
平成○年5月11日、ついに作戦当日。午前8時、集合した総勢15名の部隊は目標地点である野母埼半島に向かった。
午前9時30分、チャーターした漁船に乗り込み、沖合い6kmの海上に浮かぶ端島を目指す。海上はやや波が高い。昨日のお酒の影響か、多少気分が悪くなりながらも耐えること30分、巨大な軍艦が姿を現した。
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| 長崎レディース隊 | 軍艦島 |
島に近づくにつれ、、その詳細が見えてきた。周囲はすべて高いコンクリートの壁で囲まれている。かつてウインドで上陸しようかと計画したことがあったが、ビーチのないこの様子じゃ無理そうだ。上陸地点は島の東側、端島小中学校校庭跡付近。
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| いよいよ軍艦島に接近 | 上陸地点 |
この場所は島で唯一上陸可能な場所だ。鉄の梯子を登り、島内への潜入は完了した。
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| E夏のジャケットを羽織ながら上陸 | 無事、上陸完了! |
上陸後、最初に目に入ってきた建物は端島小中学校跡。かつて、子供たちの笑い声が溢れていただろう7階建ての建物には、今、静けさだけが漂っている。
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| 端島小中学校跡 |
ここからは4つの小隊に別れて行動することになった。では軍艦島上陸部隊第1小隊のメンバー紹介
| 第1小隊長Fお | T元隊員 | M尾隊員 | Y子隊員 |
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| 俺ってかっこいいと この時は思っていた |
ミス長崎 (寝顔も素敵) |
最近医技短生に人気 | 写真を撮るといつも 口を開ける |
この4人でいつ敵が襲ってくるか分からない
危険な冒険に出かけたのだ!
と盛り上がっていたのは僕だけだった・・
まずは校庭脇に建っている2階建ての「ちどり荘」に向かった。ここは端島小中学校教職員住宅。2階に登る木製の階段は崩れ落ち、海側の窓はほとんど原型を留めていない。
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| ちどり荘 | 常に安全をチェック! |
ちどり荘の隣には端島病院跡がある。昭和33年建築鉄筋コンクリート4階建て。かつてやじパパが勤務し、ここで虫垂炎の手術をしたことがあるらしい。中には年代物のレントゲン、薬ビン、当時のカルテなどが残されていた。間違いなく、軍艦島で最も一人では行きたくない場所だ。
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| 手術室の跡 | 当時のレントゲン |
病院を過ぎると住宅地に入る。5000人もの人々の生活の場であったこの場所には、3階建てから9階建てまでさまざまなアパートが所狭しと軒を連ねている。
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| 昭和20年建築:鉱員社宅 | このあたりは昭和28年建築 |
日本で最初の高層アパートはここ端島に建てられた。大正7年建築で9階建て。やはりこの建物が最も痛みが激しい。。ちなみに端島はもともと高さ47メートルの岩礁だったわけだが、このアパートは岩礁の形に沿って作られており、海と反対側の廊下の壁は、岩礁そのものでできている。つまりまったく光が差し込まない。狭い場所に数多くの建物を建築したため、端島には日当たりの悪い部屋が多かった。会社内での地位が上がるにつれて、より光の入る部屋に引越しすることができたらしい。
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| 大正7年建築の日本で最初の高層アパート | 同じく(左の写真の中に僕がいます。) |
部屋の中には、昭和40年代の姿がそのまま残っている場所もあった。当時の雑誌、新聞などを見ると時代の流れを感じさせられる。そう、ここだけは昭和49年から時が止まっているのである。
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| 当時の雑誌 | 昭和48年元旦の新聞 |
「田中首相訪米」なんて記事の新聞もあり持って帰りたい気もしたが、これらのものを平成の世界に連れ出すのはいけない気がして何一つ持ち帰りはしなかった。自分たちが触ったものも元の場所に直しておいた。それがこの島を訪れる時のルールだと思う。
この小さい島にもしっかりと娯楽施設があった。一つは映画館、そして島の先端には海水プールもあった。映画館は昭和2年建築。かなり狭い建物だが、いったい何人入場できたのだろうか?
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| 映画館跡(右の茶色の建物) |
これで島の西側の探索は終了した。続いては島の東部、鉱場跡へ。