聞くと本当にこう言う人いるらしい。私だけじゃないんだ〜。
あと、ギプスをはずすと中の身体がなんと!毛深くなっていてびっくりするらしい。「女の人はね、特に驚くみたいよ」とK先生。ほんとに〜(T_T)やだ〜そんなの〜。
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1999年12月9日(木)
朝から頭痛。カフェインを投入してすこ〜し楽になった。変なの!ギプスが急に楽になった。「かなりやせたね」とA先生が触っていった。そうなのかな〜テレビコマーシャルでやっているマクドナルドの「ゆくトリくるトリ」が食べた〜い。ああいうジャンクフード・・・バカ食いしてみたい。 |
1999年12月10日(金)
早く起きて(午前3時)からテレビを見ているリウマチのおばあちゃんが朝6時に「雅子さんがご懐妊よ!」と私を起こした。そっかー赤ちゃんできたんだ〜。よかったね!ねむい頭で祝福。 |
1999年12月11日(土)
今日はとってもあったかい!昼ご飯は給食のソフトめんを彷彿とさせる「ミートソース」だった。なつかしい味・・・。
Kちゃんが昼に来たので二人で庭をお散歩したり、ふらふらしてました。あ〜早く退院したい!おいしいもの食べたい。
がんがん公衆電話から親友Jとかに電話していたのでテレカ代があっという間に一万円くらいに・・・。 |
1999年12月14日(火) ギプスカットの日!
ついに念願のギプスカット!!腰のあたりはなんと1センチ近い厚みがあってなかなか切れず。とっても苦労しました。ガバッとはずした私の抜け殻は思いの外大きくて、1.6キロも重さがあった。よくこんなものを付けて4週間も我慢をしたものだ。よしよし。いよいよ例のコルセットをつけてみたけど、あんまり楽チンじゃない。。。やはり。
相変わらず椅子には座れないし、胃が圧迫されて気持ち悪い。まるでプラスチックを飲みこんだみたい。リハビリは今日から階段を3段ずつ昇り降り。こわい。情けな〜い!K先生とリハビリ室で会ったら、「T(私の主治医)がどう言ったかは知らないけど、6ヶ月はアクシデントに気をつけなさいよ。駅の階段とか混んだ電車とか、転んだらアウトだからね」と忠告してくださった。彼はこの病院では腰の権威なんです。彼の言うことは信憑性があるので従うことにしています。しかし、体毛は思ったより濃くなってなくて安心。
夜にF子ちゃんとMちるとHマーが来てくれた。突然会社のK係長が20日付けで退職するって・・・びっくり。もう会えない。 |
1999年12月15日(水)
お腹と胸骨が痛い。たまらん。お腹の穴をあと2センチくらい広げてもらった。ギプス作ったあの怪しいおじさんは職人技だった・・・。
2週間前に退院した同室のおしゃべりおばさんが外来に来ていて会った。病院にいた方がどれほど楽だったか、をぐちぐちとこぼしていった。彼女は股関節骨折で難しかったので、まだ松葉杖で生活しているためとても不自由のよう。そうだよね、退院してしまったらこんなに保護された生活できないんだもんね・・・ちょっと考えてしまった。 |
1999年12月16日(木)
寝苦しいよ〜!!ギプスより多少柔らかいし、前後に分離しているから寝返りを打つと身体にくいこむ。同室のおばあちゃんたち二人の具合がすこぶる悪くて、暗い1日でした。レントゲンを撮った。異常なし。 |
1999年12月17日(金)
退院日23日に決定!あと1週間だ!頑張る!またまたさつま揚げ攻撃にあっている日々。3日に2回・・・うげ。 |
1999年12月19日(日)
今日は最後の日曜日。Kちゃんがスターバックスのコーヒーとボンジュールのパンを持ってきてくれた。久し振りにスターバックス・ラテを飲んだ。あとおいしいくるみパンも。同室の人達にお裾分け。ただし、堅いフランス系のパンはおばあちゃんたちには不可! |
1999年12月21日(火)
看護婦さんへのお礼の手紙書きで1日が終わりました。結構大変なのだ〜なんたって座れないから・・・。
昨日の夜は久し振りにぐっすり寝てしまった!コルセットないととっても寝やすい。
退院後の「療養計画書」というものをもらった。そこには「3〜6ヶ月間はコルセットを着用のこと。コルセットをつけていても骨折部が少しくずれることもあります」と書かれていた。6ヶ月!聞いてないよ〜。6月まで?!暑くなってしまう・・・。それにコルセットしていても崩れるのか・・・ちょっとショック。 |
1999年12月22日(水) あと1日!
毎日すこしずつ起きている時間を長くしていたけど、いよいよ明日からは毎日ずっと起きていなくてはならいと思うと暗い気持ちになる。
このコルセットをつけて果たして社会へ復帰できるのか?会社にも行けるのか?普通の生活ができるのか?とにかく不安なことばかりでナーバスになっている。
ここに55日間いたけど、これからはその2倍くらい時間がかかるんだなぁ。ひとりでなんでもできるようになるには半年くらいかかるんだね。まったく自信がない。 |
1999年12月23日(木) いよいよ退院!\(^O^)/
とうとう退院の日がやってきた。ここの病棟は朝食を食べたら10時半には出ていかなくてはならない。ホテルのチェックアウトみたい。55日分の荷物は徐々に母に持って帰ってもらったがまだまだたくさんある。弟が車でお迎えに来てくれた。久し振りにお化粧なんてしてみた。普通の服を着るのも初めて。着られるのか・・・パンツのチャックが閉まらない!まぁ上に着るセーターでかくすか。祝日なので先生はお休み。看護婦さんにあいさつをしていざ、外の空気を!
いい天気。車に乗るのは結構大変。く、くるしい〜。胸骨がコルセットで圧迫される〜!
しかし、しっかり途中のマクドナルドで念願の「ゆくトリくるトリ」を買ってもらい、ケーキ屋さんでモンブランを買ってもらい、家に帰りました。
長い間の入院だったけど、とっても人生勉強をしました。ちょっと大人になりました。会社の人や家族にはものすごく迷惑をかけたけど、すごい貴重な経験をしてしまいました。そして長い間、よく頑張りました!お疲れさま! |