The Legend

パーソナリティー: 小原礼、佐藤博、 ゲスト: 細野晴臣


■□□ 第18回目(2月3日)の放送内容 □□■

 ゲストは細野晴臣さん。 今回は、小原さんと佐藤さんがお二人揃ってゲストを迎える、スペシャルバージョン。 番組収録前から、3人で話が盛り上がっていたようで、和気藹々とティンパンのことなど話してました。

 4月にはティンパンが福岡でライブをやるそうなのですが、佐藤さんは知らなかった(聞いてなかった)らしく、 細野さんに「だめだよ」と笑われたりも。

 で、そのままティンパンの話から。  小原さんのリクエストで早速「Queer Notions」をかけました。この曲、原曲は1930年代のもの。 細野さんの話によると「ティンパンで古い曲をやりたかったんだけど、 ジーン・クルーパーがやってるセッションのCDにある「ライムハウス・ブルース」というのをやろうとしたら、 出来なかった。でも何か曲がないか探してたら、たまたま「カンサス・シティ」という映画のサントラからこの曲を見つけた。 これなら出来そうだと思って、みんなに聞かせたら、一発で出来た。」なのだそうです。


 続いて、小原さんと、細野さんと知り合った頃の話
 小原さんが細野さんと出会ったのは、中学生の頃で、 当時林立夫さんらと「ムーバーズ」というバンドをやっていたことからでした。 (当時小原さんはギター。)細野さんは大学生で、 ムーバーズの演奏を見たときに、すごいうまいと思ったのだそうです。 細野さん曰く「生意気、生意気(笑)。中学生だとは思わなかった。」
このムーバーズ、サイケバンドで、「マザーズ」「カントリー・ジョー」や「ストロベリー・アラーム・オクロック」 などをやってたのだとか。
 で、その頃に細野さんが、友人達とアマチュアバンドのコンサートを主催し、 それにムーバーズが参加したことからなのでした。細野さんは呼んだ覚えがなかったそうですけど(笑)。
 ちなみに、鈴木茂さんもCIAという別のバンドでコンサートに参加してまして、 小原さんは茂さんをみて、ギターはやめたのでした。そのうち「ベースやらない?」と頼まれて、ベーシストへ。
 ということで、小原さん曰く「細野さんは、僕らを世の中に引っ張り上げてくれた大先輩の、恩人。 足向けて寝られない。」

 ところで、小原さんと細野さんは、ともにベーシスト一緒にやる機会はなかなか無い
清水靖晃さんのコンサートで、1曲ダブル・ベースでやったことはあるそうですけど。曲をかけるにもないそうで。
 ということで、接点のあるサディスティック・ミカ・バンドの曲をかけてました。 小原さんが脱退した際、細野さんは「入ってくれない?」誘われてステージに立ったこともあるので。 結局加入は断ったのですが。 で、ミカバンドの「どんたく」を。


 それと、佐藤さんと、細野さんが出会った頃の話も
佐藤さんの友人にフォークシンガーの金森さんという方がいて、 ソロアルバムを作るのに「ぜひ細野さんにやってもらいたい」と言ったので、それで初めて会ったそうです。
 本当にちゃんとやったのは、細野さんのアルバム「トロピカル・ダンディ」レコーディング。  細野さんの方からお願いしたのだそうです。(当時佐藤さんはハックルバック)
 で、そのレコーディングは佐藤さん曰く「楽しかったね」と。「一人でやってたことが多かったけど、 自分と似たような奴がいるもんだな」とも。
 それから、細野さんは、佐藤さんのこと「当時、ニューオーリンズのピアノを弾く人は(他に)いなかった」 と誉めてました。佐藤さんに言わせると、「ニューオーリンズのピアノというのは、細野くん達から教えてもらった」 そうですけど。 で、アルバムから「熱帯夜」を。


 続けて話は「細野さんは、自分の声にあった歌い方というのを、どのへんで見つけたのか」という方へ。
細野さんの回答は「はっぴいえんどの頃」。それでも一枚目は全然歌えなかったのだとか。
 細野さん、中学の頃からビーチボーイズが好きで「サーフィンUSA」など歌いたかったのだけど、 「歌うとなんか変なんだよ(笑)。」声が低いので。暫く「自分にはロックは歌えない」と落ち込んでたそうなのです。  だけど、70年代になるとシンガー・ソングライター・ブームがはじまり、低い声のジェームス・テイラーを聞いて、 「あれで僕は助かった」そうですよ。

 じゃあ、小原さんはどうなのか。 小原さん、 「自分の声は倍音が多すぎて、あまり好きじゃない。」って言ってましたけど、 細野さんに言わせると「ミュージシャンはみんなそう」って。
 小原さんと細野さん「ベース弾きながら、歌いたくないよな」なんて話してました。 違うリズムのメロディを一緒にやってることなわけ。難しい。休めない。  細野さん曰く「難しかった、この間も。(ティンパンのコンサート)」
 で、細野さんのはっぴいえんどとジェームス・テイラーに話は戻って。 2枚目の「風をあつめて」あたりで歌がはまってきたということでした。
 それからここで1曲。細野さんの「チュー・チュー・ガタゴト」を。


 話は「House of The Legend」へ。
細野さん思い出の場所としては、「ジョージ」。松本隆さんとよく行ったそうです。 ジューク・ボックスがいつも最新作だったとも。
 よく聴いていたのは、インプレッションズ、ミラクルズなどの名前がでましたが、 ほとんどR&Bだったとか。 かけた曲はSMOKEY ROBINSON & THE MIRACLES「I SECOND THAT EMOTION」


 さらに話は、はっぴいえんどについて。  最初は、細野さん、松本隆さん、小坂忠さんが、バッファローとかやりたかったけど、 エイプリル・フールだと傾向が違うので、新しいバンドをやろうとしたのだとか。  ところが、忠さんがミュージカルのオーディションに受かってしまい、残りの2人は路頭に迷うことに。  そしたら、大滝詠一さんが「やる」と言い出したのだそうです。
 で、結成して最初の頃、細野さん・松本さん・大滝さんとで十和田湖の方まで旅をしたのだそうです。 車で一週間くらいかけて。旅してる間に、なんかまとめようと。  「そしたら、本当にその間に、いろんなアイディアがでてきて…。松本くんの詞のアイディアから、 大滝くんの曲の構想がね。…僕だけ何にもでてこなかった(笑)。」 いい旅だった、と。

 はっぴいえんどは、当時のURCレコードのディレクター・小倉エージさんが「なんかやってくれ」と言ってきたので、 レコーディングをすることになったと。それで、オーディションをしたら、「演奏が上手いのは分かるんだけど、 ステージで見ると不安になる」と言われたとか。ロックはバリケードを思いだす、という時代だったから。

 そうしてはっぴいえんどの曲を。ライブ盤での「12月の雨の日」


 続けて、ティンパン・アレイのことも。 名前は、アメリカの出版街から。
「細野さんって、ガーシュインとか昔の曲好きだよね。」という話がでまして、細野さんは 「キャラメル・ママをやりだした頃から、同時代のアメリカの音楽がおもしろくなくなってきた。 そんなとき古いのを聴きだした。」ずっと聴いてたもので「ある日茂と、もうやめた方がいいかな。 抜けらんなくなっちゃよ…。」という話もしてたとか。
 キャラメル・ママで名義での音源はないのですが、ティンパンアレイので、 「ポケットいっぱいのひみつ」をここでかけてました。マナさんボーカル。


 こうして今回の話は、すごく盛り上がったので、「次回も細野さんゲストでやってしまおう」となりました。  1週間休憩で。 小原さん、「細野さんに聞きたいことがある」と言ってました。

 最後にまた、新しいティンパンの曲を、ということになりましたが、 「何で "アレイ" を取ったの?一人いないから?」という質問には、「そういうのもある。 3人だけでやりたいと。」 キーボードも、佐藤さん入れたかったけど、無しでやる。

  細野「ということはもう、新しいことだと思ってね。」
  小原「じゃ、アレイはとっちまえと。」
  佐藤「ということは、僕は "アレイ" かな?」
  細野・小原・佐藤「(笑)」
  佐藤「"アレ??" なんつってね。」
  小原「…それはね、俺、それだけは言わないようにしてたんだけど(笑)」

 こうしてティンパンの「Starlight Strut」で、また来週へ続く。


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