<最近思うこと>
生きてるとさ、ホントいろんな事があるよね。
言いすぎて誰かを傷つけたり、
言葉足らずで物事を大きくしてしまったり…。
人生の中で一番難しいのは
もしかしたら人間関係なのかもしれない。
でも、みんな一人では生きていけない。
喜怒哀楽を分け合えるのも人間同士だし。
こっちの意見聞きながら、
あっちの意見聞きながら、
どっちにもいい顔しようとする自分がいる。
少しぐらい時間がかかっても
冷静に判断しなければいけないのに。
自分の嫌がる事を相手に
知らず知らずにしていたり…。
長い人生、真の幸せなんて
ほんのわずかかもしれない。
それを祈って、それを求めて
みんな、生きてゆくんだね。
2024/12/7
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
<先駆者たち>
今こうして私が地域の中で自立生活をできているのも
制度やその道を切り拓いてくれた先駆者たちがいたからこそ。
小・中学校の修学旅行は電車を利用したが、
まだその頃は私たちが利用できるエレベーターはなく
暗い通路を通り特別に貨物用のエレベーターに
乗せてもらうしかなかった。
今は利用客が多い大きな駅には
当たり前のようにエレベーターはある。
障がいのある私たちはもちろんのこと、
毎日大勢の人々が利用している。
そのエレベーター設置も私たちの先駆者たちが
駅やいろんなところに働きかけ実現し全国に広まった。
その先駆者たちがまた一人、二人と逝ってしまっている。
あいさつぐらいしか交わしたことがなかった人もいれば、
名前しか知らなかった人もいる。
先駆者たちの運動のおかげで、障がいのある私たちも
生きやすい社会にはなってきた。
でもバリアはまだまだなくならない。
先駆者たちから受け継いだものをこの先どうしていくか、
時代が変わる中でどう後輩たちに伝えていくかが
何よりの私たちの課題なのかもしれない。
地域をはじめ、たくさんの人とつながり
いろんな障がいのある仲間がいることを
伝えていくことも大切な一歩。
私も自分から発信することはまだまだ苦手だが、
そう自分自身に言い聞かせていきたい。
2024/10/6
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
<雨の1泊2日>
一昨日昨日と1泊2日でふる里に帰って来た。
よりによって台風から変わった温帯低気圧の
影響で全国的大雨。
私もふる里に帰って両親に会えてホッとしたけど、
その反面、あの大雨で新幹線が止まらないかハラハラしてた。
何度もスマホで天気予報を見ながら…。
もし、新幹線が止まったら、私の予定も変わり
多方面に連絡し、新しく時間調整をお願いしなければならない。
それだけはできるだけ避けたいと思っている。
(それは誰でも同じかもしれない。)
こっちに戻る時には雨もやみ、
私が乗る新幹線も平常通りで安心した。
両親もまだまだ元気そうだったし、
来年も1度は帰れそうな気がしてる。
それにしても今回の大雨。
また能登地方に大きな被害が…。
ここ数年の自然の猛威には
また心が痛みます。
2024/9/23
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
<お彼岸帰省>
あと何度、両親が居るふる里に帰れるだろう。
今年のお盆は帰らなかったので、
この週末お彼岸に合わせて帰省することにした。
はじめは2泊で帰ろうと思ったけど、
80過ぎの高齢の両親も私の介助が
大変になってきているのは事実なので
1泊だけにした。
帰れるうちに帰っておきたい。
元気な両親の顔を見られるだけでいい。
そんな歳に両親も私も
なってきているのだから。
2024/9/20
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
<人生折り返し>
前にも書いたけど、
私の人生も折り返し地点を過ぎている。
季節で言うと晩秋かな?
自分では初秋と思いたいけど。
人生の終盤は故郷に戻り、
新たな出会いをたくさんし、
私なりにアパートで自立生活をしていきたい。
そんな夢が時々頭をよぎる。
その夢を叶えるためには
今から準備しなければと思うんだけど…。
でも、今の生活も居心地いいし捨てがたい。
日々、いろんな事があったとしても、
嫌ではないし、辛くもない。
もう少し… もう少し…
ここで頑張ってみようかなあ。
いつも、そんな気持ちのほうが
結局、勝ってしまう。
まだ、私の中で
大切な事じゃないみたい。
2024/9/15
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
<旧優生保護法の判決に思う。>
7月3日、旧優生保護法の裁判について
最高裁は国の責任を認めた。
私も安堵しているが、その一方で
人権侵害に当たるこんな法律が
長年あった事に疑問と怒りを感じる。
何故だったんだろう?
私も知らずに生きてきたけれど。
もしかしたら、そこからすべてが
つながっているかも知れない。
もうすぐ7月26日、
今年はパリオリンピックの開幕日でもあるが、
あの悲惨な事件から8年でもある。
忘れない、忘れてはいけない。
そう、自分にも言い聞かせながら…。
旧優生保護法は国の責任を認めたが、
これで終わったわけではない。
これからは、優生思想という考え方が
日本社会からなくなることを
願わずにはいられない。
2024/7/20
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
<今日も奇跡>
今日で6月も終わり、
2024年も半分が過ぎようとしてる。
今年は新年早々、能登半島地震が起き、
地球温暖化による気候変動も進み、
季節外れの暑さが続いている。
それに加え、大雨などによる
災害も心配されている。
何が起きてもおかしくない。
ふと、そんな事を最近思う。
常にそうだったかもしれないのに。
そう考えたら
当たり前に迎えられた今日も奇跡。
出逢いも、会話も、笑いも、予想通りでも幸せ。
それだけで挑戦し続ける意味はあるだろう。
やりたい事はやろう!
会いたい人には会いに行こう!
何度遠回りしても、きっと叶うから。
そう思って、私も生きていきたい。
2024/6/30
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
<本当の事って>
本当の事って、何だろう?
計算式やスポーツなどの勝ち負けには
一つの答えがはっきりしてるけど。
本当の事って、何だろう?
一つの物事に対し十人十色の意見があり
それをまとめて答えにしてるけど。
本当の事って、いったい?
どこにもないのかもしれない。
私たちが交わりながら、迷いながら、
探していく答えなのかもしれない。
そして、私たちが今生きている
これこそが奇跡であり、
本当の事かもしれない。
2024/5/12
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
<あれから13年>
明日で東日本大震災から13年、
私の中では「もう13年?」という
月日の流れの早さを感じる。
あのときほど
「自己選択」も「自己決定」も「自己責任」も
重たく感じたことはなかった。
東京電力福島第一原発事故も未だ
何が正しいのかさえ、私にもわからない。
ただ、未来に重たい石のような
問題を残してはならないと思う。
東日本大震災以降、全国各地で災害が増えている。
あのときの教訓は活かされているのだろうか?
そう自分に問いかけながら、明日は振り返りたい。
人それぞれ考え方はあるけれど、
私は東日本大震災を忘れずにいたいと思う。
2024/3/10
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
<コロナになって見えてきたもの>
迷惑メールから解放されたと思ったら、
今度は私、コロナになってしまった。
頭も喉もどこも痛みはなく、
急に発熱し、身体に力が入らなくなり、
すぐに熱は下がったものの
明らかにインフルエンザとは違う症状だった。
5日間の自宅待機を終え、
今日から普段通りの生活に戻った。
5日間の自宅待機期間中に考えさせられたことは
人と接触する場面を極力減らさなきゃいけないということ。
災害用に準備してあった常備食も使って
なんとか人と接する時間を減らしたけど…。
私も大変だったけど、
私に関わってくれた人たちはもっと大変だったと思う。
そしてもう一つ、
いろんな地域で自立生活している
重度の障がいがある仲間たちは、こんなとき
どうしてるんだろうと思った。
コロナにならないことに越したことはないけど、
そうもいかない。
インフルエンザやコロナウイルス、
近年は様々な感染症も増えてきている。
私たちもそんな時、どうしたらいいか、
それぞれシュミレーションしておく必要があると思った。
常備食は用意しておくと、何かと役に立つよ。
2024/1/15
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
<大地震に思う>
能登半島地震から2週間。
まだまだ被害が拡大している。
行方不明者も避難している人も
数え切れないほど、まだ把握できていない。
3.11の時もそうだった。
ライフラインが不通になった地域や
原発事故の影響で急きょ避難指示が出た
地域も少なくなかった。
突然、当たり前の日常を奪われた無念さと、
避難生活がいつまで続くのかという不安。
この二つがどうしようもできない気持ちだった。
3.11から幾度となく大地震は起きている。
大雨などの自然災害も年々増えている。
それなのに毎回同じような課題があるのだろう。
私たちが今生きていること、
今誰かと触れ合っていること、
もっと大事にしなければならない
時代になってきているのかもしれない。
2024/1/14
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
<2024年のはじまり>
例年にないほどの暖かい年末年始。
そんなに厚着せず買い物に出かけたり、
昨日は生まれて初めて初詣に行ってきた。
生まれて初めて引いたおみくじは『末吉』。
「ほどほどに頑張れ。」と言う意味にとらえ、
私には丁度いいと解釈したいと思う。
あまり無理せず、だからといって諦めもせず…。
本当は今年こそ、ナマケモノを目指したいんだけどなあ。
そして新年早々、3.11を思い出すような大地震。
昨日は飛行機事故。世界では紛争が続いている。
2024年は「どうなるんだろう?」と不安もよぎるけれど、
何一つ変わらず明日へと歩いて行きたい。
私も世界中の平和を願いながら…。
2024/1/3
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
<「またいつか」と言う魔法>
「またいつか」って、私も何回云っただろう。
その「またいつか」はいくつ叶えられただろうか。
「また明日」とかなら当たり前のように
毎日叶えられそうだけど、
「またいつか」はそのまま永遠になる事も多い。
「またいつか」なんて安心する魔法の言葉かもしれない。
「またいつか会える」って。
この先私は「またいつか」をいくつ叶えられるだろう。
大切な友に、何十年も会っていない友に
「またいつか会いに行こう!」って、
魔法の言葉じゃなくて。
みんな、みんな、叶えられたら…。
2023/12/2
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
<伝えられること>
もうすぐ十に80を過ぎた父の誕生日。
父からメールは来たことがないが、
私のメールはちゃんと読んでいるらしい。
なので、「8〇才おめでとう!」と
メールで送りたいと思う。
ふと、私はこんな事も思った。
あと何回、父に誕生日メッセージを
伝えられるだろう。
父だけでなく、家族に友だちに…。
心の中では永遠に伝えられるけど。
言葉にして、文字にして、文章にして。
だから、誕生日や記念日は大切なんだなあ。
2023/11/18
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
<私の大切な条件反射>
昨日、7ヶ月ぶりに今年2度目の
お楽しみコンサートに行って来た。
コロナ禍の間、遠出すること控えていたので、
久しぶりのちょっとした遠出だった。
今回のコンサートで思わぬ事を発見した、
私、歌ってるのよ。もちろんマスクの中で。
私、歌ってるのよ。あの歌、この歌、40年前の歌も。
これって、誰が隣りに居ても歌ってると思うし、
誰に止められても、私は歌ってしまうと思う。
私の大切な素の条件反射かもしれない。
だから同じ人のコンサートに
長年、何十回も行くのかなあ。
40年前の歌を歌いながら、
あっという間の40年だったなあと、
私も振り返りつつ。
あと何回コンサートに来れるんだろう?
そんな事も考えてながら。
自分が素になれる場所の一つ、
ほんとうに大好きなんだなあ。
2023/11/5
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
< <私の大切な条件反射>
昨日、7ヶ月ぶりに今年2度目の
お楽しみコンサートに行って来た。
コロナ禍の間、遠出すること控えていたので、
久しぶりのちょっとした遠出だった。
今回のコンサートで思わぬ事を発見した、
私、歌ってるのよ。もちろんマスクの中で。
私、歌ってるのよ。あの歌、この歌、40年前の歌も。
これって、誰が隣りに居ても歌ってると思うし、
誰に止められても、私は歌ってしまうと思う。
私の大切な素の条件反射かもしれない。
だから同じ人のコンサートに
長年、何十回も行くのかなあ。
40年前の歌を歌いながら、
あっという間の40年だったなあと、
私も振り返りつつ。
あと何回コンサートに来れるんだろう?
そんな事も考えてながら。
自分が素になれる場所の一つ、
ほんとうに大好きなんだなあ。
2023/11/5
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
<私の大切な条件反射>
昨日、7ヶ月ぶりに今年2度目の
お楽しみコンサートに行って来た。
コロナ禍の間、遠出すること控えていたので、
久しぶりのちょっとした遠出だった。
今回のコンサートで思わぬ事を発見した、
私、歌ってるのよ。もちろんマスクの中で。
私、歌ってるのよ。あの歌、この歌、40年前の歌も。
これって、誰が隣りに居ても歌ってると思うし、
誰に止められても、私は歌ってしまうと思う。
私の大切な素の条件反射かもしれない。
だから同じ人のコンサートに
長年、何十回も行くのかなあ。
40年前の歌を歌いながら、
あっという間の40年だったなあと、
私も振り返りつつ。
あと何回コンサートに来れるんだろう?
そんな事も考えてながら。
自分が素になれる場所の一つ、
ほんとうに大好きなんだなあ。
2023/11/5
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
<私の大切な条件反射>
昨日、7ヶ月ぶりに今年2度目の
お楽しみコンサートに行って来た。
コロナ禍の間、遠出すること控えていたので、
久しぶりのちょっとした遠出だった。
今回のコンサートで思わぬ事を発見した、
私、歌ってるのよ。もちろんマスクの中で。
私、歌ってるのよ。あの歌、この歌、40年前の歌も。
これって、誰が隣りに居ても歌ってると思うし、
誰に止められても、私は歌ってしまうと思う。
私の大切な素の条件反射かもしれない。
だから同じ人のコンサートに
長年、何十回も行くのかなあ。
40年前の歌を歌いながら、
あっという間の40年だったなあと、
私も振り返りつつ。
あと何回コンサートに来れるんだろう?
そんな事も考えてながら。
自分が素になれる場所の一つ、
ほんとうに大好きなんだなあ。
2023/11/5
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
私が勝手に思う自分のこと>
生まれつき重度の障がいを持って生きてきた。 いろんな出会いを重ねながら半世紀以上。
今までを振り返って、私はふと思う。
特に薬を飲んだことないし、 人に言うほどの大病もしていない。
(しいていえば鼻炎アレルギーと インフルエンザに3回かかったぐらい。)
もしかしたら、生まれつきの障がいというものが 他の病にかからないように防いでくれているのかもしれない。
そのおかげでだいぶ若くも見られるのかなあ?
でもこれからは、そうはいかなくなると思う
加齢によってだんだん出来ない事も増えてくる。
その時、自分はどう現実を受け入れるんだろう。
これも「生きていく」という課題である。
私たち重度の障がい者は健常者よりも
身体の衰えは早いものだから。
2023/10/9
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
<恩師がまた一人…>
恩師がまた一人、逝ってしまった。 施設に入る前に出会った
私にとっては初めての先生だった。
先生も私と初めて出会った時のことを
いつも、こう振り返っていた。
「こんな山奥にも本当に障害児がいるのかと思ってね。
そしたらあなたがお父さんの腕の中で
子猫のようにジャレててさ。」って。
その後、施設の外来に月2回、訓練に通うようになり、
私と1対1で絵本を読んでくれたり、
先生の問いかけに私がうなずいたり…。
それが私の言語訓練の始まりだった。
施設に入ってからは私の担当は他の先生と交代したけど、
先生が居る隣の部屋で言語訓練してたから
いつも、あいさつだけは欠かさなかった。
そして私も大人になって、ここ数年
たまに先生と会うようになって。
最後に会ったのは昨年の秋。
最後にメールのやりとりしたのが2ヶ月前。
まだまだ元気そうだったのに…。
先生は障害児の言語訓練に携わりながら、
義務教育を終える私たちを何十人
見送って来たのだろう。
最後に会った時、先生はこう言っていた。
「コロナ禍で施設に居るみんなに会いに行けなくてね。」って。
もっともっと、私たちに会いたかったんだろうなあ。
2023/9/17
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
<今年は台風も>
今年は、今まで経験したことのない
身体に堪える猛暑に加え、
台風も次から次へと発生している。
その台風たちも時にゆっくりともどかしく、
と逆戻りし被害を拡大させたり、
かと思えばもの凄い勢力で通り過ぎたり…。
台風13号も海沿いに大きな被害をもたらした。
他人事だとは思えない。
東日本大震災も、その後の大きな地震も
たまたま、なんとかなっただけ。
これから先、なんとかならない
災害が押し寄せるかもしれない。
「その時、自分は…」
そう、私自身に何度も何度も言い聞かせている。
年々、台風や集中豪雨、地震などの
自然災害も増えている。
計画通り、予定通りさえも当たり前ではなくなる
時代が近い将来来るのかもしれない。
2023/9/10
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
<近年は雨も暑さも>
私が子供の頃は真夏でも
30℃を超す日は数えるほどだった。
その頃は日光浴も身体に良いと言われていたし、
海水浴での日焼けは当たり前だった。
それが今は違う。
年々更新する猛暑に、私たちの身体も
ついて行けなくなってきている。
雨も同じだ。
50年前怖かったのは雷ぐらいだった。
なのに、今は災害につながる大雨が
全国各地で増えている。
これも地球温暖化の影響だろうが…。
それには私たちが造った便利さや豊かさが
関係しているのかもしれない。
私も防災グッズは用意してあるけど、
いざ避難するとなると…
真剣に考えなければと自分に言い聞かせている。
2023/7/9
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
<母の言い分 私の言い分>
父の日に父にメールをした。
ついでにお盆に帰ることを伝えた。
その後、母に電話した。
そしたら、母のマシンガントークが始まった。
「父ちゃんもお母ちゃんも80過ぎだぞ!
おめの世話もできねえから帰って来んな!
勝手に遠くに行って、いつまでも帰って来んな!!」などと。
電話のスピーカーが壊れるくらいの勢いだった。
あのさ、お母ちゃん、
私が生まれた家まだあるよね。
お父ちゃんもお母ちゃんもまだ元気だよね。
それで私が帰れない理由って何?
お盆はお正月よりも過ごしやすいし、
暑いけど2日ぐらいお風呂に入らなくても大丈夫。
トイレもなんとか一人でできるし、
居間でごろ寝だっていいし。
最寄り駅からはタクシーという交通手段もあるし…。
帰れるうちは、お盆だけでも帰りたいなあ。
両親の反対を押し切って自立生活して17年。
今でも帰省のたびに母から小言を言われてる。
それは仕方ない。一生言われ続けると思う。
でも、私自身どんな事があっても
自分で選んだ自立生活を一つも後悔していない。
だから、お盆ぐらいは「帰りたい。」と思うんだ!
2023/7/1
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
<課題はまだまだかなあ>
以前、私たち車椅子を使用している障がい者は
電車等の利用時は事前連絡しなければならなかった。
全国規模の障がい者団体の働きかけによって、それが緩和された。
地方に住む私たちも事前連絡しなくても
その時に駅の窓口にお願いすれば
駅員がスロープを用意して対応してくれることに。
2週間前、私も初めて事前連絡せず電車を利用した、
窓口にお願いした時、一瞬駅員が戸惑ったようにも見えたけど、
何も言わず普段通り対応してくれた。良かった!
これで私の住む町の最寄り駅も駅員が居る日中の時間帯なら
事前連絡なしで何時でも電車利用できることがわかった。
でもさー、無人駅(駅員が居ない)
早朝と夕方以降の利用の際は
やっぱり事前連絡必要だよね。
新幹線等に乗換の時は?
無人駅に下車する時は?
やっぱり事前連絡必要なのかなあ。
まだまだ課題は残ってるよね。
2023/5/29
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
以前、私たち車椅子を使用している障がい者は
電車などを利用するとき、駅に事前連絡
2023/5/7
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
<故郷を想う>
小学校3年から20代までは
ゴールデンウィークも毎年故郷に帰省していた、
両親にとってこの時期は田植えの前の
代?きでとても忙しくしてた。
居間の窓を開けると、トラクターの音や
近所の人たちと話す両親の声が聞こえた。
その間を縫って母は山菜採りにも出かけてた。
そんなゴールデンウィークの光景が
何十年続いただろうか。
80を過ぎた両親は、この春
家畜の牛を売り払い、田畑も半分に減らし
その減らした田んぼの田植えも他人に
お願いすることにしたという。
まだまだ両親は元気そうだけど…。
考えてみれば私も人生の折り返し地点過ぎてるし。
50年続いた私の人故郷
この先いつまで続くのかなあ。
最近、そんな事つくづく思う。
2023/5/3
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
<久々のお楽しみコンサート!>
明日、久々にお楽しみコンサートに出かける。
私にとっては3年半ぶり。
長かったような、短かったような…。
3年半もの間、このままコンサートにも
行けなくなるのかなあと思ったり、
ライブ配信だけで満足するように
なるのかなあと思ったりしていた。
でも、少しずつトンネルから抜けるように、
小さな生き物たちが冬眠から覚めるように、
私たちもそれぞれ当たり前の生活を
取り戻そうとしている。
お楽しみコンサートだけじゃなくて、
行きたいところに行こう!
会いたい人に会いに行こう!
それが何より、生きる力につながるのなら。
2023/4/8
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
<久々のお楽しみコンサート!>
明日、久々にお楽しみコンサートに出かける。
私にとっては3年半ぶり。
長かったような、短かったような…。
3年半もの間、このままコンサートにも
行けなくなるのかなあと思ったり、
ライブ配信だけで満足するように
なるのかなあと思ったりしていた。
でも、少しずつトンネルから抜けるように、
小さな生き物たちが冬眠から覚めるように、
私たちもそれぞれ当たり前の生活を
取り戻そうとしている。
お楽しみコンサートだけじゃなくて、
行きたいところに行こう!
会いたい人に会いに行こう!
それが何より、生きる力につながるのなら。
2023/4/8
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
<故郷離れて50年>
私が故郷を離れてこの春で50年を迎える、
50年前、両親はどんな気持ちだったんだろう。
施設入所した2日後、養護学校小学校部の入学式があり
自分の名前を呼ばれた私は蚊が鳴く声で「あい」と返事。
この光景を母は今でも鮮明に憶えているという。
身長は100センチあったかわからないが、体重13キロ。
「この子本当に小学1年生なの?」と、
先生たちはよく話をしていた。
担任の先生はひらがなよりも
先に数字と時計の見方を教えてくれた。
それから丸50年。
年に何回かの帰省以外、故郷に戻ることはなかった。
それが良かったのかわからないけど。
沢山の人と出会い、色んな事を学び経験し、
時には悔しい想いをしながら生きてきた。
これからだって、その繰り返しで生きていくと思う。
沢山の出会いに感謝!
色んな事を学び経験できたことに感謝!
そして、何より50年も変わらない宝物に感謝!!
故郷離れて50年。
私の人生の旅はまだまだ続く…。
2023/4/2
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
<腑に落ちない出来事>
先日まである障害者団体が差別事例を募集していた。
私はふと、腑に落ちない出来事を思い出した。
あれは差別だったのか? そうじゃなかったのか?
コロナ禍の前なので、4年ぐらい前だと思う。
その日、丁度いい時間の電車がなく、
高速バスで出かけることにした。
いつものように付き添いとして
ヘルパーが同行してくれた、
ただ、高速バスには車椅子のままは乗れない。
私は乗降介助をヘルパーだけにお願いするのは
不安だったので、運転手に「ちょっと手伝って
いただけませんか?」とお願いしてみた。
そしたら「セクハラで訴えられたら困るので、
手伝いはできない。」との事。
その時は私も「こういう時代だから仕方ないか。」と
思ったけど、「お願いしているのは
私のほうなのに。」と複雑な気持ちになった。
結局、ヘルパーともになんとかバスに乗り
降りる時は女性のお客さんが手伝ってくれた。
あれ以来、高速バスを利用していないが、
これからまた利用することがあるかもしれない。
その時は、私のほうからお願いしている事を
しっかり伝えたいと思う。
2023/3/25
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
<あれから12年>
明日で東日本大震災と
東急電力福島第一原発事故から12年。
振り返る人、祈りを捧げる人、
前を向いて歩く人、立ち止まる人…。
まだ12年なのか、もう12年なのか、
人それぞれだけど…。
何一つ、終わっていないんだ。
ここで私も普通に生活してるけど
何かが正しいのか、本当の事は
未だわからないまま。
だから、語り継ぎたいんだ。
あの悲惨な原発事故の出来事を…。
永遠に、澄んだ未来のために…。
2023/3/10
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
<やっぱり人なんだよなあ>
最近、つくづく思う。
人を支えるのは、やっぱり人なんだなあって。
今当たり前の事を書いてしまったけれど。
例えばさ、どんなに技術や化学が進歩しても
それを動かすのは人なんだし…。
例えばさ、すべてにマニュアルあっても
いざという時はやっぱり
寄り添う人の気持ちなんだよなあ。
備えあれば患いなしって言うけど、
物だけじゃないんだなあ。
人の心を動かすのはやっぱり人なんだよ。
こんな当たり前で、こんな大切なこと
私も心にとめておこう。ずっと…。
2023/2/18
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
<心の温度ともどかしさ>
10日ほど前、昔の恩師に会いに
日帰りで遠出してきた。
恩師といっても言語訓練の先生だから
私の幼少期からの長いつきあいだ。
恩師は私の両親と同世代でもう高齢。
あの頃一緒に働いていた先生たちの話。
まだ元気な先生たちもいれば、
もう逝ってしまった先生たちもいる。
逝ってしまった先生を思い出すと、
プロレスごっこを思い出す。
今の時代、ココには詳しく書けないけど、
規則正しい施設生活の中で、あのプロレスごっこは
いつも新鮮で、みんな無邪気にはしゃいでた。
先日恩師に会って判明した事実もあった。
その恩師は当時子供だった私たちに
「好き嫌いしないで何でも食べるんだよ。」と言っていた。
しかし、恩師は好き嫌いが激しかったと。
「えー、私たち騙されてたの。」って言う感じだった。
そういえば、私は低学年の頃、
牛乳を毎日半分も飲めなかったなあ。
今も牛乳はめったに買わないけど。
コロナ禍も3年、オンラインという
つながるツールはあるけれど、
直接、会える新鮮さ、大切さを感じた。
コロナも第8波に入っているらしい。
私も来春まで遠出は控えたいと思う、
それよりも施設に居る仲間や老人ホームでは
コロナ禍で面会や外出の制限が続いているという。
仕方ないといえば仕方ない事だけど、
私はもどかしさを感じる。
コロナ禍はまだまだ色んな所に影響を及ぼしている。
2022/11/27
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
<いつになったら>
この町での自立生活も16年。
その間、お楽しみのコンサートには
何度出かけただろう。
年3回〜5回は行っていたから、
40回ぐらいは行っているだろうか。
コンサートに出かけるたび、道に迷ったり、
集中豪雨に合ったり、乗車拒否に合ったり、
いろんな経験をしてきたな。
そして、新しい出会いもあって。
お楽しみコンサートに行くことが
私のひとつのリフレッシュだった。
その楽しみコンサートがコロナの影響で3年も途絶えている。
いつになったら、コンサートにも出かけられるんだろう。
もう移動の制限はないけれど、感染拡大も続いている。
いつになったら、安心して堂々と出かけられるんだろう。
今日、この地方であったお楽しみコンサートも
こういう状況なので、早々とに断念してしまった。
今はお楽しみコンサートよりも
故郷の両親に会うことを優先させたいから。
いつ故郷に帰ればいいのだろう?
もう自分の強引な勇気しかないのだろうか?
安心して堂々と遠出できる日は
近い将来やってくるのだろうか?
もしかして、もうきているの?
だろうか?
2022/8/27
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<あれから1年>
あの日、私は気になって気になって仕方なかった。
いつもなら「承知しました。」と
返信がある上司から何も返信がないことに。
その事を周りに話すと、
「予定通り来るから返信ないんじゃいの。
来れないなら連絡くるでしょ。」と。
私も「うん、そうだね。」と上司を待つことにした。
上司は時間ぎりぎりに来た。
今までぎりぎりに来ることなんてまずなかった。
私たちとの会議や雑談の時も不思議ほど和やかだった。
そして私に「会報の編集も慣れてきたね。
今度はイラストの上に文字を重ねるテクニックにも挑戦してみたら?」と。
「やってみたいけどいろいろ忙しくて。」と私。
「そういえば、あのデータ送ってくれる?」と上司。
「来週でいいですか?」と私。
「来週?うーん、来週でもいいか。」と。
上司の言葉に私は妙に違和感を覚えてならなかった。
そして私たちは冗談交じりの会話でその日は別れた。
その2日後、上司の突然の訃報が届いた。
ずいぶん疲れていたんだね。
それでも少し焦っていたんだね。
だから和やかな時間だったのかなあ。
昨日、初めて会った場所に行って来たんだ。
今は空き家だけど、ヨレヨレのTシャツに短パン姿
サンダルの上司が出て来そうで…。
人生最大のあの失敗を
上司は悔やみ切れているのだろうか?
2022/8/21
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<またいつか、また今度が>
気がつけば
「またいつか」「また今度」という
言葉が3年も続いている。
コロナさえなかったら
「またいつか」「また今度」という
夢はいくつ叶えられただろう。
「またいつか」「また今度」という言葉が
永遠に続くならまだしも。
途中で途切れてしまったら…。
そう思うと、もう踏み出したくなる。
周りの理解と協力を得ながら。
「またいつか」「また今度」という
夢が永遠じゃなくて、
一つでも二つでも叶えられるために。
2022/8/15
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<迷いに迷ったお楽しみコンサート>
3回目のワクチン接種をすれば
コロナも
今月中旬に予定されているお楽しみコンサートにも
「行ける!」という気持ちがあった。
ところが今月に入り、私の住む地方ではコロナ感染者数が増加。
私も日々の感染者数を気にしながら、
「大丈夫かなあ?」「でもまだあきらめたくない!」
そんな気持ちが行ったり来たりしてた。
感染者数が増加傾向にあっても、
緊急事態宣言も蔓延防止も出てないし、
コンサート会場も感染対策はしっかりしくれているし…。
重度障がいのある私は常に誰かの手を借りて生きている。
遠出や長時間の外出は早めに周囲に知らせなければならない。
障がいのない人なら、当日ギリギリまで迷って
車でサーっと行けるのかもしれない。
つい先日、私の住む地方の感染者数が過去最多になった。
その日、私はお楽しみコンサート行きの断念を決めた。
私が今まで生きてきた中で
「やって良かった!」「行って良かった!」という
達成感は数限りなくあるが、
その逆はほとんどない。
だからかなぁ。
自分自身を納得させるのに時間がかかったのは。
お楽しみコンサートを断念した日、
動画配信の新たな情報が入った。
やったね!
『捨てる神あらば拾う神あり』なんてね!
もうしばらく私は動画配信で楽しもう。
そして、
生のお楽しみコンサートに行こう!
コロナ禍3年目、そんな中でも私の住む地方に
毎年来てくれて、ありがとう!!
2022/4/17
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<自立生活16年>
私の自立生活も昨日で16年を迎えた。
16年前の昨日は真冬に逆戻りした天気で
強い風に雪が舞いとても寒かった。
その日は全て借り物で夕飯はカップラーメン。
それでも施設生活が長い私は
「これからどうなるんだろう?」という不安よりも
明日への好奇心で満ちあふれていた。
翌日から市役所や銀行などで様々な手続き、
そしてアパート探しが始まった。
アパートは障がい者だからと3軒断られ、
介助などの福祉制度を使えるようになるにも1ヶ月近く、
生活がある程度落ち着くのには2ヶ月かかった。
あれから早いものでもう16年。
東日本大震災と東京電力福島第一原発事故を経験し、
その後も台風などの災害を経験した。
私たちの自立生活の理念は
『自己選択 自己決定 自己責任』だけど、
大きな災害が起こるたび
私は「誰かに決めてほしい。」と思ってしまう。
それでも失敗しながら、いろんな人と関わりながら
私は生きている。
重度障がいの私がこんな生活を
「重度障がい者の自立生活?」と
そう思う人も中にはいるかもしれない。
世間では、重度障がい者は施設に入るという、
考え方がまだまだあるのだから。
もっといろんな人、たくさんの人と関わりながら
私たち重度障がい者にも
いろんな選択肢がある事を伝えていきたい。
施設生活33年の私、
自立生活も33年を目指したい!
あれー、そのくらい長生きする気かよ!
2022/3/21
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<この頃3月といえば>
3月といえば、卒業シーズン、ホワイトデー、
春に向かう暖かな日差し、
そんな明るいイメージがあった。
それが最近はちょっと違ってきている。
11年前東日本大震災と東京電力福島第一原発事故が
起きてからかもしれない。
今年はもっと私は重く感じる。
3.11とコロナとか攻撃とか、
世界中で色んな事が重なっている。
何一つ、出口が見えないまま…
何もできなくてもいい。
世界中で何が起こっているか知るだけで。
窮屈な時代だけど、当たり前の生活に感謝。
それだけで平和への祈りに
つながるような気がする。
2022/3/12
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