TEVIS CUP 2002 参戦リポート


 

2002年7月21日、21時56分。スタートしてから、16時間と41分。86 mile地点。ゴールまで後、残り14 mile。現在総合8位。・・・
ここで、わたしのTevisは終わりました。Cinelの目が遠くを見ていました。その目は、右前足の跛行とは裏腹にとてもおだやかなものでした。

From Auburn to Robie Park
2002年7月13日、今年三度の目のBerkeleyです。そして、今回がいよいよTevis Cup本番。私の気持ちも自然と高まっていくのを感じました。オーナーであるPeterがいつもと同じように空港で、私にほお擦りをしながら迎えてくれました。そして、彼のfarmのあるOrindaにつき、ひと月半ぶりに今回騎乗するCinel号に再会しました。彼女はPeterの所有する10頭あまりの牝馬軍団のなかでも特に目立つ存在ではなく、母親でもあるボスの影に隠れ、人に触られることをそれほど好まず、いつもどこか遠くを見ている馬でした。しかしながら、ひとたび彼女にまたがると、その力強い速歩はどんなに険しく、岩の突き出た山道でさえおそれることをしらない頼もしいもので、誰にとっても乗りやすい、素直な馬に変身するのでした。ひと月半前に50 mileレースに出場した私は、彼女の並々ならぬ能力をひそかに感じながらも、自分にとって未知である100 mile、それもTevisという世界一過酷なコースでどのようなレース展開をすればいいのか決めかねていました。

土曜日、日曜日と軽く調整程度に騎乗し、この先Tevis終了までの1週間分の遠征準備に取り掛かりました。今回このFramからは私たち日本人3人を含め計9人馬の出場となり、crewを含めると総勢、約20-25人ほどにも膨れ上がりました。当然荷物は山のようになり、この準備のため、出発が半日遅れたほどでした。馬の飼いは、ここでも、やはり油(大豆油)が使われ、電解質とともに与えられていました。乾草はオーツと、アルファルファの2種類を朝夕に分けて与え、とうもろこしベースの濃厚飼料とビートパルプが使われていました。私も1週間前にCinelの毛を刈り込み、鉄を打ち換えてもらい、レースに向け着々と準備を進めていきました。
今回の私たちの日程は、まず、火曜日にゴール地点であるAuburnに入り、レース前日に出発地点である、Robie Park(標高2200 m)に移動し、その日はそこで野営し、朝5時15分のスタートを迎えるというものでした。Peterはことあるごとにライダー・馬ともに電解質、水分の補給が重要であること、また、ともに、レース中はしっかりと栄養を補給することが大事であると散々話していました。レース中の持ち物として、馬の電解質補給として100mlチューブにはいっている濃縮剤を充分に水分を摂取した後に与えるように渡され、イージーブーツ、べトラップ、スクーパー(水をかける道具)を各自用意し、それぞれ、一人約2リットルの水(ライダー用)を持ち、獣医検査用紙とともに、かばんにつめました。これらは、近年のスピード化したエンデュランスとは違い、アメリカ独自の山岳トレイルには欠かせないもので、足場が悪く、気温も高いこのTevisのコースを乗り切るためにはぜひ用意しなければならないものだと思われます。けれども、このような過酷なレースとは反対に、前日のミーティング兼パーティではアメリカ人らしい陽気な人柄が随所に表れ、前日の獣医検査においても、216頭もの検査をしなければならないのに、厳格な審査の合間には、底抜けに明るい西部の人たちの声が飛び交っていました。また、この大会は負担重量などは一切ないのですが、レース前には総重量の検査が行われ、案の定チビの私はほぼ最低重量で望むことになりました。

From Start to Robinson Flat
レース数日前に、私たちのチームはオーナーであるPeterの元で今回のレースに関する打ち合わせを行いました。そのとき、今回のペース配分を彼に相談してみました。前回の経験から、Cinelには高い能力があることを感じていた私は、完走重視だけれども、彼女の限界から程遠いペースでは望みたくない、できれば限界の80%ぐらいで行ってみたいと申し出てみました。すると、彼は、もう一人の女の子を呼び、二人で先に行くように指示を出しました。ただし、馬の脱水には気をつけること、獣医検査ポイントのたびにえさは十分に食べさせること、ハートレートモニターをつけ常に確認しながら進むことと申し渡しました。これを聞いて私はハミを使わないことを決めました。Peterは特にスタート時には馬は興奮し押さえが利かなくなるからと反対しましたが、それまでの練習で彼女にハミの必要性を感じなくなった私はそのまま通すことにしました。レース前日、今回一緒にレースを進めるように言われたJenniと明日は4時45分には野営地を離れスタートに向かうことを確認し、ハートレートモニター(Equine Performance社)の性能を確かめ早めに眠りについたのでした。このハートレートモニターは私が今までに見たもののなかでは最も簡単で余計なワイヤもなく馬に負担のかからないもののように思えました。実際競技中もたまに反応が鈍くなることを感じましたが、数年前のものに比べ格段に進歩しているのを感じました。
当日、去年このTevisを完走され、今回も挑戦される増井さんとともに、朝2時半に起きだし、朝食を済ませ、馬の手入れに外に出ると、あまりの星空のきれいさに圧倒されました。この日は満月まで数日はやかったとはいうものの月はかなり明るかったのです。しかし、その月の明るさに負けないくらい満天の星に増井さんと思わず見とれてしまいました。
そんなことを感じながらも、スタート時間は刻一刻と迫り、昨日の打ち合わせどおりJenniとはやめに野営地をで、出発地点に向かいました。このあたりの5時前は日本とは違いサマータイムのせいもあって、まだ真っ暗。そんな中を月明かりを頼り進むと、あちこちから馬が集まり、はやめにできたにもかかわらず、スタート地点はどこだかわからないくらい後ろのほうにになってしまいました。そう思いながら待つこと10分、突然馬群が動き出し、いつの間にかスタート。こうして思ったよりあっけなくTevis Cupは始まりました。
Peterの予想に反してスタート時にCinelに興奮した様子も見られず、私の言うことをよく効いてくれ順調に滑り出しました。コースはじめ10 mileまではなだらかな下り坂でまだまだあちこちで会話が聞こえレースという感じは全くしませんでした。馬もまだまだ元気で全体のペースも徐々に早まっていったように思います。私たちは最初の10 mileを1時間15分かけて37位で通過しました。このときは自分たちが全体の何番目にいるかなんてもちろんわかりません。あとで、http://tevis2002.quacky.co.uk/で知った結果です。その後コースは、数マイルの間に、一気に標高762mも駆け上がり、このコースで最も高いEmigrant Pass(標高2650m)を超えることになります。こののぼりにかかったころから徐々に遅れが目立ち始める人馬が増え、全体が長い一本の列になってきました。それでも私たちはのぼりを得意とするCinelの歩みとともに徐々に順位を上げ始めました。周りは標高が高いせいかごつごつした岩が多く景色も高山植物のお花畑のなかをすすむかっこうとなりました。そして、いつの間にか、Jenniと私たちは先頭集団にまで追いついていたのでした。そこで、少々ペースが速すぎるのではと思い、二人で相談し、一度並歩をいれ休憩を取りました。これで、先頭はまたはるか遠くになり、自分たちがどれくらいで進んでいるのかは全くわからなくなりました。
http://tevis2002.quacky.co.uk/Squaw/Img_3604.jpg

Emigrant Passを超えてからのコースは一挙にくだりが増え、また、足場も極端に悪くなり、一歩踏み外せばがけの下に落ちていくような大きな岩場のコースに差し掛かりました。後できいたところによると、案の定ここで何組か谷に落ち、馬も人も傷だらけになったそうです。うちのチームボスであるPeterもここで人馬転をして、やむなくリタイヤをしたそうです。後で彼の乗っていた馬を手入すると、よくこれで足を折らなかったなあと思うほどひどい傷を負っていました。そんななかでも、Cinelは確実に足場の確かなところ選び、間違いのない足運びを見せていました。こんなところをとおるには変に人が誘導するのではなく馬に任せているほうが確実だなあと感じました。その危険地帯を抜けると、21 mile地点、Lyon Ridgeに着きました。ここは必ず速歩で通過しなければならず、通過時に獣医による跛行チェックが行われていました。しかしながらまだまだレース序盤、ほとんどの馬が問題なく通過していたように思います。その後、28 mile地点、はじめの獣医検査ポイントであるRed Star Ridgeに着きました。ここはいわゆる正規の獣医検査ポイントとは少し違ってGate & Goと呼ばれ、心拍と呼吸、跛行がみられなかったらそのまますぐにコースに戻ることができます。私たちはここで、馬体を冷やし、水と電解質を与え、乾草を少し食べさせ、心拍が下がったことを確認して検査に望みました。もちろん、そんな中での検査なので、鞍を下ろす必要もありません。ここを通過すれば、最初のクルーポイントである、Robinson Flatまであと8 mile。馬も人も、まずはそこを目指してひたすら、歩みを進めました。そして、そのRobinson Flatが見えてきたとき、遠くに、黄色い私たちのクルー目印であるスカーフが見えてきたとき、私はなんだかほっとしたように思います。とりあえず無事につけたのですから。そこでは、多くの人が私たちを待っていてくれ、そして、多くの拍手が私たちを迎えてくれました。ここで私たちは37位から一度先頭に追いついたもののペースを落としていたために総合18位で1度目の正式な獣医検査を終え、1時間の休憩に入りました。時刻は9時36分まだまだ朝で、気温もそれほど高くなく、馬も人も余裕の表情でゴールできたことを覚えています。Cinelの状態は少しも悪くなく、私自身も彼女の状態を再度獣医に確認しましたが、まだ大丈夫だよという答えを得ていました。ここで、私はいつものごとく馬の世話に入ろうとすると、周りのクルーからだめだめといわれ、それでも、まだ動いていると、無理やり座らされ、肩までもんでもらってすっかりリラックス状態に置かれました。そして、ここで、私は調子にのって食べ過ぎたことを後で後悔することになるのです。

From Robinson Flat to Forest Hill
    出発15分前、馬装の準備に取り掛かかるころCinelの心拍は48−50ぐらいにまで下がっていました。彼女はどんなチェックポイントにおいても旺盛な食欲を見せ、常に水を飲み、まだまだ大丈夫だよといってくれているようで、私は安心して先を進めることができました。疲れた馬は物を食べることもできず、水も飲めなくなります。この点、彼女にはその心配は全くなく、失権した後も見られませんでした。
    Robinson Flatをでてからしばらくはなだらかなくだりが続いていたにもかかわらず、私は極端に気持ちが悪くなっていました。確実にこれは食べすぎからだと気づいた私は最初水を飲んだら何とかなるかな思っていましたが、余計におなかが膨れ、さらに気分が悪くなりました。これは、吐くのも時間の問題だなと思い、Jenniにちょっと待ってもらい、馬の上から思いっきりさっき食べたもの吐き出しました。飲みすぎて吐くのも簡単だけど、食べすぎで吐くのもなんて簡単なんだろうと思ったのを覚えています。Jenniはびっくりしていたようですが、吐くのは大学時代、剣道部や、寮で鍛えていましたから、ちっとも抵抗がなく、以前無理でも指を使って吐いていたことを思うとなんでもありませんでした。吐いた後はすっきりとしてとたんに気分爽快になりました。やっぱりなんでも度が過ぎるとだめですね。
その後、スタートから45 mile地点Dusty Cornersに着いたとき私たちは総合9位にまで順位を伸ばしていました。もちろん、気づいてはいませんでしたけど。ここは、このTevisのコースでもっとも過酷な峡谷越えの前にある獣医検査で、馬もしっかり検査されていたように思います。でも、基本的にはGate & Go で私たちも問題なく通過しました。ここまでは、Jenniも私もまだ馬から下りて歩いたことはありませんでした。でもこの先、2つの大きな峡谷越えは急なくだりと、急なのぼりのために、くだりにおいては馬の脚への負担を少なくするために、のぼりにおいては馬そのものへの負担を少なくするために、走る、または歩くことに決めていました。一つ目二つ目、三つ目どの谷においても、私たちは下りは馬と一緒に走り下りました。これが、レース終了後私の太ももに多大なる筋肉痛をもたらしことは言うまでもありません。くだりは30分もかからないぐらいで駆け下りることができるのですが、のぼりは本当に大変でした。特に一つ目の谷はもっとも急で、馬の尾につかまる、いわゆるtailingをしながらでしたが、それはもう本当に大変でした。私は一応、このTevisに備え、テキサスの暑さの中を走りこんできていましたが、それよりもずっと苦しかったのを覚えています。中には馬に乗ったままの人もいるようですが、やはり馬の負担はかなり違うと思われます。二つ目は一つ目に比べ、距離は長いのですが、その分いくらか緩やかで、私にも余裕がありました。しかしながら、どちらも急なくだりを思いっきり走ってからのきゅうなのぼりですので、体にはこたえるらしく、人間においても水分補給は必須かと思われます。この水分補給はのどが渇いたと思ったときはもうすでに脱水状態にあるらしいとのこと。つまり、人も馬も定期的な水分補給がこの長い耐久レースを乗り切る重要な要素のようです。幸い私たちは、割と速いペースでレースを進めていたために、本当に暑い時間帯を避けてこの峡谷を通り抜けることができ、人も馬も体力の消耗はほかの人たちに比べて少なかったように思います。
2つ目と、3つ目の峡谷越えの間がちょうどスタートから63 mile地点のMichigan Bluffで、強制休止15分間を含める獣医チェックポイントが設けられていました。ここにつくと、多くのボランティアの人たちが拍手と友に私たちを迎えてくれました。というのも、ここまでたどり着くのは本当に大変なんです。今回のレースを通して、ここでの馬の回復が一番遅かったように思います。Cinelもクリア心拍数、64まで落ちるまでに約15分はかかりました。このことからも、この前の2つの峡谷越えが、馬にとっても大きな負担になっていたことがうかがえます。ただ、この待っている間も、彼女の食欲は一向に衰えず、私たちを安心させていました。そして、この地点での私たちの順位は6位にまでになっていたのです。ただ、先頭はもうすでに1時間も前にここを出たときかされていたので、この時点で自分たちの順位には全く興味を覚えませんでした。ここを無事に通過した私たちは、2回目のクルーポイントである、Follest Hill、69 mile地点まで最後の峡谷を越えるべく足を運んでいました。この3つ目の峡谷はこれまでの2つと違い標高差もそれほどなく距離も短いために、あまり深く考えずに走っていたのですが、くだりにさしかかるころから、よくすべる足場の悪いコースであることに気づき、馬のことを考え、もう一度下りて馬とともにあるくことにしました。そして、この最後の峡谷を登りきったところがFollest Hillでした。ここでは、今までになく、大きな歓声と、観客の拍手、カメラのフラッシュが私たちを包みました。

http://www.typef.com/tevis2002/pages/191.htm
エンデュランスという競技にこんなに多くの観客がいるのを私は今まで見たことがありません!普通の馬術競技以上に見所がないと思っていただけに、道路の両脇にびっしりといた人たちのおしみない拍手は、馬を本当に愛する人たちから送られているのだなと感じました。
一方、私たちは、スタートしてから12時間を要して、総合10位でForest Hillに入っていました。ここまで来ると、人も馬もかなり疲れているはず??しかしながら、ここでの彼女の回復はレース中最もよく、心拍もすでに48となり、その他の項目においてもほとんどAという結果で、彼女にとってこのペースは決して速すぎるものではないと確信し、レースを途中で棄権し、ここで待っていてくれたPeterに、今後の進め方を相談しました。彼は、念入りに心拍をチェックしながら、自分の興奮を抑えられないでいました。彼の馬はこれまでTop10にはいったことなく、今回は大きなチャンスだと静かに私たちに告げました。私自身もまさかこれほどの順位でレースを展開するとは思ってみなかったために、これは何とかなるかもしれないと、初めて順位というものを意識しだしました。これが今後最悪の事態を招くことも知らずにです。この段階で、Top10のボーダーラインに約4頭ほどの人馬がいると聞かされました。ただPeterはペースをあげる必要はない、このまま行けばいいとだけ指示し、今後のコースを細かく語りだしました。Jenniも私もTevisは初めてだったためにこの後のコースは当然全く知りません。おまけに日が暮れるまであと数時間。道は簡単だけど注意が必要でした。
そして、この時点でゴールできないなんて考えもせずに、私たちはForest Hillを後にしました。出発してからすぐに、Tevisの英雄Hal Hall氏らのグループに先を許しましたが、私たちはいいペースメーカーができたと感じ、彼らの後からついていくことにしました。後で思うと、これが結果的に、ペースを速め、Cinelの足に無理をかけたのではないかと思います。Hal Hallたちは、軽快な速歩で、進んでいきました。途中、獣医検査はなく、馬用の水も自然の湧き水がたまったようなところしかありませんでした。次のFrancisco'sまで17 mile。これは、このコース中で最も間隔のあいた区間で日が落ちたことも重なって、本当に遠く感じました。日が落ちてからは、コース途中にボーっと浮かび上がるフラッシュライトを目印に進みますが、それもところどころにしかなく、馬に頼っての走行でした。何度目かの小川で水を飲ましていると、いつの間にかHal Hallたちのグループは先に行ってしまい、私たちはまた2人馬となりましたが、ここで、これまで一緒にレースを走行していたJenniの馬Clancyが水を飲まなくなり、私たちは考えた結果、別れることにしました、つまり、私とCinelはこのまま先にすすみ、Jenniは馬の回復を待って後から来ることにしたのです。私たちは互いに自分たちののゴールを信じ、暗がりの中、月の光とライトだけを目印に進みました。Cinelは1頭になると、急に動きがとろくなり、明らかにClancyを探していました。私もこの道は馬と一緒だから進めるけれど、一人ではとても不気味でこれないなあなんて考えながら、無理をさせずゆっくり進んでいました。2人きりなって約30分、後から馬の足音が聞こえたとき、かなり安心したのを覚えています。なんせこの道があっているのか間違っているのかかなり自信がなかったんです。JenniとClancyが追いつき、私たちは再会を喜び、Francisco'sまでの道を進みました。暗がりの中から遠くにボーっと大きな光が見えてきたとき、やっとついた、まさにそんな感じでした。私たちはHal Hallたちから送れること30分、総合8位で、スタートから86 mile地点Francisco'sについたのでした。最後はかなりゆっくりと来たので馬の体調はよく、すぐに心拍は下がると思っていました。さらに、私はここでの失権理由となる跛行には全く気づいておらず、余裕をもって検査に望んでいました。無事に検査も終わり最後は歩様検査だけ。Cinelを引っ張って走ると、もう一度やってみてといわれます。??何のこと、と重いながらもう一度やると、今度は獣医の一人が、私がやるからといって馬を連れて行きました。まさか??いやな予感がしました。よくみてて。ほかの獣医が言いました。おかしい、右前をひきずってる??えっ、だって私は一度も乗っていて感じなかったんですよ!!Please, Please.わたしは2度ほど叫びました。・・・しかし、無情にも彼女の足は明らかに跛行していました。獣医が大勢集まってきて、I'm sorry.といっていました。私は急に力が抜けその場に座り込み、理解できませんでした。ああっ、終わったんだ、ようやく頭がその事実を認識したときは、現地で仮眠を取っていたときでした。

Cinelのここまでのがんばりに答えることもできず途中失権という最悪の結果。みんなに合わす顔がない!そう重いながらトレーラーでゴール地点であるAuburnにつき彼女の手当てをしているとき、Peterがやってきて何も言わずに私を抱きしめました。I'm sorry. 私はそれだけ言うのがやっとでした。
そのあとで、一緒だったJenniとClancyが総合8位でゴールしたことを告げられました。

Cinelごめん。どっかで石ふんだんだよね。私、気づいてやれずにごめん。最後はいつのまにか無理させてしまってたんだね。
そんな後悔が押し寄せてきたのですが、・・・あまりの眠さに顔中泥だらけのまま知らぬ間に眠っていました。
次の日、彼女の足はかなりよくなり、2日目にはほとんどわからなくなりました。Peterも、今回は運が悪かっただけ、ちょっとどっかで石のふみ具合が悪かったんだといっていました。仲間もそういってくれましたが、やはり完走できなかった悔しさはしばらく後を引きそうです。しかし、今回、初めてこのTevisに参加させてもらって、いい馬に出会えて、多くの人たちに出会えて、いい仲間ができて、多くのボランティアの優しさに触れて、本当に参加できてよかったなと思います。応援してくれた皆さん、こんな結果となりましたが、これは今後に向けて大きく役立ってくれると思います。本当にありがとうございました。
最後にCinelいい経験をさせてくれてありがとう。
                      
2002.7.25. 林加奈子