思い出の小学校時代



海の玄関口、和泊港

親の仕事の関係で、幼稚園から小学校3年生まで鹿児島から南に500キロ、花の島沖永良部に住んでいました。ここはその名の通り花の栽培が盛んで、フリージア、ユリ、グラジオラスなどが1年中咲き乱れています。また、気候も温暖で5月には海水浴が楽しめます。人も温かく、自然いっぱいのすばらしい島です。


 

知名町立下平川幼稚園

 幼稚園は小学校の隣にある下平川幼稚園でした。幼稚園では給食がないので、先生たちは小学校に届けられた給食を園児に運ばせます。僕も先生の給食を運んでいる時、おいしそうなコッペパンに憧れて、早く小学生になりたいな〜と思ったものでした。



我が母校、知名町立下平川小学校

 小学校は全校生徒120人の下平川小学校でした。各学年1クラスの小規模校です。もちろんクラス替えもありません。みんな兄弟みたいに仲のいいクラスでした。下平川小学校は歯磨きが盛んな学校で、給食の後は、全校生徒並んで3分間歯磨き体操をさせられました。おかげさまで今でも毎食欠かさず歯磨きをしています。楽しい思い出いっぱいの小学校でしたが、平成8年に創立100周年を記念して新築の校舎が建てられました。男女共同のポットン便所、板張りの教室、崩れそうな放送室など、懐かしい風景は今はもうありません。唯一原型をとどめているプールの横に、ソーラー発電完備の新校舎がででんと建っています。



住んでいた住宅

 僕らの住まいは沖永良部高校の近くにありました。すぐ下のほうには沖校第2グラウンドがあり、高校生のお兄ちゃんたちとよく遊んでもらっていました。また、近所の畑のお手伝いをしてジャガイモをもらったり、セミを捕まえたり、秘密基地を作ったりとまあよく遊んでいました。ちなみに仮装大賞のセミはここでの体験からひらめきました。



家から見える風景

 家の周りはご覧の通り畑ばかりでした。ここでは主にさとうきびやじゃがいもを栽培していました。さとうきびをかじるとあま〜い汁が口いっぱいに広がります。皮が硬いのが難点かな?



屋子母海岸

 沖永良部は海がきれいなことでも有名。真っ白い砂浜、エメラルドグリーンの水、珊瑚礁・・・今考えると贅沢な環境でした。僕は一度溺れかけて(近所の兄ちゃんに浮き袋を取られた)泳ぐことはあまり好きじゃありませんでしたが、水中メガネをかけてもぐると、色とりどりの魚たちが泳いでいるのも見えるので、足のたつところで楽しんでいました。



クイーンコーラル(名瀬新港にて撮影)

 沖永良部には5000トン級フェリー「クイーンコーラル」「クイーンコーラル8」、 6500トン級フェリー「あけぼの」「なみのうえ」の4隻が運行しています。どの船も豪華で、快適な船旅が楽しめます。



徳之島を出港し、沖永良部に向かうクイーンコーラル

 でもたまに台風などでひどい目にあうことがあります。港に接岸できず、洋上で「はしけ」という小さい船に乗り移り上陸したことが1回、徳之島までしか運行できず、鹿児島まで引き返したことが1回あります。



空の足、サーブ機

 鹿児島から沖永良部までは、このサーブ機か伝説の国産飛行機YS−11が運行しています。サーブは36人乗り、タイヤは原チャリよりも小さい!もちろん揺れも半端じゃありません。スリルを味わいたい人にはお勧めです。飛行機に乗って「死ぬ・・・」と感じたのはこのサーブが初めてでした。



参考までに喜界空港

 サーブの思い出といったら、喜界島から奄美大島までのフライトでしょう。飛行時間10分、ベルト着用サインが消えていた時間は1分でした。たぶん高度数百メートルしか上昇していないはず。あ〜恐ろしい・・・ちなみに喜界空港には管制塔がありません・・・