無限大の…

第11話 BGM:Butter-Fly(Acorstic)

 右か、左か。
 オレはそう言われて、迷わず右を選んだんだ。
 なにを捨てることになっても、かまわなかった。
 オレ、自分で言うのもなんだけど、けっこうさびしがりやみたいでさ。ううん、こないだまでは忘れてた。
 けど、大輔と別れて、一人になったら、なんていうのかなあ……なにか足りないような気持ちになっちゃってさ。
 大輔に会う前はずっと眠ってたらしくて、おぼえてないから、そのせいもあるかな。
 で、時間がたてばたつほど、どんどんそれが強くなって。
 まわりの仲間はいろいろ気にかけてくれたけど、どうしても消えなかったんだ。
 大輔に会いたい、っていう気持ちが。
 だけどオレ、大輔の気持ちとか、ぜんぜん考えてなかったんだ。
 それに、会ってから気づいたけど、用もないのにオレが『こっち』にいても、しかたがないんだよね。
 オレ、ケンカしか能がないもん。
 なんでこう考えなしなのかなあ…。
 それにさ………。
 捨てたものは、消えるわけじゃないんだよね。
 ただ、ゴミ箱に入れられただけで、ちゃんと残っていたんだ。
 だから、また…。
 また、拾ってあげないと。




 ブイモンの足が、ゆっくりと踏み出された。
 場がきゅうにしんと静まりかえり、シャクシャクという草をふむ音が、やけに高くひびく。あの化け物までが、いっとき戦意を失ったように、大輔の横で立ちつくしていた。
 そのひざに、ブイモンはやさしく触れる。

「………ごめんな」

 小さなくちびるから、大輔には理解不能な言葉が流れてきた。
 ブイモンはさらに続ける。

「……オレ……お前のこと、捨てちまったんだな」

「………!」

 化け物の目の紅が、濃くなった。

「あの時……」

 かすれた声で、ブイモンは語りだす。

「オレ、大輔に会うことしか頭になかった。だからアルトロモンに言われた時も、迷わなかった」

 またわからないことばが出てきた。大輔の頭は混乱しっぱなしである。

「でも、迷うべきだったんだ。それがどういう結果を呼ぶのか、もっと考えるべきだったんだよ。オレが捨てたものが、どこへ行くのか」

 捨てた? ブイモンがなにを捨てたというのだろう?

 うつむき気味の顔が、上げられた。
 ブイモンの顔は、痛そうだった。とても痛そうだった。
 傷のせいだけではない。心の苦しさと、悲しみと、すまなさが同居したかのような、なんともいえない表情だった。
 どうしてこんな表情をするのだろう?
 それも自分にならともかく、さっきまで殺しあいをしていた、この化け物に。
 だが、大きな紅い瞳と、傷ついたひたい、血にぬれた髪とくちびるは痛々しいはずなのに、満月のもとで、おどろくほどの美しさをみせていた。こんな状況だというのに、大輔は思わず我をわすれ、いっとき見入ってしまった。ほんとうに美しかった。
 こんなに美しい生き物が、この世にいたのかと思われるほど。

「……もどろう? な?」

 子供に言い聞かせるような口調。ブイモンは両手を化け物にふれ、おなじことをもう一度言った。

「オレたちは……ううん」

 瞳が、悲しげに細まる。

「『オレ』は……今ここに、いちゃいけなかったんだよ」

『……必要ナイノハ、オマエノホウダ』

 力なく、化け物が答えた。せいいっぱいの抗議がこめられている声だった。

『オレハオマエヨリ強イ……。オレニハモウ、オマエハ必要ナイ………』

「……ああ、そうだな」

 あろうことか、ブイモンは化け物を前に、くすりと笑ってみせたのだ。

「……けど、オレにはやっぱり、必要なんだ。おまえが……オレの、力が」

『……オレノ……』

 消えかけた化け物の声が次のしゅんかん、力を取り戻した。

『必要ナイ! 必要ナイ! 必要ない! オレはおまえなど必要としていない! オレには力だけがあればいい!』

 どういうわけか、一言しゃべるたびごとに、その声が人間に近くなってゆく。太い腕がまた振り上げられるが、中途で止まる。
 はっと大輔が気づいたときには、ふたりの周囲にきみょうな変化が起こりはじめていた。
 はじめはホタルなのかと思った。ひとつ、ふたつ、みっつ、いつのまにか無数に、光の粒がまい上がり、二体のデジモンをつつみこんでゆく。光は青になったり、赤になったり、緑になったり、ありとあらゆる色どりではじけては消えた。ただむらさき色にだけは、ならなかった気がする。

「…もう、おそいよ」

 神々しささえ感じさせる笑みをみせながら、ブイモンはそれだけ言って、光にのみこまれていった。

「あ……」

 大輔は知らないうちに、立ち上がっていた。
 何がどうなっているのかさっぱりだったが、ブイモンの身になにかが起きたことだけはわかる。かけよろうとしたしゅんかん、急に光が収縮した。目の前のふたりの体積がそっくりそのままぎゅっと圧縮されたような、すさまじい光がだしぬけにさしこんできて、あわてて目をかばう。
 林道が、まるで真昼のような明るい光に照らしだされてゆく。




 その光は、外の人間の目にもとどいた。

「……あれは!」

 目ざとくそれを見つけ、思わず手元のデバイスと見くらべたのは、光子郎ら四人である。

「急ぎましょう!」

 伊織にうながされ、一行は数百メートル先の公園に向け、走り出した。
 光子郎の胸中は不謹慎だと百も承知で、好奇心がうずまいていたにちがいない。




 やがて、大輔の視界がすうっと暗くなった。
 そろそろと、手をどける。
 目の前の空中に、だ円形の物体がにぶく光りながら、静かに浮かんでいるのが見えた。じっと止まってはおらず、びみょうに上下へゆれている。
 まるで…そう、卵のようだ。

「ブ……ブイモン……?」

 ブイモンの姿も、あの化け物の姿もない。
 ぼう然とする眼前に、光の卵がふわふわと降りてきた。

「あ……」

 知らず、手がのびる。触れたらどうなるかなど、考えることさえ忘れていた。もどかしいような時間のあと、ようやく指先がふれる。思ったよりやわらかく、熱くもない。
 気づいたとき、大輔はそっと、その卵をなでていた。
 と……。
 ぽんっ
 軽い音を立てて、卵が割れた。
 いや、卵かどうかはわからないから、分解されて粒子になって消えた、と表現したほうが正しいだろう。
 そして。
 大輔は尻もちをついた。急に重いものが、腕のなかに落ちてきたからだ。今ごろになって、足をおかしくしていたのだと思い出す。同時に、ずきずきと痛みだした。
 だがそれさえも、いまは頭のすみに追いやられてしまっている。もし両手がふさがっていなかったら、目をごしごしこすったり、ほっぺたをつねったりしてみたことだろう。
 それよりも前に、かれは叫んでいたのだが。

「……ブイモン! …おまえ……」

 大輔の腕のなかで丸くなっていたもの。それはたしかに、ブイモンだった。
 大きな目。鼻先の小さなツノ。小さいキバの生えた口。ピッシリとしたシッポ。小さいけれどがんじょうな手足には、いずれにも大きなツメがある。
 空のようにまっ青な体は、少しは虫類に似ていたが、抱き上げるととても手ざわりがよく、あたたかかった。
 それは、大輔が一番よく知っている姿だった。ブイモンの、本来の姿だった。

「……おまえ……もとに、もどったのか……」

 できるだけそっと、地面に下ろす。すると、ブイモンの目が弱々しくひらいた。

「……おっす」

 蚊のなくような声で、その口が大輔に語りかけてくる。

「……よう」

 大輔も、あいさつを返した。
 しばしの間、時が止まった。
 めちゃめちゃになった林の植物たちが、やっと息を殺すのをやめ、安心したように、風とたわむれはじめた。

 …………………。

「…………あいつは?」

 はじめに、大輔が口をひらいた。

「……ここにいるよ」

「……どういうことだ?」

 力なく、ブイモンは自分の胸に手をやる。

「…あいつは…オレだったんだ」

「……え?」

 話が見えてこない。困惑を読みとったかのように、ブイモンは言葉をついだ。

「…オレ、大輔にだまってたことがあるんだ。どうやって…こっちに来たか」

「…………」

「オレ、大輔に会いたいと思って、チンロンモンやゲンナイさんに話したんだけど…ダメだって、言われてさ。それでもこっちに来たくて……探したんだ。ゲートを」

「で…でも、もうデジタルゲートは……」

 そうなのだ。『あちら』側にあるゲートは、すべて封印されたと聞いている。『こちら』と積極的に交渉をするのは、時期尚早との『管理者』たちの判断だ。

「あったんだよ。すごく古いのが。オレ、ぐうぜん見つけて……それを通って、こっちに来たんだ」

「おい、それって……」

「…聞いて」
 大輔を制し、ブイモンは続ける。

「そこにいた番人のデジモンが、オレに言ったんだ。右か左か、選べって……」

「右か……左か……?」

「右のゲートと左のゲート…。ふたつ、あったんだ。右に行くなら力を、左に行くなら、心を捨てないといけない、そう書いてあった。そして、オレは……右に行った」

「……じゃあ、おまえの姿が変わったのは……」

「…うん。いま思えば、そのせいだろうね」

 つまり、ブイモンは右のゲートを通って、力を捨てたということになる。だから、進化することもできなくなっていたのだ。大輔と会ったとたんに力をさらに失ったのは、目的を果たしたので、そのための力さえいらなくなったからなのだろう。
 だが、捨てた力はどこへ行ったのだろう。捨てる…。力を捨てる。オレにはオマエが必要で、オレには力があればいい、誰かがそう言って…。
 まさか。

「…うん」

 まるで気持ちを読んだかのように、ブイモンはうなずいた。

「あいつが……オレの力だったんだ。心のない、ただ大輔の障害になるものを取りのぞくことしか考えられない、オレが捨てたオレの力のデータの、かたまり……」

「じゃあ……」

 おたがいの正体に気づき、おたがいが接触したことで、ふたたびひとつに戻った。

「そういう…ことなのか」

「………ああ。………ごめん、大輔」

「…ばか」

 いきなり大輔の胸に、せきを切るような感情がよみがえってきた。

「なんで……おまえが、あやまるんだ。オレは…オレのほうだよ、オレがあやまらなきゃいけなかったんだ…っ」

「……どうして?」

「どうしてって……」

 言いかけて、大輔は絶句した。
 ブイモンの瞳が、自分を見つめる視線が、あまりにも見なれたものだったからだ。
 なにも変わっていない。まるで、本当に何事もなかったかのように。なぜだろう。なぜこんな目ができるのだろう。

「だって、おまえ……いなくなったじゃないか!」

「…オレがいても大輔、つらいばっかりみたいだったし。しょうがないよ」

「しょうがなくねえだろ!」

「……でも、よかった」

「は?」

 ふいに言われて、大輔の眉が下がる。

「いろいろフクザツだったけど、なんとか大輔を…守れたから」

「………!」

「…ちょっとは役に立ったろ?」

「…ば…かやろう……」

 大輔は今こそ、思い知らされていた。
 自分のことを一番知っていたのが、目の前のこの小さな青い竜だということを。
 そんな大事なことを忘れさせたのは、ただ自分の思いこみ、いじけに他ならない。あげくイライラにまかせて、いったい何をした? あのまっすぐな瞳に、自分はおびえていたのではなかったか?
 おびえる必要など、どこにもないというのに。
 くだらない。あまりにもくだらない。
 くだらなさすぎて涙が出てくる。
 大輔は思わず、ブイモンを抱きしめていた。長く、ゆっくりと、やさしく。

「……泣いてるの? 大輔?」

 気のぬけた声で、ブイモンが訊いてくる。
 ふるえる肩の下で、おえつのようなうめき声を、大輔はあげていた。
 泣いていいと思った。泣いて泣いて泣きじゃくって、心の中にたまった黒いものを、すべてはき出してしまいたかった。なんてバカだったのだろうと。
 まだ力の入らないブイモンの手が、大輔の背中にふれた。

 と…。

 かっ!

 持ったままだったデジヴァイスが、いきなり光をはなちだした。おどろく二人の間を引きさくように、ビームのような光が一直線、空へのびてゆく。

 ずずずずず

 腹の底にひびくような音がしはじめた。空がゆがむ。真円の月がほんのわずか、だ円になったような気がして、次のしゅんかん、ちょうどデジヴァイスの光が吸いこまれたあたりにぽつんと光点があらわれた。と見るまに、どんどん広がってゆく。空全体に巨大な輪があらわれたかのようだ。
 輪はあるていどの広さで止まり、中心からぱちり、ぱちりと放電のような輝きが見えて、今度は輪の内側に光が広がりはじめた。こちらは同心円をえがいている。はじにゆくほど黄色く、中心にむかうほど白く見えた。

「…あれは…!」

 ふと大輔は、両腕に突っぱりを感じた。見ると、

「……デジタルゲート……」

 つぶやくブイモンの体が、少しずつ、確実に浮きあがりはじめている。まるで、あの光に吸いよせられているかのようだ。力を入れて押さえようとしても、ききめがない。
 おかしなことは、これほどの引力で引っぱられているというのに、ブイモン以外のものが一ミリも浮いていないのだ。まるで、ブイモンだけを選んでいるかのように。

「……帰らなきゃ、いけないみたいだ…」

 どんどん浮き上がるブイモンの体は、いまや大輔の頭の高さを越えようとしている。

「ちょ…ちょっとまてよ!」

 大輔は必死で抵抗をこころみていた。ブイモンの腕だけではあきたらず胴体をかかえ、押さえつけようとしたが、なんの効果もない。すべて徒労だった。

「もう…もう帰っちまうのかよ! なあ! オレ、まだなんにも言ってないぞ! まだ全然話したりないぞ! 帰るな! 帰るなよ!」

 ろくに話をしなかったのは他でもない、自分なのだが。

「ちくしょう! 止まれ! こいつ! 止まれ!」

 力まかせに、デジヴァイスをぶん回す。なぜか磁石のようにはりついて、手からはずれない。
 ゲートが閉じないかと空を見やってみるが、無情にもいっこうに消える気配がない。ブイモンを吸いこみ、『あちら』に戻すまでは、てこでも消えそうになかった。

「…なんでだよ」

 もう、かれは涙を止めようとはしていなかった。泣いていることさえ気づいていなかった。手が、どんどんはずれてゆく。やっともとに戻ったのに。やっと本当の意味で、話ができると思ったのに。手が、どんどんはずれてゆく。

「大輔」

 ふいに、自分の名を呼ばれた。


 ふりあおぐ。



 ブイモンは、笑っていた。


「……ブイ…」



「また、会おうな!」



 手が、はずれた。



 ブイモンの小さな体が、静かに、ゆるやかに、もっと小さくなってゆく。どんどん小さくなってゆく。風が吹き、大輔の髪をなでる。地鳴りがどこか遠くの国のできごとのように意識の外でひびく。視界は、ただひとつの影だけをとらえ、追っていた。もはや豆粒のようになった。小さな影を。最後まで見失わない。絶対見失わない。意地に似た気持ちで、まばたきすらがまんして見上げつづける。とうとう豆粒が、けし粒になった。ただの点になった。手足の区別ももうわからない。

 そして…
 とうとう、光の中に消えた。

 同時に、光の円が爆発するように消え、それをかこむようにしていた光輪もうすれ、夜空にとけこむように消えていった。
 あとにはただ、月だけが残された。

 どさり!

 デジヴァイスが落ちた。今さらのように。
 そして、大輔のひざも落ちた。

「…………………」

 気持ちが、まとまらなかった。どう表現すれば、いまの感情をいいあらわすことができるだろう。ごちゃまぜで何がなんだかわからない。ただひとつ、ハッキリしている事実は、もうブイモンが、ここにいないということだけだった。
 そう、今度こそ。

「……大輔くん?」

 とつぜん背中から、聞きおぼえのあるべつの声がした。これもまた、ひどくなつかしい声だ。
 ぎこちなく振りむくと、そこにはもと先輩の、泉光子郎がいた。

「やはり大輔くんでしたか。無事でよかった」

 無事? なんのことだ? ぼんやりと考える視界に、またしても見覚えのある影が、いくつも飛びこんできた。

「大輔! だいじょうぶか!?」

 勢いのあるその声が、大輔を少しだけ、我にかえらせる。
 そこには会いたくて、しかし会いたくなかった、誰よりも尊敬する人が立っていたのだ。

「太一…先輩…」

 太一が安心したように、ニッと笑った。