アポカリモンの謎について

■アポカリモンの謎

はじめまして、可児歳蔵と申します。
以前からお邪魔しておりましたが、今回初の書き込みになります。
乱筆乱文敬語の乱れ、どうかご容赦ください。

えー、題名にもあるとおり、元祖ラスボスにして“至高の”アポカリモンについて、今回質問させていただきます。
アポカリモンの体を張った演説は自己満足げながら迫力あるものでしたが、その言葉を額面どおりに取れないことがあります。
既に過去ログで本部長様が指摘されている通り、

1、デジモンに“死”が存在しない以上、発生原因が不明確
2、絶滅種の集合体であるのに現存種の攻撃タイプを使用

この二点がまず挙げられます。私自身はそこに、『彼』が構築すべき新世界についての疑問も付け加えたいのですが、今は措きます。
このうち前者の方は、絶滅した種に対する集団意識が沈殿したものと私は考えていますが、後者について私はどうも納得がいきません。
本部長様の文章を私なりに解釈すると、アポカリモンまたはその根底にある機構とは、実現されなかった可能性の混沌である、ということになります。
しかし、それでは実現された可能性、つまり現存種とそれ以外の闇ははっきりと区別され、仮にも光の内にいたダークマスターズやヴァンデモンの情報をアポカリモンが保持しているとは考えにくいと思われます。
恥ずかしながら小説版未読なのでアポカリモンの真の姿について私が分かっていないこともあるのでしょうが、この疑問がどうしても解けません。
どなたでも、考察・意見など、よろしくお願いいたします。
 
 
 
■ 光と影がある 心にも世界にも

はじめまして、可児歳蔵様。
本部長と申します。
私などよりよほど丁寧かつ読ませる文章の様に思います。
今回は5年ほど前の拙文・過去ログ『アポカリモン』の筆者としてお返事させて頂きます。

>絶滅種の集合体であるのに現存種の攻撃タイプを使用

まずこの疑問について私の見解を。

『ムゲンドラモン・メタルシードラモン・ヴァンデモンはあの一個体しか実在しておらず、選ばれし子供たちに倒された時点で絶滅した絶滅種である』

あれらはいずれもアポカリモンが用意した特別な個体であり、現在のデジタルワールドの進化系譜には存在しないと思います。もしかしたら『彼』の力の一部になることもアポカリモンには想定内だったのかもしれませんね(ダークマスターズ+ヴァンデモンはアポカリモンを完成させる為のパーツでもあったのかもしれません。その場合、リーダーが道化師モチーフのピエモンであるのことが薄ら寒さと共に納得できますね)。
…もっともこの場合、プラグボムを使うナノモンも(アポカリモンの影響かどうかは別にしても)最後の一体だったことになりますね。

アポカリモンが用意したと考える論拠は2つ。
 
一つはヴァンデモンのデータを持っていた点。
ご存知の通りヴァンデモンは滅んでおらず、よってそのデータは初めからアポカリモンが持っていた=アポカリモンが用意したと考えた方が自然だと思います(今思えば一度死ぬことを進化条件とする究極体の素体、即ちダークマスターズや『彼』が敗れた際の保険として用意されていたのがヴァンデモンかもしれませんね。人が転じた吸血鬼というモチーフは最初から人間の肉体と親和性を高める為=人間を利用して更なる力を得る為だったのかもしれません。彼が現実世界侵攻担当だったのもそういった側面があったのかもしれませんね。無論本人は気付いていないでしょうが)。
もう一つはムゲンドラモン・メタルシードラモンは究極体であるという点。
究極体は過去のデジタルワールドには例外的なものを除いて存在していなかったと考えられるからです(過去ログ『究極体という怪物』参照)。
 
 
>アポカリモンまたはその根底にある機構とは、実現されなかった可能性の混沌である、ということになります

…これは私の拙文が引き起こした混乱ですね。
アポカリモンの根底は実現されなかった可能性でも混沌でもありません。
そもそも私はアポカリモンの本質について触れていないつもりですから。
 
 
拙文の構成は

アポカリモンの演説には二つの疑問点があり、その出自を鵜呑みに出来ない

アポカリモンは絶滅種の怨念・情報の集合(=便宜上『彼』)だけではない

『彼』の根底に潜むアポカリモンの本質は…伏せておく(ここでは語らない)

『彼』は無数の絶滅種であり、今の世界とは違う生物相・生態系の可能性

無数の世界が混在する世界も選ばれなかった可能性も混沌としており、『黒』く、『闇』に近い

故に、絶滅種=別の可能性の塊である『彼』は『闇』に属し、『光』を憎む

としたつもりです。
混乱させてしまい、申し訳ありません。
 
 
> それでは実現された可能性、つまり現存種とそれ以外の闇ははっきりと区別され

私はそうは思いません。
絶滅種とは一度は実現し、そして再び闇に沈んだ可能性です。つまり

実現された可能性=現存種(含む新種)+絶滅種

そもそも実現しなければ絶滅のしようがない。実現していなければどんな可能性も可能性に過ぎず、現実には何の力も持たないのですから(確率論的な並行世界はおいといて。それを持ち出すと怨念の存在そのものが疑わしくなってきます(滅びなかった世界があるわけですから))。
もっと言えば可能性は常に選択される側であって受動的であり、故に何かに抗ったり対立したりはしません。『決定と対立する可能性』という表現は『存在そのものが無』などといったゲームやライトノベルなどで時折目にするおかしな日本語といえます。
 
 
> 『光』と『闇』と『影』

少し本題からそれましたね。
言い換えれば、絶滅種とは『光』と『闇』の接点にて発生する新種と共に『揺らぎ』の住人です。
『光』と『闇』の境界は不明確・不安定ではっきりと区別されません…というより、出来ないのではないでしょうか。

この一度は実現し、そして再び闇に沈んだ可能性は『影』とでも呼称できそうですね。
選ばれたが故に、この世に現れたが故に、本来受動的である『闇』を能動的な力とする負の感情に基くものたちは。

これも可児歳蔵様の指摘のおかげです。ありがとうございます。
 
 
> アポカリモンの真の姿

過去ログの拙文『究極体という怪物』を参照して下さい。
 
 
>私自身はそこに、『彼』が構築すべき新世界についての疑問も付け加えたいのですが

新スレ、楽しみにしていますね。

それでは失礼します。
本部長でした。
 
 
 
■これからも、ずっと光と闇は闘い続けるだろう

リューガ様、本部長様、お返事ありがとうございます。
リューガ様はかなり基本事項を押さえて回答を下さったようですので、本部長様のお返事の細かいところをまた質問したいと思います。
 
 
>『ムゲンドラモン・メタルシードラモン・ヴァンデモンはあの一個体しか実在しておらず、選ばれし子供たちに倒された時点で絶滅した絶滅種である』
> あれらはいずれもアポカリモンが用意した特別な個体であり、現在のデジタルワールドの進化系譜には存在しない

つまり彼らは各々が、生まれた時から「ザ・ラスト・ワン」であった、と考えてよろしいでしょうか。
この説の論拠として本部長様はまた二点を挙げられていますが、このうちムゲンドラモン&メタルシードラモンが究極体、イレギュラーな存在であるからと言う点は全面的に同意せざるを得ません(したくない、と言う意味ではないです)。
基本的に暗黒の力や聖なる力(デジヴァイス)を使ってしか究極体は出現していませんし、それにしても選ばれし子供のパートナーデジモンは一線交えた後すぐに幼年期に戻り、メタルエテモンは完全体のズドモンに倒されるほど不安定でしたし。
それに比べ、ヴァンデモンのデータをアポカリモンが持っていたからという点には、いささか疑問があります。
もはや絶滅したデジモンをデジタルワールドに甦らせることによって、敵役としてのヴァンデモンが誕生したのなら、ファイル島におけるデビモンもそうであることになります(確か、デビモンの攻撃タイプで子供達のタグを奪ったと思ったのですが。間違っていたらここから後は読まずにご指摘下さい)。
ファイル島が世界の原型、デジタルワールドにおいて枢要な位置を閉めている事はアポカリモンも知っているはずです。そのファイル島に、しかも黒い歯車の発信と言う重要な任のために、現地採用でもないのに高々成熟期のデジモンを送り込むでしょうか?

ちなみに、私個人としては大塚アポカリモン(『彼』)は種ではなく個体レベルの怨念と情報の集合体なのではと考えるようになりました。ダークマスターズの四体が究極体に進化したのは、暗黒の力の影響ではないでしょうか。
プラスとマイナスを足すと相殺し、マイナスとマイナスを足すとより大きなマイナスになるように。

文章の読み間違い、申し訳ありませんでした。
それに、どうも私はアポカリモンの一部となったデジモンと現存しているデジモンの分岐点について、一段深いところで考えていたようです。
 
 
>実現された可能性=現存種(含む新種)+絶滅種

絶滅種と現存種の違いは、実現し現存する種と実現し絶滅した種の違いということですが、私は実現しなかった可能性と実現した可能性のみでくくってしまっていました。
失礼しました。
となれば当然、闇と光の位置づけも前回から修正せねばなりません。この場合の光と闇ならば、確かに薄明の世界をさまよう存在もまたあるでしょう。
 
 
>新スレ、楽しみにしていますね

今ここで質問して、皆さんにお話を聞きたいと思います。

アポカリモン、少なくとも『彼』は、デジモンワールドを彼らの支配下に置き、自分達の居場所を確立すると叫んでいました。
リューガ様はアポカリモンの正体が「非進化と言う概念」とおっしゃっていました(過去ログ「究極体と言う怪物」にも)が、そのアポカリモンが支配するデジタルワールドとは、つまりデジモンの形態変化が起こらない、絶対的に安定した世界と言う事になりはしませんでしょうか。
確かにそれは、彼らが体験した絶滅と言う悲劇が起こらない、天国のような場所ではあるでしょう。しかし、そのデジタルワールドでは当然、現存種も同時に存在する事になります。
それは「居場所の確立」にとどまり、「我々が支配」というレベルにまではとても達しないのではないでしょうか。
いうなれば、彼らは光の当たる範囲を影の域にまで拡大し、その状態で固定化しようと考えただけで、世界を闇の支配下に置くまでには至っていないのでは、と考えてしまうのです。
 
 
 
■ 世界の中心で哀を叫んだケモノ

随分時間がかかってしまいました、本部長です。
可児様の御指摘で自分の見落としの多さを痛感しました。
小説を読み返したりDVDを見返したりしながら5年前何を考えてあの拙文を書いたのか、思い出しまた新たに考えを練りつつ、御質問に答えようと思います。
 
 
>つまり彼らは各々が、生まれた時から「ザ・ラスト・ワン」であった、と考えてよろしいでしょうか。

はい、私はそう考えています。
 
 
> もはや絶滅したデジモンをデジタルワールドに甦らせることによって、敵役としてのヴァンデモンが誕生したのなら

私としては究極体であるムゲンドラモン等と同類=過去に存在していない新種というつもりですが、可児様が仰るようにヴァンデモン等は過去に存在していた絶滅種かもしれませんね。
私には現時点ではっきりと断言できません。
 
 
> デビモンの攻撃タイプで子供達のタグを奪ったと思ったのですが

確かにデビモンのデスクロウで子供たちの紋章を奪っていますね。これは私も失念していました。
ですから以下はデビモンもまたヴァンデモン同様アポカリモンが用意したものとし、その上で可児様の御質問に答えようと思います。
 
 
> ファイル島の重要性とその認識

重要な任のために、現地採用でもないのに高々成熟期のデジモンを送り込むでしょうか?

ファイル島は確かに世界の原型であり、しかも唯一はじまりの街が存在するデジタルワールドの枢要です。
ただアポカリモンはそのことを知っていたがダーク・マスターズは知らなかっただけではないでしょうか。
実際にデジタルワールドの支配に乗り出したのはダーク・マスターズであり、彼らはアポカリモンの部下でも『彼』の部下でもないのですから。
そしてダーク・マスターズは辺境の小島に過ぎないファイル島の黒い歯車設置は成熟期のデビモンで充分と判断し、アポカリモンも『彼』も、ダーク・マスターズがデジタルワールドを支配してくれればそれで良かったのです。

最終回の描写と説明から、ファイル島は森・山・砂漠・氷河といった世界の地形の原型であり、そのデータを拡張発展させたものがサーバ大陸(小説では他にも大陸があるようですが)各地の地形のようです。
つまりファイル島にあるものは全て大陸にもあるのです。仮に世界が更に広がっていく場合(デジタルワールドの三次元空間的な大きさはコンピュータネットワークの到達範囲に等しいらしいので、実質地球とほぼ同サイズであり、現時点でほぼ完成していると言えそうです。この状況は人類が宇宙進出を果たすまで変わらないでしょう)、現在の大陸が雛形になって新しい大地が生まれるでしょう。
またファイル島自体、近年まで長く氷河に閉ざされていたようです(パートナーデジモン達が氷雪や緑を背景に子供たちを待ち続けるシーンがありましたね)。もともとは世界で最初のデジモンの生息地だったのでしょうが、他の大陸が生まれデジモンの生息地が広がったことでファイル島は世界の原型としての役割を終えていたようですね。そして世界に先駆け、氷河期という期間をも作り出していたのかもしれません。当然、ダイノ古代境の遺跡などは氷河期以前に作られたものでしょうね。

一方、デジタマを生み出すはじまりの街の所在地としては、変わらずファイル島は重要地です。
しかも世界で唯一=全てのデジモンの誕生の地なのですから正しく聖地といってよいでしょう。
ですが、本当に全てのデジモンははじまりの街で生まれたのでしょうか。
劇中ではデジモンの繁殖といったシーンは描かれず、小説でも

「この島のデジモンはみんなこの街で生まれるんだ」(小説デジモンアドベンチャー1/P120)

とエレキモンが語っていますし、ファイル島のデジモンと他の大陸のデジモンが別系統の生物でない限り、『デジモンアドベンチャー』という作品においては個々のデジモンに自然繁殖能力は無いようです。
ではサーバ大陸のデジモン達は幼年期や成長期のものも全て(選ばれし子供たちの様に)大洋を渡ったのでしょうか。ファイル島が氷河に覆われ、始まりの街が凍てついていた間はデジモンは全く生まれなかったのでしょうか。

「この卵はだれが産むの? 大きなデジモン?」

「いや、気がついたらいつの間にかあるんだ。デジタマはそういうものなんだ」

(小説デジモンアドベンチャー1/P121)

私は何らかの方法でデジタマは別の大陸へと送り出されるのではないかと考えています。
氷河に閉ざされていた事実を考えると表面の街で育成するのではなく、デジタマの段階で世界中に転送されているのではないかと思えますね。事実、最終回では大量のデジタマが空から振ってきています(!)し。
はじまりの街の目に見える部分、あのファンシーな街は表面に過ぎず、その機能の大部分は見えないところにあると考えています。
つまりはじまりの街には
 
 
1. デジタマをデータから新規に、あるいは死んだデジモンから作り出す
 
2.デジタマを表面の街や他の生存圏に転送する

3.デジタマを表面の街で保護する
 
 
という機能があるのではないか、と思います。
この内氷河に覆われていた間は@とAの機能だけが働き続けていたのではないでしょうか。
いずれにせよ他の大陸のデジモン達は生まれた時から自身で生きていかざるを得ず、それが「同じ種族でも大陸のデジモンはファイル島のものよりも強い」ことの一因ではないでしょうか(集落や村などもあるようですから、転送される座標がある程度固定されている地域もあるのでしょうね)。

こう考えると、デジモンにとってデジタマは「気がついたらいつの間にかある」または「空から降ってくる」もの。
そしてファイル島という狭い地域に生きるものたちは経験的に死んだデジモンが新生している事を知るでしょうが(死んだ顔見知りが昔の姿で生きているのを見た+全てのデジモンははじまりの街で生まれる=死んだものもはじまりの街で再生している、とか)、他の大陸のデジモン達は知るべくもありません。
ダーク・マスターズも含めファイル島以外のデジモン達は(存在を知っていたとしても)はじまりの街が重要なものとは思っていないのではないでしょうか? せいぜいファイル島における「デジタマが出現する場所」程度の認識なのではないでしょうか。

世界の原型という「だけ」で、デジタマが保護育成される街がある為どのデジモンも弱々しい島。

現在のファイル島は世界の中心ではありません。古びたちっぽけな辺境なのです。
であればこそ、コロモンたちパートナーデジモンとデジヴァイス、そしてタグはダーク・マスターズに発見されることなく子供たちを待つことが出来たわけです。
寧ろ

辺境の地ファイル島にまで、手下の一人デビモンを遣わした。
(小説デジモンアドベンチャー3/P324)

という様に手を出していることの方が異常という扱いです。
デビモンが倒れた後は、子供たちが島を離れた間にダーク・マスターズ配下の誰かが黒い歯車の再設置を行ったか、デビモンは生前与えられた仕事を完遂していたかでしょうね。スパイラル・マウンテン構築にはどんな辺境でも欠くべからざるパーツでしょうから。

(略)ナノモンはダーク・マスターズから、あるプログラムの開発を命じられた。
 それはデジタルワールドのすべての情報を、ダーク・マスターズがそれぞれつかさどる都市・森・海・闇の属性に分別し、それぞれのエリアに再構築させる、というものであった。
 エリアを帯状にして四重螺旋に編むという形状は、デジモン黙示録に出てくる「螺旋の山」を参考にしたモデルだが、そうすることによって生まれる安定性は、ナノモンにとっても理に適うものだった。

(小説デジモンアドベンチャー3/P104〜5)

ダーク・マスターズは最後まで自覚していなかったと思われるが彼らの計画は、はじまりの街の機能を破壊することになる。
(小説デジモンアドベンチャー3/P232)

『彼』もアポカリモンも、ダーク・マスターズがスパイラル・マウンテンを建設すればそれでよかったのです。その一環であるファイル島への黒い歯車設置は誰がやっても良かった。ただスパイラル・マウンテン構築の過程ではじまりの街の機能を破壊してくれればそれで良かったのです。
はじまりの街が機能しなくなれば現存種のデジモンは減る一方=必ず絶滅するのですから。
 
 
 
>『彼』の目指す世界

>私個人としては大塚アポカリモン(『彼』)は種ではなく個体レベルの怨念と情報の集合体なのではと考えるようになりました

『彼』が個体レベルの怨念と情報の集合ということは、私も同感です。
ただ個体レベルの情報には自ずと種の情報が付随すると私は考えます。

戦い敗れたデジモンの無念とその個体に行き着くまでの過程=種族という「くくり」の共有意識(個体は転生しても種族は蘇らない)に記憶される膨大な進化の系譜からできているのは間違いないようです。
(過去ログ『アポカリモン』より)

分かりにくい拙文を少し補足しますと、まず死んで無念と思うのは当然個体です。
ですが、その個体の想念は種と切り離して考えられません。私たち人間には人間の肉体の持つ諸機能を通してでしか世界を認識できませんし、もしも肉体が変われば、いや感覚が一つでも変われば世界の捉え方も変わるでしょう(この辺りは肉体的な個人差はもちろん生活経験により形成される主観や更にその時その時の精神状態による差異も大きく、一人一人の認識している世界は同一の個人においてもその時々で違うものであると言えるのですが)。動物霊とかはその好例ですね(笑)。
デジモンの場合、進化する毎に肉体が一新されてしまいます。
パートナーデジモンは進化すると口調がガラリと変わりますが、これには肉体の影響が多分にあると思います。つまり種の肉体的機能に基く基本的な気質や種の共有意識など(要するにデジモン百科や解説シーンなどで語られるそのデジモン固有の設定の性格の部分ですね)があり、それに個体としての記憶に基く行動主体が引き継がれているような状態が個体の性格ではないかと思うのです。適当な例が少ないのですが(複数の同一進化段階に進化するケースって少ないので)、例えば同じホークモンからアーマー進化するホルスモンとシュリモンはかなり性格が違うと思いますし、メタルグレイモンとスカルグレイモンなど比べるべくもないでしょう。
よって個体レベルの怨念には知能等の関係で自覚していないであろうにしても、最低「我は○○モン」という情報は付随すると思います。その個体に関する情報がどの程度残るかは記憶その他の影響もあるでしょうが。

さて、『彼』はそうした怨念の集合体です。
その自意識は「我は○○モンであり○○モンであり…○○モンである」という状態が、「死んだ≒殺された」という共通の思いを共有する形で一つの人格として安定しているのではないか、と思います。
『彼』は自分の記憶と自意識から「○○モンを見た記憶が少なくなった、○○モンだった記憶が少なくなった=○○モンに進化する個体が少なくなった」と個体数が減少してゆく種(神ならぬものは何を持って絶滅したか、という問いに見つからなくなったから、としか答えられないと思います…)を見出すのではないでしょうか。そしてそれらの種もまた「死んだ≒殺された」と認識してしまう。個としては再生するものの○○モンという特定の種が滅んでしまっては、「○○モンの我」は決して再生しない=この世界に居場所はない。
個としてだけでなく種としてまで二重に否定されてしまった『彼』は、こうして世界に否定された被害者であるという主張と絶滅種の世界を勝ち取るという大義名分とを振りかざすのではないでしょうか。
 
 
自分たちの居場所を確保するという目的の為はじまりの街を破壊するという手段をとった『彼』。
「邪魔するものには全て消えてもらう」といった『彼』。
新しく生まれるものがいなくなれば、絶滅するものもいなくなる。
自分たちを押しのけた、自分たちが生きるのを邪魔したものは全て消す。
「光あるところに呪いあれ!」と叫んだ『彼』が支配する世界とは、全ての命が滅んだ世界。
全て絶滅すれば、『彼』の中で一つに、等しくなるのですから。

「ならば我々の元に来たれ! そこで共に生きよう! 我々の内で!」
(小説デジモンアドベンチャー3/P212)

可児様の言葉を借りるなら「光の当たる範囲にまで影の域を拡大し、その状態で固定化しよう」としたのです。
この「死は平等」を拡大解釈した状態の固定化はしかし永続はしないと思います。
『彼』は自分の中に生前の自分を殺した=加害者をも内包していおり、その矛盾と怨念の矛先を向けるべき相手にやがて気付くでしょう。

それは自分達を生んだ世界そのもの。

そもそも別々に生まれて来なければ、被害者と加害者、選ばれるものと選ばれないものに分かれることもなかった。
生があるから死があるなら、そもそも生まれなければ良かった。
彼我があること、相対的であること自体が間違いだ。
相対的な世界に在りながら絶対的存在になった相対的認識(この場合生:死)に基く怨念は、最終的に世界と自分を相対的関係に捉え、それすらも否定しようとするでしょう。

本来人格をもたないアポカリモンは、自身の行動原理に即した人格として死んだ=否定されたデジモン達の怨念を集め、子供たちと現存種、そしてデジタルワールドを否定しました。
(過去ログ『アポカリモン』より)

最終的に、必ずグランデスビッグバンで世界を上書き≒リセットするに決まっています。
結局、『彼』は『非進化』が支配する世界を作るための道具に過ぎないのですから。

以上はあくまで私が想像する大塚アポカリモンの内面とその未来ですが、起こったことを起きなかったことにしようとするある種究極の後ろ向き思考であり、過去ばかり向いているものですからまったく未来がない。
そもそも被害者であり加害者でもあるのだから結局一人相撲と非常に悪質です。
絶対に至る相対=彼我の超越を我の消滅をもって行えばよいのですが、それが出来ないから怨念として残っているわけだし(それって悟りを開いて成仏するってことですからねえ)。
これも究極=終焉の一例ですね。

なお、どういう訳か最近のフィクションではこういった『全てを一つに』な主張を振りかざす悪をよく見かけます。
大山様はそういった思想を『暗黒思想』と呼称しましたが、実に適切なこの言い方が気に入りまして私も良く使っています(笑)。
 
 
それでは失礼します。
本部長でした。