
平成9年4月、鹿○島大学医学部新1年生は、クラスの和を深めるために、とあることを企画した。それは自己紹介を兼ねた名簿を作ることだった。出身校、好きな花、好きなスポーツなどなど、お決まりの項目が並んだA4用紙が1人1人に配られた。もともとこんな事には情熱を注ぐ性格だったので、「いかにして笑いをとるか」ということを一晩中考えていた。
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| これが欽ちゃんの始まりだった。 |
なかなか寝つけず、妙にハイな僕の頭に1つのことが閃いた。「あっ、欽ちゃんの仮装大賞に出ることが夢です、なんて書いてみようかな〜、これ、けっこうウケるかも」
仮装大賞へのチャレンジはこんな事から始まったのです。
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| この一言から始まった。 |
遊びまくった教養時代、そして地獄の解剖、そんなこんなで2年が過ぎた。ある日、部屋の掃除をしていると懐かしいこの名簿がでできたので、ふと開いてみた。その時、2年前のあの一言が目に飛び込んできたのである。「洒落で書いてはみたが、このまま何もせずにいると、きっと同窓会なんかでうそつきとバカにされてしまう。」そう考えた僕はすぐさま日本テレビに電話をして資料を郵送してもらった。それがこれ!
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| こんなのが送ってきました。 |
中にはバニーのおねーさんがにっこりと表紙を飾るパンフレットと申込書が入っていた。申込書は書類審査も兼ねており、四コマ漫画形式でアイデアを書くようになっていた。
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| 申込書 |
とりあえず資料は送ってもらったが、パンフレットを読むと何か面倒くさそうだったうえに、まったくアイデアが閃かなかったので、仮装大賞のことは、再び僕の頭から消えていってしまった。
そうして3年生の正月を迎えた。垂水のばーちゃんの家でいとこたちとテレビを見ていると、たまたま仮装大賞を放映していた。「あっ、そういえば仮装大賞の申込書送ってもらっていたんだ。」久しぶりに仮装大賞のことを思い出した僕は、その後ふとした時にネタを考えるようになった。そうして閃いたのが「車の運転席」 このネタは1人がタコメーター、もう1人がスピードメーターになって、いろいろなシチュエーションの音声に合わせて動くというもの。 このアイデアを申込書に書いて日本テレビに送ってみた。正直言ってあまりやる気がなかったから、書類もてきとーに書いて、絵なんか鉛筆書きで定規も使わなかった。
病理の実習で忙しく、ちょうど第2個人単位実習室でスライドを見ているときだった。僕の自慢のPHSが鳴った。(注!今はついに携帯です)
「もしもし、こちら日本テレビ、欽ちゃんの仮装大賞の担当者ですが。」
「あ〜そういえばこのあいだ書類を送りましたね。すみません、適当に書いちゃって。やっぱりダメでした?」
「いえいえなかなかいいアイデアでしたよ。書類審査合格です。○月○日(日にち忘れました)に福岡で2次審査があるので、がんばって作品作ってくださいね。」
「えっ、○月○日って試験の前の日じゃん!」
そう、書類審査に合格するなんてまったく予想していなかった僕は、2次審査の日程を考えていなかったのです。
「あの〜言いにくいのですが、2次審査の次の日が試験で・・・まさか合格するなんて思っていなかったので・・・今回はちょっと遠慮しようかな〜なんて思っているのですが・・・」
「そうですか、それは残念です。またのチャレンジを期待してます。」
「次は絶対参加します。本当にすみません。」
という訳で、第1回目のチャンスを逃してしまったのです。
「書類審査受かっちゃった・・・」そのことが自信となり、次のネタを考え始めた。よく考えていたのは寝る前。寝付けない時に天井を見ながら欽ちゃんのことばかり考えていた。そのころ使っていた手帳には、「消火器」「形状記憶合金」など、閃いたアイデアを書きこんだ跡が残っている。そうしてあの「セミ」が閃いた。僕が沖永良部に住んでたとき、一匹のセミの幼虫を捕まえてきたことがあった。小学校2、3年生のころである。あのころはとにかくいろいろなものを家に持ちこむ癖があり、一度はカマキリの卵を持ち帰ったことがあった。すっかりその存在を忘れていた頃、寝ているとなんか顔がムズムズすると思ったら、羽化した何百匹のカマキリの赤ちゃんが天井から僕の顔めがけて落ちてきていた。当然親はカンカン!まあ若気のいたりってやつですね。そういう年齢だったのでもちろん今回もそのセミの幼虫をしがみついていた枝ごと家に持ち帰り、玄関の花瓶にさしておいた。夜になりふとその花瓶を見てみると、なんと幼虫が羽化している最中だったのである。セミの羽は羽化した直後には青白く輝いており、時間が経つにつれて透明に変わっていった。成虫になるまで数時間かかったが、眠気も忘れて観察していた記憶がある。どうしてそのことを思い出したのかは分からないが、とにかくこのネタで仮装大賞にチャレンジしようと決めた。仮装のポイントは羽の色を変えること!書類審査の段階ではスプレーを使って色を変化させようと考えていた。
書類を日本テレビに送り、数週間が過ぎた。なぜか今度も第2個人単位実習室でスライドを眺めている時だった。僕のPメールDX搭載の最新式PHSが鳴った。(注、今はカラーの携帯です。)
「日本テレビ欽ちゃんの仮装大賞担当者ですが。」
「はい、何でしょうか。」
「書類審査合格しました。2次審査も頑張ってください。今回は大丈夫ですか?」
「もちろんです。がんばります!」
という訳で仮装大賞への一歩が踏み出されたのである。
この電話のやり取りは第2個人単位実習室のベランダで行っていた。というのも授業中だったから。ちょうどそのベランダの近くの班(通称美女班)で、M原さんが実習中だった。書類審査に合格して浮かれていた僕は、調子に乗ってその美人ぞろいの班で自慢げに語ってしまったのである。するとM原さんが「ええな〜わたしもでる〜」
M原さんとのコンビはこうして結成された。
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| M原○子さんです。 |
前回と違い、今回は夏休みがあるので時間に余裕がある。この夏は仮装大賞で燃えてやるぞ〜!とやる気マンマンだった。そうしてクーラーも扇風機もない自治会BOXで2ヶ月間の苦闘が始まったのである。
つづく