九州での夏休み

7月1日から5日まで、長崎、雲仙、阿蘇にいってきた。その中でなんとなく感じたことをとりとめもなく。。。

○災害というコトバ
 長崎空港から、長崎市内へはバスで移動。梅雨末期の雨がちの時期のせいか、観光客はきわめて少ない。
 そばの席におばあさん同士が隣り合って座って世間話をしている。今バス停で会ったばかりの人同士みたい。子供の話とか、しているうちに、雨や梅雨の話になった。聞いていると、おばあさんが、「今年の梅雨は災害がないといいですね〜今のところはないみたいですけどこのままいってくれるといいですね〜」と言ってる。
 私は驚きました。自分の職場では、よく聞くサイガイというコトバ。あまり道ばたでは聞かない。もしかすると電車でも一度も聞いたことがないかもしれない。それなのに、九州の人は何気なく日常会話として使う言葉なのか。
 そのあと長崎の街を歩き、自分の知識とも重ね合わせ、そうだ、九州は災害が多いところなのだと、感じた。いたるところにがけがある。山が多い。火山がある。自然豊かな分、その恵みとともに、その猛威にも接するんだなぁ。
 雲仙があり、阿蘇があり、桜島がある。梅雨や台風では、そのたびに被害がでる。九州の人と関東の人間では、気象に対する考え方、災害に対する意識というのは、全然違うのではないか?


○長崎の原爆遺跡
 原爆資料館に行きました。広島に比べると規模が小さいかなぁと感じました。それと、ガラスの中の説明プレートには、うっすらほこりを被っている。世界じゅうに原子爆弾を落とされた街はふたつしかなくて、そのひとつの資料館なのに、もっとちゃんと管理したほうがいいんじゃないだろうか。広島の資料館の雰囲気と比べると、なんとなくのんびりした感じを受けました。
 その後、浦上天主堂や片足鳥居、長崎大学医学部門柱、、、と原爆の被害がそのまま残っているところを歩いたのですが、回ったところがマイナーだったのか、案内板を見失い、道に迷いました。
 驚いたのは、これらの遺跡が、何気なくおいてあることでした。片足鳥居などは、説明版は近くにありますが、倒れた半分が、そのままそこに寝かせておいてあり、チェーンで囲ってあるだけです。 そのかけらは、もっていこうと思えばもって帰れるような状態です。 浦上天主堂の被爆したマリア像とかは、片隅にまとめて、説明書きもなく、おいてありました。とれてしまった頭の部分はそのまま横に置かれていました。さわることもできます。
 長崎大学医学部の傾いた門柱もそのまま、説明書きがとりつけられているだけで、まだ裏門として、ちゃんと機能しています。図書館から坂を下る雰囲気のいい階段の下にあります。
 その何気ない置き方、使い方、そして誰も盗む人もなく、ちゃんと保存されてるところ、なんだか不思議な気がしました。
 
 浦上天主堂



片足鳥居




 長崎医大門柱


○昭和がある
 長崎〜熊本を回って、なつかしい昭和に久しぶりに会った気がしました。お年寄りが多いんだけど、楽しそうにのんびり会話しながら、楽しく生きてる感じがしました。バスの運転手さんも何か聞かれるととても丁寧に説明している。関東だったら、バス停の場所を聞かれても、「3番乗り場!」とかってぶっきらぼうに言って終わるだろうな。道で見る看板、銭湯ののれん、紛れもなく昭和の匂いがしました。そして物価が安い。


○k庁不在のかまだすドーム
 大雨の中、バスにのって島原の雲仙噴火記念館(がまだすドーム)に行った。大きな被害がでた噴火だったけど、その展示物の中には、k庁のことが全くでてこなくてk大学のことばかり。。。。
 あとから聞いたところによると、普賢岳は、k大学のO先生のヤマだとか。。。。そして、その教訓が有珠に続くのだった。


○野良猫
 長崎でも雲仙温泉でも、ずいぶん野良猫をみました。それも本当のノラ。最近は野良猫も太っているのだが、長崎で見たのは、本当にやせ細った目つきの悪い猫。でも雲仙温泉の猫は人なつこかったなぁ。長崎でみた子猫も可愛かった。


 平和公園



 大浦のあたり



 活水大学前



雲仙温泉 カメラを向けると寄ってきてしまって、写真が撮れない。可愛かった。



○長崎くんち
 グラバー園の裏手に、長崎くんち資料館があった。そこにあった冊子を立ち読みしていたら、昭和57年のことが書いてあった。長崎豪雨のとき、長崎市内は、壊滅状態だった。で、くんちはどうするか、やめるか、、となったとき、原爆の年でもやったじゃないか!と励ましあい、立派にやりとげたそうである。原爆のときも長崎くんちをやったのか!という驚きと、あの長崎豪雨は、原爆と比較するほど、ひどい被害があったのか!と。。。。
 諏訪神社のおくんち、一度見てみたい。ビデオをみたけど迫力あったなぁ。








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