今宵降る雪は天からの贈り物です。
この街にも あの村にも 
静かに音もなく降り積もる。
まるで、忍び寄ってくる幸せの神様みたいにね。

どうかみんな 笑顔でいられますように。

そう言って 
かあさんは ロウソクの灯りをそっと吹き消しました。

 

 


 ガーネット

 行きますよ、と、戸口の向こうから声がかかった。
 はあい。
 少女は元気よく返事をすると、ふかふかの毛皮がついた真っ白な外套の襟紐を結んだ。それから真っ赤なミトンを手にはめて、ちょっとつっかかりながら急いで外で待っている母の元に駆けてゆく。
 真っ白な雪の絨毯が敷き詰められた前庭に、質素な馬車が用意されていた。
 ふっくらした母親は赤いコートを揺らして後ろの扉をあけ、娘を中に招き入れる。もうすぐ11になる娘は懸命に高い座席によじ登り、ほう、と小さな息を吐いた。その吐息は真っ白な宝石みたいにきらきら光りながら空へ上る。
 今日は精霊の日だ。この国で一番寒い日。そして子どもたちにとっては一番待ち焦がれた日。
 一年いい子にしていたら、今日、精霊からごほうびをもらえるのだ。
 少女の母親は召使に馬車の荷台に山ほどの白い袋を積み込ませた。そして御者にいつものコースを回るように告げ、少女の隣に乗り込んできた。
「さ、これをおつけなさい」
 きらきら光る銀色の仮面を娘に差し出す。
「精霊に顔を見られたら、ごほうびをもらう代わりに命をもっていかれてしまいますからね」
 そう、今日は仮面をつける日でもあるのだ。
 大人も子どもも仮面をつけて、精霊の降臨を待ちわびる。
 歓迎の意を表するために大人は夜っぴて宴を繰り広げ、子どもたちは仮面をつけたまま早めにベッドにもぐりこむ。何しろ、いい子にしていないとプレゼントがもらえない。
 少女の母は今夜ばかりは精霊の名代だった。
 彼女自身も仮面をつけ、誰だかわからないようにしてこの街にある小さな施設を幾つも回る。それから、もし数が足りるようなら、ひび割れた壁の隙間から冷たい北風が吹き込む家の子や、地下道に続く階段にうずくまって、凍えた小さな手をすりあわせる子どもたちに、荷台に積んだプレゼントを渡していく。
 少女は去年からその妖精の弟子になった。
「分かっていると思うけれど、今夜は自分の名前を口にしてもなりませんよ。自分の素性の全部を隠していないと」
「精霊に連れて行かれちゃうもんね」
「そう」
 母はにっこりと微笑んだ。

 馬車は出発する。
 雪が家並みを真っ白に包み込む、真夜中のアレクサンドリアの街へ。
 

 
 


ジタン 

 タンタラス、という劇団は、市民の間でも人気がある。
 今夜はアレクサンドリアのお祭りみたいなものだったから、彼らもその騒ぎを目当てにこの街にやってきていた。
 もちろん、依頼があれば劇の上演もするし、なければないで金持ち連中のお屋敷から少しばかりお宝を拝借するだけの話である。
 ジタン、というしっぽの生えた少年は、7年前にこのタンタラス団に拾われた。今年の9月で11になった。もういっぱしの役者だし、大きな声ではいえないが、四分の三人前くらいの盗賊のはしくれだ。
「おう、風邪をひくぞ。そんなところでぼけっと何してやがる」
 親方の声がする。
 ジタンは首をひねって部屋の中をのぞいた。
「雪、見てんだ」
 床板を軋ませながら、大きな体躯の男がベランダに出てきた。
 分厚い眼鏡をかけて、お気に入りのロバ耳の帽子をかぶった髭もじゃ親父。彼がこのタンタラス団の頭領だ。でも誰も親方なんて呼ばない。彼の通り名は「ボス」だった。
 アレクサンドリア城へ渡る船着場に面した広場の一角に、古い宿屋がある。
 由緒正しきその宿屋の裏側にある路地の奥の小さな建物が、タンタラスの常宿だった。石造りの簡素な宿で、壁もむき出しだし、窓には鎧戸があるだけでガラスもはめ込まれていない。床には辛うじて木の板がはってあるけれど、それだって乱暴に歩くとすぐに抜けてしまうような脆いものだった。
 でも、雨露をしのぐことはできる。屋根のある場所、風を防いでくれる壁のある場所に寝泊りできることは、とてつもない幸運なのだ。ジタンは身に沁みてそれを知っている。だからここがどんな場所だって文句はなかった。
 それにアレクサンドリアではリンドブルムでは絶対見られないものが見られる。少年は目をきらきらさせて、さっきからベランダに貼り付いていた。
「ふん、リンドブルムに雪は降らねえからな。そういや、お前をここに連れてきたのは初めてだったか」
 ジタンは黙って頷いた。金色の髪が揺れた。
 けぶるような薄灰色の空からひらひらと綿雪が舞い降りる。
 細っこい腕を空に突き出して、ジタンは小さな白い雪片をすくい取った。
「なんで雪って、積もると消えないのに、掌に落ちると消えるんだ?」
「そりゃお前――」
 掌は体温であったかいから当たり前だろうと言いかけて、ボスは人の悪い笑みを浮かべた。
「掌の上にはな、神様がいるからだ」
「え?」
「心のあったけえ人間の手のひらにはな、あったけえ神様が住んでんだ。その神様が冷たく凍った空の涙を溶かしてやるんだよ。それは生きてるもんにしかできねえんだ。だから道や屋根には雪が降り積む――って、おい、どうした」
 ボスの言葉を最後まで聞かずに、ジタンは突然駆け出した。部屋をつっきり、ドアを乱暴に開けて廊下に飛び出す。
「おい、いきなりどうしやがったんだ、クソ坊主!」
 先を読んでボスはベランダから身を乗り出し、真下を伺う。そこにこの宿の入り口があるのだ。
 案の定突風のように勢いよく扉を開けて、少年がそこから飛び出してきた。
「ネコの鳴き声が聞こえた」
 彼はほんの一瞬立ち止まって仰向く。
「はあ?」
「助けてって言ってるみたいな鳴き声だった!」
 一声残して、ジタンの姿はあっという間に路地の奥に消えた。


 ガーネット

 毎年思うことだ。
 どうして世の中には貧しいものと豊かなものの差があるのだろう。
 この馬車は貴族街には回らない。だけど、そこで繰り広げられる今日の夜の光景は、回らなくても何となく想像がつく。
 きっと貴族の子どもたちは今日をそんなに待ちわびていたわけじゃない。だって、彼らはいつでもどこでも、好きなものが手に入るのだ。望みさえすれば、たいていのことは叶うのだ。
 何をもらっても、彼らにとってはいつもとたいして変わらない。
 それは――自分の姿でもあった。

 小さな袋をもらっただけで、飛び跳ねるようにして喜ぶ子どもたち。満面に笑みを浮かべて、いっぺんに春が来たみたいに明るく笑う人々。
 笑いさざめく感情に満ちた篝火の広場に立って、ぐるりと辺りを見回しながら少女は思う。
 豊かさって何なんだろう。貧しさって何だろう。幸せって、何なのだろう。

 ぼうっとしているガーネットの肩を、御者の青年が揺らした。
「姫様、…もとい、お嬢様、そろそろ次の場所へ移動する時間であります」
 堅苦しい言葉遣いが身に染み付いてしまっている青年は、ずれ落ちる仮面を何度もかけなおしながら少女を促した。
「うん…わかった」
 凍てついた夜空に燃え立つ炎。火の粉を盛んに撒き散らし、惜しみなく周囲に熱と光をふりまく篝火に心を残しつつ、ガーネットは人々の輪を離れた。

 


二人

「馬車を停めて!」
 ガーネットが突然声を上げた。
 御者が慌てて手綱を引く。馬車は大きく軋んで急停車した。
「どうしたの?一体」
 いぶかしむ母親に、少女は赤く上気した頬をさらに赤くして訴えた。
「路地の向こうの階段のところに、男の子がいたの。じっと座ってたの。あたし、見てくる!」
 ぴょんと馬車から飛び降りて、夕方よりずっと深く降り積もった雪の中に少女は駆け出した。止める間もなかった。
 母親はため息混じりに窓から顔を出して、御者に命じた。
「スタイナー、あの子を追いかけてちょうだい。車の入れない道になったら、降りて追いかけなさい」
「御意」
 青年は馬車の向きを変えた。

 ガーネットは目の端にちらりと映った少年を必死になって探していた。
 この辺りは広場からも遠くて人気がない。しかももう夜更けだ。こんな時間にこんなところで階段に座り込んでいるなんて、よほどのことに違いない。
 何かに導かれるように彼女は路地を駆け巡り、そして洗濯物干しの竿が縦横無尽に掛け渡された狭い路地の突き当りの階段に、探していた人物を見出した。

 少年は頭からすっぽりと雪をかぶっていた。真っ白に塗りつぶされた頭の部分から、少しだけ明るい色の髪が覗いている。暗すぎてそれが何色なのかまでは分からない。顔もはっきりとは見えない。でも彼の体が固まっているように少しも動かないのは分かる。
 雪の夜。いつもなら煌々とアレクサンドリアの町並みを遍く照らし出す二つの月も、薄い雲に覆い隠されてしまっていた。
 ただ一面に敷き詰められた雪の明りのおかげで、辛うじてガーネットは少年を見つけ出すことができたのだった。

 はあはあという荒い息遣いがジタンの耳を打つ。
 長いこと一点を見つめて動かなかった目がようやく動いた。少しだけ。
 目を上げた先に、真っ赤なほっぺたの、銀の仮面をつけた女の子がいた。
 毛皮の縁取りの上等そうなコートを着て、自分を見下ろしている。
 ジタンは興味を失って、膝の上の小さな生き物に目を落とした。
 小さく身を縮め、丸くなって眠る子猫。
「寝てるの?」
 女の子が尋ねる。
 ジタンは首を振った。
「死んだ。…ずっと抱いて、あっためたけど、駄目だった。腹が減ってて、もう力が残ってなかったんだ」
 痩せ細った子猫の頭を、ジタンはかじかんだ手でしきりに撫でた。
 ガーネットは黙って少年の前に座り込み、赤いミトンを外して、子猫の体にそっと触れた。骨の上に皮を張ったみたいにごつごつとした感触。冷たくなった体に張りついた毛は信じられないくらい薄かった。
「親猫、いなかったのかな」
 小さく、ガーネットは呟いた。
 ジタンは頷く。
「うん。多分。ずっとここで待ってたけど、帰ってこなかったから」
 少女はちょっとびっくりしたように目を瞬かせた。そうして、そっと手を伸ばすと、ジタンの膝から子猫を自分の膝の上に引き取り、外した赤いミトンでその体をくるんでやった。
「これじゃ、寒いかな」
 独り言みたいな呟きを聞きとがめて、ジタンが首を振る。
「ずいぶん、あったかいと思う。俺――心が冷たいみたいで、手があったかくならなくて、だから一生懸命抱きしめてたんだけど…」
 すっと少女がジタンの手を取った。少年の手より少しだけ小さな掌が、ふわりと彼の手を包み込む。
 さっきまでミトンにくるまれていた少女の手は、湯たんぽみたいに温かかった。
「こうしてるとね、ちゃんとぬくもるよ。ちゃんと、温かい手にもどるよ」
 慰めるように、一生懸命彼女は言った。
 地表の照り返しだけが明かりの全てだった。辺りは薄闇に閉ざされて、何もかもぼんやりとしか見えない。例えばこの女の子の髪が、黒なのか栗色なのかも分からない。不意にジタンはそれがとても残念に思えた。
 この小さな手の温もりを、ずっとずっと覚えておきたかった。
 
 こんなに冷たく凍えるまで、この少年はここで子猫を抱きしめてあげていたんだ。そう思うとガーネットは胸が痛くなって、泣きそうになった。
「今夜は月が出てなくてよかったね。もし明るくて顔がはっきり見えてたら、精霊に連れて行かれてたかもしれない」
 気を紛らわすように、努めて明るい声でガーネットは言った。
「精霊?」
「そう。それが今夜のお祭りなの。一年よい子にしていた子どもには、精霊が御褒美をくれるの。でも、顔を見せたら駄目なの。顔と名前を知らせるのは、精霊に連れて行ってくださいってお願いしてるのと同じことなんだって。精霊は、命を運ぶ使者でもあるんだって、お母さんが言ってた」
 ジタンは何かを考えるように遠い目になった。
「だから、この子猫もちゃんと精霊に連れて行ってもらえるよ。最後まで側に人がいてくれて、寂しくなくて幸せだったと思う。――ほら、温かくなった」
 ひとしきり喋った後、少女はジタンの手を離した。
 ほかほかになった手を、ジタンはちょっと眺めて、それからそっとほっぺたにあてる。
「あったけえ」
「うん」
「あのな、掌には神様がいるんだって。心の温かい人間の掌には、あったかい神様が住んでるんだって」
 照れくさそうに言って、それからジタンは小さな声でくっつけた。「親父が言ってた」
 そこだけ小声になった理由をガーネットは知らない。知らなくてもよかった。彼女は素直に少年の言葉を受け入れて、びっくりしたように自分の手を見る。
「へえ――そうなんだ」
「俺の手、あっためてくれてありがとう。そいつ、俺がどこかに埋めてやるよ。貸して」
 ミトンに包まれた子猫を受け取って、大事そうに胸に抱えると、少年は立ち上がった。
「じゃあ、俺、帰る。えっと、この手袋…」
「そのままその子に着せてあげてて。お願い」
「うん。わかった」
 少年が、初めて笑った。仄暗い雪明りの中で、ちゃんと見えなくても、確かに分かった。
 ガーネットも笑った。おかしいからじゃない。楽しかったからでもない。なんだかひどく――優しい気持ちになったから。
「さよなら」
 ジタンが言った。そうして彼は雪の中を走り去った。
「さよなら…」
 白いボタン雪が瞬く間に少年の姿を隠す。闇の向こうをじっと見つめて、しばらく少女はその場に佇んでいた。

 
 ガーネット

「姫様!…いえ、お嬢様、こんなところにおられてはお風邪を召されますぞ!」
 やっとガーネットを見つけ出した御者は、ぜいぜいと肩で息をしながら階段を駆け上ってきた。
「そ、その手はどうなさったのですか!?この寒い中むき出しとは…。さては曲者が姫様の手袋を盗んで行ったのですな!うむむ、許せん!今から私がとっつかまえて、ぎったんぎったんに」
「違うの」
 早とちりの騎士を見上げてガーネットは首を振った。
「精霊が、私にもご褒美をくれたの。そのかわりに、手袋をあげたの」
「は?しかし、精霊とは…」
「ううん、きっと本当にいるんだと思う」
 ガーネットは冷たくなってきた手に息を吐きかけた。そして、にっこり笑うと青年の手の中に小さなその手を滑り込ませた。
「うふふ、あったかいね、スタイナーの手。きっとスタイナーの手にも、神様が住んでるんだね」
「か、神様でありますか…」
 何のことやらさっぱり分からない青年は、目を白黒させながら相槌を打つ。姫君は優しい瞳で彼を見上げて、うん、と頷いた。
「探してくれてありがとう、スタイナー」
 そうして彼女は、まだ面食らっている青年の手を引いて、階段を下りて行った。

 
 


ジタン 

「どうした、こんな時間まで」
 言うより早く拳骨が飛んでくる。
 ごつんと頭のてっぺんにやられてジタンはちょっと顔をしかめた。
「う…」
 見る見るうちに頭をもたげたたんこぶをさすりたいけれど、手が泥だらけで触れない。と、ボスが手拭を投げてよこしてくれた。
「埋めてやったのか」
 素っ気無くボスが訊いた。
 手にこびりついた泥を落としながら、ジタンはこくんと頷く。
「そうか」
 言ってボスは暖炉の前の椅子を顎でしゃくった。
「あったまって寝ろよ。風邪なんかひくんじゃねえぞ」
 後が困るからな、後が。
 がははと笑って乱暴に言い放つと、ボスは隣のベッドルームに行ってしまった。
「うん。――ありがと」
 ボスには聞こえないと分かっていて、ジタンはこっそり呟いた。
 それから暖炉の前に膝を抱えて座る。
 暖かな火が、冷たく凍った顔を照らした。その火はまるであの女の子みたいだった。
「神様…精霊…か」

 いつしかジタンは夢の中に潜り込んでいた。
 冷え切ってつかれきった体を横たえて、泥のように眠る。その小さな体を誰かが抱えてベッドに運んだ。

 ボス。おれ、いい子じゃないのに、精霊からご褒美をもらったよ。
 掌の神様にも会ったよ。
 もごもごと寝言を繰り返す少年の髪を、大きな暖かい手が撫でる。

 ああ。
 ほら、今…神様がここにいるよ。

 夢の中で、ジタンは笑った。
 とても幸せな夢の中で。



今宵降る雪は天からの贈り物です。
この街にも あの村にも 
静かに音もなく降り積もる。
まるで、忍び寄ってくる幸せの神様、
子どもをちゃんと見張ってる精霊みたいにね。

どうかみんな 笑顔でいられますように。

そう言って 
かあさんは ロウソクの灯りをそっと吹き消しました。

 

おしまい。

※壁紙は「ぶたたま素材缶」からお借りしています。
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