
長崎港から18.5kmの海上に浮かぶ島、端島。総面積6.3ha、東西160m、南北480m、周囲1.2km、岩峡の高さ47.7m。この小さな島にかつて5300人以上の人が住んでいた。
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| 軍艦島 |
明治23年、海底にある膨大な量の石炭に目を付けた三菱が所得し、以後80年間にわたり主に八幡製鉄所への良質炭を採掘し続けた。端島は海底炭鉱の基地だった。
明治時代に人口は2000人を超え、1960年頃には5300人以上の人が住むようになった。これは当時の東京の人口密度の約10倍。約6.3haあった面積のうち半分以上は鉱場であり、その残りが居住区だった。その狭い空間をうまく利用するため、建物は自然と上へ伸びるようになる。大正5年、日本初の鉄筋コンクリート高層アパートはここ端島に建てられた。7階建て、145戸。
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| 端島の場所 |
元々は現在の3分の1程の岩礁に過ぎなかった端島だが、海底を掘ったズリを捨てることによって現在の姿に近づいていった。そして次々と建てられる高層アパート。対岸から見る島影はまさに軍艦だった。昭和20年6月、米軍潜水艦の魚雷攻撃を受け、積込桟橋で石炭積込中の白寿丸3000tが沈没した。島を戦艦と間違えて攻撃を受けたのか、運搬船を狙ったのか詳細は不明だが、旧日本海軍の戦艦「土佐」とも形容されるその姿に米軍潜水艦も戸惑ったに違いない。
80年の長きにわたり良質の石炭を産出し続けた端島だったが、国のエネルギー転換政策によりエネルギーの主流が石炭から石油に移ると、その役割に終止符を打つことになった。昭和49年1月15日、黒字経営のまま閉山。炭鉱以外の産業もなく、植物も育たない端島は閉山と同時に無人の島となった。
それから30年、人の住まない辺境の小島は昭和の面影を色濃く残しながら時を止めている。、
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| 60、61号棟付近 |