さち通信U〜ときたま更新。

☆ちなみに、「さち通信」とは、『ナチュラルセラピー祥』の月いち会報のこと。

2006年10〜12月

2006.10.17

ここのところ、ようやくここに書きたい衝動が出てきましたので、書きましょう。
まあ、大体、一日考えていることが仕事関係のことがほとんどなので、
ここに書くわけにいかないのです。
普段、考えていないことをいきなりここで書けるほど、器用でもなし。
それでも、書きたい気持ちが自分の裡にあるようなので、こうして書いてます。

私のお気に入りの気功をHPで紹介していますが、「香功」の練功は、
ほぼ毎日か、1日おきくらいで、できる限り続けています。
施療で大量に邪気を受けることもあり、気功は私にとっては欠かせないものとなっています。
これについては書けそうなので、「香功練功日記風」にやりましょうか。

あとは、そうね。「今日の御言葉」で、聖人や覚者の言葉を載せているように、
気に入った本があったら、ちょっと感想や抜粋を書いてみようかな。

それから、「フォーカシング」も私のお気に入りの方法です。
施療で直接使うことはあまりないかもしれませんが、しかし、「基本」だと思っています。
これについても、何か書けるかもしれませんね。
10・21、22と、アン・ワイザー・コーネルの札幌セミナーにも参加しますし。


チャクラや経脈など、施療関係のことについても書くこともあるでしょう。

では。

 

2006.10.19

香功練功日記・風
昨日、今日と、初、中、高級功を連続して行なった。
施療の後に行なうと、受けた邪気をなんとか半分くらいは、排出できるようだ。

最近は、香功の音楽CDの初級用に合わせて、高級功も行なうようにしたので、
ノリが良い感じでやりやすい。多少テンポも速い感じがあるけれど。
音楽があると、気感を追いかけじっくりと、というわけにはいかなくなるが、
初級の音楽は、15分前後で終わるので、手軽な感じで続ける、という意味で助けられる。
なんといっても、練功の質をあまり落とすことなく「続ける」ということが、大事だから。

一定の時間をとって、「続ける」ことって、なかなか大変なんだよねえ。

 

2006.10.22

香功練功日記・風
昨日は、「フォーカシング」のワークショップの初日であった。
香功は、時間が無いので帰ってから、高級功だけ。やるとスッキリする。★


ワークショップで多勢の人に会うと、やはり結構な邪気を受ける。
それでも、ボディワークのように直接接触のない分、今日はまだ楽なほうだ。

札幌駅で昼食をとって、会場へ向かう途中で、左足首から先が痛くなった。
何かおかしい。診ると、足首から先が、なにかの邪気で覆われている。
札幌駅を歩いている間に、付かれたようだ。困るなあ。
早く気づいたから良かったけど。気づかないでしばらく経つと、結構こたえる。

アン・ワイザー・コーネルのフォーカシング、本では昔からおなじみだったから、
うれしかったなあ。調子に乗って、本にサインをしてもらった。

フォーカシングの、自分の内側と向き合う姿勢って、大事だよねえ。

 

2006.10.24

香功練功日記・風
香功は、初級から高級功まで一通り。
私はいつも、自分に身体調整を施している。その過程でさまざまな発見があり、
施療が進化してゆくのだが、一局面を越えた後の香功は、いつもと感覚が異なる。
これまで、通らなかった箇所の経脈が次々と開いて、どこどこと、流れてゆくのだ。
やれやれ、まだ先は長いのか。★

フォーカシングのワークショップ、2日間が終わった。
ワークショップは、終始、ほんわかとした雰囲気で進んだ。
まあ、そうねえ。アンのサインをもらった、というちょいとミーハーな収穫はあったが、
私にとっては、フォーカシングのセッションを何回か経験できたのが良かった、というところか。
普段、施療で、丸々フォーカシングを使うことはないから。これは良い経験となった。
ちゃんと、フォーカサーがフェルトシフトするのを、気のレベルで観察できたし。
あとは、自分で深めてゆきましょう。

 

2006.10.30

香功練功日記・風
今日一日かけて、やっと昨日までの施療による邪気が取れてきた。
香功は、初級〜高級功まで一通りやる。
なんでもそうだが、要するにコツコツと続けることが一番難しい。
健康法もそうだ。一日の時間の数十分を面倒くさがらずに、それに費やす。
歯を磨いたり、お風呂に入ったり、おなじような感覚で気の身体の手入れを行なう。
忙しかったり、余裕がないと、とりあえず後回しになって、結局やらないで一日が終わってしまう。
それくらいできるような気持ちと時間の余裕って、大事だよねえ。★

今日は外出して、切れかけていたアロマオイル(仕事で使う)を調達した。
私はなぜだか、アロマオイルより、お香の方に惹かれる。
これまでも何度か、お香に手を出し、
焚いてみては、「け、け、煙い!」し、焦げ臭いということで、不採用。
やっぱり、うちはオイルだねえ、となる。
にもかかわらず、売り場に行くと、お香探しをしてしまう。
懲りないのよねえ。
なぜだ、おれ? 煙が好きなのか?

今日は、比較的波動の良さそうなものがあったので、ひさしぶりに購入してみた。
さっちゃんには、何度もダメだしをされましたが、値段が安かったのでなんとか希望が通りました。
明日試します。(笑)

 

2006.10.31

日常のフォーカシング
そう、お香を試してみた。ムスクのコーンだ。
お皿にセットして、火をつけるまではなぜか、ワクワクするのだが、
煙とともに匂いが立ち込めると、やはり、焦げ臭い。これはダメだ。

で、ちょっと、フォーカシング・モードへ。
お香のイメージを追いかけてみると、ハートになんともいえない感覚。
ふむふむ、そう・・、これは懐かしさ・・・だよねえ。

ゆらめく、お香のほのかな香りと、やわらかな日差しが差し込む乾燥した山中の僧院の風景。
多分、過去世なのでしょうかねえ。
あったかいような、切ないような、懐かしいような・・。

なんとなく、お香への執着はこれで消えてしまいそうです。

 

2006.11.3

日常のひとりフォーカシング
先日、ある人と電話で話をした。
相手は、お年で、意思疎通がうまくいかなくて、少しイライラしているのが、
向こうから伝わってきた。
で、電話の後も、なんとなく気分が良くなかったのだが、まあ用件もクリアしたし、ということで、
忘却モードに入っていた。
ところが、ちょっとした時に、ふっと、その相手のことが脳裏をよぎる瞬間があって、
そのたびに、ちょっと不愉快な気分が舞い戻ってきていた。まあ、ものの数秒だけど。

で、フォーカシング・モードだ。
これは、しかし、私の過去の記憶が引き金になって、不愉快な気分が起きているのか、
つまり、トラウマによって過剰反応しているのか、を確認してみると、それはないようだ。

場所は、明確に、みぞおち付近のマニプーラチャクラに反応している。
なるほど、相手の怒りの念が、こちらのマニプーラチャクラに、入り込んできているのだ。
それで、相手のイメージが切れないでいたというわけだ。
そんなに怒るようなことだったのかしらねえ。

その念を浄化すると、気分が軽くなり、もう相手のイメージが浮かぶこともなくなった。

 

2006.11.7

神社へGO!
昨日は、神社へ行ってきた。
東京町田にいた頃は、神社といえば、江ノ島神社にお参りに行っていた。

札幌の神社では、氏神である豊平区の「月寒神社」が私たちのお気に入りだ。
まあ、北海道神宮と較べると、全然小さい・・。
のは当然だが、手水場も水が出ず、あんまり、やる気が感じられない雰囲気なのは残念。
しかし、とても波動がいい。
鳥居をくぐり、本殿へと歩いてゆくと、サハスラーラからプラーナが流入してくるのが分かる。
歓迎されているような気分だ。

ここの主なご祭神は、
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)と宇摩志麻遲命(うましまじのみこと)だ。
広島の厳島神社が元になっているとのこと。
江ノ島も厳島神社も弁才天を祭ってある。
ガヤトリー女神も、お顔のひとつが、サラスヴァティーだし、ご縁が続いているようで、うれしい。


そして、もう一つ。東区の「諏訪神社」。
いつか行こうと思っていたところで、やっと今回初めて詣でることができた。
ここは、長野の諏訪大社が元になっているとのことだ。

ご祭神は、
建御名方命(たけみなかたのみこと)と八坂刀売命(やさかとめのみこと)となっている。
月寒神社と同様、こじんまりとした古い神社だが、ここもまた、とても波動がいい。
たまに、訪れてみたいところだ。

 

2006.11.10

神社へGO!
もうひとつ、お薦めの神社は、礼文町の「厳島神社」だ。
私の小学校の担任の先生が、礼文町の出身だったことを今も忘れない。
夏の暑い時期に、一度行ってみたいと思っていたところだ。

ご祭神は、
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)事代主神(ことしろぬしのかみ)
三吉大神(みよしのおおかみ)

まあ、直接、行ったことはないんだけど、写真から波動を調べてみた。
上述の月寒神社、諏訪神社、同様、ここもとても波動がいい。
礼文町の方は、是非、ここで手を合わせてほしい。

私も、いつか行ってみたい。

 

2006.11.13

神社へGO!
本当は、参る神社はどこでもいいというわけではない。
神社によっては、あまり波動の芳しくないところもあるからだ。
神社ならなんでもいいと思って、闇雲にそういうところへ行くと、
清浄な気ではなく、邪気をたくさん背負わされてくることになる。ご注意あれ。★



自然治癒能力の大元は、脳幹にある。
その脳幹の波動を支えているのは、実は、心臓だ。

良い本は、心臓と脳幹の波動を高めて、自然治癒力を高めてくれる。
良書を読むことが健康に効くとは、不思議かもしれないが、実際にそうなのだ。
そのような本は、目で読まずに、触れているだけでも効果がある。
反対に、自然治癒力を低下させる邪気に満ちた本も、当然ある。

今、心や身体の病気で悩んでいる方は、漫画や週刊誌より、
治癒力を引き出し、高めるような本を読むと良いだろう。
漫画がくだらないといっているわけではない。私も結構読む。
が、治癒力という観点からは、あまり効果を持たないということだ。


で、今日ご紹介する本は、こちら。

「心の治癒力〜チベット仏教の叡智」 
トゥルク・トンドゥップ著 永沢 哲訳 地湧社

ずいぶん前に購入したのだが、いつもちらちらと見るだけで、まだ最後まで読みきったことがない。
もちろん、おもしろくないから、というわけではない。
この方の文章の行間からは、なんともいえない、あったかい感じが立ち上がってくる。
それを感じるだけで、満足してしまうのだ。

内容は、チベット仏教の教えを主軸に、さまざまな癒しの瞑想が紹介されている。
感情的な問題、肉体的な問題への心構えや対処の仕方、仏教の簡単な瞑想法まで網羅されている。
読むだけも治癒力を高める効果があるが、
内容を実践してゆくと、一層高い効果が生まれることは間違いない。

私も、早いとこ最後まで読もう。

 

2006.11.17

日常のひとりフォーカシング
たまに人に会ったり、あるいはクライアントさんと接していて、
後で、しばらくして、なんとなく違和感を覚えることがある。
そういう時は、大抵、フェルトセンスが表面化している。

今日も、何か、「流れ」に滞りが感じられたので、ひとりフォーカシングに入った。
プレゼンスの状態に入ったわけだ。
その時、意識の焦点は、アジュナーチャクラに置かれる。
ま、私の場合、フォーカシングの基本的な流れはほとんど無視しているので、
実際は、フォーカシング「風」なのだが。

で、アストラル体の胸から首の下あたりにかけて、エネルギーの滞留が顕れている。
辿ってゆくと、アストラル体の神経叢のマニプーラチャクラに、原因の固着が出ていた。
それが、できたのは、2〜3歳の頃のようだ。
これを解放して、チャクラの回転を正常化すると、アストラル体の滞留も消え去り、
ちょっと気にかかっていたあの感情も、なんのことはない感覚に薄れ、去っていった。

否定的感情というのは、このように過去のトラウマによって、
影響を受けていることが非常に多く、それがゆえに過剰に怒り、怯え、不安になる。
胎児期、乳幼児の頃に、穏やかに大切に包まれて育つことが、
その子の将来の豊かな感情生活、「幸福を感じる能力」の基礎になるのである。

願わくば、「母」よ、できうる限り大事に子育てをしてください。

 

2006.11.20

一日の邪気の処理
施療後は、クライアントさんから受けた邪気の処理がなされねば、セラピストの身体と心がもたない。
肉体だけでなく、アストラル体やメンタル体まで、邪気を浴びるのだ。
つまり、いわゆる潜在意識までもが汚染されるのである。

まったく、邪気に対して無頓着なヒーラーやカウンセラー、医師が、
おかしな病気になったり、自殺に走ったり、短命に終わったりしても、さもあらんである。

以前、「私は、邪気は受けない」というヒーラーと会ったことがあるが、
そういいながら、咳き込んでいたものだ。
私には、彼が邪気を受けていないのではなくて、
その現状を正しく認識できていないだけのように見えた。

邪気は、私の場合、主に両腕を通して侵入するため、
胸、首、顔、気管支、食道、咽頭、鼻腔、肺の汚染がひどい。
施療後は自動的に、アナハタとヴィシュダーチャクラがフル回転して、身体は邪気の排出にかかる。
しかし、そう簡単には、この病邪気は取れるものではない。
1日施療をやって、香功をしたり、ガヤトリーマントラを使うこともせずに、
ただ身体の治癒能力だけにまかせておくと、邪気の排出には数日以上を要する。

当院の休みが多いのは、邪気への対処のためである。
経営上はマイナスなのだが、身体のことを考えると仕方がない。
まだ、逝くわけにはいかないからねえ。

 

 

2006.11.23

プラスαの力
施療をしていると、時々、不思議なことが起きることもある。
私自身のセラピストとしての技量を超えたところで、
なんらかのプラスαの力が働いて、なんともいい形のセッションになることがあるのだ。

それは、ほとんど突然、予想外の直観として、降ってくる。
つまり、ふとこれをやってみよう、とか、これを聞いてみよう、と閃くのだ。
そして、まさに「当たり」のことも多く、クライアントもセラピストも、
すーっと、レールに乗って運ばれるような、いい感じでセッションが進んでゆく。

終わってみて、ああ、セラピストがこれに気づくために、クライアントにこれを見せるために、
何かの力が働いたのだ、ということが分かる。
セラピストの背後の力が働いたような感じの時もあるし、
クライアントの背後の力が働いたような感じの時もある。
もちろん、その両方の感じの時も。

しかし、誰の時でも、そういったことが起きるわけではない。
私としては、いつもそのような良いセッションができるようにと願ってはいるのだが・・。


クライアントの側にも、プラスαの力を導く要素があると思う。
少なくとも、いまだ信頼関係が十分に成立していないクライアントとの間のセッションにおいて、
プラスαの力が顕れるようなことは、あまり記憶にない。

セッションは、セラピストとクライアントの協同作業なのである。

 

2006.11.27

雪の風景
ひさかたぶりの本格的な冬だ。
確かに、寒い。すでに、東京の真冬だ。

子供の頃から、大きな雪花が空から降ってくるのを見ていると、不思議と胸が高鳴る。
庭を駆け回る犬の気持ちも分かろうというものだ。
そして、街が白い色で染まるのは、やはり美しい。
その感覚は、今も昔も変わらないようだ。
雪と厳しい寒さの中に、人や家族のぬくもりと、温かい御飯が重なっている。

身体的には、私の場合、東京よりも、こっちの気候の方が楽だ。
プラクリティが、ピッタのせいか、蒸し暑いよりも、乾燥して寒い方がいい。

少し成長した自分が、北海道の季節をもう一度、味わってどう感じるか興味深い。

 

2006.11.30

推薦本です。
本の紹介をしましょう。
今回は、その本の波動そのものに治癒力を増すといった効果はないものの、
波動の高い良書である。非常に詳しく良く書かれている。

『身体が「ノー」と言うとき〜抑圧された感情の対価』 
ガボール・マテ著  伊藤はるみ訳  日本教文社

ガボール・マテは、カナダのバンクーバー在住の医師です。
このようなハートと、人間への理解と洞察を持ったお医者さんなら、
診てもらいたいと思うのは私だけではないでしょう。

この本を読むと、いかに人生の最初期の感情の抑圧や麻痺、トラウマが、
その人の性格、行動、能力、人間関係、そして健康に決定的な影響を与えるかが、よく理解できるだろう。

そして、病気の顕れは、その個人だけの問題ではなく、何世代にも渡る親子関係、
家族関係の歪みの表出なのだ、ということも分かるだろう。

このようなほとんど無意識の感情の抑圧を経験しない人はいない。
完璧な親など、どこにもいないのだから。
「そんなものは私にはない」という人も、本書に例として、たくさん出てきているように、
あってもそれを自覚できないだけなのである。
無自覚なままストレスが蓄積し、ある人は健康が脅かされ、ある人は人間関係に生き難さを感じる。
そして、ある人は衝動のままに特定の行動に突き動かされてゆくのだ。

もし、その治療が対症療法でないのであれば、
この感情の抑圧の問題に触れることを避けては通れないはずである。
「身体調整」、「感情解放」、「フラワーエッセンス・リーディング」は、
この問題に対する、現時点での私なりのひとつの解答でもある。

『ナチュラルセラピー祥』の施療を理解する上で、とても参考になる本です。

 

 

 

2006.12.4

呼吸のこと
札幌から東京に出て、住み始めた頃のこと。まもなく、呼吸が浅くなっていることに気づいた。
なんとなく、身体の重心が幾分、上に上がっているような感覚もあった。

それは、いつも札幌に帰ってくるとはっきりした。
千歳空港に着いてほどなく、横隔膜が自然に下がり、
無意識に深く息が入ってくるようになるのだ。
そして、重心も本来の位置に収まり、安定した感じになる。

生まれ育った土地だから、ということもあるのかもしれないが、
やはり東京は、札幌に比べると、空気が汚れているということだろうか。
東京で生まれ育った人は、どうなのだろう。
それを当たり前のこととして、身体は受け入れているのか・・。

深く息が入ってこないというのは、身体が勝手に判断することなので
頭や、身体調整では、どうにもならなかった。
深呼吸をする気になるということが、東京にいる間は、ほとんどなかったと思う。


そのことが最近また思い出されて、こっちに帰ってきてあらためて呼吸が深くなっていると気づいた。
しかし、まだ本調子ではない。
胸背部の筋肉にひっかかりがあって、スムーズな呼吸運動ができているとは言い難い。
13年東京にいて、呼吸筋に抑制がかかっていたものが、徐々に解放されてきているようだ。
しばらくは、呼吸を観察してみようと思う。

また修行っぽくなっているなあ。
ぜだ、俺?
7種のせいか?!

 

2006.12.9

香功練功日記風
練功をはじめてもう、何年?3、4年くらいか。
とにかくシンプルで奥が深くて、効果の高いものってないかなあ、
と探してすぐ出会ったのが香功だった。
そういうのって、とても私の美意識をくすぐるんだよねえ。

まあ、動作は反復運動で一見簡単だし、一般の人が何回かやってみたところで、
そんなにすごいのだろうか?と思うことも多いかもしれない。

すでに他界している伝人の田瑞生先生は、気功家としてはとても波動が高い人だった。
この方が50年修行して、「香功は、禅密宗の結晶である」と言うくらいなんだから、
それなりのものが込められているんだろう、と思ってほしい。

私などは、まだはじめて間もなく、しかもマイペースなものだから、
あんまり大それたことも言えないけれど、香功が間違いなくすごいのは分かる。
ま、意念は自然に、を重視しているので、あまりどこがどうなっているというのは、
控えるが、非常に生理的な機能に与える影響が大きい。
邪気を排出し、脳幹の波動を高め、自然治癒力を旺盛にする働きがある。

と、素晴らしい効能がわかっていても、それでもやはり、
時間を作って続ける、ということが難しいんだよねえ。
私なんかも、邪気の対処という目的がなければ、なかなか続かなかったろう。

一般の方でも、こつこつと気功やヨガを続けておられる方もいると思うが、
すごいよねえ。ブームが去っても、魅力や心地よさを感じて、または修行として続けてゆくなんて。
やはり、7種か!?

 

2006.12.14

香功練功日記風
香功について、質問を受けた。
香功は、「他の気功と併用してはいけない」ことになっているが、実際どうでしょうか?と。

伝人の田先生は、
@香功独自の気路があるので、他の異なる気路の気功との併用は、お互いに邪魔になる。
A他の気功のほとんどは意念を必要とするので、併用すると無意識に意念に捕われる恐れがある。
B2つの功法を同時に行なうと偏差が生じやすくなる。いったん偏差が生じると、調整が難しい。
と述べている。


私の見解だが、AとBは、それほど問題はないだろうと思う。
実際、気功教室などでは、いくつかの功法を組み合わせて、行なうことが多いだろうし、
意念の問題も、慣れればどうということもない。
それが原因で偏差が生じるということも、よほど不自然な形にならない限り、大丈夫であろう。


問題は、@だ。
香功は、確かに気路ということが意識して作られている。
途中の動作だけをいくつか取り上げるだけでは、あまり意味がない。
順番どおり、収功まで行なって、はじめてひとつの成果が得られるのだ。

例えば、香功の後に、すぐ別の功法をもってくると、
せっかく香功によって、体内に生じた方向性を持った気の流れが邪魔され、効果が大きく削がれるだろう。
もし、他の功法をやるなら、香功の前に行なうようにするほうが良いだろう。
それなら、香功の効果は生きる。

もっとも、その功法が、香功のように強い一定の気の流れをもたらすものならば、
そっちの効果が削がれることになるが。

もし、どうしても香功の後に他の功法を持ってくるとしたら、間を90分くらいは空けたほうが良い。

 

 

2006.12.18

クリシュナムルティと私
J.クリシュナムルティは、私が、はじめて夢中になった本物の賢者だ。

たまたま、古本屋で、「生と覚醒のコメンタリー1」という本を手にして以来、
何年も、彼の著作を読みふけったものだ。
それ以来、彼は私の憧れの人であった。

でも、実は当時の私には、彼が、何を言わんとしているのかあまり分からなかった。
何かわからないけども、しかし、とても大切なことが書かれていると思って、何度も読んだ。

今でも、理解できているわけではないけれども、彼には、強い吸引力を感じる。
今生では会うこともなかったが、きっと、どこかの過去世ではちょこっとだけ、
ご縁があったのではないかしらと思っている。


彼の著作のなかから、自然治癒力を向上させる波動を持つ本を探してみた。
(but、健康関係の本ではないのであしからず)

●「クリシュナムルティの瞑想録」  J.クリシュナムルティ著  大野純一訳   平河出版社、サンマーク出版

【内容】
「真理はどこか遠くにあるのではなく、あるがままの現実を見きわめることにある」。
人間のあり方を探究し続けた孤高の哲人、クリシュナムルティの代表作



●「生と覚醒のコメンタリー1〜4」  J.クリシュナムルティ著  大野純一訳   春秋社

【内容】
一切の伝統的思考と方法を透明な否定の炎で焼き尽くし、真実の生のありかを、難解な術語を用いずに静かに説き続ける、
南インド生まれの孤高の天才の最重要対話集の全訳。



これらの5冊の本からは、「真我」の光があふれ出ている。
と同時に、脳幹を活性化し、人間の自然治癒力さえ高める力を持つ。

 

2006.12.23

あらまあ、そう。
『人間の脳の秘密』というタイトルで、いつもより長い文章を書き、
転送しようとしたら、何度やっても、サーバーにうまく送れない。
ああもう、だから、パソコンは嫌いだ。
で、「ぷらら」に相談。
すでに最初の契約の容量が一杯なので、倍に上げて、今度はうまくいった。

もしかしたら、公表してはいけない内容だったのかしらねえ。
考えすぎかもしれないけど、タイミングが良すぎるわねえ。
でも、人によっては誤解されてしまうかもしれない微妙な内容だったかもしれない。
またいつか、機会があれば書きましょう。★


東京のクライアントさんたちが、けっこう、札幌まで施療を受けに来てくださっている。
福岡や秋田からも。

皆さん、遠いところから、なんともありがたいことです。
私も、最高の施療が提供できるように精進いたします。

では、楽しいクリスマスを。

 

2006.12.26

才能の行方
クリスマスには、ある歌手のコンサートに行ってきた。
今年で、もう30周年になるという。
若い頃の彼女の歌は、まるで声に羽が生えているようだった。
聞いていると、一緒に空を飛翔しているかのような心地よさがあった。
身体の中を、透明な管が通り、大地から天へと風が駆け上がってゆくような感覚だ。

今、波動を調べてみても、デヴューしてから約10年間の作品の波動は高く、
その瑞々しい感性に、多くの人が魅了されたのも理解できようというものだ。

しかし、10年を過ぎた頃から、波動が徐々に下がり始め、2年ほどすると
現在とほとんど変わらないところまで、落ちてくる。


彼女の歌を聞いていると、身体のどこに問題があるのかが伝わってくる。
若い頃はなかった、頭蓋骨、鼻腔、上部頚椎、脳幹や小脳の歪み、
咽頭、気管支、腎臓(これは最近の疾患)、副腎、大腸(これは若い頃からあった)の異常。


歌手にとっては、頭蓋骨、鼻腔、頚椎、咽頭、声帯、気管支の歪みは、大変な痛手であろう。
声の質がまるで変わってしまうし、音域が狭まり、高い音が出なくなるだろう。
彼女の身体の歪みの表出と、作品の波動の低下する時期は、ピタッと一致している。

また、肉体の問題のみならず、人生経験を経て、精神性の透明度が落ちれば、
エーテル体の波動が下がり、歌の波動も低いものとなるのだ。
歌手によっては、CDからひどい邪気を放っていることもある。
その歌手自身の人生が、本当の意味で、幸福な状態にはないのだ。

なぜ、このような才能の急落が起こるのだろうか。
年齢とともに、身体性が向上し、技術に深みを増し、人生からは高い精神性を収穫して、
より波動の高い作品が生まれてくるのではないのか。

才能の神は、一時、自らを表現できる媒体を求めて、ふさわしい人材を見つけ、今しばらくそこに留まるのだろうか。
そして、人間の側の条件が調わなくなれば、ほどなく去ってゆかれるのだろうか。

作品は、精神性も含めた、それを生み出す人間の身体の状態と不可分である。
種目にもよるだろうが、老・病・死を抱える人間にとって、
長期に渡って高いパフォーマンスを維持し続けるのは、困難なことなのだ。
多くの才能は、育まれ、花開き、やがて枯れてゆく。

彼女の現在の歌を聞いていると、その若き日が思い出され、痛々しくなる時がある。
何かのご縁で、うちに施療に来るようなこと、・・ないよねえ。(笑)

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