半ペーパードライバー時代の話
私が免許を取得したのは1991年。大学1年生の夏休みでした。その後、家族の送り迎えや
家族旅行の時くらいしか運転しない日々が続き、自力ではどこへも行かれない人間でした。
私が運転するときは常に父か母が一緒だったため、道案内どころか、車線変更をするタイミングまで
指示を受けている状態でした。
思えば、私が独り立ちしたのはオーケストラの合宿のときでした(写真を見たところ、1998年の夏という
ことになりますが。そんなに最近だったか・・・。私は7年間も半ペーパードライバーだったのか?(-_-;))。
父の許可を得て家の車を借り、友人を乗せて尾瀬まで交代無しで運転したのです。
関越自動車道の練馬ICから沼田IC。沼田ICを出てからは薄暗くなり始めた山道を走りました。
暗くなってから車を運転したのも、正直言ってこの時が初めてだったような気がします(^_^;)
さすがにライトの点け方くらいは知っていましたが(^_^;)、カーブが続く山道を下向きのライトでずっと
走っていたために、非常に怖い思いをしました。助手席に乗っている友人は免許を持っていないため、
車のことは何も知りません。「前が見えない・・・(@_@)」を連発。
途中でふと気付いてライトを上向きにしてみたところ、「あ、よく見える(・_・;)」
走っている間にすっかり暗くなってしまい、「これで道に迷ってしまったら・・・(-_-;)」という余計な心配も
加わりました。そして、友人の持つドコモの携帯電話もついに圏外表示に・・・。
「もう、道に迷っても誰も助けに来てくれない・・・(@_@)」 (万が一の時は先に宿に着いている仲間に
連絡するつもりでいました。・・・何だ、「万が一の時」って(^_^;))
無事宿に着いたのですが、その頃には緊張の連続でヘロヘロになっていました・・・(-_-;)
(部屋でゆっくり休めるわけでもなく、そのまますぐに練習に突入したのでした)
真っ暗になってから到着した私たちでしたが、合宿最終日、みんなそろって宿を発つときは昼食後で
すっかり明るくなっていました(当たり前ですが(^_^;))。荷物を持って自分の車の所へ行こうとしたところ、
私の車の周りに人だかりが出来ているのが目に入りました。なに・・・???(・_・)
「これ、誰の車?」「すげ〜」
現在のようにスマート(?)にモデルチェンジされる前の、ごつい濃紺のグロリアは、他のメンバーの
おしゃれな車の中で非常に目立っていました(-_-;) (私の趣味ではありません。父の車ですから(-_-;))
帰りは帰りで高速道路の渋滞に巻き込まれノロノロ運転。睡魔と闘いながらのつらい運転となりました。
でも、とりあえず無事に帰宅できたということですっかり気を良くした私は、その後、妹を連れてドライブに
行くようになりました。このページは、私が往復運転したときのことを書いていこうと思っています。
合宿の時の経験で、「こんな車恥ずかしい・・・(-_-;)」などと言っていたのも昔のこと。高速道路で
右側車線を走っていると、煽らなくてもよけてもらえる便利な車じゃありませんか(^.^)
・・・私は決して他の車を煽ったりしていません。何もしていないのにどんどん道を開けられるという
寂しい車でもあるのです(-_-;)
皆さんも、濃紺のグロリアを運転しているサングラス女を見かけたらお気をつけくださいませ(^.^)
(現在も、1991年の秋に「父が」購入したグロリア君は健在です)