寄席のたのしみ

 落語を聞き始めたのはかなり早い時期です。小学生くらいのとき、図書館にあった落語の本を読んだのがきっかけでした。ラジオの演芸番組をチェックしまくったりしました。当時は昭和の名人とか言って、いろんな人をやってたんだよねえ。志ん生、文楽(先代)、正蔵(先代、まだご存命でした)、円生、先先代の柳好などなど。ナツカシイ。中学生になると、本をたくさん読むようになり、図書館で古い速記本をくりかえし借りて読んだり、わずかな小遣いで落語の本を買ったりしました。ちなみに、初めて買ったレコードが、柳家三亀松じゃなかったかな。やなガキだね。中学生が、浅草の観音様の裏っての・・・とか言ってんの。いかんね。

 で、しかし、田舎の中学生ですから、もちろん寄席に足を運ぶなんてことはありません。何しろ、高校生になって初めてやっと東京にひとりでいったのですよ!「東京は、生ぎ馬の目ぇさ抜ぐ、おっがねえとごろだべ」と、震えながら。
 高校に入ると、吹奏楽部に入り、音楽に没頭するようになりました。落語熱は、完全に消えてはいませんでしたが、下火になり、大学時代まで、ときどきラジオで聞く程度になりました。今考えると、幸せだったのか不幸せであったのか・・・(数多くの名人を聴かなかった代わりに誰にも弟子入りせずに済んだ)。

 社会人になって数年後、旅行の帰りに都内で数時間、ぽっかりと時間が空きました。なんとなく、じゃあ寄席って所に行ってみよう。と思いました。これが寄席に行った初めてです。なんて長いブランク。夏の鈴本でした。記憶にないけれど今思えば相当のメンツが揃っていたのではないかな。で、それで寄席にハマるというわけでもなかったのです。が、またしばらくして、桂枝雀さんが地元に来ました。枝雀さんは、中学生時代にかなりメディアに出ていて、そのときの印象があったので、まるでコンサートにでも行くような調子で聴きにいったのですが、たいへんな衝撃でした。これがきっかけで、寄席に通う回数がだいぶ増えてきました。いつまで続くかはわかりませんが。

 なにしろ、寄席というのは便利なもので、いつ行ってもやっているのです。通常、午前中はやっていませんが、日曜日は鈴本早朝寄席などというものまであってなかなか油断ができません。コンサートなどだと、演奏者を選んで、曲目を選んで行かなければなりませんが、寄席だと、ソコソコおきにいりの演者が2〜3人、出ていれば、いけるのです。自然と足を運ぶ回数も増えてきます。今では一時夢中になっていた競馬場より行く回数が増えてしまった。

 最近思うのですが、寄席で話をきくというのは、テレビやラジオで聞くのとえらい違いです。何が違うのかは、まだはっきりと言えないのですが、テレビやラジオでは感じない、演者の発する空気のようなものがあるように思います。

 演者は高座の上で、表情やしぐさまで駆使して、話の世界を作り上げていきます。うまくできています。着物の襟をちょっと直して、女性の色気を出したりしてしまうのです。こういうことは、おそらくきちんとした稽古の上に成り立っているのでしょう。そういうしぐさ、や、表情をはっきり見たいために、私は最近は寄席に行くと、できるだけ(いじられない程度に)前のほうに陣取るようにしています。以前は、大学の講義の後遺症か、後ろのほうや、すみっこに行っていたのですが。

 また、寄席には、色物ってのが出てきます。漫才やら、曲芸やら、紙切りやら。私は古典落語が聞ければけっこうもう、うれしいのですが、例えば太神楽の曲芸にはいつもうひゃうひゃうれしがるし、また目先が変わって楽しいものです。

 大阪にも寄席ができるようですね。このことでちょっと思ったことがあるのですが、現在、東京の寄席では、持ち時間がほぼ決まっていて、噺を途中で切ることがあります。これはあまりいいことではない(仕方ないとはいえ)ように思います。大阪落語は現在、寄席がないために、きちんとサゲまで演じられているという、利点も実はあるのではないかと思うことがあります。大阪落語の現状を知らないのでなんとも言えませんが、どうなんでしょう。逆に言うと、東京の寄席では、いくら嫌な人が(嫌いな噺家もいるのです。数人は)出てきても、15分なり20分ガマンすればいいという利点もありますが。

 東京にはものすごい数の落語家さんがいるそうです。それでまた、今の落語家さんたちは、みんなものすごくがんばっているという空気を、しばしば「ひしひし」と感じます。まだまだ私の知らないステキな落語家さんがいるようです。もうちょっと気軽に寄席に通える環境にいたらなあ・・・とも思いますが、機会を見つけて出かけるのです。

戻る