
言葉には関係なくエッセイになってきてしまったような気もします…。
<第10の話 占い>
いつの間にやら占いばかりが私のサイトに増えていきます。
もともと占いが好きといえば好きなので
なんとも・・・。と言った感じですが。
ただ、自分のサイトにおいといて言うのもなんですが
すべての占いが同じ結果を出すか
と言うと決してそんなことはありません
と言うか出しません
ならば、どれを信じるのか…?
人によってそれぞれでしょうか?
良い結果だけを信じる人
名前に宿された宿命を信じる人
星によって導かれた運命を信じる人
いろいろいると思います
占いの見方はさまざまでしょう。
ただ、一つだけいえるのは占いは
言葉によって人に何かを与えるもの
なのではないでしょうか?
どんな結果からでも人は前向きに物事をみていくでしょう?
占いは自分と向かい合う時間を作ってくれます。
当たってると思う人
当たるはずないと思っている人
まったく当たってないと感じる人
それぞれが占いを通して
一瞬でも占いの存在によって
自分を見つめているから
占いの結果になにかおもうところがあるのでしょうね。
それだけでも価値のあることと思います。
そしてその中にはやはり、言葉の魅力が隠されているのでしょう。
<第11の話 悪口>
塾の講師を言うアルバイトをしていると当然子供同士のけんかを
当然何度も見ることになります
自分たちが子供のころもそうだったように
子供たちは言葉を考えず他人のことも考えず
傷つけることばかり言います
それを見て大人の私は思います。
言葉とはやはり他人がどう受け取るかということを
考えてはじめて使えるようになるものなのだと。
大人になると言うことは自分に責任がもてると言うこと
責任がもてると言うことは自分自身に何が必要かわかっていると言うこと
そして他人に対してしてはいけないことがわかる
言葉が使えることは大人としての絶対的な条件であることが
なんとなく、考えられます
私の大好きだったゲームヴァルキリープロファイルのある魔法に
こんな詠唱をする魔法があります
我、久遠の絆断たんと欲すれば
言の葉は降魔の剣と化し汝を撃つだろう
言葉は発する人の気持ち次第で良くも悪くもなるものです。
悪意のこもった言葉はまさに相手との絆を断つ
恐るべき剣でしょう
ただ、ネット上で(掲示板など)よくけんかがおこります
どう見ても悪意のあるとしか思えない言葉もありますが
ちょっとした勘違いの場合もあるようです。
相手の気持ちが読めない場合
言葉はその本来持っている性質を表しているとなると…。
言葉はやはり心を込めなければ
ただの記号のようです
話し相手に対して剣とならないように心がけて
言葉を使いたいと考えます