さち通信U〜ときたま更新。

☆ちなみに、「さち通信」とは、『ナチュラルセラピー祥』の月いち会報のこと。

2009年1月〜5月



2009.1.3


明けましておめでとうございます。
というわけで、新年ですね。

いや、けっこう休めるのかと思いきや、用事たして大掃除して、
ほっとする間もなくお正月に滑り込んだ。

昨年に読めなかった本を読みまくろうという休み前のうすぼんやりした計画は、
ほとんど没になった。


元旦は、恒例、深夜の初詣。
前日の怒涛の吹雪のせいで、道路は水っぽい雪でぐちゃぐちゃで大変なことになっていたが、
苦労はしたもののなんとか車で、月寒神社にお参りにいくことができた。

でもね、駄目だね。初詣は情緒に欠けるとこあるね。
静かに神仏に向き合うという感じじゃあないからね。
手を合わせている私の頭越しに小銭が飛んでいったし、
せかされるようで、あわてて願い事をお願いした。

ちょっと雑な感じになって残念。あとで、また行こう。


ま、そういうわけで、今年もはじまりました。
私の抱負は、いつもどおり。「良い治療をする」、これ。
あともしかしたら、来年は違う抱負になるような年になるよな予感もある。


いろいろ不安なことが多い世相ですが、めげずに頑張っていきましょうね。

ではでは、よろしく哀愁。

 

2009.1.16

認識と身体
いやね、今年の冬はすごいことになっている。

雪が重い。みぞれまじり。雨まじり。
暴風、時々どかんと稲光。

私の記憶の中には、冬のさなかに稲光というのはない。
しかも、雨だよ雨!

気候の変調がやはり加速している感が大だ。




リーディングしていると、ま、筋反射で気を感じているわけだが、
脳を含む、自分の身体の状況がブラックボックスになっているところは、
やはり、クライアントのそれもよく分からない。

自分自身の身体の治療が進み、
その身体部位が十分に脳の認識の下に置かれ、経絡やチャクラが開いてくると、
突然、クライアントのそれも分かりだす。


どうも、これは精神的領域にも同様なことがあるようで、
特別、考え方を変えようとしたり、努力しなくてもいつの間にか、
あれ、以前はこんな考え方できたっけ、とか、
こだわりが取れなくて仕方なかったことが、ある日からぼこっと落ちていたりする。

身体の詰まり、特に脳の経絡、ナーディーの詰まりというものと、
心の詰まりは、高い相関があるようだ。



そういうわけで、「これは、こうだ」と思っていても、
それは、現在の私の身体と、それが生み出す認識によれば、「こうだ」であって、
身体が治療によって変化し、より高い心身の状態を生み出せるようになれば、
またその段階での認識が訪れるのである。

それは、それまでと180度異なる見解となることもあるだろうし、
以前より引き継いだものを、さらに発展させたものとなることもあるだろう。

私としては、180度異なる見解となる事態は、できる限り避けたい。
そりゃしんどいからねえ。


これは、私自身の慢心への戒めである。

 

2009.1.25

独り言。
いやあ、難しいね。

頭蓋骨というか、脳の調整。

頭蓋骨を完全に調整できれば、その中の脳もきれいに調整できる思っているのだが、
頭蓋骨は、脳の状態にも対応して変成するので、
頭蓋骨だけを一方的に完全なものにすることは、一足飛びにできないんだよね。

それができれば、すごく楽なのだが。
どうしても、頭蓋骨、脳、頭蓋骨、脳、とボタンを一つ一つかけて行くようにしなければならない。
これがまた、たまに切れそうになるくらい地味な作業なのだよ。

つまりね、脳の歪みがちょっと取れると、それに対応した頭蓋骨の波動になるのね。
そうすると、今度は身体は、次に控えていた歪みのエネルギーを排出しようとして押し出してくるわけ。
これがクラニオバイオでいうところの「停滞支点」という歪みの渦なのさ。

で、身体はこの新たな停滞支点に応じたバランスを取ろうとするので、
対応して頭蓋骨を含む骨格系(だけじゃなくて、ま、全身だな)は、
一皮むけて新たな状態に突入するというわけだ。


ま、こういう流れで、身体に潜在化して悪影響を与えていた歪みが治癒力によって、
表面に押し出され、停滞支点となってそのエネルギーを解放する段階に入る。
膿が出てくるプロセスに似てるかな。

自然解放にかかる時間は、数週間から数か月。
表面化してから、何年、何十年、寿命が尽きるまでかかるものもある。

ものによっては、そのエネルギーは粛々と解放され、そのプロセスはさほど本人に自覚されないこともあろう。
時に、そのエネルギーは強大で、その周囲を巻き込んで病巣となり、苦痛に呻くこともある。



うちの調整では、このような停滞支点を毎回解放することになるので、
今出ている症状だけではなくて、身体が潜在的に抱えている歪みが徐々に減少してゆく。
ほんとに、予防医学だな。

しかしな、身体というのは、えらいもんだぞ。
自由にしてやると、どんどん解放すべきものを送りだしてくる。
その勢いは、ものによっては非常に強力で、ちょっと恐いのもある。
ま、超大型台風みたいなものもあるわけさ。

だから、病気、特に慢性病というのは、このような歪みのエネルギーの解放現象なのさ。
ちゃんと、意味があるんだって。


それを、症状を抑圧する、もしくは遠隔操作でこのエネルギーはそのままに、
発露の方向性だけを変えようなんて治療は、身体の余力や余白を奪っているだけで、
症状はそれなりにとれるけど、身体にとっては、ま、ツケで飲み食いしてるようなもんだな。
いづれ、期限が来て、全額返済を迫られるのさ。


私にとっては、この解放のプロセスを邪魔することなく施療してゆくってのが、醍醐味さね。


お前も、元気にやっているようだな。


再見。

 

2009.2.7

雪の日。
やっと、雪がドカンと来た。

私は、そういえば札幌に来てから、毎年、雪まつりの開催が無事に行くかどうかを、気にかけている。
地味に北海道経済を心配していて、順調にいってほしいと願っているわけだ。

今年もおかしな天気が続いていて、
雪まつりの直前まで会場の周りの歩道にも車道にも雪が全然ないことを憂えていた。
だって、これじゃあ、全然雪まつりっぽくないじゃん!

しかし、このドカ雪で、会場周辺は、さぞ雪まつりらしい風情になっていることだろう。
私は満足だ。(笑)



前回に引き続き、いやあ、難しいね脳の調整。

私は、脳に障害を負った乳幼児を何人か施療させていただいている。

彼らは、年に数回、病院での検診で、MRIで脳の状態を検査している。

その結果を聞くと、悪くはなっていないが、目立って改善されているというわけでもないらしい。
見かけ上では、明らかに好転している部分と、
非常にゆるやかだが変化してきている部分もあるのだが。


私の施療上の感覚では、徐々に全体に改善されてきているのだが、
主に生理的なレベルであって、麻痺の回復や運動機能などの著しい変化にまでは至っていない。
脳の損傷自体が、もっと明確に修復される必要があるのだ。


脳って、皮膚の切り傷が治るように、骨折がくっ付くように、肝臓が再生されるように、
同じくらいの治癒レベルで、修復されないのだろうか。

私の感覚では、どうも遅いんだよね。時間がかかりすぎる。
頭蓋骨の調整だけでも、ずいぶんと変化はするのだが、しかし、こんなものなのだろうか。


私自身、脳内の経絡もずいぶん開発したが、
そのわりには自分の思っているようなレベルで脳組織の治癒を見ない。
経絡ではどうも足りないようである。


直観的には、もっと早く脳は修復、再生するような気がしている。
ので、そのインスピレーションの到来を待っている。

 

2009.2.16

買い物しているさっちゃんに憑依霊が・・。
それは、『大丸』で買い物をしている時のことである。

ま、誤解のないように言っておくが、私は霊能者ではありません。
しかし、職業柄、不可視でも異物のエネルギーが身体場にくっついている場合は、識別できる。


で、この日は、「そうそう、こういう所で買い物していると、
生前、買い物が好きだった方が寄ってきて、一緒に買い物を楽しむんだよねえ。」
と、ふと思い出し、私たちの周囲の空間を探っていると、居ました。

さっちゃんがあれこれと物色しているところに、お一人近づいてきました。
ううむ、これはやはり一緒にお買い物なのか‥!?

で、この女の方(エネルギー体です。)は、しばらく身体の周りに漂っている感じで、さっちゃんにくっついておりました。


私は、これからどうなるのだろうと、じっと観察しておりました。

で、いよいよレジカウンターで、お金を払う段になって、それまでと感じが変わり、
さっちゃんのオーラの中にぐぐっと入って、身体に重なる感じになりました。
一体になって、モノを買う快感を共有しているのでしょうか。


まあ、あまり憑依されたままにしておくと、
生気を奪われて具合悪くなって、私も面倒を見るのが大変になるので、
さっちゃんに憑依されたことを教えて、外させました。


ああ、こういう感じで、買い物したり、レストランで御飯食べたり、
ナイスなギャルとデートしたり、しているのだなあ、死後も。(微笑・泣)

これとは、ちょっと違うバージョンも実はあって、
ある人間のアストラル体のフィールドには、「窓」のようなものが設置してあって、
その窓は、あまりよろしいとはいえない低位アストラル界につながっている。
もちろん、こんなものは本来の人間の身体にはないものである。


これがまたちょっと厄介なのだが、つながっている低位アストラル界に存在する人間には、
その窓のついているこちらの人間の特定の意識状態が、よく分かるようなシステムになっているらしい。
で、そっちの世界から、生きている人間に霊的な干渉をしてくる。

これは、直接的に微細身体に憑依してくるのとはちょっと異なっていて、
その窓を通して、人間の特定の欲望を刺激する波動を送りこみ、
その欲望を充足する行動をとるよう促している。


で、その刺激した欲望が十分なレベルにまで高まり、そのテンションを解放すべく動き出す時、
彼らは、窓を開いてやってきて、アストラル体に直接重なり、その快感を共に享受する。


時に、自分でもどうにも抑えられないような衝動がこみ上げてきて、やっちゃう。
足下の摩擦係数が急に下がり、追い風が吹いてきて、前へ前へと流されてしまう。

欲望を解放するとスッキリするのだが、冷静になってみると自分でも「また、やってしまった・・。」と思う。
こんな時は、『負の霊的干渉』と憑依を受け、自分の意識がかなり支配されている。


そして、その肝心の行為が終了すると、彼らはまたアストラル界に舞い戻り、
再び、目を付けた人間の欲望が高じてくると、機を見てさらにその欲望を刺激して行動を促し、
欲望を満足させる快感という収穫を得るのである。



この負の霊的干渉については、私もちょっと見つけにくい。
なんせ、その衝動に襲われていない時は、直接身体に憑依していないので、
施療中には、分からないのだ。

しかも、うまく見つけて、その憑依霊を処理しても、
それだけでは、ほどなくまた別の霊が出てくるのだな、これが。厄介だ。

つまり、アストラル体に存在する霊的干渉の『出入り口』そのものを除去しないと上手くいかない。


ああ、やれやれだ。
まったくもって、美しくない・・。



私もできれば施療において、このような手間とエネルギーのかかる作業はしたくないのだが、
しかし、病気を治そうというときには、この憑依霊の影響力は無視できないのである。
病気の原因が憑依霊だなどとは全く思っていないが、しかし、プラスアルファなのは間違いない。

霊的憑依や干渉が原因で、体調が急激に変動したり、気分が大きく振れるのは当たり前にあることなのである。
このことは、ある程度の期間うちの施療を受けているクライアントさんの多くが実感されている。

 

 

2009.2.25

人事を尽くして天命を・・。
先日、毎月、六花亭ホールで行なわれている定例のクラシックコンサートに出向いた。

期待されている若手の音楽家を全国から呼んでの小コンサートだ。

私は、じっくりと聴いていて身体が苦しくならない演奏家をあらかじめ選んで、
良い方がいると、たまに足を運ぶことにしている。


で、この日は、東京藝大1年のN・Hさんのヴァイオリン・コンサートであった。
弱冠二十歳の彼女のプロフィールは、一位と賞だらけであり、実に素晴らしいもの。

ま、しかし、そんなことは、私にとってはあんまり関係ないからね。
実際、聴いてみないことには。
しかし、これが意外に当たりであったのだ。


彼女の普段の意識状態は、邪気はないとはいえ、失礼ながらまあそう高いともいえないのであるが、
演奏が始まる直前、急に身体から放たれるエネルギーが強くなったので、ちょっと驚いた。
しかも、アナハタ・チャクラへとその音の波動が放たれてくるのだ。
「おお、この方は、演奏時には意識レベルが数段上昇するのだね。いや、これは、おもしろい。」


しかも、どうもこの方の本来の実力以上の身体の使われ方がなされているようなのだ。

で、よく観てみると、エーテル体と肉体レベルの7つのチャクラが、バランスよくフル稼働し、
そして、彼女の身体のまわりには膨大な気のエネルギーが流れている。
天からも地からもその力が、身体に流入している。


聴いている私も、気の流れが天から降りてきて、胸が温かくなる感じになる。
ま、普通はこんなことはあまりないよねえ。


で、さらによく観てみると、
ああ、要するに、アストラル体に霊人が重なって一緒に演奏しているのだった。
いわゆる指導霊といわれる存在であろう。女性のようだ。
この霊が、ギンギンにアナハタチャクラの波動を放っているのだ。


アストラル体の頭上からも光が降りてきている。
N・Hさんのアナハタチャクラは、そのプラーナを吸収してフル回転。
それ以外のアストラル体のチャクラは、生理的レベルのままであることから、
この現象は、指導霊が合体することによるものだろう。


アストラル体のアナハタから、流れ込んだ膨大なエネルギーは、
N・Hさんのエーテル体と肉体の7つのチャクラを生理的レベルを超えて、
最高のパフォーマンスのために駆動させている。

通常の状態なら、この方の場合、肉体レベルのチャクラが活動する主要なチャクラである。
それが、エーテル体の7つのチャクラ、アストラル体のアナハタチャクラまでフル稼働させるのは、
これはもう指導霊の力によるものだ。素晴らしい。


N・Hさんの音楽への情熱や努力、才能が音楽家の指導霊に感応し、見込まれたのであろう。
ま、音楽の神ではないが、音楽家の高級霊に愛されているということだ。
本人の実力以上のプラスアルファの力が発揮されているわけだが、これもまた実力のうちだ。

よろしくない憑依の話も多かったが、
彼女におきているように、「シャーマンキング」の『憑依合体』ともいえるポジティブ憑依もあるのである。


しかしね、人生は山あり谷あり、
いつも高級霊の指導が受けられる心身のコンディションでいられるかどうかは、難しいところだ。


知ってか知らずか、こういう憑依合体のような形で演奏している音楽家はほかにもけっこういるだろうが、
指導霊が離れたり、変わったりすると、演奏自体も変わってしまうだろう。
そして、本人は何が起こったのか分からずに戸惑うのだろうねえ。

時に、優れた才能は、訪れてはまた去ってゆく。

 

 

2009.3.24

この本、いいんだよね。
いや、ここのところ、ちょっと何かと立て込んでいて、更新ができなんだ。

一度、書いた内容も没になっちまったしねえ。



今日は、しばらくぶりに本のご紹介。
「アートセラピー」の本だ。


『はじめてのアートセラピー』 吉田エリ 河出書房新社

まず、この本は、波動がとてもすばらしい! めずらしい本だ。

私の個人的な好みもあるのかもしれないが、
各ページのレイアウトや写真や文章や、
それらもろもろの色や配置や大きさや雰囲気がなんともいいのだ。
私は、美しさを感じ、うむ、うむ、うむ、と何度もうなずいた。

いろいろなアートセラピーの方法で、自分自身と対話する方法が分かりやすく紹介されているのだが、
心がひかれるワークがあれば、実際に取り組んでみても良いし、
私のように、ただパラパラと眺めているだけでも、楽しめるし、気づきや触発されるものがあるだろう。



『アートセラピーで知る こころのかたち』 吉田エリ 河出書房新社

この本も、波動が良い。
絵日記感覚で、そのまま書き込めるノート式だ。
これもまた30の、自分自身と対話するワークが紹介されている。

この本は、自分で書き込むタイプで、パラパラ眺めて楽しむという感じではない。

各ワークには、その解説とステップアップのワークもついていて、よくまとまっていると思う。

あまり頭を使って分析したりせずに、ちょっと楽しみながら、
自分自身を発見したり、見つめるのに役立つだろう。



いやあ、でもアートセラピーってなんかいいよねえ。

私もいつか学んでみたいと思うものの一つである。

 

 

2009.4.3

実のところ。
アートセラピーの本を前回紹介させてもらったのであるが、実のところ
私がセラピー関係で紹介できるものは、そう多くない。


なぜなら、私が基準にしているラインをクリアできているものはそうないからだ。


現在のところ、私の病に関する考え方の基本の大枠は、
『病気は、内在する歪エネルギーの解放現象である。』というものだ。

すでに生命力や自然治癒力の低下が原因とは考えていない。


ま、病気っていっても、幅広いよね。
ここで言っているのは、事故による怪我のような原因のはっきりしている病気ではなく、
いまひとつ原因の特定できないような慢性病のイメージを思ってくれい。

それであるからして、その解放現象を妨げるような治療行為は、
身体に反作用を生み出すことになるんよ。
まあ、そうなると巷のほとんどの治療行為はあやしくなってしまうわけだ。


これは、実は、身体に触れない「心理療法」でも共通している。
問題解決指向型の心理療法は、軒並みアウト。
その結果は、その療法のセラピストとクライアントの頭蓋骨や脳と心臓の歪みとして表現されている。


ま、しかし、クライアントは問題を抱えて、それをなんとかしようとセラピストを訪れるわけだから、
あなたの問題は解決できませんってな訳には行かないだろうねえ。



『あなたの問題を誰も解決しやしませんが、
もしかしたら、それをやることで、その問題がさほど問題でなくなったり、
形を変えたりする可能性があります。
あるいは、残念ながら、ほんとに何も変わらなかったり、
ほんとのことが見えてきて、一時的にもっと辛くなったりすることもあるかもしれませんが。
でも、やってみます?』


というスタンスでの、『フォーカシング』と『アートセラピー』なら、私はお薦めできる。
これならば、うまくやれば、反作用がないからだ。
ただ、その解放されるべきエネルギーに寄り添う形でのセラピーならば、反作用は生まれない。

病という心と身体の「表現」を、遮るのではなく、さらに洗練させた形で表現する。
あるいは、ただその存在に気づく、認める。

すると、

時にそれは、形を変えたものに変容するだろう。
時にそれは、完了し消え去るだろう。
時にそれは、まったく治療効果が感じられないかもしれない。
時にそれは、気づきをもたらすだろうし、もたらさないかもしれない。
時にそれは、居心地をよくするだろうし、もっとかき乱されることになるかもしれない。


クライアントに、必ずしも一定の効果をもたらすかどうかは保証できないセラピーだけで、
仕事としてなりたつものか定かではないが、
「治る、治らない」から離れたセラピーは、
本当にナチュラルで、私にはとても魅力的に思えるのだ。

 

 

2009.4.13

あがいている。
前回の続き。
では、そういうお前のセラピーは「治る、治らない」から離れているのか?
という突っ込みをいただきましてね。


ねえ、そういう時がいつか来るかもしれないが、
今のところは、「治る、治らない」のラインに乗って、あがいている。

反作用のない、病んだエネルギーが解放されるやり方で、
ちゃんと最上位の原因が消滅することで、治ってゆく。

そのようなセラピーを追究している。






ま、話は変わるが、

『天体戦士 サンレッド』(アニメ版。もちろん、原作コミックもなかなか。)

これに最近、ハマっている。

神奈川県川崎市を舞台に、世界征服を企む悪の怪人組織フロシャイムと、
正義の戦士サンレッドの熱い闘いの記録だ。

主人公は一応は、サンレッドとなっているのだが、
フロシャイム川崎市支部幹部の『ヴァンプ将軍』を始めとする、
悪の組織の皆さんにスポットライトが当たっている。
ま、実質、主人公は、ヴァンプ将軍だな。


いやあ、ヴァンプ将軍からは人として、いろいろと学ぶところ大なのだ。


アニメが好きな方は、お試しあれ。
ちなみにギャグアニメである。




もひとつ、言うなら、

『真マジンガー 衝撃!Z編』だ!(4月4日からTV東京系で)

いうまでもなく永井豪原作のロボット漫画の、アニメ超新作版だ。

これもね、私、マジンガーで小学生時代、送っているからね。
原作テイストたっぷりの絵がたまりませんしね。
動きや演出もいい!


自分でも、ちょっと驚いたけど、
兜甲児の乗った『ホバーパイルダー』が、マジンガーに向かって疾走する場面では、
やはりまだまだ血が騒ぐね。

「うおおお、かっこいい!」と感じてしまう。

多分、その時は一緒に叫んじゃうね、『パイルダアアアーオオオンンン!!』って。(笑)


さすがに、超合金35周年にまでは手を出すほどではないが、
いや、しかし、瞬間、欲しいかもと思ったけど、正直。

 

 

2009.4.20

最近、気功をあえてやってない訳。
そうなのである。
ここのところ、香功の練功はお休み中なのだ。

なぜかっていうと、
私自身のクラニアルセラピーだけで、チャクラや経脈の浄化や開発を進めているためである。

香功をやると内気がかなり強化され、また動くので、
実際のクラニアルの施療の効果が見えにくくなるのを避けるためだ。

またほどなく時期が来れば、My香功ブームが到来するだろう。




しかしね、ここのところ、またいろいろな発見ができて楽しい。

下丹田、中丹田、上丹田。

その位置は、おおよそ、下丹田は下腹部、中丹田は胸部、上丹田は頭部にあり、と言われている。

あると思えばあるなどと、その存在自体さえあいまいに語られることもあるのだが、
私にとって、それぞれの存在と位置は、非常にはっきりとしている。


下丹田に強く共鳴する仲間は、身体に七つある。

驚いたのは、中丹田と上丹田は、二つあるということだ。

一つは、下腹部の下丹田。
腎臓の間にある命門。
心臓の後部にある中丹田の2。
視床にある上丹田の2。
前頭部にある上丹田の1。
心臓にある中丹田の1。
腰椎3番の前方にある胎元穴。

これら七丹田は、すべてつながっており、周天をなしている。

この周天を古典で、何と呼ぶのかは知らない。
ちなみに、これは任脈と督脈を結ぶ小周天ではない。



ヨーガでいう、スワディシュターナ・チャクラを下丹田。
アナーハタ・チャクラを中丹田。
アージュナーとサハスラーラ・チャクラを上丹田と考えることもあるが、
それは私の見解とは異なっている。

丹田とチャクラは、別物である。

 

 

2009.5.8

体験治療。
もうけっこう以前になるが、
私は自分の身体のことで、同時期に何人かの整体師、ヒーラーに診てもらったことがある。

それは、一回きりの、体験治療のような形であった。

三人は、野口整体系の先生。

二人は、透視能力があるという、オーラヒーリングをする先生だった。


それぞれの先生たちの、その当時の私の身体への施術を簡単に紹介しよう。


野口整体系

N先生・・・・骨盤、左の腸骨を診て、胸椎2番を調整。

H先生・・・・印堂穴、もしくはアジュナーチャクラ?を診て、頚椎7番、6番を調整。

I 先生・・・・骨盤、左の腸骨を診て、胸椎1番、5番を調整。


オーラヒーリング

B先生・・・・7つのチャクラをざっと調整、浄化?した後、気管、心臓上部の血管系を調整。肉体、エーテル体のみ。

L先生・・・・気管、心臓上部の血管系、大腸左部、膀胱、鼻腔、のどを調整。肉体、エーテル体のみ。



ほぼ、共通していると思われるのは、呼吸器や循環器に問題があるという感じである。

まったく的外れなところを治療していないのは、さすがというべきだろう。

勉強のために、先生方には大変失礼なことと思いながら、
施術後の私の身体への治療刺激は、ほどなく解放させていただいた。
そして、できるかぎり同じ条件で、次の施術を受けるようにした。


N先生の施術後、
私が、私のやり方で自分自身を診て、出した椎骨のメジャーもまた胸椎2番であった。
胸椎2番の解放によって、全椎骨が調整されるのである。
その時は、そういう身体の局面であった。

N先生は、腸骨をスッと診るや、すぐに胸椎2番と識り、そこへのわずかな微調整を行なった。
その所作は見事であった。


他の先生方の場合、
施術後に他のすべての椎骨が調整されるという形にまではなっていなかった。



また、背骨の調整というのは、またえらいもんだと改めて思ったものだ。

例えば、胸椎2番だけの調整で、
オーラヒーリングで十分な時間を要してなされた複数の施術部位は、
すべてカバーされていたからである。

いやあ、やっぱり日本人ってすごいなと。




しかしながらである。
これらのすべての治療において、
施術によって、頭蓋骨と脳への負荷が新たに加わったのである。

その理由は、これまで私が述べてきたとおり、対症療法になっているからである。

原因は、椎骨の変位や症状の出ている部位にあるのではなく、別のところにある。
それらは、原因ではなく、いまだ結果にすぎない。


このときの私の身体においては、メンタル体のアジュナーチャクラと、
アストラル体のムーラダーラチャクラに歪みエネルギーの解放現象が表面化しており、
それらによって、胸椎2番が拘束を受け、
他の椎骨はバランス上、その状況に対応していたのである。


それゆえ、たとえN先生の治療であっても、椎骨の異常の原因となっている、
肝心のアストラル体やメンタル体のチャクラの歪みが、同時に解放されることがなければ、
身体の必然に逆らう形になり、反作用が生じるのだ。



ま、それでも症状は取れるけどね。

人間の脳や頭蓋骨はけっこう柔軟性があり、
対症療法による反作用をかなりの程度、吸収することができる。

吸収といっても、それが無くなるわけではなくて、
「限度付きで耐えられる」という表現の方が適切だろう。

本来、解放すべく、上位の微細身体や脳から降りてくる歪みの信号を、
体幹部からの治療刺激によって逆流させているのだから。

そんなことを続けていると、ほどなく限界がやって来る。



しかし、
なかなかそういう機会はもてないけど、他の治療を受けるのは勉強になるよねえ。

 

 

2009.5.19

香功練功日記風
全世界4000万、香功練功者の皆さん、こんにちは。

ここのところ、ご無沙汰であったが、やっと、香功の練功を再開した。


今日は、さっちゃんと一緒に、初級功だけをじっくりと取り組んだ。
なんとなれば、久しぶりなので、さっちゃんがほとんど忘れてしまい、
ひとつひとつ動作を確認しながらの練功となったためだ。


丹田、チャクラ、経脈など、自分の施療でずいぶん覚醒や調整が進んでいたためか、
いつもどおり単純で、シンプルな動きではあるが、深いところまで気が届き、動いている感がある。


これなんだよねえ。

香功は、多分にその人の身体の開発され具合によって、感じ方が異なってくる、と思う。


私が、はじめて香功に触れた頃に感じた香功の身体への作用の仕方と、
今、現在感じるそれとでは、ずいぶんと違いが出てきている。

それは、自分自身の身体が開発されてきているから分かることなのだが、
「うお、そんな深いとこまで効いているのか!」と、改めて驚くことがよくある。



伝人の田瑞生先生が、本のなかで、

香功は、開放的で、敏感なタイプの人に目ざましい効果を見ることができるでしょう。と、述べている。


この意味がいまひとつ良く理解できず、けっこう長い間、引っかかっていた。


開放的で、敏感なタイプになりたくて、練功しているのに、
はじめから、そうじゃないと目ざましい効果が見られないなんて、何てことだ!

私は敏感なタイプの身体ではなかったため、
「効果が出るまで時間がかかるのか・・。」と、ちょっと、かなしい気持ちになったものだ。(笑)



で、今になって、その意味が良く理解できるようになった。

香功は、功法の作用の仕方は同じでも、その人の身体の開発が進めば進むほど、
より一層、その実りは、大きなものになっていくのである。

それくらい、奥行きがあるということだ。


うううん、やっぱり、いいよねえ。(満)

 

 

2009.5.24

香功練功日記風
全世界4000万、香功愛功者の皆さん、こんにちは。

ま、いろいろな取り組みがあって、もちろん、良いのだ。


香功は、しかし、動き、そのものに一定の気の型を生み出す効果があり、
例えば、太極拳や、他の気功のように、体内の丹田や中心軸、体外の空間を意識したり、
腕や足の螺旋、体幹部に注意を払いながら、動きそのものを深化、洗練させてゆくようなことは、
あまり意味がない。


というか、そのような意念を使わないようにと、注意事項にある。
自然に、それが気づきの視野に入ってくるのは、問題ないのだが。


そして、また、もっと、動きを大きくしたり、角度をつけたりすると、
心地よい、快感覚があるからと、大胆な振り付けをすることもまた、意味がない。


香功の動画を検索してみると、いくつか興味深い動画に出会うのだが、

「そうきましたか! なるほど、うんうん、そこまで伸ばすと気持ちいいよねえ。」

という感じで、非常に独特な香功を目にすることができる。


ストレッチをやりたいのなら、別の気功をすることだ。

香功は、そういうんじゃ、ないんだってば。(笑)



しかし、まあ、初級功のように単純な動きでも、
ずいぶんと、また違った動きになって伝わるんだねえ。



香功は、

『中国に仏教が伝わるはるか以前、今から約二千年前にすでに、
ある高僧の悟りによってつくられ、それが代々一子相伝によって継承された。』


と、『からだに優しいかんたん気功 香功』に説明されています。


ま、これはちょっと、『北斗の拳』入ってると思わないでもない。(爆)

しかも、あの玄奘三蔵も継承者だったというではありませんか!


「ホントかよ!」と突っ込みをいれることは簡単ですが、

ここは、ま、「オオ、すごい!」と素直に信じてみると、

ちょっと浪漫を感じませんか?

やる気、出ませんか?(笑)

 

 

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