私的デジモンテーマ考2『共生』
共生。
異なる生物が互いを補い合うように生きている状態。
誤解を承知で言うならば生態系の最小構成単位。
生物が増え、食物連鎖ピラミッドが多層化してゆく中で、単純な縦の「食う・食われる」つながりではない縦横のつながり。
偶然か、必然か。姿も生き方も違うそれらは時に一個の生物であるかのように振舞う。
そして遂には一つの生き物になってしまうことさえある。
という訳で私的デジモンのテーマ『共生』です。
デジモンで共生というとチューモン&スカモンが思い浮かぶでしょうが私の考える共生は子供たちとパートナーデジモンなのです。
●『デジモンアドベンチャー』『同02』における共生
このテーマがもっとも顕著に描かれていたのはやはり『デジアド』の頃でしょうか。というのは、子供たちとデジモンは、互いの友情を抜きにしてもそれぞれの都合・目的の為に協力せざるを得ない状況に追い込まれていたのです。
・デジモンの都合
彼らの目的は『闇に抗う』こと。そのためには進化が、そして自分の進化を引き起こしてくれる子供が必要。
・子供たちの都合
彼らの目的は『生き延びる』こと。あまりに無力な彼らが異世界で生きるには味方となってくれるパートナーデジモンの強化が必要。
つまり彼らは互いの目的のために互いが必要であり、互いの都合が合致しているのであり、互いの傍らが生存に適した場所であるのです。
共生は相互補助の精神とか献身といった甘美なものではありません。意識・無意識のレベルを超えて、生きている目的の為に最善を尽くした姿です。
それは人間の倫理観、善悪の区別など超え、ただただ純粋な姿です。
●『デジモンテイマーズ』における共生
一方、テイマーとパートナーの間は共生関係で結ばれたものではありません。
子供たちもデジモンも、別に互いがいなくても生きていけるからです。むしろ両者の関係においてはデジモン側の方がメリットは大きいでしょう(各種カードでの支援による勝率アップ、住居と餌の確保など)。
唯一つ、マトリクスエボリューションは共生と言えるでしょう。
この時、テイマーは最も安全な場所の一つであるデジコアの中からエネルギー・思考を直接デジモンに送れます。一方デジモンもそれらと有機生物・人間の情報が自身のデータに組み込まれる事によって人間型の究極体に進化できるのです。
実はこれと同様の関係は我々の体の中にもあります。
我々の細胞の中にはミトコンドリアという器官があり、ここで酸素を使ったエネルギー生産を行っています。しかしこのミトコンドリア、もともとは独立した生物(細菌)でした(証拠として独自のDNAを持つ)。彼らは我々の細胞の中で生きる事で身を守る一方、我々の細胞は高効率のエネルギー回路を手に入れ、その結果毒性物質・酸素に満たされた地球上に広がっていったのです。
ただ、ミトコンドリアのDNAはその多くが我々の細胞のDNAに取り込まれており、共生と呼べないとする考えもあります。
●崩れた共生
共生関係にあるものは、立場の上下の無いGIVE&TAKEの関係です。これが崩れると利用する・されるの関係に変わってしまいます。
立場の上下があると『支配』、GIVEとTAKEのバランスが崩れると『寄生』となります。
・支配
デジモンカイザー、彼は支配する側の傲慢を前面に出したキャラクターでした。
イービルリングで手駒を増やし、労働力・戦力として領土を広げるその姿は、「○○モン、ゲットだぜ!」と言わんばかりでした(私が○ケモンが好きになれないのは正にこの点です。トレーナーのやっている事は本質的にデジモンカイザーのやっていることと変わりません)。
・寄生
一方寄生の例は非常に少なく、パラサイモン…と言いたいが、寄生対象の背後が生存に適した場所とも思えず(普通体内ですね)、また寄生する方法も単純に襲い掛かると荒っぽくあまり寄生生物には見えません。
命の底からの付き合い=共生。
子供たちとパートナーは、心と命でつながっている。
私はそう思い続けています。